大卒者の就職率の低さに対応するため、文科省が財政支援を始める。新聞の報道によれば「就業力」(何にでも「〜力」をつければいいというものではないだろうに)の育成に取り組む大学・短大に対し、一件当たり年間2千万円程度を援助するらしい。
学業を終えても職に就けないのは、確かに大変な事である。しかし、これは大学卒に限った話ではなく、高校を卒業した後も職に就けない生徒も増えている。そして、高卒で就職できそうもなかった、あるいはできなかった生徒たちの多くは大学に進学しているのかもしれない。
数の上ではすでにわが国は大学全入という環境下で、ことさら「大卒でも」とか「大学を出たのに」といった発想は転換した方がいい。
2010年10月3日
2010年10月1日
木田元と独習
昨日まで、日経朝刊の「私の履歴書」欄に哲学者木田元さんのことが取り上げられていた。彼は、英語、ドイツ語、ギリシャ語、ラテン語、フランス語を農業専門学校と旧制の大学で独習した。
「・・・テレビもない、貧しくて酒も呑めない、そんな時代だからこそできたことなのかもしれない。考えようによっては、いい時代だったことになる」という言葉を噛みしめる。
「・・・テレビもない、貧しくて酒も呑めない、そんな時代だからこそできたことなのかもしれない。考えようによっては、いい時代だったことになる」という言葉を噛みしめる。
2010年9月28日
「おひとりさま」と「独居老人」
朝刊を読んでいて、雑誌広告のなかに見つけた「おひとりさま」という言葉。東大上野センセイの本『おひとりさまの老後』から拡がった言葉だが、ネット書店で検索してみると「おひとりさま」をタイトルに据えた本は彼女以外にもいろいろあるようす。
ところで「おひとりさま」って誰のこと? 「独居老人」あるいは「一人暮らし」と何が違うのだ。同じなら、なぜわざわざ言い換える必要があるだろう。「少女売春」が「援助交際」と言い換えらえた時のように、実態は変化しないにもかかわらず言葉の違い一つで我々が受け取るイメージは一転する。本質を隠蔽しかねないこうしたレトリックには注意が必要だ。本田由紀らが『「ニート」って言うな!』でニートという言葉の不適切さを指摘していたが、「おひとりさま」にも同様のものを感じる。
そういえば、経営学の分野にも実態はほとんど変わらないのに、まるで新しいコンセプトであるかのような新しい用語やフレーズがしばしば登場してくる。たいていはコンサル会社が「創造」したものだが、こちらも注意が必要だ。
ところで「おひとりさま」って誰のこと? 「独居老人」あるいは「一人暮らし」と何が違うのだ。同じなら、なぜわざわざ言い換える必要があるだろう。「少女売春」が「援助交際」と言い換えらえた時のように、実態は変化しないにもかかわらず言葉の違い一つで我々が受け取るイメージは一転する。本質を隠蔽しかねないこうしたレトリックには注意が必要だ。本田由紀らが『「ニート」って言うな!』でニートという言葉の不適切さを指摘していたが、「おひとりさま」にも同様のものを感じる。
そういえば、経営学の分野にも実態はほとんど変わらないのに、まるで新しいコンセプトであるかのような新しい用語やフレーズがしばしば登場してくる。たいていはコンサル会社が「創造」したものだが、こちらも注意が必要だ。
2010年9月26日
2010年9月24日
Bizスポ
BizスポというNHKの夜の番組がある。平日の夜間に帯で流れている。内容は経済情報とスポーツ情報だから、Bizスポらしい。対象はサラリーマン。とりわけ中心ターゲットは、おじさん。
おじさんってのは、仕事に関係する経済ネタと息抜きのスポーツニュースにしか興味がない連中と思われているから、こうした番組(ビジネス&スポーツ)ができるんだろうな。番組コンセプトの割り切りの良さにはある面で感心するが、文化的な雰囲気は微塵もない。ならばいっそのこと、ビジネス&セックスにしたらどうだ(ま、無理か)。
おじさんってのは、仕事に関係する経済ネタと息抜きのスポーツニュースにしか興味がない連中と思われているから、こうした番組(ビジネス&スポーツ)ができるんだろうな。番組コンセプトの割り切りの良さにはある面で感心するが、文化的な雰囲気は微塵もない。ならばいっそのこと、ビジネス&セックスにしたらどうだ(ま、無理か)。
2010年9月23日
2010年9月22日
早稲猫(わせねこ)
6号館の端っこで見かけた早稲猫2匹。もっと近くで撮ったアップの写真もあるのだけど、近づいても人に慣れているのか逃げない。「早稲田大学地域猫の会」のみんなからいつも世話を焼いてもらっているからだろうな。幸せ者である。
2010年9月21日
学位授与式
敬老の日の昨日は、大学院の秋の学位授与式だった。僕のゼミからは、Ivan、Andy、Wendyの3人が無事修了式を終えた。式典の後は、大会議室で乾杯式を行い、その後僕の研究室でIvanがアルゼンチンからお土産に持って帰ってきてくれたワインで4人で乾杯。2年間という大学院の期間はあっという間だったと思う。これからが、彼らにとっての本番だ。
2010年9月15日
3年前はどのくらい過去か
これまでやろうと思ってながらできなかった、正式にはやらなかった部屋の片付けを始めた。
まずは床やテーブルに積み重ねたままで放置されてる本や雑誌を片付けることから手を付ける。古い雑誌はページを開かずにそのまま処分、と自分に言い聞かせて始めたもののついつい気になりページをめくってしまう。
積み重ねられた雑誌の山のいくつかはビジネス関係の雑誌だ。ある山は、3年くらい前のもの。めくってみると、わずか3年ほどしか経っていないのに注目の成長企業と持ち上げられた会社がすでに業界でほとんどプレゼンスを無くしていたり、ヒット商品として取り上げられたもののなかに今では完全に店頭から消えたものも少なくない。
なぜだろうかと、つい考えてしまう。あれからわずか3年。消費者の嗜好の変化(飽き)や競合製品の登場など要因はさまざまだが、それにつけても疑問は「なぜ変化に対応できなかったか?」の一点につきる。
歴史に学ぶというほどたいそうなものではない。近未来という言葉あるとしたら、3年前は近過去といえるかもしれない。その近過去を振り返ることで、僕たちは多くのことを学習できる。マーケティングの分野では、どうやって新市場を創造するかという「将来に向けた」テーマが重視される。それは当然のことだが、そのためには近過去に目を向けた考察が有効だろう。捨てるはずだった3年前のビジネス雑誌を教材に用いて行う授業「マーケティング・リフレクション」でも考えてみようか。
当初の目的だった片付けは今も遅遅として進まず。でも、あれやこれや考える事ができたから、まあ良しとしよう。
まずは床やテーブルに積み重ねたままで放置されてる本や雑誌を片付けることから手を付ける。古い雑誌はページを開かずにそのまま処分、と自分に言い聞かせて始めたもののついつい気になりページをめくってしまう。
積み重ねられた雑誌の山のいくつかはビジネス関係の雑誌だ。ある山は、3年くらい前のもの。めくってみると、わずか3年ほどしか経っていないのに注目の成長企業と持ち上げられた会社がすでに業界でほとんどプレゼンスを無くしていたり、ヒット商品として取り上げられたもののなかに今では完全に店頭から消えたものも少なくない。
なぜだろうかと、つい考えてしまう。あれからわずか3年。消費者の嗜好の変化(飽き)や競合製品の登場など要因はさまざまだが、それにつけても疑問は「なぜ変化に対応できなかったか?」の一点につきる。
歴史に学ぶというほどたいそうなものではない。近未来という言葉あるとしたら、3年前は近過去といえるかもしれない。その近過去を振り返ることで、僕たちは多くのことを学習できる。マーケティングの分野では、どうやって新市場を創造するかという「将来に向けた」テーマが重視される。それは当然のことだが、そのためには近過去に目を向けた考察が有効だろう。捨てるはずだった3年前のビジネス雑誌を教材に用いて行う授業「マーケティング・リフレクション」でも考えてみようか。
当初の目的だった片付けは今も遅遅として進まず。でも、あれやこれや考える事ができたから、まあ良しとしよう。
2010年9月12日
直島の「村プロジェクト」
フェリーで直島に渡る。まだ訪ねたことのない地中美術館を見たくて出かけたが、美術館の入り口で手に入れた整理券は入場(チケット購入)まで1時間45分待ち。汗がしたたる暑さに、根性が折れる。http://www.benesse-artsite.jp/chichu/
この島では、今回の芸術祭の作品以外にも常設の作品を数多く見ることができる。「村プロジェクト」という名の、古い民家をアーティストの創作のモチーフとして自由に仕立て上げてもらうという活動だ。大竹伸朗の作品もいくつかある。かつて歯科医院だった建物を舞台にした「はいしゃ」のなかでは、巨大な自由の女神が吹き抜けにスックと立っていた。(建物の内部は撮影禁止)
同じく大竹伸朗の手になる直島銭湯「 I ♥ 湯」と名づけられた美術施設がある。彼が得意とするスクラップブックの手法が建物の内外で展開されている。しかも、ここは本物の銭湯。なかに見学だけの目的で入ることはできない。つまり、500円入って入浴する。楽しい。
この島では、今回の芸術祭の作品以外にも常設の作品を数多く見ることができる。「村プロジェクト」という名の、古い民家をアーティストの創作のモチーフとして自由に仕立て上げてもらうという活動だ。大竹伸朗の作品もいくつかある。かつて歯科医院だった建物を舞台にした「はいしゃ」のなかでは、巨大な自由の女神が吹き抜けにスックと立っていた。(建物の内部は撮影禁止)
同じく大竹伸朗の手になる直島銭湯「 I ♥ 湯」と名づけられた美術施設がある。彼が得意とするスクラップブックの手法が建物の内外で展開されている。しかも、ここは本物の銭湯。なかに見学だけの目的で入ることはできない。つまり、500円入って入浴する。楽しい。
2010年9月11日
2010年9月10日
瀬戸内海の島々へ
駆け足ながら、瀬戸内海の豊島、直島、男木島、女木島をまわった。この7月から瀬戸内国際芸術祭が東瀬戸内のいくつかの島で開催されている。
下の写真は、豊島の港近くにあるレストラン。もとは空き家だった家屋を改造したもの。
港から車で数分行ったところには、横尾忠則の手になる作品があった。これもまた空き家を舞台に、自由な発想で横尾がつくり出した別世界。
池に浮かべられたオブジェ(戸高千代子)は、風で自由に動く。花びらのように見えたり、鳥のようであったり。のどかな島の風景と自然によくマッチしている。
下は同じく池を舞台にしたトムナフーリという作品(森万里子)。スーパーカミオカンデと繋がっていて、超新星が爆発すると白く光るらしい。
下の写真は、豊島の港近くにあるレストラン。もとは空き家だった家屋を改造したもの。
港から車で数分行ったところには、横尾忠則の手になる作品があった。これもまた空き家を舞台に、自由な発想で横尾がつくり出した別世界。
池に浮かべられたオブジェ(戸高千代子)は、風で自由に動く。花びらのように見えたり、鳥のようであったり。のどかな島の風景と自然によくマッチしている。
下は同じく池を舞台にしたトムナフーリという作品(森万里子)。スーパーカミオカンデと繋がっていて、超新星が爆発すると白く光るらしい。
地理的な関係からか、関西からの訪問者が目立つ。人数が実際に多いからか、関西弁の声がでかいからそう思うのか分からないが。若い女性が多い。一人、あるいは二人組で来ている。次に若い男女のカップル。おそらく男たちは女の付き添いだろう。
それにしても、彼女たちの多くが一眼レフのカメラを首からぶら下げているのが印象的。キャノンやニコンはもちろんだが、僕が気になったのはオリンパス・ペンを持っている女性が何人もいたこと。活動的な女性によく似合う。
2010年9月8日
就職率9割の女子大
どの大学も、どうやって学生を集めるか知恵を絞っている。どんな特徴を出すか、いかに魅力的な大学として見せるか。
ある女子大は、今の時代に9割を超える就職率を売り物にしている。ある人が教えてくれた。それは、家事手伝いを除いているからだと。つまり、就職が決まらなかった卒業生は家事手伝いとして、就職率を算定する母数から除くらしい。男女共学の大学ではなく、女子大だからこそ効果を発揮する手法とでも云おうか。
おそらくこうしたギミックは、少なからぬ女子大がやっていることだろうが、やはり教育機関としては正直さを欠いているように思える。
ある女子大は、今の時代に9割を超える就職率を売り物にしている。ある人が教えてくれた。それは、家事手伝いを除いているからだと。つまり、就職が決まらなかった卒業生は家事手伝いとして、就職率を算定する母数から除くらしい。男女共学の大学ではなく、女子大だからこそ効果を発揮する手法とでも云おうか。
おそらくこうしたギミックは、少なからぬ女子大がやっていることだろうが、やはり教育機関としては正直さを欠いているように思える。
2010年9月3日
日本へ
台湾ゼミ合宿の最終日。朝、ホテルの近くを散策。シュウマイを売る車の屋台に長い列ができていた。その場でシュウマイを包み、蒸し、販売する。すごい早さでシュウマイを包んでいく手際の良さに見とれる。
歩いていて目に飛び込んできたのは、大通りに面したビルの7階分くらいを使った巨大な垂れ幕。手を胸の前で合わせ微笑む女性。名前の隣に台北市議員とある。このビルに事務所でも構えているのだろうか。この女性はどういう人なのだろう。
歩いていて目に飛び込んできたのは、大通りに面したビルの7階分くらいを使った巨大な垂れ幕。手を胸の前で合わせ微笑む女性。名前の隣に台北市議員とある。このビルに事務所でも構えているのだろうか。この女性はどういう人なのだろう。
2010年9月2日
台湾高速鐵路で台中へ
朝、台湾新幹線に乗り台中へ向かう。車両はおそらく日本製だろうか、細かなところまで日本の新幹線によく似ている。台中駅で現地出身の学生も合流。
台中駅からマイクロバスでGIANT社へ。自転車のフレーム製造で圧倒的な世界シェアを持つ企業である。この数年は、完成車メーカーとしてスポーツバイクやロードバイクなどで自社ブランドを強力に構築している。担当者の方から企業と製品についてプレゼンテーションしてもらった後、工場を見学。その後、学生たちとGIANT社の方で質疑応答、ディスカッションを行った。前日夜に学生が自分たちのために行った自主ブリーフィングの成果もあってか、熱心な質問やコメントが出たのがよかった。
工場の中は写真撮影禁止。下は、訪問の記念にいただいた自転車の模型。ペダルなどがちゃんと動くように作られている。
昼食は、台中市内の日本料理屋で。その後、日本人パティシエのもとでメニュー開発を行っているというBIENという名のケーキ屋さんを全員で訪問。
台中駅からマイクロバスでGIANT社へ。自転車のフレーム製造で圧倒的な世界シェアを持つ企業である。この数年は、完成車メーカーとしてスポーツバイクやロードバイクなどで自社ブランドを強力に構築している。担当者の方から企業と製品についてプレゼンテーションしてもらった後、工場を見学。その後、学生たちとGIANT社の方で質疑応答、ディスカッションを行った。前日夜に学生が自分たちのために行った自主ブリーフィングの成果もあってか、熱心な質問やコメントが出たのがよかった。
工場の中は写真撮影禁止。下は、訪問の記念にいただいた自転車の模型。ペダルなどがちゃんと動くように作られている。
昼食は、台中市内の日本料理屋で。その後、日本人パティシエのもとでメニュー開発を行っているというBIENという名のケーキ屋さんを全員で訪問。
2010年9月1日
2010年8月31日
ゼミ合宿で台北入り
今年の夏はゼミ合宿で台北と台中を訪問。台北はちょうど2年ぶり。前回の台湾も学生たちと一緒に合宿目的で訪ねた。
今回、僕だけ一日早く台湾入り。その日の夕方から中国に出張するという台湾ベネッセの責任者に時間をもらい、現地でのビジネスに関してインタビューするためだ。
夜は、2008年にWBSを修了した黄 暄さんと2年半ぶりに会って食事。現在、台湾電通でアカウントマネジャーとして忙しく働いている様子。元気。
翌日は、台湾に台風が3つ同時に来ているとかで朝から雨。でもホテルにいても仕方ないので、台北駅前のホテルの裏手の店で粥をかき込んだ後、228和平公園、台湾総督府などに寄りながら龍山寺まで歩く。
龍山寺の裏通りは、薬草を売っている店が軒を並べている。自家製のフレッシュな?青汁のスタンドもたくさん。
MRTの駅へ行く途中で、古書店を見つけた。古めかしく渋い作りの入り口に誘われ中に入ってみると、日本語の本の棚もある。中上健次の『十九歳の地図』に再会。
その後、ホテルを移動し、中山地区のホテルで日本からの学生たちと合流。全員無事到着。それから台北101へ行くも、雨で展望台へは登れず。ちょっと残念。春水堂という現地で人気の喫茶店チェーンの店でタピオカミルクティー。
その日の夜は、現地の校友会の主要メンバーを集めての早稲田大学総長主催の夕食会に出席。隣の席に台中にある東海大学の名誉教授が座ってらしたので、台中についていろいろ教えてもらった。
今回、僕だけ一日早く台湾入り。その日の夕方から中国に出張するという台湾ベネッセの責任者に時間をもらい、現地でのビジネスに関してインタビューするためだ。
夜は、2008年にWBSを修了した黄 暄さんと2年半ぶりに会って食事。現在、台湾電通でアカウントマネジャーとして忙しく働いている様子。元気。
翌日は、台湾に台風が3つ同時に来ているとかで朝から雨。でもホテルにいても仕方ないので、台北駅前のホテルの裏手の店で粥をかき込んだ後、228和平公園、台湾総督府などに寄りながら龍山寺まで歩く。
MRTの駅へ行く途中で、古書店を見つけた。古めかしく渋い作りの入り口に誘われ中に入ってみると、日本語の本の棚もある。中上健次の『十九歳の地図』に再会。
その後、ホテルを移動し、中山地区のホテルで日本からの学生たちと合流。全員無事到着。それから台北101へ行くも、雨で展望台へは登れず。ちょっと残念。春水堂という現地で人気の喫茶店チェーンの店でタピオカミルクティー。
2010年8月14日
会えようが、会えまいが。
先日の大河ドラマ「龍馬伝」のなか、京都の薩摩藩邸で西郷との面会を断られた龍馬たちが寺田屋に着く。龍馬が風呂に入っていると、そこに千葉道場師範の千葉重太郎が現れる。妹・佐那の思いを龍馬に告げるため江戸から京都までやってきたのである。
当時、江戸から京都までは約2週間かかった道のりを、相手に本当に会えるかどうかも分からずやってきた。彼のこの行動が史実かどうかは知らないが、昔は人に会うということはこういうことだったのだろう。
岩波書店版の『芥川龍之介全集』の最終巻に、芥川35年間の人生をまとめた膨大な「年譜」が収められている。芥川本人のメモや友人たちの記録、手紙をもとにして作成されたものだ。芥川のもとには頻繁に学生時代の友人たちが訪ねてきていたが、彼もよく人に会いに出かけていた。
大正8年の6月。彼はこの月に、都合14回 人に会うために出かけ、そのうち相手が在宅で会えたのが8回、待っていて会えたのが1回、あとの5回は相手が不在で会えなかったらしい。つまり、会いに行っても相手がいなかった確率は40パーセントを超えている。
東京に住んでいたと云っても今と違って交通手段は発達しておらず、相手を訪ねるのにはそれなりの時間と労力を要したのに違いない。会えても会えなくても、一日仕事だったに違いない。それでも会いに行って、会えればしかるべき話をして帰ってきたのだろう。
僕たちは事前にメールで日程の調整をし、また当日は携帯を持ってでかけるから、行っても相手がいなかったというはない。
でもどうだろう。訪ねたところ相手が不在で、しかたなく帰路に就く。帰りすがら、今日会えなかったから今度会ったときにはこんな話もあんな話もしようと思うかもしれ ない。あるいは、自分が話をしようと思っていたことを振り返り、話さなくてよかったことに気付くかもしれない。
今と比べてみれば不便極まりないが、そうして会えない相手との会話についても深く思索する時間を彼らは持っていた。
当時、江戸から京都までは約2週間かかった道のりを、相手に本当に会えるかどうかも分からずやってきた。彼のこの行動が史実かどうかは知らないが、昔は人に会うということはこういうことだったのだろう。
岩波書店版の『芥川龍之介全集』の最終巻に、芥川35年間の人生をまとめた膨大な「年譜」が収められている。芥川本人のメモや友人たちの記録、手紙をもとにして作成されたものだ。芥川のもとには頻繁に学生時代の友人たちが訪ねてきていたが、彼もよく人に会いに出かけていた。
大正8年の6月。彼はこの月に、都合14回 人に会うために出かけ、そのうち相手が在宅で会えたのが8回、待っていて会えたのが1回、あとの5回は相手が不在で会えなかったらしい。つまり、会いに行っても相手がいなかった確率は40パーセントを超えている。
東京に住んでいたと云っても今と違って交通手段は発達しておらず、相手を訪ねるのにはそれなりの時間と労力を要したのに違いない。会えても会えなくても、一日仕事だったに違いない。それでも会いに行って、会えればしかるべき話をして帰ってきたのだろう。
僕たちは事前にメールで日程の調整をし、また当日は携帯を持ってでかけるから、行っても相手がいなかったというはない。
でもどうだろう。訪ねたところ相手が不在で、しかたなく帰路に就く。帰りすがら、今日会えなかったから今度会ったときにはこんな話もあんな話もしようと思うかもしれ ない。あるいは、自分が話をしようと思っていたことを振り返り、話さなくてよかったことに気付くかもしれない。
今と比べてみれば不便極まりないが、そうして会えない相手との会話についても深く思索する時間を彼らは持っていた。
2010年8月13日
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