2025-07-31

KDDIによる契約改ざん

3日前、KDDIから電話があった。それは、前回「確認してご連絡します」と彼らが言ってから10日が過ぎてのこと。
https://tatsukimura.blogspot.com/2025/07/blog-post_18.html

契約している料金プランが、知らぬ間に勝手に変更されていたことへの説明のための電話だ。

結論から言えば、そこでKDDIは契約内容(料金プラン)を自分たちが勝手に変更したことを認めた。 

そもそも今回のやり取りは、料金プランそのままで携帯電話を新たにKDDIで買い換えたことからだった。ところが、その契約を締結したのちにKDDIの社内都合で現行の料金プランを継続できないことが判明したと言う。

そのため、請求内容の内訳の数字を操作し、トータルの金額を以前と同じに調整することで発覚することを隠蔽していた。 

本来は契約者に対して契約内容変更の許可を得る必要があるはず。にもかかわらずKDDIはダマテンでやり、それを認めている。

違法ですよ、とのこちらの指摘を受けて、本日KDDIから「ご契約内容のご案内」なる文書が郵送されてきた。

そこには当初の(本来の)契約内容が書かれていた。今回、辻褄を合わせるために修正したものを送ってきたのだ。ただし、「お客様にご契約いただきました内容についてご案内いたしますので、内容のご確認をお願い致します」とだけ書かれ、自分たちの契約改ざんに対する釈明も謝罪の一言もない。

しかも、「ご契約の内容」を明記した文書の受付日は、バックデイトの日付が印字されていた。自分たちがやったマズイことは活字にはせず、しれっと覆い隠してなかったことにする手口である。

通信会社のやり口ってのは、そもそもこんなもんなのかね。あきれた遵法精神の企業である。今回たまたまバレただけで、どこも似たようなインチキをやっていると思った方がよい。

契約担当の社員ですら、自社の料金プランが複雑すぎてどうなっているのかキャッチアップできていないという面もありそうだ。

880トンの道程へ1グラム

東京電力福島第一原子力発電所の爆発後処理は、あの3.11から14年以上過ぎてもまだデブリの取り出しが始まっていない。

国の専門機関「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」は、2030年代初頭と見ていた取り出し開始時期が2037年以降になると明らかにした。

よく読むと、開始できるまでにこれから12年から15年かかるから、ということ。つまり、開始できる時期が2037年〜2040年頃だと言っているわけさ。

だが、こんな説明は眉唾だと言っておく。

なぜなら、現時点で実際に取り出しに成功したのは1グラム(正確には0.9グラム)。一方、取り除かなければならない原発内のデブリの量は880トン(1〜3号機)と推定されている。

あるペースで既に取り出し作業が続けられているのならば、「このペースで取り出し作業が行われれば・・・」という話にもなろうが、まだどうやって取り組んでいいのかすら分からない状態。

そもそも、このデブリは高放射線、高温、その形状も位置も不明で、取り出し作業は世界でも前例がない超難関作業と言われている。だから周囲のあらゆるもの、人はもちろん、水の処理や環境にも細心の注意と配慮が求められる。 

さらには、取り出した880トンもの高放射線デブリをどこに保管するのか、どこでどうやって最終処分するのか、まだ何も決まっていない。保管場所すら決定できないのに、取り出しに一所懸命になってどうするのか。 

これが現状だ。12年〜15年経てば取り出し作業を開始できると言われても、その根拠が見えない状態でそんな話を信用できるわけがない。

責任者の定年が12年後に控えているから、というのがこの数字の背景にあるんじゃないかと疑いたくもなる。 

2025-07-30

「現役」とは、「人生」とは

日経新聞の社会面に「生涯現役『人生2倍楽しむ』」の大きな文字が躍る。

2025年7月28日、31面

記事には、市役所の職員を定年退職後に弁護士の資格を取得し、現在は法律事務所に所属して相続問題を主に手がけている男性が取り上げられている。 

セカンド・キャリアのひとつの例として紹介されているわけで、役所関連の何とか協会なんてのに天下り再就職するのでなく、自らの意思で獲得した新しい職に打ち込むその人の姿はすばらしいと思う。

一方、この記事から「現役」とは何か、また、この場合の「人生」とは何かということを考えさせられてしまった。

この記事を書いた人は、社会の中で職に就いている人たちだけが「現役」であり、そうした職に従事することが「人生」だと考えているように思う。

だが世の中には病気のため、あるいは重い障害を抱えているためにずっと職に就かず、または就けないまま過ごしている人たちもたくさんいる。ヤングケアラーと呼ばれる、家族の介護のために仕事に就けないでいる人たちもいることだろう。

さらには専業主婦(主夫)たちもまた、この記事の視点からは「現役」からはずれたものとみなされ、一生「人生を楽しむ」状況とは無縁の存在と定義される。

こうした記事が掲載された根底には、「現役」というのは組織で働くなど、社会との関わりのなかで生産活動に従事することだとする固定観念が横たわっている。

病床にある人たちも、障害が理由で職に就けない人たちも、また専業主婦らもそれぞれの意味で「現役」であり、各人の「人生」は確実にあるはずなのに。

そうした当たり前の視点を忘れている。 

やはりグーグルの仕業

昨日書いたテーマパークに関する口コミに関する件、ネット上の無数の「?」に押されたのか、グーグルが自分たちが「やった」と明らかにした。


「ポリシー違反」とかで、「実際の体験に基づかない不適当な投稿」だったからとしているが、実際に客が行ったかどうやったら分かるというのか。

具体的な投稿例すら示しもせず、不適切な「検閲」を裏でやるのは実に卑怯である。

2025-07-29

ここでも不可解なグーグルの検閲行為

つい先日、グーグルがネット空間上で行っている不可思議な操作についてここに書いたが、似た話はやはりあるもので、GoogleMapでもほぼ同様なことが行われていた。

今回はオープンしたばかりのテーマパークという話題の対象だったので、世間に知られるようになった。


https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2507/28/news100.html 

コトラー、94歳

今でもたまにメールのやり取りをすることがあるP・コトラーさんから「そろそろ雑事は切り捨てて、やりたいことだけに集中したい」というメールがあったのはいつのことだったろうか。

彼は1931年生まれ、8年目に亡くなった僕の父親と2つ違い。もうずいぶん長いこと会っていないが、かなりの高齢者であることは間違いない。
 
そんな彼がやっとKotler Impactとの縁を切ったようだ。良かったと思う。その中心として「営業」に猛進していた彼の弟が数年前に亡くなり、経営の中心が別の人に移ったのが契機になったのだろう。
 

彼の名前は今でも『コトラーのマーケティング5.0』といったタイトルの本の共著者として見かけるが、それは名義貸しで実質的な執筆はしていないはず。本を売らんがための、出版社によるコトラーブランドの「販促利用」だ。
 
共著ではないコトラーによる最近10年間の本(単著)は、Confronting Capitalism (2015)、Democracy in Decline (2016)、My Adventures in Marketing (2017)、Advancing the Common Good (2019)、My Life as a Humanist (2022) の5冊。
 
タイトルにMarketingとあるのは2017年のMy Adventures in Marketingだけで、しかもこの本はマーケティングに関して書かれたものではなく彼の自叙伝である。
 
すでに10年前から、彼の関心は近年の資本主義や民主主義のあり方、社会の中での共通善(Common Good)といったより大きなテーマに移っていた。https://4pkotler.medium.com/
 
今もFather of Modern Marketing(近代マーケティングの父)と呼ばれることがあるが、それは彼がかつてSelling(販売)の一手段としてしか考えられていなかったマーケティングを、組織の重要な経営機能の一つとして体系的にまとめあげたからだ。
 
その意味で彼の功績は大きく、マーケティング史、経営史に残るものである。
 
ただ、日本で出版されている彼の名を冠した本で、その帯などに「マーケティングの神様」と書かれているものを目にすると、それはちょっと違うだろうという違和感がある。
 
今度、彼に連絡をとるとき、あなたのことがThe God of Marketingと日本で本の惹句に書かれているぞと伝えてやろうかと思っている。一体、どんな反応が返ってくるか。「私はまだ死んじゃいないよ」とでも言われそうだ。

2025-07-28

ここでも〇〇ファースト

今度の日曜日に横浜市長選の選挙がある。先日の参院選と合わせてやってくれたらよかったのだが、まあしかたない。

前回の横浜市長選時は、山下埠頭(みなとみらい地区)にカジノを含むIRを誘致するという当時の林文子市長に対する信任選挙の意味あいが強く争点が分かりやすかったが、今回はそうしたものが何もない。

4年前のその選挙ではカジノ推進派の市長は落選。そして外資系カジノ企業は大阪市に標的をシフトした。

今回の立候補者は現職を含めて6名。ただでさえ国政選挙と違って情報が限られているので配布された選挙公報に目を通してみた。

6名中2名が、〇〇ファーストを謳っている。二番煎じだ。いや、三番煎じか。講道館柔道二段だという女性は<横浜市民ファースト>を掲げ、「市民の命を守る」と訴える。元甲子園給仕、いや球児の男性は<横浜市民第一主義!>を標榜し、「市長報酬カット」をトップの抱負に掲げる。

なんだかなあ・・・盛り上がらない

2025-07-27

SNSはASN(Anti-social Newwork)

参院選から一週間が過ぎた。今回の選挙は全体を通じて実に不愉快なものだった。

各候補や政党が発する情報の扱いについて、これほど考えさせられた選挙はなかった(たぶんこれがその始まりなんだと思うが)。

 「切り取り動画」なるものが無数にネット空間に流れ、人はそれを見て心を動かされ、投票行動に反映させた。ただし、そこで流されていた圧倒的な量の、自分たちの正当性を主張するメッセージも他者を批判する内容も真偽不明のままでお構いなしだった。

コストなしで誰でもメッセージを発信できるということは、本当に危険なことだと思う。言論の統制をした方がよいと言っているのではない。ただ、自らの利益獲得のためにーーそれが投票行動であれネット広告からの収入であれーー明らかに間違った情報を拡散しようとしたものに対しては罰則が必要だろう。 

今さらながらだが、受け手の問題も大きい。「人は自分が信じたいものを信じる」生きものだから、簡単に誘導され騙される。そのための第一原則は、発信者が不明(無署名)な場合は、意識的にスルーすること。第二の原則は、内容について自分の頭で正しいかどうか考えて判断するしかない。

今回、東京選挙区で当選した皿だか竿だか知らないが、歌手を自称する女性は徴兵制の導入と日本の核武装を主張しているような人物である。

投票した人たち、特に若者たちはそれを理解しての選択なのだろうか。ならば、その女性と一緒にまずは自衛隊に入隊して訓練を受けろと言いたい。

今回の選挙戦の主な場はネットで、その主要ツールがSNS(Social Networking Service)だったわけだが、その今日的な意味はSocial(社会的)ではなくASN(Anti-social (反社会的)Newwork)にほかならなくなってしまった。

2025-07-26

グーグルによるセンサーシップ

先月、このブログの記事の多くがグーグル社によってそのインデックス登録をはずされたと書いた。

グーグル社から「バツ」を付けられたわけだが、彼らによるそうした「検閲」を確かめる目的で今回ブログサイトへ広告を掲載する設定にしてみた。

結果は想像したとおりで、広告掲載は不可だと言ってきた。

 
(クリックで拡大)

どのような審査だったのかは不明。相変わらずまったくのブラックボックスである。

おそらく、グーグルについての批判的コメントをいくつも掲載してあることが原因だろうと思っている。

というのは、以前、彼らからブログ上に広告を掲載するように推奨され、実際にネット広告を掲載していたことがあるから。

だけどその時は、広告収入といっても大した金額ではないし、またどんな種類の広告が掲載されるかコントロールできるわけではないので、ブログへの広告掲載はまもなく止めてしまった。

そうしたいきさつからも、今回の審査結果に対して僕は彼らに邪悪なものを感じる。

グーグルはそのポリシーを以下のように定めている(ChatGPTによるまとめ)。これらはすべて常識的なものばかり。このブログの記事をブロックする理由は一つも見当たらない。 

主なGoogleポリシーと違反例
1. Google 広告(旧AdWords)関連ポリシーの違反
    1-1 禁止されている商品・サービスの広告(例:偽造品、違法薬物)
    1-2 誤解を招く広告(例:虚偽の主張、不実表示)
    1-3 不正な広告行動(例:自動クリック、複数アカウントでの回避)

2. YouTubeのコミュニティガイドライン違反
    2-1 ヘイトスピーチや暴力的コンテンツの投稿
    2-2 著作権侵害(例:無断転載)
    2-3 スパムや詐欺的コンテンツの拡散
    2-4 子どもの安全に関わる違反行為

3. Google 検索に関するポリシー違反(検索スパム)
    3-1 キーワードの乱用(キーワードスタッフィング)
    3-2 クローキング(ユーザーと検索エンジンに異なる内容を表示)
    3-3 被リンクの不正操作(有料リンクやリンク交換など)

4. Google Play 開発者ポリシー違反
    4-1 マルウェアを含むアプリの配信
    4-2 ユーザーデータの不正な収集・送信
    4-3 無断で課金する仕組み

5. Googleアカウントの不正使用
    5-1 なりすましや偽名での登録
    5-2 不正アクセスの試み
    5-3 スパムメールの大量送信 

ネットの世界ですべてを自分の手でコントロールできると思っているグーグルは、自分たちを「神の座」に座っている存在と考えているのだろう。 

2025-07-24

渋谷陽一が亡くなった

2年前に脳出血で倒れ、その後リハビリを行っていたらしい。享年74歳。

渋谷が音楽評論家としてデビューしたのは、彼が19歳のとき。最初のレコード評は、グランド・ファンク・レイルロードの『サバイバル』についてだった。

その翌年に『rockin' on』を岩谷宏や橘川幸夫らと創刊している。確かまだ明治学院大の学生だったと思うけど。彼の論評スタンスは結構過激で、歯に衣着せずと言うか好き嫌いがはっきりしていたように思う。それが彼のロックへの向き合い方だった。

『ロッキング・オン』が誕生した頃の話は、橘川幸夫の『ロッキング・オンの時代』(晶文社)に詳しい。70年代のカウンターカルチャーの時代の空気が伝わってきて面白い。高度経済成長する時代を背景にした、懐かしく、思い切りのいい時代だった。 

個人的には、当時『ロッキング・オン』の渋谷陽一と『ニューミュージック・マガジン』の中村とうようがロック、ポップス、ブラック・ミュージックへの案内人だった。

渋谷は雑誌『ロッキング・オン』や『CUT』などを創刊したユニークな編集者であり、優れた音楽評論家であるとともに、リスナーを魅了するラジオDJだった。

雑誌メディアからスタートした渋谷は、僕にとっては「書く人」より「話す人」として記憶に残っている。NHKの『若いこだま』のラジオDJを彼が始めたとき僕は中学3年で、毎週ラジオに耳を傾けていたのを覚えている。NHK-FM『サウンドストリート』『ミュージックスクエア』など彼が英米のロックを紹介する番組も聴いていた。

僕が後年、FMラジオ局でラジオDJをやったのは、こうした番組をやっていた渋谷陽一とFM東京(現Tokyo FM)で「気まぐれ飛行船」をやっていた片岡義男の二人からの影響が大きい。

80年代前半、知り合いの勤める外資系広告代理店に「渋谷です」と言ってよく電話がかかってくるという話を聞いたことがある。彼女の職場の同僚が渋谷のガールフレンドらしくて、彼からの電話をよく取り次いだらしい。メールなんかなかった40年前のことである。

 

ちなみにGrand Funk Railroadは現在もバンド活動を続けている。まさにサバイバルだ。 

GFRの1974年のライブ。なぜか3人とも裸だ

 

2025-07-20

家電量販店の店頭掲示

友人が、都内の家電量販店で目にしたという店内ポスターの写真を送ってくれた。各フロアのレジに掲げられているらしい。

(クリックで拡大)

「STOP!  カスタマーハラスメント」の下には、「みなさまに気持ちよく過ごしていただくために」と書いてある。それにしては、まるで子どもに行儀を教えるかのように客に作法を説く。


掲示されたメッセージの受け取り方は人それぞれだろうが、ぼくは一読して嫌だなと感じてしまった。

上記のようなことを言わなきゃならないってことは、自分たちの客がそうしたレベルであるってことを言っているようなもの。そして、客にこのような言い方をする店側もまた、そうしたレベルであることを表している。 

ポスターの下の方に国土交通省、経済産業省、消費者庁、厚生労働省、法務省、警察庁、農林水産省の7省庁の名前をずらりと並べている。お上の名前で来店客を威圧しようというわけだ。

この家電量販店チェーンは、それほど悪質顧客に悩まされ続けているのかネ。

彼らが「カスハラ」と呼ぶものが年間どのくらいの件数発生してるのか、その会社の本社に問い合わせてみたら、「回答は拒否します」と言われた。その理由を問うたら、「それも拒否します」と返ってきた。

店頭の店員たちに気を遣ってやることはもちろん重要。だが、顧客も大切だという基本をこの企業は忘れているんじゃないか。

2025-07-18

相手は疑う、自分たちは信用してもらうしかない、とは

しばらく前、家族用のケータイの機種変更をKDDIで行った。料金プランは変えてない。

その後に郵送されてきた文書で料金プランの継続は確認済みだったのだが、先日届いた通話料の請求内訳を見るとなぜか料金プランが変更になっていた。

問い合わせたところ、相手は詳細を確認をして後日連絡するということで電話を切った。

本日知らない番号から着信があり、たまたま出たらKDDIだという。相手が私の名前を確認した後、私に生年月日を言え、という。

目的を尋ねたら「本人確認のため」。相手が言うには、本人になりすました第三者の指示で料金プランなどが変更されないようにするためだとか。だが、これはどう考えても失礼だし、おかしい。

電話をかけてきたあなたたちは自分が本当にKDDIの人間であることを先に証明すべきだろう、と言ったら黙ってしまった。で、信用してもらうしかないと。

だったら電話してきておきながら、相手に生年月日など言わせるなよと腹が立った。 

相手は疑ってかかる、だが自分のことはただ信用しろ、というのが彼らの考え。顧客を馬鹿にしてないか。

電話をかけてきた女性はその辺のことは分かっているようす。だが、そうしろと言われてやっている。こうした手続きをつくり、現場に押し付けている管理側の人間に問題がある。

料金プランが勝手に変わった原因はまだ分からない。 

2025-07-16

アメリカには今、スーパーヒーローが必要なんだろう

今日のニューヨーク・タイムスが歴代のスーパーマン6人を取り上げ、それらを詳細に比較した記事を掲載していた。

なんで? という印象だが、アメリカ人は今、こうしたスーパー・ヒーローをどこかで求めているからかもしれない。

などと思ってしまうのは考えすぎかもしれないが、自分のことを「キング」だと勘違いしているアメリカ一の、いや世界一の権力者でならず者がいるからね。 

僕が個人的に好きなのは、何と言っても映画の第1作目から4作目まで(1978ー87年)スーパーマンを演じたクリストファー・リーブである(写真左上)。 なんというか端正でハンサム、優男(やさおとこ)で女性にもてそうだ。

力強さはもちろんだが、知性も表現できた。それは役作りによるスーパーマン(クラーク・ケント)のキャラクターというより、リーブがそうした人だったのだろうと思う。経歴を見ると、彼はコーネル大を卒業した後、ジュリアードでも学んでいる。 

後年、乗馬中に落馬して脊髄を損傷。以降、障がい者として車椅子の生活を続けながら映画監督などを行った。自ら車椅子の主人公を演じたりもした。リーブは、エミー賞やグラミー賞まで受賞している多彩な人だった。

NYTで「原型」と評されたクリストファー・リーブのスーパーマン

2025-07-13

観天望気

このブログのタイトルに関してときどき質問を受ける。 

あらためて辞書で確認したら、観天望気とは「雲や風や空の色などを目で観察して,経験的に天気を予想すること」とあった。まあ、ざっとそんな感じか。

辞書の定義を少しだけ修正すると、観察するのは必ずしも目だけとは限らない。風や湿度や気圧の変化は視覚でなく体で感じて、その変化からこれからどうなるか推理を働かせる。

そうやって知識と経験と体の感覚すべてを使って天気を読むのは簡単ではないが面白い。

観天望気の技術を身につけたのは学生時代。何日も山に入っていると、先の天気がどうなるか分からない。しかも山の天気はただでさえ変わりやすい。安全に山行を続けるためには翌日、翌々日の天気がどうなるか正確に予見することがとても重要になる。

だから夜10時になると、テントの中でポケットラジオから聞こえてくる気象通報をもとに天気図用紙に日本各地の気圧、風向、風力、気温を書き込み天気図を描き、翌日以降の天気を自分で予測する。

天気の流れを知るためには、高気圧と低気圧の位置を知ることが大切だ。また等圧線のかたちも重要な情報になる。

陽が沈む夕暮れ前にはテントの外で空を眺めて雲の高さや空の色、風の具合も確かめておくことを忘れない。そうやって目に映る雲の状態のほかに、体で感じる気温、湿度、風から天気を読む。

実際に観天望気で分かるのは、せいぜい明日は一日雨に降られずにすみそうだ、とか、午後からは一雨来そうだというレベルだが、それでも貴重な情報であることには変わりない。

今、手元のスマホにウェザーニュースのアプリが入っている。無料版ながらアプリの「レーダー」でこれからの天気の変化が時刻ごとにピンポイントで分かる。

とても便利だが、気をつけなければとも思う。こうしたお天気アプリに慣れてしまうと、自分で空を見て天気を読む勘を失ってしまう。

それはクルマを運転するときに毎度ナビを使っているといつまで経っても道を覚えず、方向感覚や距離感覚が鈍っていくのと同じだ。

万一、そうした高度な技術ツールが使えなくなったとき、自分の体一つでどれだけ状況に対応できるかが人間に欠かせない力だと信じている。 

だから、このブログのタイトルは観天望気。周りの表層的な言説に左右されず、自分の感覚を頼りに社会という天気の先を読む。 

2025-07-12

ジェノサイドで儲ける世界的企業

未だに止まないイスラエルによるパレスチナへの攻撃。そのなかには病院や学校、子どもまで標的にした明らかに国際法に違反した攻撃が多い。食料の配給場所に集まった住民に向けてのイスラエル兵士による発砲まで行われている。

国連のフランチェスカ・アルバネーゼ特別報告者が、イスラエルによるパレスチナへの攻撃を可能にしている各種技術や情報の提供元を報告書で明らかにした。

2025年7月1日付の報告書「From economy of occupation to economy of genocide(占領の経済からジェノサイドの経済へ)」である。

そのなかで名指しされている主な企業の名前をあげる。多くは米国の企業だ。

🌑 軍需・防衛関連:
    Lockheed Martin
    Boeing
    General Dynamics
    Leonardo
    Oshkosh Corporation

🌑 重機・建設機器:
    Caterpillar

🌑 テクノロジー&クラウド:
    Microsoft
    Alphabet Inc.(Google)
    Amazon
    IBM
    Palantir Technologies
    HD Hyundai

🌑 航空宇宙・部品:
    Israel Aerospace Industries (IAI) 

🌑 金融・資産運用:
    Allianz(PIMCO)
    Barclays
    BlackRock
    BNP Paribas
    Pimco
    Vanguard

🌑 ロジスティクス:
    Maersk

🌑 コンサルティング:
    Boston Consulting Group

🌑 エネルギー:
    Chevron

🌑 航空・誘導兵器関連:
    Honeywell

米国の主要な軍需・防衛企業が登場するのは予想どおりだが、アマゾンやグーグル、マイクロソフトまでもかと・・・。ボストンなんたらというコンサル会社の名前も見える。報告書の中、日本企業ではファナックの名前が挙げられている。

https://www.theguardian.com/world/2025/jul/03/global-firms-profiting-israel-genocide-gaza-united-nations-rapporteur

https://www.reuters.com/business/aerospace-defense/lucrative-business-deals-help-sustain-israels-gaza-campaign-un-expert-says-2025-07-01/

https://www.bbc.com/news/articles/cx2039xpv87o

https://www.nytimes.com/2025/07/10/us/politics/gaza-francesca-albanese-sanctions.html?searchResultPosition=1

2025-07-11

あなたはどこまで「ファースト」か

今回の参院選で気になる動きの一つが「日本人ファースト」といった排外的な考えを前面に打ち出した党の台頭と、それを支援しようとする有権者たちである。

どの政党を支持するかは、それぞれの有権者の自由。ただ、「日本人ファースト」という考えを支持している人たちには、自分が「ファースト」として本当に処遇される側にいられると思っているのか問うてみたい。

「オレたち」と「アイツら」を二分することで人々の帰属意識をくすぐり、集団の傘の元へ引き寄せるやりかたは為政者による人心をつかむための常套手段である。

万が一、そうした考えに沿って日本にいる外国人を排斥したあと、何が起こるか考えた方がいいと思う。きっと次に起こるのは「エリート・ファースト」「富裕層ファースト」「既得権者ファースト」、つまるところは「権力者側の身内ファースト」だ。

「日本人ファースト」を政策とする政治家がやりたいことは、決して日本人すべて(1億2千万人の人口)をファーストな存在として取り扱うことでなく(そもそも不可能)、対立の構図をつくり人々を煽ることで自分たちに目を向けさせたいだけ。

外国人排斥に気持ちよさを感じるような人たちは、「日本人ファースト」で自分がファーストな扱いを受けられると思って歓迎しているのだろうが、次はそうした連中に向かってブーメランの先は向かっていく。 

2025-07-09

“調査によると「日経新聞」を信用していない若者が8割を超えた”

昨日の日経新聞のある記事に「都内では薬剤師の7割がカスハラにあったことがあるとの調査がある」という記述があった。

「調査」と書いてあるだけで具体的な調査名が示されていなかったので、それは何の調査なのか新聞社に問うてみた。

それに対して、同社カスタマーセンターから返信が届いた。

お尋ねの件ですが、読者の皆様にお伝えできるのは記事に書かれていることが全てでございます。お問い合わせされてきた方にだけ、記事に書かれていない詳しい内容や情報などを特別にお伝えすることは、できないことになっております。 

もし『週刊文春』が(別に文春でなくても他の週刊誌でも新聞でも構わないのだが)記事の中で「ある調査によると、日本経済新聞の記事の信憑性に疑問をもっている若いビジネスマンは8割を超えている」と書いたら、日経側はどう反応するか。

フツーに考えれば、彼らはその記事を掲載した雑誌社や新聞社に対して「その調査とは何なのか明らかにせよ」と求めるだろう。

それは至極当然のこと。というか、もしそのまま放置するようなら新聞社であることをやめた方がいい。であれば、なぜ先のような回答を読者に寄こして平気なのか。

「・・・との調査がある」という場合、それがどのようなサーベイなのか明らかにするのは報道機関としての基本的な責務である。それがなければ、「調査によれば・・・である」とした勝手な記事がいくらでも書けることになる。 

「お問い合わせされてきた方にだけ、記事に書かれていない詳しい内容や情報などを特別にお伝えすることは、できないことになっております」というなら、自社サイトに読者からの質問とそれへの回答を掲載すればいい。

記事に対しての無責任さ。そして、読者を見下したお粗末な新聞社の対応である。

2025-07-06

「なんでそうなるの」

今朝の日経新聞、その一面トップ記事に首を傾げた。

企業の経営計画を取り上げ、「数年単位の中期より10年以上の長期目線で経営に取り組む企業の方が、 利益の伸び率が大きいことが分かった」と書くのだがーー。

記事の書き手は、根拠として2024年にあずさ監査法人が行ったという調査をあげている。その調査結果では日本企業を将来の計画への時間軸の長さで区分けし、1年、3年、6年と答えた企業より10年以上としている企業の方が業績(過去5年間の営業利益の平均伸び率)が良かった(前者が18%、後者が52%)と述べている。示されているのは相関関係である。

だが記事は、10年あるいはそれ以上の長期的目標を設定する方が企業は高い業績をあげられると結論づける。目標を中期ではなく長期的に持つことによって、長期的な人材教育や投資が可能になるからだと説明しているが、理屈が通っていない。 

これって、因果関係の説明が逆転してるのではないか。データの範囲内で解釈を試みるなら、幸いにして過去5年間の業績(営業利益の伸び率)が好調だったからこそ、長期的な目標設定をすることが可能な経営状態にあるというのが実態ではないのか。

そしてそれほど儲かっていない企業は、まずは3カ年程度の収益目標をたて、それをどうきちんと実現させるかに注力せざるを得ないのが実状だろう。

そもそも、それこそ10年以上前から10年超の長期計画を目標にしてきた企業と、従来の中期を目標にしてきた双方の企業群の業績を10年間遡って比較してみなければ記事が言っていることは証明できないはず。だが、そうした検証は行っていない。

記事を書いた人物は、経営者には長期的な視点こそが重要であり、長期的に人材教育を施し長期的な視点で将来へ投資する企業こそが成功する、と言いたいようだ。彼(女)はファクトではなく、自分がそう思う(思いたい)ことを書いている。そして、最近では中期経営計画は廃止する企業が出始めているとしている。

しかしそれは、未来を確実に予見できればの話。今後10年先に市場がどうなっているか、顧客がどこにいるか、主要な競争相手がどこか、さらには世界経済はどうなっているかなど、そうした種々のことが明確に分かっていれば超長期目標でやればよい。

だが、常識的に考えればそれはムリ。もしできるのなら、どうやって予見するのか教えて欲しい。超能力でもあるのか、あるいはAIが教えてくれるとでもいうのか。 

書き手の思い込みと誤った推論をもとにした典型的な記事である。

2025-07-02

ルノワール

映画「ルノワール」の主人公は11歳の少女。時は1980年代後半。主な登場人物はその少女フキ(変わった名前だ)とその母と父。

父親(リリー・フランキー)は闘病中で入院している。医師から余命宣告は受けていないが、入院先の出す薬を自分で調べて自分がガンだと知っていて、死ぬ覚悟はもう気持ちのなかでほぼできている。母親(石田ひかり)は仕事と家事、それにフキの世話に追われて神経が尖っている。

そうした家族環境の中での少女のある夏が、いくつかのエピソードをパズルのように組み合わせながら展開していく。

ぼくには11歳の少女の気持ちを想像することや、彼女の周りに起こるだろう日々の出来事を思い浮かべることはたやすいことではないけど、それにしても映画の中で起こる事件のような出来事はまるでスペインのファンタジー映画を観ているような印象だった。

そんななか、一つだけ日本的というか土着感を感じたのは、入院している父親が病院を抜け出して自宅のアパートに帰り、寝室の扉を開けると、そこに女物の喪服が衣紋掛けに駆けられていたシーン。

ゾッとするとともに、これってあるかな〜? えっ? なに? あるんだ。

早川千絵監督の「PLAN 75」はテーマがストレートで、いかにも(良くも悪くも)新人監督のメジャーデビュー作といったものだったが、「ルノワール」は難しい。
https://tatsukimura.blogspot.com/2022/08/blog-post_17.html 

11歳だという少女の気持ちの変化や波打つ感情を、もう推測できなくなっているからかもしれない。 

2025-07-01

Amazonから Appleへ切り換え

音楽のストリーミングサービスをAmazon Music Unlimited(AMU)からApple Musicに代えた。

AMUはアレクサでも使えてまあまあだった。だが、iPhoneとiPadでは最後まで使えなかった。

海外に住んでいたとき、現地のアマゾンのアカウントをつくり書籍やアプリを購入していた。そのため今もアマゾンのアカウントが2つあり、それらが影響し合ってiPhoneやiPadでAMUが使えなくなっているというのがアマゾン側の説明。

それが本当かどうかは、残念ながら自分では調べようもない。ぼくの問題解決のためにアマゾンではエンジニアのチームが日夜解決方法を探っている、という返答を受け取ってから1年以上経つが、その後の連絡はなし。

残る解決法は、アカウントの一つを削除することらしい。だが、そうすればそのアカウント名で購入したアプリや書籍など一切が使えなくなってしまう。

ならばと、AMUを止めてApple Musicに切り替えることにした。

つい先日、ジェフ・ベゾスはヴェネツィアで結婚式を挙げたらしい。オーバーツーリズムを理由に多くの地元住民が反対の声を上げるなか、72億円の費用を投じて6月27日から3日続く結婚祝賀行事を行ったとか。

ユーザーが手元のデバイスから音楽を聴けないで不自由しているなんて些末なこと、彼にはまったく関心はない。

われわれにできることは、まずは顧客であることを止めることなのである。