2024年8月31日

コンタクトサービス(株)という詐欺会社

地方に住む老親のもとに、「NTT西日本コンタクトサービス株式会社の●●」と名乗る男から電話があった。

電話料金が安くなるので回線契約を変更しないかというセールスである。電話にでた母親が、今使っているインターネットのプロバイダーが変わると困ると言うと、プロバイダーが変わっても同じメールアドレスを使い続けられるから大丈夫と説明した。ただし、プロバイダーはビッグローブに変更になると言った。

帰省時にこのことをたまたま知り、おかしいと思った。調べると、NTT西日本コンタクトサービス株式会社なんて会社は存在していなかった。営業電話をかけてきたその男が残した電話番号で所在を調べると、その会社は札幌市西区にあるコンタクトサービス株式会社という会社で、コールセンターの経営やプロバイダーの取り次ぎ代行業務をやっていることが分かった。

NTT西日本の回線営業の仕事を受けているんだろう。 また、ビッグローブに連絡し、コンタクトサービス(株)について訊いてみると、彼らの販売代理店であることも分かった。

腹立たしいのは、自社の名前に「NTT西日本」を勝手に付けて名乗っていること。そのやり口で地方に住む老人を安心させ、そしてだまして回線契約を結ばせる手口をこの会社は取っている。 

こうしたセールスのやり方は、準詐欺罪にあたる。違反したときの罰則は、詐欺罪と同じく懲役10年以内だ。

消費者庁に連絡した。今後も同様の報告があれば、何らかの行政処分がとられるはずである。

セコい手口で田舎の年寄りをだまそうとするんじゃないよ、馬鹿タレどもが。

2024年8月29日

生成AIの快感

各地の小中高校では夏休みが終わり、今週あたりから新学期が始まっている。

今年は読書感想文などの夏休みの宿題に、生成AIを用いたものが昨年にまして見受けられるとか。

ほとんどの子どもたちより生成AIの方が(少なくとも見かけの)出来映えが優った読書感想文を書くことができる。

しかも、それをAIで見抜くことは、現時点では極めて難しい。見抜けるのは、普段のその生徒のことをよく知っている担任の先生だけだという。つまり、チェックのためにシステムは使えないということだ。

利用されたのは、読書感想文だけではないだろう。それ以外の宿題や課題にも生成AIによって「解答」されたものが、いまごろ先生の手元に山と積まれているに違いない。

今後の学校教育はどうなっていくのか気になる。文部科学省は昨年の夏、小中高校での生成AIの活用に向けた指針を公表し、生成AIが小中高生の学習に役立つ面があることを強調している。

その上で、成果物に不正行為が含まれることがある点を注意するように教育現場に求めている。

これって、ありなのか。生成AIは生徒の学習に有益であると<気の利いてそうな> ことを言いつのりつつ、その運用の責任を現場の先生に丸投げした。

例えばだが、一旦、読書感想文を生成AIに代わりに作ってもらった生徒は、もう自分の手ではそれを書かなくなることは容易に想像できる。「とても便利だけど、使い方に注意するように」などと文科省が言おうが、一度その味を覚えたら手放せなくなるのが人間の常だ。

覚醒剤を渡しておいて、「使い方に注意するように」って言ったって、一度使って気持ちよくなっちまったらいくら頭で分かっていたってもう止められないだろう。それと同じ。注意して使うようにとか理屈を言っても無理なんだから。

一旦味をしめたら止められないのは、小中高生だけではないのも明らか。こうして人は「自分で考える」という行為を急速に手放していっている。

2024年8月28日

日本のビジネススクールは、どこへ行くのか

「週刊ダイヤモンド」の特集記事の一つが、「MBAが中高年に大人気!」。

新型コロナの頃から国内MBAの状況のビミョーさを感じていたが、ここまできているとは。

学ぶに遅すぎることはない、というのは事実だが、40や50を過ぎた人たちが会社の仕事と併行してビジネススクールに通い始めたからといってビジネスの分野でリーダーにはなれないだろう。

20年以上仕事をやっていれば、日々のなかから既に多くを学んでいるはず。自分の仕事を通じて直接学んでいないとしても、少なくとも自分に何が足りないのかくらいは分かっているはずだ。

それすら分かっていないとすれば、ビジネスリーダーはおろか、ビジネスマンとしての基本能力に問題があると言わざるを得ない。

何を知るべきかが分かっていれば、それについて自分で学べばよいのである。いい歳をして、人任せに「教えてもらおう」という段階でリーダー資質にも、基本的な素養にも欠けている。

日本の中高年はどこへ行こうとしているのか。そして日本のビジネススクールはどうなるのか。

2024年8月19日

ドロン、死去

アラン・ドロンが亡くなった。88歳。不世出の俳優だった。

味わいのある二枚目だった。ただ見てくれがいいというのではなく、陰りと深みを感じさせる演技を見せてくれた。

ヴィスコンティの「山猫」や「若者のすべて」など多くの代表作がある。もちろん1960年の「太陽がいっぱい」は、まぎれもない一つの金字塔だ。 

その彼が、NHKの番組でこんなことを語ったことがある。「老いるということは 船が難破するようなものだ。波に翻弄されつつ徐々に沈んでいく」。

前段の「老いるとは・・・」は、仏大統領だったド・ゴールが言った言葉。だが、それを引用し、加えて「波に翻弄されつつ・・・」と語らせたのはドロンの感性である。

一つの時代が終わったように感じる。

彼の死をラスト・サムライと評した仏の各紙

サンゴの白化

地球温暖化が世界各地で海水温の上昇にも影響を及ぼしている。下記の地球で赤いサンゴのエリアは温暖化の影響を受けていることを示している(ニューヨーク・タイムズ・デジタルから)。

サンゴが白くなっても、必ずしも死んでいるわけではない。また、サンゴ礁が永遠になくなるわけでもない。専門家は、もし状況が改善されれば、サンゴはこの白化を生き延びることができると述べている。つまり、サンゴ礁は立ち直る可能性をまだ持っているということだ。

しかし、世界の温暖化が進むにつれ、これらの白化は定期的な白化へと変わりつつあり、そうなると軽度の白化は重度の白化になり重大なダメージを与えるようになる。

だから、放っておけない。

2024年8月18日

アメリカ大統領選の世論調査

アメリカ大統領選の世論調査が発表された。

カマラ・ハリスとドナルド・トランプは、その支持率で接戦を演じている。が、トレンドとしては、トランプが横ばいで停滞しているのに対してハリスが追い上げているのが分かる。

よその国の事ながら、どうなるのかとても気になる。直接投票で自分の国の大統領を自分たちで選べるのが羨ましい。

日本では、岸田首相が今度の自民党総裁選に手を上げないと表明したあと、「待ってました」とばかり、代わり映えのしない顔、顔がぞろぞろ候補者として出てきた。

これらのなかの誰かが日本の首相になるのだろうが、党員ではないので何の影響力ももたず、ただ「ああそうかいな」と傍観するのみである。

議院内閣制を採用するのであれば、例えば英国で労働党と保守党で何年かおきに政権交代が行われるような状態でなければ健全な政治システムとは言えない。その意味で、日本は明らかに専制主義国家である。

国民がまだしっかりしているから廻っているけど、自民党政権は知恵も倫理観もない世襲議員の巣窟となり、あらゆる面で世界の変化についていくことができておらず、徐々に徐々にこの国は死んでいっているように思う。

2024年8月17日

衣料と靴の耐用年数

リサイクル素材を積極的に用いるなど、衣料廃棄物の問題に取り組んでいるという英国のアパレルブランドが発表したデータによると、人が生涯で必要とするシャツは23枚、ズボンは22本、ジャケットは13点、靴は63足だとか。

これらの数字は、それぞれの耐用年数に基づいている。それらは、シャツは2.74年、ズボンは2.81年、ジャケットは4.58年、そして靴は1年とされている。

つまり、人が生涯に渡って衣料や靴を利用する年月は63年間と考えられているわけだ。

毎日同じシャツを(飽きずに)着て、2.74年たったら新しいものに交換する。靴も同様、毎日同じ靴を(嫌がらずに)はき続け、耐用年数に達する1年後に新しい靴に換える。実際は、世の中にそんな着方、履き方をする人はいないと思うけど。

そもそも、先のシャツや靴などの耐用年数は、どうやって編み出したのだろう。その5倍近く使い続けている僕は、物持ちが良すぎるのかね。

2024年8月3日

記者たちは、全員暑さボケなのか

 経済同友会代表理事の新浪氏が会見を行った。その会見の最後、「質問が出ると思って待っていたが、出ないので私からどうしても申し上げたい」と切り出し、死者まで出た小林製薬が引き起こした健康被害とその経営責任について考えを述べた。

今回の不祥事を受けて、同製薬会社の小林会長と小林社長は辞任はしたが、その後、月額200万円の報酬で特別顧問に就いていた。

それに対し、新浪氏は「ここまでくると、ガバナンスの質を上げないと話にならない。社外取締役の責任は大きい」と同製薬会社の体制を強く批判したらしい。

それにしても驚くのは、会見に出席していた記者たちは、誰も小林製薬の経営責任の取り方について質問すらしなかったという体たらくである。

記者たちは全員、暑さでノー味噌が溶けていたか。それとも寝ていたか。

2024年8月2日

ライドシェア、出動せよ!?

毎日暑い。記録的な猛暑が続くが、国土交通省が気温が35度を超えた場合に、ライドシェアの稼働台数の増加を「認める」らしい。これまで雨が降った日に同様に出動台数増加を「認める」措置を取っていた。

国交省の役人というのは、自分たちを何様だと思っているのだろう。

雨が降ったら、とか、気温が35度を超したらお前ら「出勤」していいぞと言われて、ライドシェアのドライバーたちが「ありがたや、ありがたや」と喜んで車に乗り込んで街に営業に出て行くと思っているのだろうか。

外国で利用したライドシェアのドライバーたちは、誰もがその働き方を選んだ理由として、自分が「働きたいときに、働きたいだけ、働きたいエリアで働けるのがいい」と話してくれた。一言で言うなら、自由裁量度が高いことがその仕事に就くカギなのである。

政策をタクシー会社に絡め取られてしまい、ライドシェアが名ばかりのものとして「認可」されたところが日本らしい。聞くところによると、日本ではライドシェアの売上の3割から5割がタクシー会社に抜かれるらしい。

本来、ライドシェアそのものは<運輸ビジネス>ではない。移動手段を求めている人(客)とそれを提供できる人をマッチングさせる<ITを用いた仕組み>のことである。

それを、日本の政府は、ライドシェア=運輸業と勘違いしている。だから国土交通省が所管となり、タクシー会社と同列にその業務を考えるという根本的な間違いを犯している。

結果、利便性を得るはずだった利用客もドライバーも、国の誤った政策によって置き去りにされている。

なぜ日本ではいつもこうなっちゃうんだろう・・・。