番組(NACK5「木村達也 ビジネスの森」)のゲストに、『その島のひとたちは、ひとの話をきかない』(青土社)の著者、精神科医の森川すいめいさんをお招きした。
日本での自殺者数は、3万人を超える水準がずいぶん続いた。人口あたりの自殺者数でみると、米国の2倍、英国やイタリアの3倍の数になる。しかも統計上の自殺者数というのは、「遺書」が残されたものだけである。
実態はというと、それ以外に変死者として数えられるもの(遺書などが残されていないもの)が年間15万件ほどある。WHO(世界保健機構)はその半数を自殺者としてカウントしているので、その計算だと日本の自殺者数は年間10万人を超えていることになる。この数は半端な数ではない。
自殺の理由としてこれまで考えられていたものは、死別、離婚、破産、病気、離職など数々あり、それらの理由から自殺をどう防ぐかということ対策が考えられている。
森川さんは、ある時、当時慶応大学大学院生だった岡檀さんが日本で自殺が極めて少ない地域に何度も足を運び、現地調査を重ねて、そうした場所を「自殺稀少地域」と名づけたことを知る。
これまで考えられていた原因から自殺をどう防ぐかという考えから、自殺が明らかに他地域と比較して少ない地域にある特性を知ることで、自殺を予防する因子を知ることができるのではないかと考え方を拡げたのである。
岡さんは、学会報告で「人間関係は、疎で多。緊密だと人間関係は少なくなる」「人間関係は、ゆるやかな紐帯」といったことを述べていた。 人と人とが密接な関係のもとで助け合う地域こそが自殺稀少地域だと思っていたが、実際はそうではなかったのだ。
考えてみれば、これらは理にかなっている。職場や近所付き合いなど、われわれの周りを見回してみれば分かるとおり、人間関係が密な集団が存在している組織やコミュニティでは、そうした集団(グループ)間の緊張関係が生まれ、またそうしたグループ間のすき間で孤立する人が生まれる。ママ友と呼ばれる母親たちの集団など、そうした典型かもしれない。
岡さんの調査によると、自殺稀少地域では近所付き合いは緊密ではなく挨拶程度、 立ち話程度の関係で、それでいて人間関係の数が多い。
彼女は、自殺が極めて少ない地域の特性として「右へ倣えを嫌う」「赤い羽根募金の寄付率はとても低い」といった紹介をしている。みんなと同じ意見に自分を合わせることを好まず、自分がどうしたいかを考えるということらしい。(赤い羽根募金に関しても、寄付そのものが嫌いなのではなく、その集め方が彼らは好きではないということである。)
思わず膝を打ってしまう。そうした地域の人たちは、同調圧力に支配されていないのである。だから、楽なのだ。人間関係から受ける不要なストレスがなく、それが自殺率が極めて低いという現状に結びついているのだろう。
森川さんが話してくれたことで、面白いな、これ役に立つなと思ったことは、町なかにベンチを置こうという話。ベンチがあると、出かけた人が疲れた際にそこで一休みできる。そこで出会った人とたまたま言葉を交わすきっかけになるだろう。通りすがり、そこに知り合いがいれば、一言あいさつをし、返礼が返ってくる。
こうした薄く広い人間関係が、人に安心と心地よさを与え、いざというときに人を救う。
そうした目で日本の街を見ると、実にベンチが少ない。繁華街にはほとんど無い。街中だけでなく、駅にもベンチがもっとあっていい。以前はもっとあったはずだ。通勤客が増え、混雑してきたのにつれてベンチが「安全性の確保」とかで撤去されてきている。
ただ座っていることを、それを無為なこととして社会が拒絶しているような感覚を僕はずっと前から感じている。
今日の選曲は、Thompson Twins で Hold Me Now。