2016年11月16日
先輩の死
早すぎる死には驚かずにはいられなかった。事故なのか、病気だったのか。逝去を知らせる同期からの一斉メールには何もそのあたりは書かれていなかった。
「寂しいなァ」「たまらないなァ」の一言もなく、葬儀に花輪を出すとか出さないとか、花輪は奇数じゃダメだとか、その代金をどう分担し、いつ回収するとか、葬儀業者のような話ばかりがメールで交わされるのを見て、その後のメールを読まなくなった。
彼の若かった頃の顔を思い浮かべながら、静かに手を合わせ冥福を祈った。
2016年11月13日
勘違いを生んでいるMBA
彼は、大学院という場で経営学を勉強することをすべて否定しているのではないと思う。ただ、閉ざされ管理された大学という場でのそれの限界を指摘しているのだと僕は読んだ。
その上で、ビジネススクールの姿勢に大いなる疑問を突きつけている。
結論を言えば、日本のMBAにはほとんど価値がない。ビジネススクール側がどんなに宣伝しようが、日本でMBAをとっても、劇的に人生が変わることなど期待できない。確かに、受験希望者を集めて行われる大学の説明会の場で、大学側の人間がこの数年「MBAはあなたの人生を変えます」というような惹句を投げかけていたのは浅薄すぎると言わざるを得ない。
学位でしかないMBAに人生が変えられたんじゃ、寂しすぎる。人の人生は、その人にしか変えられないもっと重たいものだろう。
2016年11月11日
転職しづらい社会という不幸
昨年の秋頃から仕事量が増大し、残業を繰り返す日が続くだけでなく、休日をほとんど取れなくなっていた。心身共に疲れ果てていたことをうかがわせる彼女のメールやツイッターでのつぶやきが残されいる。
これから人生を謳歌していくはずの若い人が自らの命を絶つという悲惨な出来事だが、それにしても不思議に思ってしまうのは、仕事の場で周りにいた人たちはなぜ助けの手を差し伸べなかったのかということ。
在宅勤務で一人で働いていた訳ではない。彼女と上司の間には何人もの先輩社員がいたはずだ。同期も近くにいたことだろう。しかも彼女は会社の寮に住んでいたと云うではないか。そこでは同じ釜のメシを食っていた仲間がいたはずなのに。
毎晩深夜に会社から戻り、メイクを落とす気力もなくベッドに倒れ込む毎日。髪を整える時間もなくオフィスに出社し、そのことで上司から叱られたり、土日も寮から会社に出かける日々が続けば、放っておいても周りがその異常さに気付くだろうに。なぜ助けてやれなかったのか、悔やまれる。
一昨日開催された厚生労働省主催のシンポジウムに彼女の母親が参加し、過労自殺で娘を失った無念さを語った。昨年11月、彼女は母親に対し「上司に異動できるかどうか相談し、できなければ辞める」と語っていたらしい。
それに対して上司は「仕事を減らすから頑張れ」と答えたが、長時間労働は解消せず、12月に命を絶ったという。無責任で問題解決能力のない上司だと思う。
こうした事件を受け、国も企業のなかでの労働実態に目を光らせるようになってきているが、それだけで問題がなくなるとは思えない。企業の業績が向上せず、仕事量が変わらなければ、社員は会社内でなくてもどこかで仕事を片づけなければならなくなる。決まった時間にオフィスの灯りを一斉に消したからといって解決にはならない。
過労死の問題は、今に始まったことではない。僕が英国の大学院に留学していた頃だから、もう四半世紀前になるが、その頃も日本では過労死が大きな社会問題となっていた。英国人の同級生たちからは、日本人はどうしてそんなに(死ぬほど)働くのか、頭がおかしいんじゃないかと言われたのを覚えている。
その頃、過労死に相当する英語はなく、当時われわれは Death by overwork という言葉を使ってその事を議論していた。その後、Karoshi は英語の辞書に載るようになった。
https://en.oxforddictionaries.com/definition/karoshi
しかし、日本の状況はその後もほとんど変わっていないように見えて仕方がない。
先月17日の日経朝刊に「転職しやすさ賃上げを刺激、勤続短い国は潜在成長力高め」とする記事が掲載されていた。OECDと米労働省のデータをもとに分析されたもので、勤続年数10年以上の割合が小さいほど、潜在成長率が高いことが示されている。
2016年10月17日付日経朝刊3面から |
転職が活発で自由になされている国ほど労働力の有効活用がなされ、会社も国も活性化されて、結果として経済全体を押し上げる動きに繋がっていることが推測できる。
不要なリスクを感じることなく、人がもっと自由に働く場を求めて転職できる社会をつくっていかなきゃと思う。転職することで差別されたり、非正規でしか働けなくなるなんてことがあってはいけない。そうした社会ができれば、ブラック企業なんて呼ばれている類の会社は自ずから淘汰されて無くなっていくはずだ。
実際は、一人ひとりが古い労働感をぬぐい去り、働くことに対する意識を強く変えていくことから始めるしかない。
自殺した彼女には、自死を選ぶ前に倒れ込んで入院しちまうか、会社を辞めて欲しかった。
2016年11月5日
慶応大学に「気品」はあるか
処分の理由は、下記のように「気品をそこね、学生としての本分にもとる行為をした」ことだとか。んっ?「気品」って何だ!?
大辞林によると、気品とは「気高い趣。どことなく凛として上品な感じ」とある。暴行を行った男性学生らが、こうした趣からまったくかけ離れた存在であることは言を俟たないだけでなく、疑問を感じるのは慶応大学が何を以て学生たちにこうした「気高い趣」をもとめているのかということだ。
今回の事件は、慶応の学生たちに<気高い趣>があるかどうかというようなレベルの話ではない。蛮行を行われた末、性行為の様子まで撮影された女子学生はどうなる? 報道が事実なら、慶応大学の大学としての矜恃と気品のあり方を問いたい。
処分内容も実に慶応らしい?! こんな悪童どもは普通なら問答無用で即刻退学だろう。
ところが、無期停学の処分だとか。無期停学の「無期」は、永久という意味ではない。現時点で期限を定めていないだけのこと。ほとぼりがさめれば、密かにこれらの学生を大学に復学させるのだろう。
福澤先生が泣いている。
2016年10月16日
プラネタリウム男
日本で唯一のプラネタリウム・クリエーターを名乗る大平さん。子どもの頃から大のプラネタリウム好きで、中学時代には既に自作のプラネタリウム投影機を手作りしていたというから驚きだ。
現在製作しているプラネタリウムの投影機は、メガスターと名づけられている150万個もの星を投影可能という世界でも最先鋭のもの。
従来の従来のプラネタリウムは1万個ほどの星しか映すことができなかった。その数は、人間の肉眼で見えるはずの星の数だとか。理屈で考えれば、肉眼で見える星をプラネタリウムでも見えればいい、というのがそれまでの考え。それに疑問を持ったのが、中学時代にオーストラリアで頭上に瞬く満点の星を見て心を振るわせた大平少年だった。
一つひとつは肉眼では見えなくても、そうした見えない星も無数に集まると薄明るく見える。天の川がそうだ。肉眼では見ることができない7等星、8等星、9等星などの無数の星が空を埋め尽くしていて、それらがあるから夜空の奥行きを感じることができる。
そうなんだ、目に見えるものだけが存在しているわけじゃない。個々にはその存在をはっきりと見ることができなくても、そうした無数のものがあることで拡がりと奥行きができる。星だけじゃなく、そうしたものは僕らの世界にたくさんある。
今朝の選曲は、デヴィッド・ボウイの「スターマン」。
2016年10月2日
ビールで地域をつなぐ
「ベアレン」は、ドイツ語で熊の意味の複数形。岩手県には熊がたくさんいるし、力持ちのイメージもあってブランド名をベアレンにしたという。
事業を立ち上げる前の時期、全国の地ビール会社を見学で数多くまわったという。そこで、彼らはビール工場を一歩出ると、その地ビールがどこにもないようなことが気になった。工場の向かいの酒屋さんにも置いていなかったりして。店の人に聞くと「あれは、工場に来た人たちしか飲まないから」と。地域とのつながりが大切なことを感じたという。
その時代、地域の特産品的な「変わった」「尖った」地ビールが多かった中で、彼らはとにかくおいしいビールを造りたいと考えた。
ビールは鮮度が大切。その意味では、生産地と消費地が近いのが理想的。おいしいビールを楽しめる。そのためにも地域コミュニティとの結びつきが必須と嶌田さんたちは感じた。
2016年9月24日
スマホ断食、できるかな
藤原さんをこの番組のスタジオにお招きするのは約2年ぶり。その時に番組で取り上げた本は、『ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ』(文藝春秋)。その本のあとがきの最後の一文で、彼は「これからネット断食に入ります」と宣言されていた。
ネットからスマホへ表現が変わったのは、藤原さんにとってもスマホの持つ意味がこの2年あまりで格段に大きくなったってことなんだろう。
ネットに依存し、ネットでつながっていることで初めて、自分が今ここで生きていることを確認できているというような若者が増えて来ているような感じがする。アイデンティティが自分の中にあるんじゃなくて、他人との関係(つながり)、図で描くと自分と相手を結んだ双方向の矢印の上あたりにアイデンティティがあるような印象と言っていいかもしれない。
もちろん藤原さんは、自我をそうしたずれた位置にもっているようなことはないのだが、彼にしてもネットサーフィンであっという間に気がついたら時間を奪われていた、ことがしばしばあるとのこと。
そうした状況から自分を引きはがす彼なりの1つの手立てが「スマホ断食」。月に一度ほど、金曜日の夜から月曜日の朝までスマホを断つというもの。まあ、プチ断食である。
でも、その効果ははっきりあるようで、その断食後もしばらくはスマホを手にする機会が減るという。
確かに、電車の車中などで見かける若い人たちがスマホべったりという、ある意味でフロイト的にその対象と自分を切り離すことができていない状況を見るにつけ、理屈ではなく習慣としてスマホから離れる機会を作るのは必要であると思ってしまう。
たかがスマホ、されどスマホなのである。これが現実。
先週、今週の選曲は、Kansus "Dust in the Wind" と The Moody Blues "Nights in White Satin"。
2016年9月16日
十五夜の月
で、バルコニーから満月の撮影を試みた。あいにくの曇り空で、スッキリとは行かなかったのが残念。
2016年9月13日
生田緑地のプラネタリウム
ここのプラネタリウムの投影機は、プラネタリウム・クリエーターの大平貴之さんが開発したMegastar Ⅲ Fusion が設置されていて、世界最高レベルの星空が見える。光学式とデジタル式の両方の投影法を兼ね備えた機械で、実に奥行きの深い、そして自然な感じの星空を眺めることができる。
実は今度、僕のラジオ番組にゲストとして大平さんをお呼びするので、それに備えて彼の開発した最新式のマシンを見ておきたかったのだ。
プラネタリウムを訪ねたのは、実に久しぶり。今はなき渋谷東急文化会館屋上の五藤プラネタリウム、改築になる前の池袋サンシャインのプラネタリウム以来だ。あ、ニューヨークのアメリカ自然史博物館でもプラネタリウムを楽しんだことがあるのを忘れてた。そこは、ニューヨークでの僕の絶対のお薦めスポットだ。
日本のプラネタリウムだが、ゆったりとした解説員の生の解説が好きだ。基本的なシナリオはあるのだろうけど、その日に多い観客のタイプやその時期の出来事などを考慮しながらライブ感のある、そして親しみを感じさせる説明をしてくれて楽しい。ほんとにリラックスできる。
2016年9月8日
湖へ
2016年9月7日
9月でもオーロラ
2016年9月6日
東京都中野国
つまり、中野区に相当する数の住民が、北海道よりいくらか大きな土地に暮らしているのがアイスランドという国だ。ただ、内陸部のほとんどは人が住めない氷河や火山地域のため、33万人の国民のほとんどは沿岸部のいくつかの地域に集中して暮らしている。
そんな「小さな」国だが、当然ながら議会も行政府も裁判所もある、れっきとした一つの国だ。33万人の国に、大学が7つある。僕たちは、中野区に7つの大学があるのを想像できるだろうか。小学校から高校まで授業料は無料。大学も国立は授業料がタダらしい。
国際線と国内線の航空会社も飛んでいる。テレビ局も2局ある!
日本と同じ島国で、彼らの主な産業は水産業、観光業、アルミニウムの精製(電気代が安いから)といったところ。よく財政がまわっていると感心する。
確かに物価は高い。多くのものを輸入に頼っているから仕方ない。ホテルも高い。食事も高い。観光関係の様々なサービスもとても高い。それらで外貨を稼いでいる。
ドライブインのハンバーガーセットが1700クローネ(約1600円) |
観光客としては懐が痛いところだが、だけどだからこそ、貧乏旅行を狙った連中は来ない。そこはいい。一人ひとりの観光客が、しっかりお金を落としてくれる。
いいか悪いかの議論は置いておくが、アイスランドにはファストフードの店はない。コンビニもない(よる11時まで開いている食料品店は見つけた)。飲み物の自販機も見たことがない(安価な電気代を考えれば、アイスランドこそ自販機があってもおかしくないのだろうが)。だから、街の景観が実にすっきりしている。きれいなのだ。
日本が、この極小の国から学ぶことは多い。
レイキャビク市の南に拡がる住宅地。海沿いに広大な芝生が拡がっている。 |
2016年9月5日
アイスランドは火山と氷河の国だから
その近くで日産リーフの充電スタンドを見つけた。書かれている説明はアイスランド語なので読めないが、専用のカードで簡単に充電できるようだ。
アイスランドは電力供給の3割を地熱で、残りは水力だ。電気代はとても安い。
2016年9月4日
トロールはトトロの親戚だろうな、きっと
スナイフェルトネス半島へ
2016年9月2日
High Waterfall
氷河に向かう途中、ヘリから撮った "The High Waterfall" と呼ばれている巨大な滝の遠景。アイスランドは、その一部が北極圏にかかっていて森林限界を超えているせいか、地形全体が溶岩でできているせいか、周囲にまったく木々が生えていない。これが地球か、と思わせる風景に息をのむ。
ヘリのフロントガラスまで水滴が飛んでくる。アイスランドで2番目に高い滝らしい。
2016年8月31日
2016年8月30日
2016年8月27日
学校をつくろう
谷川さんは、元丸紅の商社マン。60歳を区切りにきっぱりとサラリーマンを辞め、いまはアジアの山岳少数民族の村に学校をつくる活動を行っている。この12年間で270校ほどを立ち上げた実績がある。
谷川さんらの活動がユニークなのは、押しつけではないこと。作ってやるのではなく、「作らせてもらう」ところ。自分で現地をたずねて、学校が必要だと思う村を見つけ、そこの首長に学校をつくる提案と交渉をするところから彼らの活動は始まる。
学校の建設を持ちかける村は、決して豊かではない。子どもたちは学校で勉強するより、日々の労働力として求められている。そう考える大人たちを上手に説得しなければ、学校建設の話は前に進まない。
谷川さんらが学校があったらと思う場所には、文字が読める大人自体がほとんどいない。だから、よそ者からうまい話を持ちかけられて騙されたりした経験を持っている。
そこで、谷川さんが村の大人たちに話すのは、「学校が出来て、子どもたちが字が読めるようになれば、村人たちがよそ者に騙されないようにできる」ということ。こうした説得などで協力を取り付けるらしい。
実際の学校造りも独自のノウハウを生かして行っている。建設業者を送り込んで、ガンガンと工事して学校を建てることはしない。近くの町で大工の棟梁のような人物とその弟子のような人物を見つけて雇い、村に連れてくる。そして、彼に村人を指導してもらいながら村全体を学校をゼロから作っていく。
そうすることで、その学校は「村で建てた学校」になる。その後も修理なども自分たちの手でまかなわなきゃという意識ができる。
その後は、先生の手配だ。学校造りは、先生作りでもある。とにかく労を惜しまない。国の国際協力のように形式通りの予算を組んで業者にすべてやらせると、学校は村のものではなく、彼らからすると「どこからから持ち込まれたもの」になってしまう。
谷川さんは、いまもアジアの村に学校を作るのが楽しくて仕方ないという。そうだろうなあ。必要とされる学校を村人たちと一緒につくり、喜ばれ、役に立っているという実感を直接感じることができるんだから。
今朝の一曲は、エクストリームで More Than Words でした。