2018年2月6日

Three Billboards Outside Ebbing, Missouri

映画「スリー・ビルボード」の舞台は、ミズーリ州の寂れた片田舎の街、エビング。架空の、しかしミズーリにはこんな典型的な場所があるんだろうなと思わせる街である。

アメリカというとニューヨークやロス、サンフランシスコ、シカゴなどを思い浮かべ、そこがアメリカと勝手に想像してしまう。しかし実際は、アメリカはひとつの大陸の大半を占めるほどの巨大な国。地理的にも歴史的にも極めて多様である。

ミズーリというと、僕がまず思い起こすのは、チャーリー・ヘイデンとパット・メセニーの1997年のアルバム「beyond the Missouri Sky」だ。ものを書く際にBGMとしてよく流していたが、そのジャケットの写真が映す荒涼とした風景が、僕にとってのミズーリだった。 

映画に登場する人物はみんな、ある意味でどこかネジが外れている連中ばかり。しかし、それらがストレートに自分を表現し、どこか深いところで、いわば人間としてつながっている。

邪悪で軽薄そうな男も、自らの深いところに何かしらの悲しみを抱いていて、ひょんなことからそれに気付き、生き方を修正していくことができることを映画は示す。悪党にも一部の善の魂があることを描くことで、観るものを思考の縁へと連れて行く。

一方で、いかにも善人として周りから思われ、自分でそれを疑うこともない教会の神父らがいかに浅薄で社会の矛盾に目をつむり、形式的にだけ生きているかも映し出す。

主人公のミルドレッドを演じたフランシス・マクドーマンドの圧倒的な力強さだけでなく、登場人物がすべてその輪郭をしっかりと持ち、確実に描かれている。練りに練られた優れた脚本があってのこと。



2018年1月30日

議論のネタ

朝日新聞の文化面「語る 人生の贈りもの」欄に椎名誠の話が連載されていて、これが面白い。

中国のタクラマカン砂漠、楼蘭への道中の様子が語られていたのだが、その途中のミーランという村での以下のような話が語られている。
オアシスの村・ミーランにたどり着くと、ポプラが揺れていて風が美しかった。ただトイレが男女一つずつしかないので行列ができる。前も横も仕切りがないので並ぶ人たちに見られながら用を足す。紙で拭くときに人格が崩壊するような屈辱感を抱く。なぜなのだろうと、夜みんなで議論しました。
中国のかつての(今も田舎はそうかもしれない)トイレ事情はよく聞かされるところだが、それをネタに撮影隊の連中と「議論」をするというのが愉快だ。

近頃は大学でさえ、人が集まって熱く議論するということは珍しくなったと思う。若い人たちはもっぱらネット上で上滑りで空虚なコミュニケーションに終始しているように思える。

そこでは人が本来持っている体温のようなものがまったく伝わらない醒めたやり取りだけが流れている。

いまの若者たちの周りにだって、議論のネタなどいくらでもあるはず。時には敢えて屈辱感に身をさらし、それをネタにみんなで議論したらどうか。

1月25日付け朝刊


2018年1月21日

紙と墨で1200年を超える

久々の暖かいいい天気の日曜日だった。その気候に誘われて昼食後、上野へ出かけた。

国立西洋美術館で行われている「北斎とジャポニスム」展を観に行ったのだけど、休日ということもあってか入館までの待ち時間が1時間ちかく。

そこは諦めて、東京国立博物館で 開催中の「仁和寺と御室派のみほとけ」展へ足を運んだ。仁和寺は御室桜で知られる真言密教の寺。888年に完成した寺院で、数々の国宝級の宝物が今に伝えられている。

仏像や絵画もすばらしかったが、今回とりわけ記憶に残ったのが、弘法大師(空海)が真言密教を伝える書物として中国(唐)で写経して持ち帰った経典だ。


三十冊あるところから「三十帖冊子」と呼ばれている、これも国宝である。空海の没年が835年なので、1200年近く昔に書かれ(写され)たものだ。それが今も墨のあと鮮やかに残っていて、私たちは展示ケースのガラス越しではあるけど、誰もがそこで読むことができる。

空海はそのとき、どこで何を想いながら教典を写経していたのだろうと想像させられ、またあらゆるデータがデジタルで記憶される時代ではあるが、記憶媒体としての保存性や閲覧性の面で「紙」にまさるものはないとしみじみ痛感させられた。

振り返るに、我が家には4、50枚のフロッピーディスクに加えてMOやMD、メモリースティック、スマートメディアなどが今も残っている。

早く中のデータを確認して必要なものは移行しなければと思ってはいるが、それらの中には既に再生するための機器(ドライブ)が手元になくなってしまったものがある。

はてさて、それらをどう処理するか・・・。