2017年7月7日

バルミューダ創業者の本

著者の寺尾玄は1973年生まれ。独特の設計で知られる扇風機を生み出したバルミューダ社の創業者だ。 


彼が設計して売り出したグリーンファンという名の扇風機は、値段が3万円以上するにもかかわらず人気商品で売れている。

最小消費電力3Wという一般的な扇風機の約10分の1の消費電力。最弱運転時の動作音はわずか13dB(デシベル)、人間の耳ではほとんど認識できないような圧倒的な静音性能を持つだけでなく、送られてくる風が従来の扇風機とまるで違うらしい。木陰で涼んでいるときに吹いてくるような自然の風らしい。

寺尾は、両親の離婚や母親の死、そして高校の進路進藤のやり方に強烈な違和感を感じて学校を退学、あとはお決まりように海外放浪へ。帰国後はロックミュージシャンを目指して活動を開始。バンドを組み、やがて何とかレーベルデビューを図るという矢先に契約を破棄されるという経験をする。

生きていかなければならない。そうした差し迫った時に、たまたま奥さんが持っていた雑誌でものづくりのデザインの面白さに気がつく。
試行錯誤の末、売れるモノ、つまり必要とされる物をつくらなければと考えた彼の頭に去来したものが扇風機。「なぜ扇風機の風は人工的で気持ちが良くないんだろう」という昔から感じていたという問題意識である。そこから彼の新たな闘いが始まった。

「掃除機はどれもなぜ使っているうちに吸引力がすぐに落ちてしまうのか」という不満を持ったジェームス・ダイソンが、自らそれを解決するためにそれまで誰も不思議に思ってこなかった掃除機という超成熟製品に目を付けてそこにイノベーションを起こそうとしたのと似ている。

ものづくりはおろか、それまで会社員をしたこともなかった寺尾が、そのために身につけなければならないと思ったことを取得していくすべは、そうした技術や経験をもつ人から学ぶしかない。早速町工場をいくつも訪ね、材料のことや加工のことを体で学んでいく。切羽詰まった人間の捨て身と言えるが、これくらいやらなければ考えを形にできないことをよく知っての極めて合理的な行動である。

会社が倒れるかどうかという資金と時間のなかでの闘いは(本人には申し訳ないが)スリリングだ。

自分がやりたいことを自分の手でつかもうとする姿勢と行動には頭が下がった。今の彼はミュージシャンではないが、彼のやり方は実にロックである。


2017年6月30日

ワイダの残像


アンジェイ・ワイダの遺作になった『残像』を観に神保町の岩波ホールへ。英語タイトルは、Afterimage。 


映画の主人公ストゥシェミンスキは、実在の人物。ポーランドを代表した前衛画家で、抽象画を精力的に描くかたわら、芸術大学で情熱的に教鞭を執っていた。

第二次大戦が終わり、ポーランドが旧ソ連の支配下におかれ、そこでは芸術すらも社会主義的イデオロギーを表出したものだけが認められ、社会主義リアリズム以外の芸術作品はすべからず排斥された。

視覚理論について大学の講義のなかで語るシーン、彼は残像について語る。残像に映る色は「実際に見たものの補色なのだ」と語る。

自由な創作活動を主張し、スターリン的な全体主義を標榜する政府官僚とことごとくぶつかる彼は、「無認可」の芸術家というレッテルを貼られ、そのために絵を描く画材すら店で買えなくなる。やがて大学の職を奪われ、作品を発表する場所や機会も完全に失い、日々の食事にも窮するようになる。

やがて、そうした状況は彼を心身ともに追い詰め、最後は自らの芸術家としての誇りもなげうって得た洋装店の店頭ディスプレイの仕事をしている最中に倒れ、息を引き取る。

映画は彼が倒れた後、その娘であるニカ(気丈な娘役をしているブロニスワヴァ・ザマホフスカがいい!)が息せき切って訪れる病院のベッドで、シーツにくるまれたストゥシェミンスキを彼女が見つめているシーンで映画は終わる。

ニカの頭の中には父親の残像が映っていたのだろう。

途中、彼に救いの手を差し伸べようとする政府官僚が現れる。政府への批判をやめ、政府が決めた芸術があるべきとする方針に沿って活動さえすれば、大学に復職できるし、それなりの生活が保障されると囁く。

実際、画家に限らず、詩人などその時代の多くのポーランドの芸術家は、何らかの転向を余儀なくされ、それで生き延びた。しかしストゥシェミンスキは、それを頑なに拒み、自らを貫き通し、最後は非業の死を遂げる。

その生き方の是非を誰も断定することなどできない。ワイダが描いたのは、実際にポーランドに生きた一人の芸術家の、悲惨な時代背景における苦悩と闘いと死である。

これもまた、現代人に突きつけ得られているひとつの「残像」、つまり「補色」なのだ。

全体的に舞台演出のような人物の動きが気になったが、一人の人間が巨大で強固な国家という権力にいかに抵抗しうるのか、いかにもワイダらしい骨太のテーマが描かれた本作は劇場を出た後の足取りを確実に重くするほど重厚で心にズシンとくる映画だった。


ストゥシェミンスキは、学生たちに向かってこう言う−−−「芸術と恋愛は、自分の力で勝負しなければならない」。そうなのだ、芸術と恋愛と○○は、自分の力で勝負しなければならない。誰もがそうした○○を抱えているはずだ。


2017年6月29日

アマゾンとヤフー

先日、大学院のゼミにアマゾンのディレクターを務めている友人に来てもらった。アマゾンのビジネスの進め方や経営方針などについて話をしてもらったのだが、その顧客中心主義の考え方に改めて感心をした。

彼らのモットーは、「世界で最もお客様を大切にする企業であること」。他にない数々のサービスもすべていかに顧客に愛されるか、顧客の欲しいものを欲しいタイミングで欲しいように届けるか、ということを追求したことから生まれた。

かつてドラッカーが「企業の目的は顧客の創造」であると喝破したように、最終的にはどんなビジネスであろうと、一番顧客に求められている企業が勝つのである。シンプルだが、ビジネスの本質をついている。

このこと、多くの経営者が頭ではきっと分かっていてるはずだが、実際にそのために自分たちが何をなすべきか、何ができるのか、どのようにやるのかといったことを常に全力を振り絞って考え、そしてそれらを実行に移してる会社は決して多くない。

アマゾンの凄さは.そうした当たり前の考えを数十万にいる社員すべてが共有し、日々そのために頭も体もフル活動させていることなんだと思う。

先日、大手通販サイトのヤフーショッピングを運営するヤフーが出展者に対してサイト内の広告を出すように働きかけるページに「通常の検索結果と差異のないデザインで表示されるため、いかにも広告という印象を与えずにお客様にアピールできる」と記載していたことがわかった。

つまり広告である事を隠した広告である。どうも今はそうした行為を「ステルスマーケティング(ステマ)」と呼ぶらしい。フリマ(フリーマーケット)ならまだ分かるけど、ステマだって。へんてこりんな、嫌な言葉である。マーケティングの本質を何も理解しない人が作った言葉だ。こうした広告のことは、妙な横文字を使うまでもなく、詐欺広告または詐欺的広告と呼べばそれでいい。

日本で誰が使い始めたのか知らないが、「こういうのってステルスマーケティングって言うんだぜ、みんな」みたいなことを生かじりの浅薄な人物がどこかで言い始めたのだろう。それに乗る連中も連中だが。

ところで、彼からアマゾンについてゼミで話をしてもらったなかで一つ大変印象的だったのは、アマゾンは日々集まる膨大なデータを分析するに際して、決して顧客のプロフィール情報は用いないようにしているということだ。

なぜか。一つには、もしそうした個人情報が漏洩した際に受けるとてつもないマイナスのインパクトを考えてのリスクマネジメントがあるのだろう。そしてもう一つは、あくまで個人のプライバシーを尊重するという創設者であるジェフ・ベゾスの考えの表れである。

そうしたしっかりとしたポリシーがあり、それが守られているからこそ、アマゾンは信頼され続けているのだと思う。

2017年6月23日

電車の中で

先日、帰宅途中の車内で見かけたサンドウィッチマン風のおじさん。


多くの日本人が同じような考えを持ち、だけどどこにその気持ちをぶつけていいか分からず、鬱屈した思いでいるはず。日本だと駅や電車の中で声高にそうしたこと叫ぶとたちまち警察に通報され、駅員に「ちょっと来なさい」とつまみ出される。

そこでこの男性が考え出した方法が、この自己看板戦法だ。これなら誰からも迷惑だと文句をつけられない。

2017年6月17日

ボウズ1000円

土曜日の早稲田大学正門通り。大学から歩いて5分ほどのところにある床屋の店頭。男性1300円はQBハウスといい勝負だが、女性1400円はどのような仕上がりなのだろう。ちょっと気になる。


2017年6月8日

マーケティング、授業終了

昨日、授業終了後、大隈通り商店街にある店で打ち上げの懇親会があった。

夜7限の授業が終わった後だから午後8時40分から10時すぎまでの1時間半ほどだったが、社会人大学院生らしく限られた時間のなかで濃密に交流した飲み会で面白かった。

学生たちから大きな花束をプレゼントされ、帰りの電車に持ち込むのが小っ恥ずかしかったナ。



2017年5月28日

いつだってフルスイング

今朝の「木村達也 ビジネスの森」は、「週刊文春」編集長の新谷学さんをゲストにお迎えし、新刊の『「週刊文春」編集長の仕事術』をもとにお話をうかがった。


もともとはテレビ局で大人向けのバラエティをつくりたかったという新谷さん。ひょんなことで(ま、ふつう新卒で入社するときはそうだけど)株式会社文藝春秋に入社、いくつかの部署を経て「週刊文春」の編集長になって6年目。

一番興味があるのは、人。その可笑しさや、情けなさや、胡散臭さや、そうしたものすべてを含めて人が好きだから続けられていると。

スクープにしても、大上段から社会正義で人を裁くようなまねはしたくなく、フラットな目線で取材し、掘り下げ、記事にしてい行くのが文春流のようである。しかし、スクープだけでなく記事を載せるときはいつだってフルスイングでいく。

いま話題になっている「週刊新潮」の中吊り広告の件などもダイレクトにお聞きしましたが、そこはオフレコということで放送できませんでした。来週も新谷さんをゲストにお招きします。

編集者は黒子、ということで顔写真なしの記念撮影でした

今朝の一曲に選んだのは、Christina Perri で A Thousand Years。


2017年5月21日

亀とジェット機

先週と今週、「木村達也 ビジネスの森」にゲストとして元エルピーダメモリ社長の坂本幸雄さんをお招きした。


エルピーダメモリは、1998年に日立とNECの半導体(DRAM)部門が統合してできた会社。設立後うまくいっていなかったその会社に、坂本さんが2002年に再建を託されて社長に就任し、その後10年間にわたり同社を率いてきた。

坂本さんの企業人の原点は、体育大学の卒業後に義理のお兄さんの紹介で入社した日本テキサスインスツルメンツ社。そこの倉庫番からスタートし、25歳で経営企画部の課長に。それまでの上司が部下になった瞬間だった。最初は双方ともやりづらい感じもあったが、両者ともすぐに慣れていったという。肩書きは、単なる「役割」なのである。

日本企業とアメリカ企業の経営の違い。多くの違いの中でも決定的なのがスピード感の違い。両企業をよく知っている坂本さんから見た場合、その差は亀とジェット機くらい違うと云う。

コングロマリットの事業形態がその根底にある。種々なビジネスに関して、トップがすべてを理解できるはずがなく、だからこそクイックな判断ができない。社長がビジネスに精通していなくて、なぜ適切な経営判断ができるのか。切り離すべきだというのが坂本さんの考え方だ。

スペシャリストとジェネラリストについてもお話をうかがった。日本企業は多くの社員がゼネラリストを目指しすぎるので、部長になったとたんに専門性を鍛えてこなかった人たちはリストラの対象になってしまう。

企業に必要なのは、一部のジェネラリスト。坂本さんが語るように、その以外の人たちはスペシャリストを目指すべきなのだ。

まずは専門性を磨くこと。その後、組織内のポジションと役割に応じて、ジェネラリストとしてのキャリアを磨いていって経営者になる人材が出てくる。多くの日本のサラリーマンは専門性のひとつも持たないで最初からジェネラリストを目指すケースが多いが、それでは仕事にならないのである。

今朝の一曲に選んだのは、スティングで「Shape of My Heart」。


2017年5月13日

「髪型変えた?」

大学時代のサークルの同期会があり、小雨の中を出かけた。会場になった大学近くの鮨屋に集まったのは9名。その内の8人とは、大学卒業以来の再会だ。

36年ぶりだが、みんな意外と変わってない。女性はみんな昔の雰囲気のままだし、男の方も頭がいくぶん涼しくなったり白くなったくらいで、昔の様子そのままなのにちょっとびっくり。

自分自身があの頃からたいして変わってないのに、他人だけ変わっているに違いないと思っていたのがそもそも間違い。

それにしても、「あれっ、木村君、髪の毛そんなに短かったっけ?」と言われ、何を問われているかよく分からず黙っていたら、「長髪だったよねえ・・・」と。

ああなるほど、自分が学生時代のある時期、髪を肩の辺りまで伸ばしていたことがあったのを思い出した。彼女はそれをまるで先週のことのように言う。

十年一昔とは言うが、そりゃあ36年経てば髪型も変わるよと心の中でつぶやきつつ、なんだかおかしくなった。

2017年5月7日

コンセンサスが取れたときには、もう手遅れ

今朝の「木村達也 ビジネスの森」のゲストは、『超一極集中社会アメリカの暴走』(新潮社)の著者、小林由美さん。大学院時代から数えて36年間をアメリカで過ごしている彼女が、ちょうど帰国しているというのでスタジオに来てもらった。


アメリカで現在発生している問題の1つは「集中」にある。生産財としての情報の集中、それを手にしている一部のアメリカのIT企業、そしてそれらを可能にしている最先端の技術。さらには、その技術を開発している一部の超エリートのエンジニアたち。それらはすべてアメリカにある。

われわれが意識しないうちに、SNSの情報はもちろん、Gメールの内容も、ネットでの買い物の内容やその過程もすべて丸裸で捕捉されている。それらは分析され、ターゲット広告や商品・サービス開発のために売買されているのが現状だ。

日々の個人の生活には具体的な影響は感じないし、システムの向こう側でやられていて見えないだけに普段は意識することすらない。確かに現状では個人的には実害を感じるというものはないので、いいじゃないかと思ってしまいがちだが、気がつくとメールはGメール、SNSはフェイスブック、買い物はアマゾン、と一部企業に大多数の消費者が頼ってしまっている。

それらは便利だが、彼女の本のタイトルにあるように、いつの間にか超一極(ごく一部)に情報(つまり金だ)が集中している社会に僕たちは生きている。

日本と米国の比較のなかでは、教育についても彼女からいくつもの指摘があった。学校教育のレベルは低すぎると斬って捨てる一方で、米国では自由で斬新な発想を生み、それを高く評価する土壌があるということも。

全体的にレベルがそこそこ高い日本社会に対して、米国はおそらくならすと全体のレベルは高くないが、一部のとんがった連中が自由にものを考え、言え、実行でき、評価される環境の中でそれまでなかった新しい仕組みやビジネスを作っていく。

さらにはスピード感も日米で大きく違うという。「コンセンサスが取れたときには、もうtoo lateなのよ」とさらっと言ってのけた彼女の言葉にドキリ。

今朝の一曲は、ドン・マクリーンの American Pie。


2017年4月16日

誰も使わない「だれでもトイレ」にならなければよいが


4月8日の日経夕刊

記事から。
早稲田大学が4月から性的少数者(LGBT)が安心して学生生活を送れる環境の整備に乗り出した。多目的トイレを「だれでもトイレ」と改称してLGBTの学生が気軽に利用しやすくした(後略)。

記事の中で、これまでLGBTの学生たちが、利用者が少ない遠くのトイレを使って膀胱炎になったりしたからとある。しかし、それへの対応になっているだろうか。

「だれでもトイレ」の意図は分かる。だが、そうした狙いで大学によって設置された「だれでもトイレ」を誰が使うのか。誰も使わないんじゃないだろうか。

だって、そのトイレに出入りしていることが、まわりへの明らかなひとつのシグナルになるのだから。それを知られたくないLGBTの学生が、どうして使えるだろう。パラドックスだ。

ドラえもん風の馴染みやすい名前をつけるなど、大学の配慮を示す気持はよく分かる。だけど、特別なトイレを設けるんじゃなくて、本人が自分で思う性別のトイレをそのまま使えばいいじゃないか、と僕は思うのだ。

個人的にはトイレに誰が入って来たかなんて気にしないし、ましてや個室を使うのであれば、問題にもならない。これって、LGBTの実状を知らない人間の浅はかな考えかな?

記事の終わりあたりに「大学にとってダイバーシティー(多様性)の確保が喫緊の課題になってきた」とある。なんか違う気がしてならない。

「確保」するとかなんとか力むようなことではなく、自分たちとは違う人も自然と受け入れる、あたりまえの人間性を大切にするだけのことだと思う。

2017年4月12日

日本のテレビニュースは死んだか

遅い帰宅後、着替えをしながらテレビをつけ、ニュース番組にチャンネルを合わせた。ある民放局の夜のニュース番組だ。

始まったそのニュース番組のトップニュースは、フィギュアスケーターの浅田真央選手が都内のホテルで記者会見し、引退を発表したことに関連するニュースだった。それが延々と続く。

僕たちが目を向けなければならないニュースは他にあるはずだ。なぜ、浅田選手の引退表明がニュース番組のトップニュースになるのかとまどう。浅田選手が問題だと云っているのではない。

そのニュース番組のプロデューサーがスケートファンなのか。日本にとって浅田選手の動向が重要な意味と価値を持つと感じているのか。浅田選手のことなら話題性のあるニュースになると考えているのか。ニュース番組は、取り上げるニュースの順番とそれぞれに割く時間の配分に、局の報道の姿勢といったもの現れるものである。

たぶんそのニュース番組のプロデューサーはジャーナリズムとはまったく無縁の人物で、もしそうであってもその感覚が極めて希薄で、ただただ視聴者に分かりやすくて、喜ばれると自分が考えたそのニュースをトップに持って来たのだろう。最近に始まったことではないが、日本のテレビ番組の劣化は、悲しくなるほど悲惨だ。

2017年4月9日

誰も行ったことがないから行く

今日と先週放送の「木村達也 ビジネスの森」は、洞窟探検家の吉田勝次さんをゲストにお迎えした。

彼がこれまでに潜った洞窟は、1,000とも2,000とも。数えたことがないから、正確な数は分からないそうだ。その中には未踏歩だったものも数多く含まれる。


そこに何があるか分からないのが、洞窟探検の醍醐味。我々が洞窟をイメージするとき、そこは鍾乳洞のような人が立ったまま歩いて進める空間だろう。しかし、吉田さんらがチャレンジする洞窟は、必ずしもそうではない。這いつくばって砂を掻き、目の前の穴に体を押し込み(息を吐いて胸囲を小さくして)、時には空気ボンベを背負い、水の中を進む。

水の中といってもコーヒーのような水。先が見えないどころか、タンクの残りの空気の容量を示すメーターすら見えない。進めるかどうか、ひょっとしたら戻ることもできないかもしれない、そうした状況の中で判断を求められる。

そこでは体力より、メンタルな強さが生きて帰れるかの決め手になる。平常さを失わないこと。パニックになり、平常な精神状態を失うと途端に生還率が低くなる。

冒険と探検は違う、と吉田さんは言う。冒険は無謀であればあるほど価値がある。しかし、探検は冒険とは違い、必ず帰って来なければならない。行った先のデータを持って帰って伝えることが探検には求められているからと。なるほど。

今朝お送りした一曲は、ドゥービー・ブラザーズで「What a Fool Believes」

2017年4月4日

機内アナウンスで

イスタンブールからの帰りのフライトは、トルコ航空52便である。

機体が空に上がってしばらくしてからの機内アナウンス。トルコ人のCAの日本語アナウンスの締めくくりに、思わず吹き出しそうになった。

「それでは皆さま、短い時間ではごぜえますが、ごゆっくりと・・・」


2017年4月3日

Up, Up and Away(カッパドキア熱気球)

岩肌を掘って作られた洞窟ホテル(Cave Land Hotel)を朝4時に出かける。カッパドキアは、まだ暗闇のなか。熱気球にガスバーナーの炎が吹き込まれると、気球はその機体をゆっくりとむくむくともたげてくる。準備ができたあと、ゴンドラに乗り込み上空へ。

熱気球のゴンドラから、手持ちのソニーCyber-shotで撮影した。よく聞くと、同乗したいろんな国の人がそれぞれの言葉で話しているのが分かる。

2017年4月2日

カッパドキアのきのこの山

トルコまで来て、カッパドキアの奇岩を見て日本のチョコレート菓子を思い起こすのはどうしたものだろう。



青空と奇岩を背景に、堂々とした野良猫が横たわっていた。


前足、ふんばってます

2017年3月31日

ボスポラス海峡を渡る

国際学会出席のため、先日からイスタンブールに来ている。午後、無事発表を終えたあと、街に少し出てみた。

写真は、ボスポラス大橋から見下ろしたボスポラス海峡。この海峡でアジア大陸とヨーロッパ大陸が分かたれている。右側の土地がヨーロッパ、左側がアジア。多摩川を渡って、東京都から神奈川県へ移動するのと何ら変わりない。

2017年3月27日

英語を早くから学ぶより、正確に日本語を話すことが大切ではないかな

前にも書いたが、しばらく前からメールなどの文章を書く際に音声入力をできるだけ使おうとしている。さすがに人前ではできないし、やらないが、外を散歩中であっても周りに雑音がなければイヤホンマイクをiPhoneに繫いでしゃべり始める。

あるまとまった考えを、いきなりしゃべりだけでまとめるのはなかなか難しい。難しいと言うより、慣れとある程度の訓練が必要だ。

文章を「書く」ときは推敲を前提に、思いついたことをキーボードで打っていけばよい。それがある程度まとまった段階で、中身の順番を入れ替えたり、補足したりして1つの文章にまとめることは誰もがやっていることだと思う。

音声入力であっても、それは書き文字の文章にするための1つの手段。だから、変換された文章を推敲することには変わりはない。

ただ違うのは、画面を見ていないと自分が何を話したかなんてすぐ忘れてしまい、どこをどう補足するかもよく分からないことだ。だから言葉を発すると同時に文章全体のイメージを構成していかなければならない。これはなかなか大変。

しかし、それができるようになると、音声から文字への変換精度も格段にあがる。ゆっくりしゃべる必要はない。早口だとAIが聞き取りづらいなんてことはなく、むしろあるまとまった固まりでAIが意味を理解し文字化しているので、早口の方が正確に文字に変えてくれるという印象すらある。

つまり、あるまとまった意味の固まりを正確に話せば、即時に近い感覚で活字になる。活字になれば、自動翻訳機能で外国語に訳し、それを自動音声で読み上げることができる。スマホが自動通訳機になる。

特殊なコミュニケーションを除けば、これで外国語間の言葉のやりとりはいずれ解決できるようになるはずである。

小学生英語に関して、いま5年生と6年生がやっていることが3年生、4年生で実施されるらしい。小学校で英語を教えられる先生がいなくて困っているという話がある。何を言っているのか分からない英語をしゃべる先生にあたった生徒は、一気に英語が嫌いになってしまうだろう。

だったら、英語はこれまでどおり中学生からにしておいて、それよりも大切なことは、日本語で正確かつ論理的な話ができるような教育を深めていくことだと思う。その方が、子供たちの将来に訳に立つと思うのだが、どうだろう。

2017年3月16日

タクツァン僧院までトレッキング(ブータン / 5)

パロ渓谷上流の断崖に張りつくように建てられたタクツァン僧院までは、いったん登って、下って、また登るというやっかいな道のりだった。

途中の休憩と昼食をいれて、全部で3時間以上の長い行程だった。ずいぶん疲れたが、幸いに天気に恵まれ、お参りには御利益があったのではないかな。当然ながら、自分の足で苦労してこそである。

タクツァン僧院には「トラの巣」という別名がある。



鐘(巨大なマニ車)を回しているのは、今回ブータンを一緒に回った僕のドライバー。中に教典が収められていて、回転させるごとにそのお経を唱えたのと同じ功徳があるとされている。

2017年3月15日

ブータンは、犬が世界一幸せな国であることは間違いない(ブータン / 4)

初日に越えたドチュラ峠を今度は反対側から越えて、午後にティンプーの街に戻ってきた。天気は快晴。

ブータンが日本でも有名になったのは、GNH(国民総幸福量)という指標を国王が掲げたことにある。ただ、その調査に対しては問題を指摘することができる。

まず、それほど頻繁に(定期的に)測定されているものではないこと。そして、肝心なのはその調査法。僕が今回現地で知ったのは、役人たちが全国のそれぞれの管轄地域の家を個別に周り、すごく幸福、幸福、幸福でない、の3つの選択肢から回答を求めて取ったデータがもとになっている事実。わざわざ家を訪れてきた役人に、三つ目の「幸福でない」と回答するのは一般的国民は難しかったはずだ。

米国でトランプが事前予想を裏切って大統領になったように、調査とはそのやり方次第で本当の姿を見えなくしてしまう。それも意外と簡単に。

ティンプー市内の目抜き通り

 
各地に向かうバスが発着するターミナル

お喋りしながら編み物をするおばさんたち

民族衣装「ゴ」「キラ」の生地を売る店

この国には信号は1つもない。おまわりさんが手でさばく。

街中に一件だけ、illyのコーヒーを飲ませる店があった

それはさておき、ティンプーに限らずブータンを歩いていて感じたのは、どこにでも犬(ほとんどは野良犬)がいて、人間と共存するようにのんびり生きていること。

殺生を禁ずる国だから、野良犬といえども日本のように捕獲して殺処分するなんてことはあり得ない。だから、わんこたちも実にのんびり昼寝している。

ここでは犬たちが世界一幸福なのは、間違いないと思う。

のんびり昼寝する野良たち

ここにも

どこにでも

人が近くを通ったって平気

野良が完全に町に溶け込んでいる

人間と仲良し