2024年9月30日

よかったね、袴田さん

26日に静岡地裁で、いわゆる袴田事件の無罪判決が出た。そもそもの事件は58年前に起こったものだ。58年前!

当時の検察の違法な自白強要と証拠捏造により東京拘置所に収監された。死刑囚としての収監期間は2014年3月までの47年7ヵ月に及んだ。

今回の判決に対する検察による控訴の期限は10月10日。事件当時の違法取り調べや捏造された証拠である衣服について、検察が自説を説得力を持って証明することはもう不可能だ。ただ、検察側が腐ったプライドを拭いきれず控訴する可能性はまだ残っている。

「袴田巌さんを救う市民の会」から送られて来た手紙には東京高検検事長宛の「請願書」の葉書が同封されていた。万が一の、これ以上の検察の愚かな判断を起こさせないためのせめてもの最後の一押しである。

袴田さんは現在88歳、支え続けてきた姉のひで子さんは91歳になった。無罪を勝ち取るというシンプルな目的のために毎日を生きてきた、彼らの苦悩は常人にとって容易には想像すらできない。袴田巌さんは、日本の「ハリケーン」だ。

2024年9月23日

映画「本日公休」

台湾映画「本日公休」の主人公は、台中の街で40年にわたり常連客の髪を切ってきた理髪店の女店主。自分に技術を教えてくれ、かつては一緒に店を切り盛りしていた夫はなくなり、一人で店をやっている。

3人の子供たちはそれなりに独立したが、まだいずれも地に足が付いていない感じだ。

娘からこんな時代遅れの店はやめた方がいいと言われても、彼女はいつもの常連客の頭にいつものようにハサミを入れる。変わっていく台湾の社会。世界のどこにでもあるジェネレーション・ギャップ。だけど、台中の街の風景には、「いつもの」暮らしと人間関係が染みついていて、それが実によく似合っているように思える。

彼女は、毎月離れた街から髪を切りに来てくれていた古くからの馴染みの客が床に伏していることを知り、めったに運転しない古い車でその町へ向かう・・・。

やっとのことでたどり着いたその家で、会いたかった古くの客である老人は息を引き取っていた。彼女は横たわる彼の髪を切り、整え、ヒゲをあたり、最後の理髪を行う。

彼女は、いつもの店で、いつもの客といつものように語らいながら、いつものように髪を切る。そのことで相手を知り、関係を自然と作るなかで自分の仕事や生きている意味を感じていたのだろう。自分がどこで生きているのか、自分は誰か、何をすべきかもよく分かって生きている。

本作では、それが決して頑迷さということではなく、ただゆるぎない一人の生き方として自然なものとして描かれていた。そこはかとないペーソスを秘めた佳作である。

2024年9月18日

社外取締役は、お勉強の手段か

シリアルで知られる日本ケロッグの社長である井上ゆかり氏が、彼女の経営者仲間の交友関係を新聞で紹介していた。

そこでは、知り合いの女性経営者であるみずほフィナンシャルグループ取締役会議長の小林いずみ氏から「勉強になるから」と、ある企業の社外取締役を勧められ、引き受けたといったことが書かれていた。

よく平気でこうしたことを公言できると思う。株主らは、彼女の「お勉強」のために社外取締役報酬を支払っているのではない。株主軽視と経営軽視もはなはだしい。しかも、そのことに自分で気づいていない。

また、みずほフィナンシャルグループ取締役会議長の小林も社外取締役の仕事を舐めてはいないか。 

「お勉強」なんだから、井上が社外取締役を務めている企業は、彼女に社外取締役の報酬を払うのではなく代わりに授業料を取ればいい。

海外のファンド、もの言う株主らから、日本企業は女性の取締役比率をもっと上げるべきだという声が寄せられている状況は知っている。だが、単なる数合わせでは何にもならないどころか、明らかに害だ。

真剣に頑張っている女性社外取締役の人たちにとってもいい迷惑だ。

2024年9月17日

社員の解雇規制より、採用時の差別規制を徹底せよ

自民党総裁選の候補が、企業による社員の解雇規制の緩和を口にし、さまざまな意見が飛び交っている。

その口火を切った感じの小泉進次郎は、解雇規制の見直しによって流動性が高まる、そして労働市場が活性化する、生産性が高まると述べる。しかし、これは画餅に過ぎない。

解雇された労働力が、それを求める成長産業に流入してマッチングが果たされ、働く者も雇用する企業もプラスの効果を得られる、と考えているのだろうが大きな間違いだ。そんなデータはないし、確証もない。

ただし、組合側が主張するように、働く者が解雇されないことで「不安を感じず、思いっきり働ける」というのも嘘だ。不安があった方が、人はしっかり働く。安易な職の安定は停滞にしかつながらない。つまり、思いっきり働くのではなく、働くふりだけ上手くなる方向に進む。

さらには、そうした「安定」というのは、正社員にとっての特権でしかない。たまたま、そう、たまたま入社の仕方が正社員と違ったがために非正規として雇用された人は、いくら能力と実際の成果が優れていても正社員に見劣りする待遇しか与えられていない。これはおかしい。

同じ組織で同じ職につく正社員のAさんと非正規のBさんがいて、Bさんの方がAさんより明らかに優れていた場合、経営者はどう処遇を整えるべきか。可能性として考えられるのは、①AさんをBさんと同じ非正規に格下げする、②BさんもAさんと同じ正社員に登用する、③Aさんを非正規に、Bさんを正社員にする、の3案。

①は社内のモラルに影響を与える。②を実施できればそれにこしたことはないが、人件費が増す。③はそれなりにフェアだと思う。

ぼくは解雇規制は緩和したほうがいいと思う。その代わり、企業などは採用で人を区別してはならないというルールを徹底すること。新卒一括採用をデファクトにするのではなく、より柔軟に人をその能力に合わせて採用することが必須だ。

実際、人材採用に優れた企業は、新卒であろうが中途入社であろうが、能力に合わせて人を処遇している。当たり前のこと。

就職氷河期と言われた2001年、その年の新卒者の就職率はわずか57%だった。そのために、いまだに非正規の職でしか仕事を続けられない人が多いなどという不合理があってはいけない。

合理的に説明のできない正規 / 非正規の区別は、働く人を貶めている。そうした悪弊をすみやかに徹底的に組織からなくすこと。日本の組織の生産性を上げるためには、それが最優先されるべき方策である。

2024年9月14日

リーダーの資質

10日夜、米国のフィラデルフィアで大統領選のテレビ討論会が開催された。米ABCのキャスターの質問に答える形で90分間、カマラ・ハリスとドナルド・トランプが意見を戦わせた。


手元に用意することができるのは、何も書かれていないメモ用紙とボールペン、それとミネラルウォーターだけ。その場で投げかけられる質問に対して、何にも頼らずすべて自分で答える。誰かが書いた原稿を読むだけの日本の政治家とは大違いである。

アメリカの大統領にハリスがなるにせよトランプがなるにせよ、日本の総理大臣はその大統領と高度な交渉をこなさなければならない。だが、どう見てもその日本側のカウンターパートとして相応しい人物が総裁選候補には見当たらない。

アメリカ大統領だけではない、プーチンや習近平とも交渉にあたらなければならないのだが、自民党総裁候補のどの顔もそれら首脳と交渉の場でやり取りをしている姿がイメージできない。

今日、日本記者クラブでそれら候補者が会見に出席し、抱負のようなものを語っていたがどの候補者も具体性がなく、さっぱり理解できなかった。

経済について語った候補が何人もいて、それぞれ「経済成長」、「経済再生」、「所得倍増」といったキーワードを振りまいていたが、どう実現するのか何も語らずじまい。

しかも経済政策について語るのであれば、これまでの「アホノミクス(安倍)」や「新しい資本主義(岸田)」についてまずは総括、反省すべきだろう。

それらについての言及がいっさいなく、ただ経済成長を目指しますとかいっても、当然ながらまるで説得力を感じない。反省だけなら猿でもできる、というが、それすらできない候補ではいかにも心許ない日本のリーダー選出である。

2024年9月13日

演歌歌手がソウルを歌ったらすごかった

ふと聞こえてきたアレサ・フランクリンの "Think"。だが、アレサじゃない。アレサに似たドライブ感・・・。

なんとそれは、日本の演歌歌手の島津亜矢だった。びっくり。彼女が Aya Shimazuの名で出したアルバム「Aya's Soul Searchin' - Aretha Franklin -」からだった。


さっそくアルバムを聴いてみたところ、「Think」「Respect」「A Natural Woman」などアレサの初期の曲が中心に組まれていた。いやあ、ほんとに驚いた。着物姿しか思い浮かばない演歌歌手がこれほどソウルフルな歌を聞かせてくれるとは。

だが考えてみれば、演歌は日本のソウル。それを長年唄ってきているのだから、ソウルを愛する歌心と歌唱技術があれば、確かに唄いこなせるわな。

それにしてもお見事。

https://tatsukimura.blogspot.com/2021/11/blog-post_13.html

2024年9月10日

大手銀行の対応について思うこと

高速道路を走っているトラックに狙いを付け、その車がパーキングエリアに入ったところで「飛び石で高級車が傷ついた」とか 「ボルトが飛んできて当たった」 などと運転手に言いがかりをつける。

そして、彼らの運転免許証をスマホで撮影しては、それを使ってクレジットカードを偽造することを続けていた3人組が捕まったというニュース。

トンデモナイ連中がいたものである。

この事件を受け、警察はむやみに顔写真や住所の入った身分証明書の撮影に応じないように注意を促しているらしい。

それで思い出したのが、先日の三井住友銀行新横浜支店でのできごと。

口座開設のために訪店し、店内の案内係に用件を告げたところ、身分を証明できるものがあるか聞かれたので免許証を出した。「そこに座ってお待ちください」と言われ、しばらく待たされた。

手渡した免許証が気になり、近くにいた行員に免許証を返すように言ったら、「いま奥でコピーを取っていますのでお待ちください」と。 

本人にコピーをとって構わないかと確認することもなく、人の免許証を勝手に複写していたのである。

その支店においてはそれ以外にも首を捻らないではいられないおかしな対応がいくつもあった。近頃の銀行の支店では、こんなことを平然とやってるのかね。

気になって支店長宛にこの件について親展で手紙を送ったが、知らんぷりである。

2024年9月9日

日本の社員のエンゲージメント・レベル

米ギャラップが今年の初めに発表した「State of the Global Workplace Report」は、日本の情けない現状を示している。https://www.gallup.com/workplace/349484/state-of-the-global-workplace-report.aspx?thank-you-report-form=1

社員の組織に対するエンゲージメントを測定する国際調査で、日本は世界125ヵ国中の最下位(イタリアと並んで)だった。エンゲージメントを持っているとする社員の比率は5%。トップである34%の米国と比較すると、その差の大きさに驚く。

この背景には、安倍政権が打ち出した「働き方改革」が影響していると思っている。有給休暇をしっかり取ろうとか、早く帰ろうとか、会社を出たら仕事のメールは見ないようにしようとか、まるで企業で働く大人を子ども扱いして、結果、社員をスポイルした。

休暇を取るなと言ってるのではない。必要であれば、遠慮なく取ることだ。ただし、自分で考えて行動すること。従業員が自由にやればよいことで、人から言われて決めるようなことではない。

政府が箸の上げ下ろしまで監視して注意勧告することで、それまで自然に生まれていた社員と会社の「大人の関係」が薄れてきた。

休め、休め、と言われて、社員にとって、会社はできれば行かなくても済む場所であってほしいところになった。そうした場にエンゲージメントを持てという方が無理というものだろう。

それぞれにとっての働き方を各自が考え、必要に応じたものに変えていく。企業はそれを理解し、支援する。そうした意味での真の働き方改革は必要だ。しかし、それが政府の政策として「働き改革」と括弧に入れられてしまうと、本質から外れた役所の紙の上のアイデアに堕する。

働き方改革関連法案が2019年4月より施行された背景には、日本企業の生産性の低さ(G7のなかで最低)への懸念があったが、施行から5年以上が過ぎた今も生産性の低さは変わっていない。そして、生産性だけでなく、エンゲージメントも日本は世界の最低レベルになった。

本当にやるべき事は何だったのか、振り返ってもいいじゃないのか。

ただこの調査、英語を日本語に直した質問票をもとに調査が行われたはずだが、その際に「エンゲージメント」をどう日本語にしたのかが気になるところはある。

2024年9月5日

パンドラの箱が開いた

『サピエンス全史』が日本でも多くに人に読まれたユヴァル・ノア・ハラリの新作は、Nexus: A Brief History of Information Networks From the Stone Age to AI 。Nexusとは、結びつきとか関係の意味。

ランダムハウスから9月10日の出版予定になっているが、米国の新聞にその一部が掲載されていた。

In the early days of the internet and social media, tech enthusiasts promised they would spread truth, topple tyrants and ensure the universal triumph of liberty. So far, they seem to have had the opposite effect. We now have the most sophisticated information technology in history, but we are losing the ability to talk with each other, and even more so the ability to listen.
人間同士で話し合う能力を失いつつあり、ネット上のボットをまるで自分の友人や恋人のように感じて「つき合って」いる人たちがすでに世の中には少なからずいるらしい。

その本では、2021年にウィンザー城に侵入してエリザベス女王を暗殺しようとした若者が、彼のガールフレンドであり、指南役のチャットボットからその指示を受けていたことや、2022年に当時グーグルのエンジニアだった男性が、自分が開発したチャットボットが意識を持っており、電源を切られることを死と感じて恐れていると主張し、そのボットを守ろうとした末に会社から解雇されたことが紹介されている。

驚きだ。人間の心情を理解し、推測し、自己の生存を守るために人間を騙すことすらおこなうAIが誕生していることが明らかになっている。

AIはただ賢い(計算が速い)だけでなく、すでに人間のふりをして「そこに存在しようとする」ことを覚えてしまったらしい。

それを阻止するためにはどうしたらよいのか。アルゴリズムで解決できるのか。いやそれは難しそうだ。アルゴリズムが人の心理を誰よりも学習し、自ら各種のコンテンツを作成して人間を欺くことができるようになっている時点で、それを人間がアルゴリズムで解決するのは無理というものである。

ではどうしたらよいかといえば、現状では分からない。人間のこころのポケットに、いつの間にか忍びこむ悪魔が登場したともいえる。

ハラリは、ボットが人間のふりをする行為は禁止されるべきだと警告を発する。そして、大手テクノロジー企業やリバタリアン(自由至上主義者)が、そのような措置は言論の自由を侵害すると不満を言うなら、言論の自由はボットではなく人間に与えられるべき人権であることを彼らに思い出させるべきだと主張する。

問題はすでに顕在化しているが、解決への道筋は遠そうだ。なにより一番難しいのは、ロシアや中国、北朝鮮を含めた全世界で徹底したルール作りができない限り、有効的措置にはならない点である。