三菱重工が旅客機開発から事業撤退すると発表した。国産初のジェット旅客機として期待されていた「スペースジェット(SJ)」だ。
これまでにかけた開発費用は1兆円で、税金が500億円投入されているなどの報道がなされている。
カネのことはここでは置いておくとして、流れてくるニュースからはいかにも日本人らしい思考スタイルと意思決定が明らかすぎるほど見て取れる。
そもそもの発端は経済産業省の旗振り。そこが今から20年前に小型航空機の開発プロジェクトを起ち上げたことに端を発している。それを受けて三菱重工が子会社として三菱航空機を設立し、「三菱リージョナルジェット(MRJ)」の名称で事業をスタートさせた。
戦後に日本で開発された旅客機はプロペラ機のYS11のみ。それも今から50年前に生産終了になっている。MRJ、今のSJへの期待は否が応でも高まるというものだろう。それがまず良くなかった。
日本人というのは、期待が高まり気分が高揚してくると判断があまくなる。太平洋戦争での悲惨な戦歴を振り返ればあきらかだ。これにさえ成功すれば・・・、という思いが強くなればなるほど、希望的観測だけがふくらみ、慎重な計画と合理的な判断ができなくなる傾向にある。
今回の撤退に至った要因を専門家らが指摘しているので、いくつか拾ってみたい。
日本は開発が途切れていたのだから、もっと小さい飛行機から試せば良かったのだが、航空会社の要望もあって、一足飛びに90席クラスの旅客機に挑戦した。
三菱重工というと、あの零戦を製造した企業というのがすぐ思い浮かぶ。社内なら尚更のことだろう。資源が限られた大戦中ですら自分たちはあのような優れた航空機を開発できた、という自負があった。その頃と今をつなぐ具体的なものはほとんどないにもかかわらず。「自分たちならできる(はず)」という無謀な自信の存在。
顧客(航空会社)の要望を優先させたというのも、いかにも日本企業らしい。それぞれの航空会社にあわせた外装のペインティングや機内設備のカスタマイズならともかく、製造機メーカーの基本戦略に関わることを目の前の客の声で決定する愚かさ。本当の意味での「顧客主義」とはそうした考えとは別ものだ。
当初、ボーイング社とコンサルタント契約した際に、同社737製のコックピットの使用を提案されたが三菱は断った。一緒に開発していれば、型式証明もうまくいっただろう。
型式証明取得を甘く見ていたからだろう。経験がないにもかかわらず、うまくやれると無根拠に考えていた。肝心の型式証明を出すかどうかは相手次第。つまり、アメリカさん次第なのである。その是非を言ってもしかたなく、とにかく相手の求める線で認めてもらうほかないのが現実だった。
そもそもエンジンはプラット&ホイットニー社製を採用しておきながら、コックピットはなぜ自社製にこだわったのか。
もう日本では国産のジェット旅客機は現れることはないのだろう(ホンダ・ジェットは日本産ではない)。 日本の各重工メーカーは、これからも米ボーイングと欧エアバスの下請け企業として機体の一部を生産し続けるだけだ。
15年かけて結局ギブアップした要因は、貧困なマネジメントにあると見ている。詳細はこれから専門家とジャーナリストがまとめてくれるだろう。