新聞一面トップの見出しに「副業容認で社員育成」とあった。
それによると、副業を認める企業が日本でも増えてきたというのだが、なぜ今なのか不思議である。紙面では理由として能力の開発、ネットワーキングなどとある。
ならば、なぜ今ごろになって? そうした効用があると理解しているのなら、そうした日本企業はなぜこれまで認めてこなかったのか?
他社の真似と、ブームに多少乗って「我が社は従業員重視のやさしい企業」というイメージを付けたいだけじゃないのかと勘ぐってしまう。
そもそも、時間と避ける労働時間が限られている副業で、あらたな能力を身につけるのは容易なことではない。多くの場合は、せめて現業での専門性に自信のある人が、それを場を変えるなど横展開するのがせいぜいだ。
ただ、副業で稼ぐということは、ひとつの会社の事しか知らないサラリーマンが他流試合を行うようなもので、自分の甘さや視野の狭さ、足りない点に気づくにはよい方法だと思う。
その結果、自分の能力の棚卸しをすることができ、セルフラーニングの大切さに気付き実行するようになれば、確かに能力開発につながるかも。
我が身を振り返れば、ほとんど新入社員の頃から副業をやっていた。本業である広告会社でのコピーライター業に加え、アルバイトで企業の広告制作を頼まれてコピーを書いたり、企画書をまとめていた。付加的な収入もあるが、ただただそうした仕事をたくさんやっていたかったのが理由だ。
自分が「外の世界」でどれだけ人から評価されるか、今でいうエンプロイアビリティを磨きたかったからといえる。
仕事が好きだったのは、学生時代からのことだ。大学3年の時には、日本を代表する大手通信会社の正社員として働いていた。週に3日、夜8時から12時までの仕事だった。正社員だから賞与も出たし、健康保険証ももらっていた。組合にも入り、ストの時には赤い鉢巻きを巻いてシュプレヒコールをあげていたのは爽快だった。
その時は学生の身分が本籍としてあったので、企業での仕事を醒めた目でというか、自分なりに相対化して眺めることができたのが、今にして思えば大きな収穫だったように思う。つねに「ここではないどこか」を探して複数の仕事を重層的にやってきたそのきっかけは、こうした学生時代の就労経験にある。いずれにせよ、大学の授業があまりにつまらなくて始めた仕事だったが、その自分がいま大学教授をやっているのだから、何をか言わんやである。
ところで、先の新聞紙面によると「人材の流動性が高い欧米では、副業が定着している。米国では労働力人口の3割にあたる約4400万人が主な仕事とは別にフリーランスとしての収入を持っている。一方で、日本では副業を持つ人は数%にとどまる」とある。
そうした米国の労働者にとって、主な仕事とは別にフリーランスでも働くことは、色々な面で重要なセーフティネットなのである。働く場所も、財布も、ネットワークもひとつに絞らないための知恵だ。
人材の流動性が確保され、働き方も自由な米国では、残業過多が理由で精神的に追い込まれた社員が自殺するといったケースはほとんどないのではないか。その方が、よっぽど人間らしい。
日本では就業規則で副業を禁止している企業が多い。週末や休日、有給休暇の間や就業時間後もなぜ社員を管理しようとするのだろう。休みの日はゆっくり休んで英気を養い、また月曜から会社でバリバリ働けるように、との経営者の考えなのかね。
2017年12月29日
2017年12月16日
猫は平和の象徴のひとつ
YEBISU GARDEN CINEMAで「猫が教えてくれたこと」が上映中だ。こんなに面白い映画なのに、都内ではこの映画館を入れて今は2館、横浜で1館が上映しているだけなのが残念。
監督はトルコ人女性のジェイダ・トルン。そして舞台はトルコのイスタンブール。イスタンブールには、国際学会に出席するため今年の3月末から4月にかけて訪ねたばかり。映画にはその時の懐かしい風景がたくさん出てきたのも楽しい。
学会出張であっても、時間を見つけてはひとりでとにかく街を歩く。歩くというより彷徨うのがいつもの流儀。その時も繁華街から1本、2本と裏通りに入り、時間の許す限り地図とコンパスをポケットに歩いたが、時折野良(たぶん)猫に出会ったのを印象的に覚えている。
その時、見かけた猫たち・・・
この映画を観て実は初めて知ったのは、イスタンブールは他でもない「猫の街」だということ。
地面すれすれの猫視線で、イスタンブールの街で生きる猫たちがとらえられている。岩合光昭の「世界ネコ歩き」をイメージしてもらうといい。
監督はトルコ人女性のジェイダ・トルン。そして舞台はトルコのイスタンブール。イスタンブールには、国際学会に出席するため今年の3月末から4月にかけて訪ねたばかり。映画にはその時の懐かしい風景がたくさん出てきたのも楽しい。
学会出張であっても、時間を見つけてはひとりでとにかく街を歩く。歩くというより彷徨うのがいつもの流儀。その時も繁華街から1本、2本と裏通りに入り、時間の許す限り地図とコンパスをポケットに歩いたが、時折野良(たぶん)猫に出会ったのを印象的に覚えている。
その時、見かけた猫たち・・・
イスタンブールの裏街で会った猫たち(にゃん1) |
にゃん2 |
にゃん3 |
こちらはトルコのカッパドキアの猫 |
接近して。。。 |
この映画を観て実は初めて知ったのは、イスタンブールは他でもない「猫の街」だということ。
地面すれすれの猫視線で、イスタンブールの街で生きる猫たちがとらえられている。岩合光昭の「世界ネコ歩き」をイメージしてもらうといい。
映画の中で、「猫は神の使い」という言葉が出てくる。自立し、自由で勝手、人に媚びることもなく生きているからかな。
街に住む人たちが、実に自然に猫に接してやっているのが微笑ましく、その関係に幸せ感がにじみ出ている。
2017年12月10日
鬼ヶ島とも呼ばれる青ヶ島
週末を使って青ヶ島(東京都青ヶ島村)へ行ってきた。
直通の交通手段はなく、八丈島まで全日空機で飛び、そこから東方航空のヘリコプターでわたる。なかなか人気のルート(島)らしく、ヘリの予約は取りづらい。
何年か前、取材で世話になった若者が青ヶ島小学校で先生をしていると聞き、訪ねようとしたことがあった。その時は天候のため八丈島で足止めをくらい、2日待って結局青ヶ島へは渡れず、八丈島の見学だけして本土へ帰ってきたことがあった。
雨や風はたいていのことでは平気らしいが、ヘリは有視界飛行なので霧のために視界がない日は飛行できないし。フェリーは海がしけると出港できない。
有人島としては伊豆諸島の最南端に位置し、東京都心からは360キロほどの距離。小笠原諸島などに比べればそれほどの距離ではないのだけど、アクセスがよくないために、離島中の離島といった印象がある。
島の周囲に浜辺はなく、ほとんどが垂直に近く切り立った崖で囲まれていて、近づき難いことから鬼が島とも呼ばれていたとか。
上の動画は大凸部と呼ばれる島の最高地点の展望台からの360度。ここから島最大の特徴である二重カルデラの地形がよく観察できる。北には八丈島が望める。
民宿で夕食を済ませた後、尾山展望公園に星空を眺めに出かけた。月の出が午後10時半過ぎの予定なのでそれまでは漆黒の空に星が観察できるはずだったのだが、そらの四分の一位を雲が覆っていたので、見上げる空中に満天の星とはいかなかった。
それでも冬の大三角形(おおいぬ座のシリウス、オリオン座のベテルギウス、こいぬ座のプロキオン)がきれいに見え、流れ星をいくつも観ることができた。
直通の交通手段はなく、八丈島まで全日空機で飛び、そこから東方航空のヘリコプターでわたる。なかなか人気のルート(島)らしく、ヘリの予約は取りづらい。
何年か前、取材で世話になった若者が青ヶ島小学校で先生をしていると聞き、訪ねようとしたことがあった。その時は天候のため八丈島で足止めをくらい、2日待って結局青ヶ島へは渡れず、八丈島の見学だけして本土へ帰ってきたことがあった。
雨や風はたいていのことでは平気らしいが、ヘリは有視界飛行なので霧のために視界がない日は飛行できないし。フェリーは海がしけると出港できない。
有人島としては伊豆諸島の最南端に位置し、東京都心からは360キロほどの距離。小笠原諸島などに比べればそれほどの距離ではないのだけど、アクセスがよくないために、離島中の離島といった印象がある。
島の周囲に浜辺はなく、ほとんどが垂直に近く切り立った崖で囲まれていて、近づき難いことから鬼が島とも呼ばれていたとか。
上の動画は大凸部と呼ばれる島の最高地点の展望台からの360度。ここから島最大の特徴である二重カルデラの地形がよく観察できる。北には八丈島が望める。
民宿で夕食を済ませた後、尾山展望公園に星空を眺めに出かけた。月の出が午後10時半過ぎの予定なのでそれまでは漆黒の空に星が観察できるはずだったのだが、そらの四分の一位を雲が覆っていたので、見上げる空中に満天の星とはいかなかった。
それでも冬の大三角形(おおいぬ座のシリウス、オリオン座のベテルギウス、こいぬ座のプロキオン)がきれいに見え、流れ星をいくつも観ることができた。
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