2017年6月30日

ワイダの残像


アンジェイ・ワイダの遺作になった『残像』を観に神保町の岩波ホールへ。英語タイトルは、Afterimage。 


映画の主人公ストゥシェミンスキは、実在の人物。ポーランドを代表した前衛画家で、抽象画を精力的に描くかたわら、芸術大学で情熱的に教鞭を執っていた。

第二次大戦が終わり、ポーランドが旧ソ連の支配下におかれ、そこでは芸術すらも社会主義的イデオロギーを表出したものだけが認められ、社会主義リアリズム以外の芸術作品はすべからず排斥された。

視覚理論について大学の講義のなかで語るシーン、彼は残像について語る。残像に映る色は「実際に見たものの補色なのだ」と語る。

自由な創作活動を主張し、スターリン的な全体主義を標榜する政府官僚とことごとくぶつかる彼は、「無認可」の芸術家というレッテルを貼られ、そのために絵を描く画材すら店で買えなくなる。やがて大学の職を奪われ、作品を発表する場所や機会も完全に失い、日々の食事にも窮するようになる。

やがて、そうした状況は彼を心身ともに追い詰め、最後は自らの芸術家としての誇りもなげうって得た洋装店の店頭ディスプレイの仕事をしている最中に倒れ、息を引き取る。

映画は彼が倒れた後、その娘であるニカ(気丈な娘役をしているブロニスワヴァ・ザマホフスカがいい!)が息せき切って訪れる病院のベッドで、シーツにくるまれたストゥシェミンスキを彼女が見つめているシーンで映画は終わる。

ニカの頭の中には父親の残像が映っていたのだろう。

途中、彼に救いの手を差し伸べようとする政府官僚が現れる。政府への批判をやめ、政府が決めた芸術があるべきとする方針に沿って活動さえすれば、大学に復職できるし、それなりの生活が保障されると囁く。

実際、画家に限らず、詩人などその時代の多くのポーランドの芸術家は、何らかの転向を余儀なくされ、それで生き延びた。しかしストゥシェミンスキは、それを頑なに拒み、自らを貫き通し、最後は非業の死を遂げる。

その生き方の是非を誰も断定することなどできない。ワイダが描いたのは、実際にポーランドに生きた一人の芸術家の、悲惨な時代背景における苦悩と闘いと死である。

これもまた、現代人に突きつけ得られているひとつの「残像」、つまり「補色」なのだ。

全体的に舞台演出のような人物の動きが気になったが、一人の人間が巨大で強固な国家という権力にいかに抵抗しうるのか、いかにもワイダらしい骨太のテーマが描かれた本作は劇場を出た後の足取りを確実に重くするほど重厚で心にズシンとくる映画だった。


ストゥシェミンスキは、学生たちに向かってこう言う−−−「芸術と恋愛は、自分の力で勝負しなければならない」。そうなのだ、芸術と恋愛と○○は、自分の力で勝負しなければならない。誰もがそうした○○を抱えているはずだ。


2017年6月29日

アマゾンとヤフー

先日、大学院のゼミにアマゾンのディレクターを務めている友人に来てもらった。アマゾンのビジネスの進め方や経営方針などについて話をしてもらったのだが、その顧客中心主義の考え方に改めて感心をした。

彼らのモットーは、「世界で最もお客様を大切にする企業であること」。他にない数々のサービスもすべていかに顧客に愛されるか、顧客の欲しいものを欲しいタイミングで欲しいように届けるか、ということを追求したことから生まれた。

かつてドラッカーが「企業の目的は顧客の創造」であると喝破したように、最終的にはどんなビジネスであろうと、一番顧客に求められている企業が勝つのである。シンプルだが、ビジネスの本質をついている。

このこと、多くの経営者が頭ではきっと分かっていてるはずだが、実際にそのために自分たちが何をなすべきか、何ができるのか、どのようにやるのかといったことを常に全力を振り絞って考え、そしてそれらを実行に移してる会社は決して多くない。

アマゾンの凄さは.そうした当たり前の考えを数十万にいる社員すべてが共有し、日々そのために頭も体もフル活動させていることなんだと思う。

先日、大手通販サイトのヤフーショッピングを運営するヤフーが出展者に対してサイト内の広告を出すように働きかけるページに「通常の検索結果と差異のないデザインで表示されるため、いかにも広告という印象を与えずにお客様にアピールできる」と記載していたことがわかった。

つまり広告である事を隠した広告である。どうも今はそうした行為を「ステルスマーケティング(ステマ)」と呼ぶらしい。フリマ(フリーマーケット)ならまだ分かるけど、ステマだって。へんてこりんな、嫌な言葉である。マーケティングの本質を何も理解しない人が作った言葉だ。こうした広告のことは、妙な横文字を使うまでもなく、詐欺広告または詐欺的広告と呼べばそれでいい。

日本で誰が使い始めたのか知らないが、「こういうのってステルスマーケティングって言うんだぜ、みんな」みたいなことを生かじりの浅薄な人物がどこかで言い始めたのだろう。それに乗る連中も連中だが。

ところで、彼からアマゾンについてゼミで話をしてもらったなかで一つ大変印象的だったのは、アマゾンは日々集まる膨大なデータを分析するに際して、決して顧客のプロフィール情報は用いないようにしているということだ。

なぜか。一つには、もしそうした個人情報が漏洩した際に受けるとてつもないマイナスのインパクトを考えてのリスクマネジメントがあるのだろう。そしてもう一つは、あくまで個人のプライバシーを尊重するという創設者であるジェフ・ベゾスの考えの表れである。

そうしたしっかりとしたポリシーがあり、それが守られているからこそ、アマゾンは信頼され続けているのだと思う。

2017年6月23日

電車の中で

先日、帰宅途中の車内で見かけたサンドウィッチマン風のおじさん。


多くの日本人が同じような考えを持ち、だけどどこにその気持ちをぶつけていいか分からず、鬱屈した思いでいるはず。日本だと駅や電車の中で声高にそうしたこと叫ぶとたちまち警察に通報され、駅員に「ちょっと来なさい」とつまみ出される。

そこでこの男性が考え出した方法が、この自己看板戦法だ。これなら誰からも迷惑だと文句をつけられない。

2017年6月17日

ボウズ1000円

土曜日の早稲田大学正門通り。大学から歩いて5分ほどのところにある床屋の店頭。男性1300円はQBハウスといい勝負だが、女性1400円はどのような仕上がりなのだろう。ちょっと気になる。


2017年6月8日

マーケティング、授業終了

昨日、授業終了後、大隈通り商店街にある店で打ち上げの懇親会があった。

夜7限の授業が終わった後だから午後8時40分から10時すぎまでの1時間半ほどだったが、社会人大学院生らしく限られた時間のなかで濃密に交流した飲み会で面白かった。

学生たちから大きな花束をプレゼントされ、帰りの電車に持ち込むのが小っ恥ずかしかったナ。