2025-12-13

しーちゃんのこと

ふた月ほど前のある日、近くでノラの猫と、のちにその飼い主になる若い女性と知り合った。

鶴見川水系の一つである鳥山川沿いの道を自転車で走っていたとき、橋のたもとで女性がしゃがみ込んで猫を撫でているのが目に入った。

この近くにはノラたちが何匹かいて、地域の猫好きの人たちによって世話をしてもらっているので猫たちもそれなりに人に慣れているのだ。

きょうも通りすがりの猫好きの人がそうした猫の一匹を愛でてやっているのだろうと思って通り過ぎたが、なぜか気になって自転車を止め、通り過ぎた場所へ戻った。

彼女にどうかしたのか訊ねると、猫が怪我をしているという。見てみると、鼻の先がない。鼻がぽっくりとえぐれているのである。しかも、からだ全体はガリガリで極度に衰弱し、ほとんど動かない。これはただ事じゃない。

彼女は、前日もこのニャンと同じ場所で会っていて、その時から具合が悪そうだったのが気になってこの日も様子を見に来たのだという。 

ノラ猫をどう面倒みるかは難しい。行動を起こせばその結果があり、相手が生き物だけに行動には責任がともなう。

ちょっとした逡巡はあったが、その場に放置すれば翌日にはこの猫はおそらく死んでいるだろうと思ったので、動物病院にそのOさんとで連れて行くことにした。歩いて10分ほどのところに、新しく開業した動物病院があることを思い出したから。

プール帰りの僕のリュックにはバスタオルが入っていたので、ニャンをそれで包んで病院に持ち込む。まったくの初診、しかも持ち込んだのがノラなので受付の女性から訝られるがゴールドのクレジットカードを見せて押し切る。

そうして獣医に観てもらったのだが、怪我の具合と全身の衰弱がひどすぎるのでその病院では対応しきれないと言われ、妙蓮寺駅にある治療体制の整った大型の動物病院の名を紹介される。 

突然ノラを持ち込んでもまたそこでも受付で時間を取られると思ったので、その場でその動物病院に電話をかけ、途中で目の前にいる獣医師にスマホを渡して獣医師間で状況をできる限り詳しく伝えてもらった。

タクシーをつかまえ、妙蓮寺駅近くのF動物病院へ向かった。そこで数時間かけ念入りに検査をしてもらう。免疫異常、胆嚢種、リンパ種、腎臓肥大、肝臓異常、その他覚え切れないほどの症状を伝えられる。鼻先がもがれて軟骨が完全になくなっているのは、原因がはっきり分からない。外的な力による損傷なのか、体内の感染症からなのか。

特に問題だったのが、赤血球数の減少がはげしかったこと。極度の貧血状態にあり、先生に勧められて輸血をしてもらい、そのまま入院。歳は4歳から10歳くらいの間だろうと言われた。その年齢の幅の広さが、これまで生きのびてきた環境の過酷さを物語っている。

僕が川っぷちで会ったOさんは、そうしたなかで旦那さんと連絡を取り、保護猫としてのちに「しーちゃん」と呼ばれるその猫を受け入れる覚悟を決めた。

そのまま数日間入院し、退院。Oさんらに大切に面倒をみてもらい、少しずつだけど体重も増えてきた。そうして彼女からときどきしーちゃんの写メがスマホに届く。

あるとき、彼女からまた手術をすることになったという連絡がきた。栄養状態が改善して全身の体毛が伸びてきたのだけど、シッポだけまったく毛が伸びないので動物病院で診てもらったらシッポが壊死していると言われたのだ。

原因は、シッポの根元に輪ゴムかタコ糸のようなものできつく縛られていた跡があったことから、そのせいでシッポが壊死していたのだろうと。骨には異常がなかったので、レントゲン検査では気がつかなかったらしい。

そして、壊死したシッポを切断することに。赤血球数がまだ回復していないので、切断手術後には強度の貧血を再発した。いやはやニャンとも大変である。

シッポが切断されてなくなり、手術のためにお尻のまわりの毛をすっかり刈り取られたしーちゃんの写真が送られてきたときは、なんとも言えない気持になった。

輪ゴムだかタコ糸だか分からないが、誰が何のためにそんな悪さをしたのか、向ける先のない強い怒りが沸く。ノラ猫に何の恨みがあるというのか。 

振り返って思うのは、もしこの猫が人間に強い警戒感を持っていて人に近づくことなどなかったら、こんな酷い目に遭わされることはなかったんじゃないかということ。

ただ一方で、人懐っこくなければ、あの日、彼女と僕に動物病院に連れて行かれることもなく、その後、保護猫として引き取られることもなかったのだが。

ノラの一生は厳しく、複雑なのだ。とにかく少しずつでも元気になって、何とか生き続けて欲しいと思っている。 

2025-12-11

ホームに降りたら、熱い一杯のコーヒー

新横浜駅の新幹線ホームに、スターバックスの店が登場した。

今日立ち寄ったとき、店のスタッフと話してみると、「新幹線ホームのスターバックスは世界初なんですよ」と言われてちょっとびっくり。

帰宅して少し調べて見ると、ネット上のニュースでは「日本発」となっている。ただ、「新幹線」は日本にしかないから日本発は世界初と言ったのも嘘ではないかな。

この「Brewed to Go」と名づけられた店は、下りホームにしかない。新幹線の停車時間にコーヒーを買うのは無理だから、利用できる客は新横浜から新大阪など西へ向かう乗客と僕のように東京から乗ってこの駅で降りる客だけ。

商売を考えたら、ホームはホームでも東京駅に設置した方が確実に儲かる。ただ、客が多すぎて混雑してオペレーションが難しくなる。その点、新横浜駅の乗降客は東京駅とは比較にならないから、パイロット店としては好ましいのかもしれない。

新横浜駅は駅ビル内にスタバが2階と3階の2店入っているので、そこへ行けばいいだけなんだけど、ホームで降りてすぐ熱い一杯のコーヒーというのも今のところ悪くない。 


2025-12-10

SNSを使用禁止にしたらいい

オーストラリアでは明日から16歳未満のSNS利用が禁止される。大変結構なことだと思う。これは、かの国では大人たちが子供たちのことを真剣に考えている証拠だ。

禁止対象となるのはインスタグラム、フェイスブック、スレッズ、スナップチャット、ユーチューブ、ティックトック、キック、レディット、ツイッチ、X(旧ツイッター)の10のプラットフォームである。

登録時の年齢を偽ったりするなど抜け穴もあるようだが、いずれにしても多くの子供たちがSNSを使わなくなることで救われるはずだ。

そして、オーストラリア以外に同様の措置を検討している国もニュージーランドや欧州のなかから次々出てきている。


さて日本はどうかというと、今のところそうした規制への動きはない。政治家も官僚も子供たちが苦しもうが犯罪に巻き込まれようが、知ったことじゃないのか。

ボクは、日本ではSNSを完全に使えなくしてしまえばいいと思っている。つまり、年齢を問わずだ。自分がSNSと呼ばれるものをやっていないからというのもあるが、SNSをやって得られるプラス面と、そのことで個人や社会が被っているマイナス面を考えたとき、はるかにマイナスの方が大きいと考えるから。

若い人たちのなかには、SNSが使えなくなると友達とのやりとりができなくなると心配する人たちがいるが、以前はもともとSNSなんてなかった。連絡が必要な時は、普通に電話をした。それでいいじゃないか。なんなら手紙を書いたっていいんだよ。Eメールもあるし。

もし国民すべてにおいてが無理であれば、まずは未成年のSNS利用を禁止すればいい。オーストラリアや他の国が16歳未満と言うのであれば、日本では20歳未満というのが妥当なところだろう。

まずは1年やってみて、どうなるか見てみればいい。最初は不便だとかなんだとか不満も多いだろうが、どうせすぐに慣れてしまうはず。

自分だけSNSが使えなくなると友人間のやりとりで除け者にされ、たちまち阻害感を抱いてしまうような若い人たちも、周りも一斉に使えなくなればそんな心配をする必要もない。

SNSを運営する企業は、そうした規制に対して「言論の自由を犯すものだ」などとやけに大げさな言い方で反発してるようだが、ただ彼らの商売のネタが一つ無くなるだけの話で説得力はない。

オーストラリアのアルバニージー首相は、「これは、『もうたくさんだ』というオーストラリアの意思表示だ」と述べる。また「オーストラリアが世界をリードしてきたほかの偉大な改革とともに、これが受け入れられるだろうと、私は考えている」とも。

赤信号みんなで渡れば怖くないんじゃないが、日本でもSNSなんてみんなでやめてしまえばよいのだ。それが、ささやかながら今の日本を少しでも明るくする方法のひとつであることは間違いない。

2025-12-09

The 67 Most Stylish People of 2025

ニューヨーク・タイムズが、The 67 Most Stylish People of 2025を発表。映画スターやラッパー、ロックスターなど多士済々で、スポーツ界からは数少ないなかでドジャーズの大谷翔平が選ばれているのが嬉しい。メキシコの大統領、クラウディア・シェインバウムも選ばれてた。

 
そのなかで、僕が一番気に入ったのがこの彼だ。これは、ニューヨークのメトロポリタン美術館のガラでの風景。すげえ笑える。

2025-11-29

全会一致の気持ち悪さを感じた今回の市長辞職

群馬県という地味な県が、彼女によって注目を浴びていた。

前橋市長の「ラブホテル密会」事件である。出来事そのものが扇情的な要素をひめたものだっただけでなく、彼女の密会の釈明も結構笑えるもので、格好のメディアネタだった。

結果、市長は退職願を提出し、そして昨日の市議会において全議員が同意。彼女は同日付けで辞職となった。

これが日本的な筋の通し方なのかもしれないが、疑問が沸かないではない。

ラブホテルに一緒に行った相手が既婚の男性市職員だったということだが、そのことで誰かを傷つけたり、市に損害を与えたのだろうか。

報道では相手の男性が「既婚」だったことが常に表記されるところから、メディアも世間も不倫をとがめていることがうかがえる。

確かにその男性の配偶者や家族にとっては不愉快な出来事だろう。だが、こうした痴話ごとは、当事者間の問題として解決すべきことじゃないのかね。

このことが、市長だからといって社会的に責任を問われることだろうか。道徳上けしからん面はあるが、行政府の長としての仕事内容やその手腕などは一切語られないまま、「ラブホテル」「市職員」「既婚男性」の3つのキーワードでストーリーが完全に固まってしまった感がある。 

そして、そうした社会の風潮を受けて市議会の議員が全員辞職に賛成したというのは、情けなくはないか。なんだかそこからは全体主義的な雰囲気を感じさせる今回の出来事だったように思うのだ。

 

2025-11-26

バイアスで歪んだ司法のマインドセット

2025年の参院選での1票の格差を問う判決が出そろった。

最大格差3.13倍の格差を放置したまま実施された今年7月の参院選の投票価値を問うていた16件の訴訟で判決が出た。

結果は、違憲状態としたものが11件、合憲が5件である。なぜ合憲と判断できるのか有権者のひとりとしては理解からほど遠いが、それらを踏まえて来年、最高裁がどう判決を下すかに注目したい。

最高裁判決といえば、参院選の1票の格差をめぐって、裁判官らが2010年の選挙(格差5倍)と2013年の選挙(格差4.8倍)を違憲状態とした一方で、2016年の選挙(格差3.1倍)と2019年の選挙(格差3倍)、2022年の選挙(格差3倍)は合憲としている。

数字からみると、裁判官らは5倍を大きすぎる格差と見ている一方で、3倍の格差は許容範囲と考えていることがうかがえる。これはどうしたものか。あまりに見方がヘンじゃないか。

常識的に考えれば、たとえ2倍だってその格差は大きすぎる。2倍の地域の有権者にとっては、自分の投票の重みは半分しかないのだから。 

裁判官らはどうしてこうも非常識な判決を平気で出せるのだろう。お上に楯突くのがそれほど厭なのか。なら、裁判官など辞めてしまえと言いたい。

違憲判決を出した裁判官ですら、その言い分は「違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態にあったと言わざる得ない」と、ミョーな言い回しをしている。

「不平等状態にあった」となぜはっきり言わないのか。これもまた、政府に対して慮った腰の引けた姿勢であることが見て取れるのである。 

あらためて、日本の司法もそれほど信用できないと思っていた方が無難そうだ。 

2025-11-11

10年に1度だからと、こんな対応に我慢すべきか

パスポートの更新のため、センター南駅構内にある県のパスポートセンターへ出かけた。

そこは申請用と受付用で合計7つの窓口があるのだが、どの窓口もガラガラ。これなら、さっさと手続きが済みそうだと嬉しい予感。ところが・・・

あらかじめ外務省のサイトで作成し、自宅でプリントしておいた申請書を窓口に出す。すると、係りの女性が物差しを取り出して申請書類にいろんな角度で当てだした。一体なにをやっているのかと思って見ていたら、「上の白紙部分が3ミリ長いです」と言う。

何のことか分からず説明を求めると、書類の書き始めまでの余白が3ミリ長いため申請書を受け付けられないと言う。24ミリでなければならないのが、27ミリあるからだからダメだと。

上を3ミリ分縮める必要があるのであれば、その分カットしてくれと言ったら、それはできないと言う。

カットできないのであれば、コピー機で101%に拡大してくれといったら、コピー機は使えないと返ってくる。まったくお手上げ、木で鼻を括ったような対応。

忙しくて人手がないというわけではない。7つある窓口には僕以外の客はいないのだから。閑すぎて、物差し片手にミリ単位で書類のチェックをするしか仕事がないのだろう。

仕方なく、その場で新たに紙の申請用紙に必要事項を記入し直す羽目になった。

と思ったら、今度は写真だ。写真に写る顔が2ミリ小さいので受け付けられないと言う。ここの窓口担当も物差し片手にしゃべっている。写っている顔写真の頭の部分から顎までの長さが2ミリ足りないので、写真の撮り直しが必要だと言う。

顔の長さが2ミリ小さいと、パスポートとして出入国の際に不都合が出るとでもいうのだろうか。これまた中身のない、お役所仕事の典型。かつ、閑な職員の時間つぶしなのだろう。

仕方ないので、同じ建物の2フロアー上にある証明写真のインスタント撮影機に再び1000円札を滑り込ませて撮影した。

すると、窓口の女性曰く、今度のも小さいと。苦虫をかみつぶしたこちらの顔に気づいたのか、「奥で確認してきます」とその写真をもって裏の事務所スペースへ消えた。

こちらが待つカウンターへ戻って来て、「再撮影されたものなので、これで受け付けます」と。どういうこと? 再撮影だろうが、再々撮影だろうが、それは関係ないことである。

そうしたことを判断の基準にしていること自体が、完全に不適切なことすら分かっていないみたいだ。

さらには、「受け付けます」といったかと思いきや、写真を詳細に眺め、「頬の横あたりが少し緑がかっていますがいいんですか」とか「眼鏡のフレームの影が頬に映っているようですが、いいんですか」と訊いてくる。

想像するに、パスポートセンター付属の写真スタジオで撮影をやり直させたい模様。見合い写真じゃあるまいし。写真スタジオと何か利害関係でもあるのか。 

最後、「書類内容を審査して26日以降の受取になります」と言われたが、平気で「審査」という言葉を使う神経に怒りを感じる。

審査とは「詳しく調べて適否や優劣などを決めること」。パスポート申請の書類には名前とそのローマ字読み、住所、本籍、生年月日、緊急時の連絡先しか書かれていない。それを「審査」するというのは言葉遣いが間違っている。確認なら分かるが、審査には「発給してやる」というお上根性がベースにある。明らかに上下関係の存在を前提にしているわけだ。 

とにかく彼らの仕事は、県民が提出した申請書類に書かれた名前や住所などを住基ネット上のデータと照合するという単純なもの。正規職員をオフィスに何人も配置してやらせる仕事ではなく、AIで完全に代替できる。

10年用のパスポートなので、県のパスポートセンターでそれを受け取ったら、もう人生のなかで二度と行くことはなさそうだし、行きたくもないと思っている。 

ところで写真のサイズと云えば、先日、運転免許証の更新をしたとき、こちらは逆に写真に写っている顔が大きすぎると言われて、最初、受付を拒否された。 

警察署の担当窓口の女性に言わせると、肩幅がちゃんと分かるような写真でないとダメだと。その理由を尋ねたら、両肩が写ってないと「体格」が分からないからだと言う。

免許証に貼られているようなサイズの写真で体格まで見ようというのが、どだい無理なのではないか。

写真で体格が分からないとダメだというなら、シャツやジャケットを着たままの写真ではもともと無理なのは明らか。警察は、体格を言うのであれば男であろうが女であろうが上半身裸の写真を免許証に要求すべきだ、なぜそうしないのかと迫ったら黙ってしまった。

そして、運転免許証用の写真は撮り直さずに済んだ。やれやれ。

どちらも仕事は閑な奴らにやらせてはダメだという見本。 

 

2025-11-09

米国内の風向きが変わってきた

米国の企業で人員の削減が本格化してきた。今年の1月から9月までの統計で約95万人、昨年同期比で5割も増した数字が報告されている。

主要な理由は2つ。まず、AIの本格的利用が進み、プログラミングなどをしていたエンジニアや一般のホワイトカラーが不要になってきたこと。

この傾向は間違いなく加速し、AIにとって変わられる職種や能力はますます拡がって行くことが予想されている。

もう一つの理由は、トランプ関税の影響である。消費関連分野の不況感によって小売りや物流関係で人員削減された数がそれぞれ3倍、2倍と増えた。

例えば、フェデックス・エクスプレスやDHLと並ぶ貨物運送会社であるUPSは先月末、4万8千人を削減した。関税の強化によって国際物流の取扱量が減少、とりわけ中国からの小包数が激減したためだ。


そして、マイクロソフトやアマゾン、シティグループといった大手IT企業、大手金融グループがAIによる効率化を睨んで人員整理しているのは、ちょうど今、トランプ関税の影響で他の分野で人減らしが行われているのをうまくカモフラージュにしているように思える。

今年の1月から9月に行われた米国のこの人減らしが第一弾だとすると、これから第二弾、第三弾と続いていくのは間違いない。

先日の米国での選挙で、ニューヨーク市長、ヴァージニア州知事、ニュージャージー州知事にそれぞれ民主党の議員が選ばれたのは、こうした米国内の雇用に関する潮流の起こりを人々が肌で感じ始めているから。

 大口を叩いてきたトランプの数々の政策も、その嘘っぱちさとその綻びが一般国民にも見えてきたことの証明だろう。 

AI解雇、AI離職に話を戻せば、これは米国内の企業だけの話ではもちろん済まない。

タカ市政権のもとで、日本企業も徐々に同じ考えに舵を切り始めるようになると僕はみている。自民党への企業献金は、そうした時のためになされているのだから。 

2025-11-02

原稿用紙60枚分、誰が読むのか

あるサプリを探して製薬会社のサイトを見ていたら、ちょうどそのサンプルパックの販売をしていた。

通常品の三分の一以下の価格。ならば、まずはそれを試しに頼もうと注文フォームに記入をはじめた。

送付先などを記入したあと、「個人情報の取扱い」についての文面へのチェックを求められる。自分では読まずに印だけつける。

次にクレジットカード情報の記入を求めてきたあとは、その会社の「ショッピング規約」だ。こちらも「読んだ」とのチェックが必要だ。

どちらも長文だ。AIに文面を読ますついでに文字数を調べて見ると、それぞれ14,500文字と9,800文字だから両方で24,300文字。400字の原稿用紙だと61枚分、A4のワード文書だと20枚くらいか。

これらをちゃんと読もうとすると大変だ。少なくとも2、30分はかかる。だから、誰も読まない。何が書いてあるか分からないまま皆「読んだ」、つまり「了解した!」と表明する。

考えてみれば、これってとても危険なこと。個人情報をどう扱われようが不満は言えず、後で文句を言っても完全に無理。

本来、消費者保護のために制定された法令に沿って企業がこうした文書を作成しているはずなのにやっていることは形だけ。運用の仕方が間違っている。 

AIにこの手の文書を代わりに読ませチェックさせると、必ず注意が必要との問題点をいくつか指摘してくる。本来は不用意に✓するべきものじゃなさそうだ。 

形式だけで実態など皆無。企業と消費者、こんなことやってちゃダメなんじゃないのかね。 

2025-11-01

日本企業はアマゾンを模範とするか、他山の石とするか

アマゾンが1万4,000人の従業員を削減すると発表した。半端な数じゃない。業績は好調なのに、なぜ今アマゾンはそうした多数の人員整理をするのか、各方面から疑問の声があがったのも当然だ。

アマゾンの作業員で思い出すのは、映画「ノマドランド」(クロエ・ジャオ監督)で描かれた巨大倉庫で働く人たちだ。様々な理由から住む家を失ったり、家族と別れて暮らすようになった人たちが、ノマドのようにバンでアメリカ大陸を流れながら生きていく姿が描かれた映画で、アマゾンの倉庫は彼らの命綱ともいえる職場だった。 
https://tatsukimura.blogspot.com/2021/04/blog-post.html

同社の社長、アンディ・ジェシーはCNNのインタビューに応え、今回の人員削減は金銭上の理由ではなく、アマゾンの企業文化のためだと説明していた。

彼によれば、アマゾンは以前よりもはるかに多くの人員を抱えるようになり、階層も増えていった。その結果、気づかないうちに(気づけよ!)実際に仕事をしている人たちの主体性が弱くなっきたからだと。
 
で、それを改めるためにに今回人員削減をするというが、それは本当だろうか。アマゾンの今四半期売上は前年同期比で10%増えて1,800億ドルに達している。

日本企業であれば、少なくともこうした好業績を上げている時期に大量の人員整理は行わない。ただし、それが企業経営として良いことなのかどうかという話はまた別だ。
 
僕は、アマゾンの経営者が言った人員削減が財務的な理由ではなく、アマゾンのカルチャーを保つためのものだという説明を信用はしていない。カルチャーという、取ってつけた理由はあっても一部だろう。

アメリカの企業の強さは、経営者がこうしたドラスティックな人員削減を臆さず行えるところにある。日本の多くの経営者は、こうはいかない。アマゾン経営者の今回の意思決定は、日本企業の温情主義ともいえる経営スタイルの是非を問いかけている。

日本の企業経営者は、アマゾンのこうした意思決定を模範とするのか、それとも他山の石とするのか。
 
もし日本企業が、一部のアメリカ企業のような強烈な競争力を身につけようとすると、今回のような意思決定をしていくこともまた必要となっていく。

2025-10-30

豊かに生きるということ

元サッカー日本代表監督の岡田武史が「私の履歴書」(日経)に昔の逸話を紹介していた。

35年前、彼はイタリアで日本の若手サッカーコーチを集めた研修に参加したことがあった。それは、現地で開催されたワールドカップに合わせて実施されたらしい。

講義の1つを担当したのが、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだったACミランの監督アリゴ・サッキ。彼は講義の中で「よい指導者になりたいなら、絵を見ろ。音楽を聞け。本を読め」と話したという。岡田は最初、通訳がサッキの話を訳し間違えたのかと思ったらしいが、そうではなかったと。

サッカーだけいくら知っていても知っていてもダメで、広く奥行きのある知性と感性を持っていなければ、プレーに求められる想像力は養えないということだろう。

それで思い出したのが、漫画家・手塚治虫が赤塚不二夫にアドバイスした言葉。まだ代表作がなかった赤塚が、手塚にどうやったら漫画がうまく書けるようになるのですか、と尋ねたら、手塚は「漫画から漫画を学ばないでください」と答えた。

一流の映画、音楽、文学、芝居に触れることの大切さを説いたのである。

生命の神秘から時代物、宇宙、仏陀などあらゆる対象を描いた手塚の旺盛な創作力を支えたのは、さまざまな分野から得た豊かな教養だったに違いない。

最近、経営学者も遠方の知を探すことの大切さをビジネスマンに説いているが、それも同じ。

ただし、名作と言われる映画をたくさん観、優れた音楽に耳を傾け、文学に身を任せ、芝居の世界に浸るというのは、なにも会社の仕事をうまくやるためにではない。

目的なく、それらを自由に楽しめることこそが大切。

2025-10-29

「世界で一番美しい少年」と言われ続けた男

ルキノ・ビスコンティが1971年に撮った映画『ベニスに死す』に出演したビョルン・アンドレセンが先日、70歳で亡くなった。


ダーク・ボガード主演のその映画に彼が出演したのは15歳の時。ビスコンティにスカウトされたらしい。 

当時、彼につけられたキャッチフレーズが「世界で一番美しい少年」。ボガードが演ずるアッシェンバッハという名の老作曲家を虜にする美少年という役どころから、そう設定されたのだろう。 


それを聞いて「へぇ〜」と思ったものだ。その後、彼は明治だか森永のチョコレートのCMにも出ていたような記憶がある。

今回、彼の死を伝える報道のなかでもその「世界一美しい」はしっかり付いて回っていた。

世界一美しいかどうかなんてまったく主観の問題なのに、当時の映画関係者の誰かがつけたそのフレーズは半世紀以上も根強く残ってたわけだ。

つくづくイメージというものの粘着性の強さに驚く。一度ついたイメージは簡単には剥がせない、剥がれないのである。

彼はそのせいかどうか、その後アルコール中毒やうつ病に悩まされたらしい。年を経ていったあとも、どこへ行っても「世界で一番美しい少年」という目で見られたら、精神がどうにかなるのは分かる気がする。

2025-10-28

悩まず、考え、分類しよう

俵万智さんの『生きる言葉』が10万部を突破したということで、彼女が記念エッセイを『波』(新潮社)に書いていた。その中で、彼女は
本書を出版した後も、私自身、ちょいちょいクソリプに見舞われている。高校球児を応援する内容のポストをすれば「高校球児だけを特別扱いするのは、いかがなものか」と窘められ、読者の感想を引用して「ありがとう!」と言うと「上から目線ですね。ございますをつけるべき」と叱られる。一瞬シュンとなるが、こういう場合は「新種が釣れた!」と喜ぶくらいが、精神衛生上ちょうどよい。本書に出てくる分類に収まらないものが釣れたら、これからもコレクションしていきたい。

と言う。なるほど、と感心する。

しばらく前、このブログで彼女がクソリプの8つの種類を紹介していることを書いた。https://tatsukimura.blogspot.com/2025/10/sns.html
それをもとに、彼女は新しいクソリプに出会うと、新種としてコレクション(分類)に加えちゃおうというわけだ。
 
批判や中傷(この場合、クソリプ)をそのままダイレクトに感情の発露として受け取るのではなく分析的に分類するところがポイントで、その考えはとても効果的だと思う。
 
昨年、日本では小学生から高校生の自殺者が529人と過去最多にのぼった。『自殺対策白書』によれば、その最も多い原因として「学校問題」が指摘されている。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2025102400292&g=soc

自殺に追い込まれた子供たちの遺書やメモがなければ、その真の理由は完全にはわからないけど、多くは学校での人間関係やイジメが原因だっただろうという事は容易に推測できる。

子供たちよ、悩まず、考えよう。イジメを受けるのは辛い。どうして自分がいじめられるのか悩むだろう。だけど、悩まずに考える癖をつけてみて欲しい。
 
イジメにあったら、うちに帰ってからでいい、そのイジメをノートにでもササッと記録する習慣をつけよう。いじめたは誰か、いつ、どこで、どんなイジメにあったのか。また思いつく限り、彼らがなぜイジメをしたのかについても考えてみよう。
 
そして「データ」が溜まったら、それらを分類してみよう。例えば、金せびり型、ストレス発散型、勉強できないコンプレックス型、自分を強く見せたい自慢型、仲間はずれ回避型など、いろいろあるに違いない。

イジメにあったら、そのことを悩んじゃいけない、それがどのタイプに分類されるか考えることに集中するんだ。歌人の俵万智さんが書いていたように、「新種が釣れた!」(やった!)と思えるような時もあるかもしれない。

そして、そうした記録と自分ならではの分類ができたら、そのノートを持って親と先生に相談しよう。大人たちはその時、きっと君たちの味方になって助けてくれるに違いない。

2025-10-27

気をつけたいエビデンスベースと過度の一般化

図書館で手に取ったあるマーケティングの本に目を通して、「こりゃマズいな」と思った。

著者はコンサルタントを生業としている人のようだが、その論調は海外の論文の研究成果を「エビデンス」として援用することで自分の主張を次々に述べている。

興味深い記述もあるのだが、いかんせん引用元になっている研究者が偏っている。またそれらの研究は、どれも限定された状況下での調査とその結果に過ぎない。

つまり、ある特定の場所(すべて日本以外)で、特定の製品あるいはカテゴリーのみを対象として、特定の期間のみのデータを取得してそれを分析して結論づけているものだ。

社会科学の分野での学術研究なので、まあだいたいそのような制限下であることを承知の上で実施して、とにかく結論を出さなきゃ論文にできないから、仕方ないと言えば仕方ない。

だからこそ、そこに書かれていることを実務に利用しようと考えたなら注意が必要。そこでは、読み手の知恵や経験と工夫が間違いなく問われることになる。

先の経営書で気になったのは、そこだ。〇〇大学の△△教授の研究によれば、という記述を並べることで著者は自分の考えはエビデンスベース(Evidence-based)だと一貫して主張するが、明らかに過度の一般化(Over-generalization)がなされていると言わざるを得ない。

海外のスーパーマーケットの店頭でシャンプーのブランドがどのように消費者から手に取られているかというロジックと、日本国内で消費者がどのように高級車を選択、購入するに至るかというロジックの違いを思い浮かべればいいだろう。

目くらましの「エビデンスベース」には気をつけた方がよいという例だ。

2025-10-26

高校生の「読書しない率」 69.8%

日本の小中高生は、どのくらい読書をしているかーー。東大社会科学研究所とベネッセ教育総研が調査した結果が報告されていた。その結果内容に愕然とする。

一日のうち、読書時間0分、つまりまったく読書をしないと回答した子どもたちの割合は、
小4〜6年生:47.7%
中学生:59.8%
高校生:69.8%、だった。

中学生の6割、高校生の7割は本をまったく読まないと回答しているわけだ。

同時に調査した、一日のスマホの平均利用時間は次のようになっている。

小4〜6年生:33分
中学生:1時間36分
高校生:2時間19分、だった。

10年経つと、これら中高校生が日本の社会の中核に入って来る。やはり日本という国は衰退していくのだろう。 

タカ市総理大臣は、この前の所信表明演説で日本の防衛費をGDP比2%に増額すると言った。防衛費を増やせば国を守れると考えているのかも知れないが、そうだろうか。

中高生が本を全く読まず、スマホに浸り続けている状況を早期にあらためる施策を考え実施することのほうが、国の未来の安全と発展に確実に繋がるはずだが。

2025-10-24

銀行が「その他」を使いたがる理由

三井住友銀行から「貸金庫借用に関する申告書」という文書が郵便で届く。

申告する相手先は株式会社三井住友銀行となっており、利用者が「やりません」という誓いを立てるものだ。(自社へ返信させる手紙を「〇〇宛」でなく「〇〇御中」とする感覚は不思議だ)


三井住友銀行から返信を求められている、貸金庫利用についての申請書


大手銀行で、社員が何年にもわたって複数の銀行支店の貸金庫から客の金品を盗んでいたことが発覚した。そこで現金などを預けさせないようにするという対応なのだろうが、銀行内で社員教育を始めとして、どのような具体的な再発防止策をとることにしているかについては、送付されてきた文書に何も記載がない。

不祥事が起きたのは、利用する客のせいと考えているのだろうか。 

利用者の署名を求めるその申請書の遵守事項1には、「・・・現金や、その他不正利用防止の観点からリスクが高いものは格納しません」という文言があったので、「その他」とは何を指しているのか銀行に問うてみた。

すると銀行側の回答は「現時点では外貨と違法薬物」だという。だが、外貨は現金のひとつ。また、違法薬物は遵守事項3に該当するので、すでに包括されている。

彼らが文書に書いた「その他」とは何なのかしつこく訊ねたら「今後、当行がリスクが高いと考えるものがあるかもしれませんので」との回答。

おいおい、ちょっと待てよ。それが何なのかを示さないまま、あらかじめ客に「やりません」と申告だけさせ、その具体的な内容はあとで自分たちが勝手に決定するという考えは常識で考えればオカシイだろ。

よくもまあ、そんないい加減で利用者無視のやり方ができるもんだ。

2025-10-22

新聞広告らしい広告

先日の新聞に掲載されてた、カラーの見開き広告である。

新聞に掲載されたBrunello Cucinelli(ブルネロ・クチネリ)の広告表現

広告主はイタリアの高級ブランド「Brunello Cucinelli(ブルネロ・クチネリ)。

広大な空間に膨大な書籍が積まれた風景の中に、男が一人立っている。彼が身につけているセーターなんかが、そのブランドの商品なんだろう。

写真の中の積まれた本、とりわけ後方の壁一面を埋め尽くす書籍は実物か、それともCGによる合成かーー。AIに確認させたところでは、光の当たり具合と影の具合からほぼ実際の写真だろうと。 

いい写真だ。

2025-10-20

運転免許証の更新

5年に一度の運転免許の更新の時期が来た。またあの「安全講習」と称するビデオを見るのだろうか。そして「安全協会」とやらへの入会の勧誘も。

それがなければ車を運転することが許されず、社会生活をする上で身分証明書となる運転免許証なので四の五の言わず更新には行く予定だ。ただ有無を言わさずレールに乗せられているようで、毎度毎度の事ながらこの更新はすっきりしない。

運転免許でふと思い出して、机の引き出しの奥を探してみると英国の運転免許証(UNITED KINGDOM DRIVING LICENCE)が出てきた。日本のようなカードではなく、緑と薄赤の紙を折り畳んだもの。

この免許証を現地で取得したのは今から34年前。なぜ今も持っているかというと、免許証として今も有効だから。記された有効期限は、僕が満70歳になる前日になっている。なんと鷹揚な取扱いだろう。 

実際に使ったことはないが、EUROPEAN COMMUNITIES Modelと書いてあるので欧州域内でもこの免許証で車を運転できそうだ。1993年以前の発行だから、EUでなくEC

英国の運転免許証 Driving Licnece

2025-10-19

教壇に立つ教師はしだいに不要になっていく

「KDDIがAI上司 実在人物を再現、販売も」という記事を見かけた。

同社が開発したのは、社内の特定の人物の考え方を身につけて再現したというAIエージェント。AIで再現された彼が部下の書いた提案書をチェックしてアドバイスを与えたり、指示を出したりするらしい。

生命保険会社が、各営業部員にAI秘書を持たせるようにした話をこの前紹介したばかり。企業の中にAI上司、AI部長、AI取締役などがすでに登場している。
https://tatsukimura.blogspot.com/2025/09/aiai.html
https://tatsukimura.blogspot.com/2025/08/ai.html

教育の場にもまもなくAI教師が現れる事だろう。中等教育以上の場で、生徒や学生一人ずつにAIエージェントがつけば、大方の勉強は学校に行かなくても済むようになる。学ぶ者一人ひとりに合わせて最適なカリキュラムと指導を24時間いつでも提供してくれるからだ。

大学の講義なども、今のように同じ科目の担当を複数の教員が分け合ってやるようなことは不要になる。AIエージェントを元にしたAIプロフェッサーが一つあればそれで済む。

そういえば、先日、教室の一番前の列で講義を聞いている学生がPlaud Noteを使って授業を録音しているのに気づいた。

このサービスは録音した音声データを発話者別に分けて文字起こしできるだけでなく、内容を要約したり、会議であれば自動的に議事録を作成してくれたりする。

これで僕の授業をすべてデータ化しているとすれば、それをもとに僕の授業用AIを作ることは可能だ。

教室ではスクリーンに映し出された僕のアバターが代わりに講義を行い、クラスの学生たちからの質問などにもその場でAIが回答したり、アドバイスするようになるだろう。

これは楽チンだ。早くそうならないものか。ハハハ。

2025-10-17

SNSをやめればいいだけ

9月末、文化庁は「国語に関する世論調査」の結果を発表した。そのなかで、SNSが日本語に多大な影響を与えていることが示されている。

朝日新聞紙上で歌人の俵万智さんがそうした現状についてインタビューに応えていた。彼女は、「『悪い二極化』が起きている」と語る。

SNSでは、投稿でちょっと角が立つと、誰かから揚げ足を取るような「クソみたいな返信」、通称「クソリプ」が飛んでくる。場合によっては炎上する。私も色々と経験しています。そんな返信を読むたび、少し傷つく。たぶん、こうしたことで、みんな少しずつ傷ついて、防御的になっているのでしょう。
 SNSを意識した日本語の表現は、波風を立てず、人から攻撃されないような無難な言葉と、わざと過激な表現で耳目を集め、投稿や動画の視聴回数を増やそうとする言葉の「悪い二極化」が進んできていると思います。どうしてこうなってしまったのか。 

「クソリプ」と呼ばれるものについては、彼女は今年4月に出版した『生きる言葉』(新潮新書)でも詳しく取り上げている。よほど「クソリプ」は彼女のこころに棘のように刺さったのに違いない。

このことは取りも直さず、彼女が匿名の、つまり返す先の宛のない相手からの数々の言葉に「傷ついた」ことを示している。とにかく悔しかったんだろう。そして、いまも悔しいと感じているに違いない。

同書で彼女は「クソリプ」の8つの類型を紹介している。それら8つのタイポロジーは本を読んでもらうとして、僕がいささか解せないのは、彼女がそうした酷い目に遭いながら、なぜいまだSNSを続けているのかということ。

彼女はSNS(X、旧ツイッター)で短歌を発信しているらしいが、Xを使わなくても俵万智であれば少し数がまとまれば短歌雑誌でも新聞でも雑誌でも掲載してもらえるんじゃないのないのかな。違ってる?

それはそうと、彼女が先の朝日の記事の最後に書いてる「二極化」は、実際にいまぼくたちの周りで確かにそうなってきているのだろうと思っている。

そして、それら2つの方向性。つまり、読み手に最大限の注意を払って少しでも波風を立たないように超フラットな言葉遣いをした表現を心がけるするものと、敢えて炎上を承知の上で荒波を起こそうとする2つのやり方は、実際は二極化ではなく根本のところで軌を一にしたコインの表と裏。

そのコインで日々の生活を送っている限りは、コインの表か裏かどちらかを必ず相手にみせなければならない。びくびく震えながら物を言うか、あえて炎上を狙ってかき回すか。

だからこそ、いっそのことそうしたコインなど投げ捨ててしまえと言いたくなる。そんなものなくたって毎日は過ごせる。

解決法は簡単。SNSなんか止めればいいだけ。クサい臭いは元から絶つのが基本だ。そうした簡単なことが、なぜ皆できないのか。

2025年10月15日付の朝日新聞紙面。SNSが日本語に及ぼす影響と「悪い二極化」を扱う記事の見出し
朝日新聞 2025.10.15


ところで余談だが、編集者はこの本のタイトル案として『届く言葉』を考えていたところ、著者の俵が今の書名にしたという。賢明な選択だ。池上彰なら『届く言葉』にしただろうが、この本は『生きる言葉』でよかった。

2025-10-13

ダイアン・キートンと「アニー・ホール」

ダイアン・キートンが79歳で亡くなった。死因などは公表されていない。

彼女が出演した映画を最初に観たのは、中学時代に友人と行った「ゴッドファーザー」。だが、あの男の群像を描いた映画のなかに登場した女優は、誰一人ぼくの印象に残らなかった。ダイアンもそのなかのひとり。彼女の影が薄かったとかではなく、そういう映画だったからだと思う。

強烈に覚えているのは学生時代に観た「アニー・ホール」。彼女がアカデミー主演女優賞を獲得した、ウディ・アレンが監督した映画である。

この映画は面白かった。アレンとキートンが劇場の入口で開場を待っているシーンは忘れられない。当時のメディア界を一世風靡していたマーシャル・マクルーハンが本人として登場した、あのシーン。こんな演出もあるのかと、たまげた。 


彼女の出演作ですぐ思い出せるのは、「アニー・ホール」以外に「マンハッタン」「インテリア」「ミスター・グッドバーを探して」「レッズ」など、どれも学生時代に観た作品だ。 

90年代以降も彼女は多くの作品に出演し、それらはどちらかというとシリアスなものではなくロマンチック・コメディと言われる類の作品で、ぼくの個人的な印象は薄かった。

これは彼女の女優性の問題ではなく、プロデューサーなど作品の作り手側の問題だったと思っている。 

つばの大きな帽子がトレードマークだった、個性的で魅力的な女優さんだった。

 

2025-10-12

皇室関係者のデタラメ発言を嗤う

金と政治の問題となると、まずその名が出てくる萩生田という自民党の裏金政治家がいる。

今回、高市自民党総裁が裏金疑惑の中心だったその人物を自民党の幹事長代行というポストに就けたことに関して、各所から批判の声が上がっている。

それに対して、明治天皇の玄孫(やしゃご)だかなんだか知らないが、T田という男が萩生田起用を疑問視する巷の声を批判している。

T田は、萩生田光一は小選挙区(八王子市の一部)で当選しているのだからその役員起用を疑問視するのは間違っているとし、「民意の決定を侮辱し民主主義を否定する公明党や評論家には猛省を促したい」とまで語る。

猛省すべきはそっちの方ではないのか。

選挙で当選しているから(ということは、議員であれば誰もがということになるが)どんなポストに就けようがそんなの勝手じゃん、ということを言っているようだが、その考えは真っ当ではない。

選挙で当選したのは「議員になった」というだけのことで、その人物の能力や人格や高潔さを示す尺度ではないのだよ。

昨年の衆院選で私が住む神奈川7区から立候補した鈴木馨祐という自民党麻生派の候補は、小選挙区で落選した。が、比例区で復活当選し、石破首相によって法務大臣に起用された。

つまり、選挙民の民意を得られなかった人物が大臣になっているわけだ。T田が民意の尊重を振りかざし利いた風な口を叩くのであれば、鈴木の法相就任をなぜ批判しないのか。
 
言っていることに筋が通っておらず、デタラメなのである。

2025-10-06

今日は中秋の名月

朝夕やっと涼やかになり、秋の訪れを感じるようになった。



スチール写真も撮ったが、月はいつも同じだから面白くないので動画も撮ってみた。
 
夜空に雲が流れる感じに、なんだか映画館で本編上映前に見るアメリカの製作会社のオープニング映像を思い出した。あれはどこの会社のだっけ・・・ 

2025-10-05

40年間未公開。馬鹿げた日本の映画興行界

ポール・シュレイダーの「MISHIMA」(1985年製作)が、今月から日本で初公開されることになったらしい。
https://www.yomiuri.co.jp/culture/cinema/20251001-OYT1T50022/

新聞では今回の初公開が三島の生誕100年の年だからとか、人を小馬鹿にした説明がされているが、なんだそれは。
https://tatsukimura.blogspot.com/2012/07/mishima.html

もしそんなことで初公開するのだったら、さっさと日本でも公開すればよかったわけでね、東宝が怠慢こいてただけじゃないのかね。 

1985年製作の映画『MISHIMA』日本初公開の報道を参照中に撮影したスクリーンショット

お願いだから、働かないでくれ

自民党の新総裁になった高市があいさつで「働いて、働いて、働いて、働いて、働いてまいります」と発言した。

お前さん、今までよっぽど働かなかったんだなと、思わず突っ込みを入れてしまいたくなるが、新総裁になったからといって急変するのもどうかと思うよ。

たぶんこのまま新首相指名を受けるのだろうが、彼女にはぜひこれまで通り働かないでいて欲しいと願っている。

物事をよくするために必要なことは、能力のある人が正しい選択をして、それを実現するためにハードワークすることだ。 

逆に、最も悲惨な結果を招くのは能力のない人物が間違った選択をして、それを全力で推し進めていってしまうことである。その結果、当然ながら破綻を招くことになる。

名門と言われてきた企業が凋落するのは、だいたいこのケースである。
https://tatsukimura.blogspot.com/2017/11/blog-post_19.html

お願いだから、働かないで、頑張らないで。日本のために。