2019年10月9日

銀行というのはいつまでたっても・・・

毎月の送金のため、これまで三菱UFJ銀行(あれ、いつ社名から「東京」が外れたんだ?)の「定額自動送金サービス」というのを使っていた。それを今回、郵便貯金の「自動送金」に切り替えた。というのは、手数料が3倍以上違うのに気がついたから。

まずM銀行とのネット取引でサービスの解約をしようとしたのだけど、店頭でしかできないらしい。しかたなく、店頭に出向き(なぜいまだに窓口業務が3時までなんだろう?)手続きをした。解約届に記入を求められたが、記入内容はすでにサービス開始時に届け出たもので、銀行のシステム上に記録されているはず。それを一つ一つ改めて手書きで記入させられる無駄を強要される。

しかも窓口にその届け出用紙を出したあとは、複写になっているその用紙の「お客様控」が渡されるだけ。えっ、それだけ。おかしい。銀行側の何の処理上の加工がない。受付日付を記入するでなく、受付担当者が書類に受領のサインをするでなく。

窓口では、客が書いた書式の一枚目を自分たちの控えとして受け取り、複写の二枚目を客に返すだけなのだ。

これだったら、ネットからシステム上で容易にできるようにできる。最悪でも書式をサイトからダウンロードしてpdfで送信するか、または郵送すればすむはず。わざわざ店頭まで客の足を運ばせる理由が分からない。

窓口でなぜそうしているのか彼らに質問したのだが、「そういうことになっています」というのが銀行からの回答だった。

2019年10月8日

自由を奪われるということ

香港での反政府活動がやまない。週末だけだったのが、このところ連日プロテスト活動が展開されている。デモでのマスク着用禁止という馬鹿げたルールには、しっかりとマスクを付けてデモに臨んでいる。

デモ参加者の中心は若者だが、なかには中学生や高校生もいる。香港は、2047年に一国二制度の現在の体制が終わりになる。今二十歳の若者が48歳になったときだ。だが実際の状況は、そうしたタイムテーブルとは別のところで動かされようとしている。

すでにかつての香港の持つ自由や良い意味での混沌さは削り取られ、徐々に中国にのみこまれようとしているようだ。

先日、香港から高速鉄道で中国に深圳へ行ったが、出発地である香港の西九龍駅は中国のようだった。何重にもわたるパスポートや荷物チェック、至る所からこちらを狙っている監視カメラ。気が休まらない。駅のホームにはゲートを通らなければ降りられず、そのゲートが開くのは出発の10分前だ。

中国化する香港に直感的に一番反応しているのが、香港の若者だ。自分たちの将来の自由が奪われつつあるのを見ているのだから。そして黙って見ていては、何も変わらないことを知っている。自由を守るためには、彼らなりのやり方で戦うしかないのだ。

状況をそのまま置き換えるのは難しいが、日本の今の若者たちだったらどうするだろう。呼びかけに応じてデモに参加するだろうか。拳を突き上げて政府への反意をしめすだろうか。

それとも何も行動をおこさず、スマホの画面で起こっていることを見ながら、つぶやくだけだろうか。

今日の雲は、すっかり秋だ。

2019年10月6日

明日も晴れ

夕刻、マンションの屋上から西の空を望む。鶴見川と横浜スタジアムの向こう、雲が赤く染まっている。



2019年10月2日

ローテクだけど、それが何か?

知り合いに自分が録画したテレビ番組を見てもらう必要があって、DVDにその番組を焼いて郵便で送った。
ところが、彼から「PCで見ようとしたけど、見れなかった」というメールが来た。自宅に帰ってから、その番組をもう一度同じようにディスクに焼き、自分のパソコンで見ようとしたら、やはり見えない。
彼によるとコピー前にディスクのイニシャライズやら、データをコピーした後のファイナライズやらが必要なのだという。
しまっておいたレコーダーの取扱説明書を取り出し、録画番組のディスクへのコピーの仕方の欄に目を通すが、どうもPCで見るためにはどうやったらよいか等の記載がない。
今使っている機器は東芝製のもので、購入してもう20年近く経つ。よくもまあと言われそうだが、使い慣れてるし、十分働いてくれてるので日々この機械で毎晩のニュース番組の録画取りなどしている。
さてそれで相手に送らなければいけないテレビの番組だけど、どうしようかと考えた末に、テレビの前にカメラの三脚を立て、画面に焦点を合わせ、フレームを調整し、件の番組を再生。
こうやってテレビの画面そのものをカメラの録画機能で撮影した。
その後カメラからSDメモリーカードを抜き取り、マックに刺してYouTube上にアップロード。著作権があるので公開設定ではなく、限定設定をした上でその映像のURLを相手に送った。
しばらくして、「YouTubeで確認しました」というメールが届いた。
録画のための色んなフォーマットの仕方があることを今回取り扱い説明書を見てあらためて知った。おそらく最近の機器では、もっと多様なフォーマットの仕方があるのかもしれない。

しかし今回、僕は映像を人に送るための最もシンプルでかつ完璧な方法を手に入れたような気がした。

マイケル・リーチからリーチマイケルへ

ワールドカップ・ラグビーの日本代表チームのキャプテンは、日本語がとても流暢で、濃いゲジゲジ眉毛が印象的なリーチマイケル選手だ。ニュージーランド出身で、チームは東芝に所属している。

リーチマイケルって、外国人の名前にしてはちょっとヘンだと思っていた。調べてみると、彼のもともとの名前はマイケル・リーチ。それが、2013年に日本国籍の取得許可が下り、それから日本人選手として活動することができるようになったのをきっかけに、姓名を入れかえて日本風にリーチマイケルとした。

マイケル・リーチとしていたときの中黒「・」もない。日本人表記だからね。

ちょっとしたことだだけど、本人にしてみればよくよく考えた末の変更だろうし、立派だと思う。

僕たちも英語で名前を書くとき、そろそろ下の名前+苗字という西欧人風の書き方を改めるべきだと思っている。

2019年10月1日

自慢と卑小さ

日経新聞の文化面「私の履歴書」のN中氏の連載が終了した。

日本の経営学者として著名な方なので、毎回読むとはなしに目を通していたが、毎回毎回(つまり毎日)自分をどう見せようかという自慢話が計画的に盛り込まれているようで、途中から思いっきり鼻白んでしまった。

今日はそう来たか、という自慢話を連日読まされるたびに、本人の意図に反して人物の器量の小ささが透けて見えるようだった。

まあ、そもそもが少年期にグラマンの機銃掃射を受けたとかで(確かにそれは強烈な印象だっただろうけど)、そのときに機上のパイロットの顔が笑っていたように見えたといった記憶から、敵国アメリカへの対抗心がムクムクと生まれたとする思い込みが、彼のその後の感性を如実に示しているように思える。

続いて今日から始まったIIJ会長・鈴木幸一さんの「私の履歴書」は、打って変わって肩の力の抜けた、ほっとする内容である。

担当記者の違いもあるのかもしれない。

いずれにせよ、他山の石ではないが、自らを語るのってほんとに難しいなあと思わされる。

2019年9月26日

16歳に教わる

スウェーデン人のグレタ・トゥンベリさん(16歳)がニューヨークの国連本部で地球温暖化対策を訴えてスピーチを行った。

メディアによると、彼女は「環境活動家」と表記されているが、彼女が自らそう名乗っているのかどうか。おそらく、メディアが勝手にそう「定義」しているんじゃないかな。

彼女のスピーチはすこぶる論理的で、しかも情動的でもある。16歳でこれだけのメッセージを発することができることに驚いてしまう。

カギとなる数字(データ)と現在の地球環境が抱えている現状(ファクト)を明確に伝え、それが今の大人たちが彼女たちの世代に回すツケであること、それに対して大人たちが本気で対応を考え、実行することに遅れは許されないことをキツく訴えた。

これまでも、地球の環境がどうなっているかに関する情報はあふれるほど見聞きしている。しかし、今回ほど真剣にその意味を考えるきっかけを与えられたことはなかった。僕だけじゃないはず。

それと、いかにも意志の強そうな彼女の面構えがいい。日本の16歳には、まず見つけることはできないように思う。何が違うんだろう。


2019年9月23日

風と便り

鎌倉の川喜多映画記念館に侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の『恋々風塵』を観に行く。

鎌倉駅の東口に出て、小町通りを鶴岡八幡宮方面に。普段ならさほど時間がかかる距離ではないはずなんだけど、連休なか日の日曜日とあって通りは人混みで賑わっている。時間の余裕を見込んで出てきてよかった。

 『恋々風塵』は1987年制作の映画。日本での劇場公開は1989年とクレジットされている。

1960年代の台湾、鉱山の村で兄妹のように育った2人の男女が主人公。緑あふれる台湾の自然の風景が美しい。慎ましいながらも、家族の繋がりがしっかりと保たれている村の人々の暮らしはおだやかで胸にしみてくる。

中学を卒業してともに台北に働きに出てきた2人。そのうち、彼が兵役に就き、その別れの間に2人は頻繁に手紙でやり取りをする。それが途絶え、時間が2人の間を引き裂くかのように彼女は彼を去って行く。その彼女が結婚相手として選んだのは、地元の郵便局で働く郵便配達人。

村の広場で映画の屋外上映会が開かれる。そのスクリーンが揺れ、はためく姿に風の姿が象徴的に映し出される。風がながれ、時が流れ、2人の関係も形を変えて流れて行った。

全体的にゆったりとした時間が映し出され、リリカルなアコースティックなギターの音が映像に溶け込んでいた。

2019年9月22日

いやはや、ほんとにカジノを作るのか

僕の住む横浜市の議会で、カジノを含む統合型リゾート(IR)を誘致するための費用2億6000万円を盛り込んだ補正予算が可決、成立した。自民党や無所属の会、公明党の投票による賛成多数によってだ。
林文子市長は、本当にこうしたカジノを含む統合型リゾートが市にプラスになると思っているのだろうか。彼女と直接話したことはないが、私が知る林市長は冷静でいて地に足の着いた政策を決め実行してきた人のように思っている。
以前、横浜商工会議所が、IRの誘致を求める理由として、その大きな投資効果を数字を挙げて説明をしていた。彼らの計算によれば、カジノの売り上げは年間1400億円、来場者数は2,100万人としていた。その金額は、カジノからの上がりで、宿泊代や食事代などを含む経済効果は年間5,595億円から6,710億円で、実際にはそれ以上の経済波及効果があると述べていた。
つまり、横浜のIRを訪れた1人あたりが2万7千円〜3万2千円を消費するとの前提に立っている。だが、そもそもカジノに年間2,100万人が集まるという根拠はどこにあるのか。彼らはそれを示そうとはしない。
あの東京ディズニーランドが入場者数で2,000万人を超えるまでに、オープンしてから10年以上の時間を要した。ディズニーという世界的なブランドを持ち、子供からお年寄りまでを対象に日本全国から集客してそれだけかかったのだ。しかもTDLが開業したのは1983年。日本の人口は、いまよりずっと多かった。
推進派が挙げている数字はそもそもが算定根拠に欠けているだけでなく、冷静に考えればどう見てもあり得ないものにしか見えないのだけどね。なんで信頼できるデータとファクトを元にした論理的な議論ができないのだろう。
賭博の上がりを元に徴収した税金というのは確かに再分配のひとつではあるが、人がすった金で住民サービスを充実させて何が嬉しいのかも理解に苦しむところだ。
内実は知る由もないが、林市長に何かよからぬ圧力が加わったとしか考えられない。本当にカジノなんかができたら、僕は横浜市から他に引越しをしちゃおうと考えている。

2019年9月21日

ラグビー・ワールドカップ、始まる

ラグビー・ワールドカップが昨日開幕した。

開幕戦の日本・ロシア戦は30対10で日本が勝利した。松島幸太朗が3トライを決めた。俊足で突破力がある。彼は、名前は典型的な日本人だが、南アフリカの生まれだ。今回、日本チームは半分近くが日本人以外の選手が占める。ちょっと複雑な気分。

今朝、英国からパッケージがひとつ届いた。開けてみると、なかに赤いTシャツが入っていた。縦書きというのか横書きというのか分からないが、カタカナで「ラグビー」と書いてある! 送ってくれたのは、30年近く前の英国留学時代に知り合ったウェールズ人の友人。早速着てみた。


2019年9月20日

F.A.A.

これも古いデジカメのなかに残っていた写真。どこで撮ったのか、定かではないのだけど。


 どこかの企業(広告会社だと思うが)を訪問したときのスナップだろう。

2019年9月19日

誰が脱いだのか

昔のデジカメのデータを整理していて、なかから見つけた写真から。



助手席のドアの外に、スニーカーがきれいに揃えられて脱がれている。

独特の環境保護のスタイルで有名なパタゴニア社を取材で訪ねてカリフォルニアに行ったときのスナップだ。パトカーには、サンタモニカ・ポリスとある。

2019年9月15日

スマホは分身

中国・深圳はスマホ社会。それがなければ、おちおち安心して外出もできほどスマホに頼り切っているように見える。だから、スマホを壊したりなくしたら一大事だ。

深圳の貨強北地域は、日本の秋葉原のような場所である。その一角に、スマホの修理を専門とする数多くの工房が寄せ集まったところがある。




壊れたスマホの修理をその場でやってくれる。だから、とにかく早い、そして安い。日本だったら「お預かりします」と言われて2週間くらいかかるものが、15分〜20分で仕上がる。料金も圧倒的に安い。

こうした修理に携わる技術者はオタクというか、その道のスペシャリスト。見ていると実に見事な手際。こうした彼らがどんなものだって直せるとしたら、どんなものだってコピーすることもできる。間違いなく中国のダイナミズムの一翼である。

2019年9月14日

キャッシュレスは、人に「金」の価値を感じさせなくさせる

深圳で何か買い物をしようとしたら、まずはスマホ決済(WeChatPay ウィーチャットペイかAliPayアリペイ)が求められる。

店舗とのデータのやり取りは、QRコードが圧倒的に用いられている。スマホを取り出し、アプリを起ち上げ・・・こちらの人たちは慣れているのか特に面倒臭そうにしている人はいない。すべては慣れの産物だろうと独り言つ。

個人的には、キャッシュレスは特段問題を感じないものの、少額の決済の際にも毎回スマホを取り出し、決済するのは思いのほか面倒な気がする。Suicaのような非接触型カードが一番だと思っている。

ただ、中国ではいまやウィーチャット上で個人情報を種々のビジネスにつなげることで、利用者は数々の便益を得ることができるのも確かだ。

個人情報との引き換えの上だが、すぐに慣れてしまうのと、国民性として個人情報がどうなっているかなど国民性としてあまり気にしないから平気なのだろう、たぶん。



2019年9月13日

香港の夜

3泊4日でゼミの学生たちと香港〜深圳に合宿に行ってきた。

金曜日に香港入り。その日の夜はCauseway BayにFire Dragon Dance(舞火龍)という100年以上続く催しを見に行く。中秋節を象徴する歴史的な行事で、大変な人混みだった。


日本では十五夜の夜である。この日はデモもなく、平和な雰囲気の香港の夜を楽しむことができた。

2019年9月6日

『アイデアのつくり方』は変わっていない


新聞の書籍紹介欄の「週間ベスト10」の第7位に、ジェームス・W・ヤング『アイデアのつくり方』を見つけた。

池袋のジュンク堂調べの週間ランキングだが、ビジネス書といった特定の分野ではない。総合部門での売り上げランキングだから、今頃どうして?とちょっと驚いた。

同書の原著初版が発行されたのは1940年。日本での翻訳は1988年に初版が出ている。ヤングは若かりし頃、当時世界最大の広告代理店だったJ・W・トンプソン社のコピーライターとして頭角を現した。

その後、経営者として広告ビジネスで辣腕を振るったが、42歳の時に広告の仕事に飽きてニューメキシコに隠遁した。当時は現代の「人生100年時代」とは違うのは当たり前だが、なんだかうらやましい。

ヤングがこの本で教えてくれるポイントはシンプルかつ普遍的だ。彼が示すのは「アイデアとは、既存の要素の新しい組み合わせ以外の何者でない」ということ(彼がいうアイデアとは、広告のコピーアイデアを指す)と、「広告マンはどんな知識でもむさぼり食うこと。広告マンはその点、牛と同じである。食べなければミルクは出ない」ということ。

彼はまた、カードを使った情報の整理法なども簡潔にではあるけど紹介している。情報を集め、自分なりに整理加工し、いろいろと組み合わせてみること。そしてそれをつねに考え続けていることが肝心だと。そうすればこそ、リラックスしたときに閃きの天使が降りてくるのだと。

最後にヤングが提言するのは、言葉を学ぶということ。セマンティクス(意味論)を学ぶことがアイデア創出に大きな助力となるというのは、僕も大いに賛同するところだ。

この本、著者のヤングが書いた内容はほんの30分もあれば読める。日本版ではその後に竹内均さんの解説がついているが、これがまた素晴らしい。奇をてらった話は何もない。原理原則というか、当たり前のことばかりだが、それを実際に継続したことで多くの仕事を成し遂げた竹内先生のスゴさの一端がわかる。

2019年9月5日

グーグル、お前もか

フィナンシャル・タイムス(英)によると、グーグルは利用者の個人情報を広告主企業らに無断で提供していた。なんてこった。

しかもグーグルが広告主企業に無断で提供していた情報には、人種、健康状態、政治的思想などの高度な個人情報が含まれていたというから看過できない。

同社は、2000年からその行動規範の1つに「Don't be evil 邪悪になるな」を掲げていた。誰よりも大量な個人情報を結果として集めることになるビジネスから、当時の経営者が自制をこめて設定していたはずだ。

僕は今もそうなんだろうと思っていたんだけど、調べて見ると、実は2018年にそのことを行動規範から削除していた。なるほど、そういうことだったんだ。

グーグルでの検索は便利で、残念ながら完全には止められない。だけど、これからはなるべくならプライバシー侵害のリスクのない DuckDuckGo を検索エンジンとして利用しなくちゃと思う。
https://duckduckgo.com/

2019年9月4日

ロケットマン

エルトン・ジョン、本名はレジナルド・ケネス・ドワイト。

デビュー前、バンドマンの仕事をアルバイトでやっていたときに、仕事仲間に人生を変えたけりゃ名前を変えなと言われたのがきっかけで、エルトン・ジョンに。結果的はそれは大成功だったと思う。

『ロケットマン』は彼の半生をモチーフにした伝記映画。描かれているのは、彼の少年時代から1983年までの姿である。


冒頭、ファンキーなステージ衣装で進むエルトンが向かう先は、ドラッグ中毒者の更生施設での集団カウンセリングの場。このつかみは、上出来だ。これから語られる最高のロックミュージックとその裏側を観るものに想像させる。

エルトンを演じるのは、ウェールズ出身の俳優、タロン・エガートン。吹き替えなしで唄を歌っている。その歌を評価する声も多いが、僕にはまだ『ボヘミアン・ラプソディ』でフレディを演じたラミ・マレックの方が許容できる。

エルトンの歌をその時代に聞いてない観客にはそれでも構わないのだろうが、違和感は終わりまで消えなかった。

音楽的には、ポール・バックマスターのアレンジャーとしての才能をあらためて再確認した。彼のストリングスのアレンジが、エルトンの曲に厚みと奥行きを与え、間違いなく音楽性を格段に高めている。

また天才的な音楽の才能をもつエルトンだけど、ほとんどの曲で作詞を担当したバーニー・トーピンとの出会いがなければ、今のエルトンがないのも明らか。レジナルドとバーニーの出会いが、エルトン・ジョンを作った。「邂逅」という言葉の重みを実感する。

それにしても彼の数々のきら星のような曲は、50年たったいまでも色あせていない。

2019年8月26日

風はつかまえられる

映画「風をつかまえた少年」は、マラウイの少年ウィリアム・カムクワンバの実話がベースになっている。

マラウイはアフリカの中でも最貧国と呼ばれる国の1つ。国民の8割が農業に従事している。彼の家もそうだ。主にトウモロコシを栽培し、家族が食べる食糧以外の余剰分は市場で売って現金収入にしている。

映画で描かれた(撮影は実際にマラウイで行われた)その土地は茶色く、埃っぽい。降れば土砂降り、という言葉があるが、まさにその土地の気候は大雨が続き、畑の種や土をごっそり押し流してしまったかと思うと、次の季節は日照り続きの干ばつに長期間悩まされる。

マラウイが大干ばつに襲われた年、国中の飢饉のため14歳のウィリアムは親が学費を払うことができなくなり学校から追い出される。

しかし、担任の理科の教師が乗っている自転車の車輪に取り付けられたダイナモ(発電機)に見せられたことから、あるひらめきを得る。人がペダルを漕いで電気を起こせるなら、風で風車を回して電気を起こせばいい。そして、電気をバッテリーに貯えればポンプで井戸水を汲み上げて、乾ききった畑に流し込むことができる。

彼の発想は、問題の解決に向けてシンプルで明快だ。彼はその後アフリカの発明家として有名になったが、彼の素晴らしい点は発明家かどうかより、当時14歳の少年でありながら自分たちが置かれている状況を正確に理解し、その解決のために何が必要かを合理的に判断し実行できたこと。

日照りが続き作物が枯れ果て、備蓄も底をついてきて、ウィリアムの家では食事は1日1回と彼の父親が宣言する。そして悲しげに、自分も先祖たちがやって来たように雨乞いでもするしかないと語る。

しかし学校の図書室で電気の本を見つけて学んだ息子は、雨乞いではなく、科学的な仕掛けで水を畑に引こうと考える。

そうそう、ウィリアムの家では井戸から水を汲んで生活のいろんな側面で利用しているシーンが出てくるが、その井戸からはバケツに括り付けた紐をたぐり寄せて水を汲み上げる。日本でも水道が完備されるまでは井戸を使っていたが、そこにはたいてい手押しポンプがあった。

テレビの時代劇などで見る長屋の井戸には手押しポンプはないが、井戸の上にはやぐらが組まれ、滑車を用いて水を汲み上げることができるようになっている。

それにくらべて映画で描かれているマラウイの井戸は原始的だ。残念ながら工夫というものがほとんどなされていない。水を雨乞いに頼ってしまう心性が、工夫する発想を押しとどめてしまうのだろうか。

ウィリアムが違ったのは、本を読み、自らの問題意識で学ぶ姿勢をもっていたから。

彼は自転車の車輪と発電機を用い、残りの材料は廃材を集めて風車発電の仕組みを作った。風はタダだ。そしていつも吹いている。その風をつかまえることで、作物を乾期でもできるようにした。1年に1回の収穫が2回になった。立派なイノベーションだ。

その後ウィリアムは奨学金を得て進学し、2014年には米国アイビー・リーグのひとつであるダートマス大学を卒業した。手作り風車によって、彼は風とともに自分の未来もつかまえた。




2019年8月23日

レバノン映画「存在のない子供たち」


レバノンの首都ベイルートは、中東のパリと称えられたほど美しい都市(らしい)。彼の地で働いていた友人が、懐かしそうにそこでの物質的にも文化的に豊かだった暮らしを語るのを聞いたことがある。

しかし、彼女は国連職員という身分の特権階級だったからこそ、そのパリらしさを十二分に満喫できたのだろう。

この映画の舞台はベイルート中心部から車で10分ばかり東に向かい、ベイルート川を越えたあたりの貧民街らしい。その程度離れただけで、人々もその暮らしもがらりと変わる。

主人公のゼインは、出生記録がない。親が手続きしなかったから。だから誕生日を知らない。自分の年齢も分からない。彼の兄弟もそうだ。学校には行っておらず、家族の生活を助けるために路上で働く毎日に追われている。

その彼が、妹を傷つけた(彼が言う)「クソッタレ」を刺して少年刑務所に収監される。だが、黙って大人の世界の流れに身を任せるような少年ではない彼は、社会問題を取り上げるテレビの生番組に電話をかけ、「大人たちに聞いて欲しい。世話できないなら生むな」と呼びかける。その番組をきっかけに弁護士が付き、かれは自分を生んだ両親を訴える・・・。

主人公のゼインを演じた少年(本名も同じ)をはじめ主人公はすべて素人である。シリア難民の彼だけでなく他の子供や大人もすべて社会の最底辺で生きていた、役柄に似た人たちだ。映画の中でゼインの弁護士役を演じたこの映画の監督(ナディーン・ラバキー)だけが「本物」ではない。

脚本もよくできてるが、この映画ではそれを画にするためのキャスティング・ディレクターの仕事もまた称賛されるべきだろう。

ゼインやその周辺の人たちの悲惨な境遇は凄まじい。しかしゼインの賢さが少しずつだが変化をもたらし生活を切り拓いていきそうな予感を漂わせる。中東の移民問題にも迫っている優れた一作である。