2019年5月4日

右脳か、左脳か、両脳か

サントリー芸術財団50周年記念の催しとして、佐藤オオキさんのnendoとサントリー美術館が企画した information or inspiration? 展が乃木坂で開催されている。

出品点数は22点のみ。しかもどれもサントリー美術館がもともと所蔵している工芸品だ。ポイントはそれらを右からと左からの2つのルートで見て「感じ」「考える」というところにある。


「最初は黒のルートでどうぞ」と勧められたのは、22点の工芸品を観客が自分の眼(まなこ)で虚心なく鑑賞するためにしつらえられた展示。極力、ものとしての作品以外の情報が観客に伝わらないように工夫されている。

一方、白のコースには、それら工芸品が供えている様々な意匠や工夫が鑑賞する人に分かるような説明的な展示が施されている。それらの作品についての詳細な説明が歴史的、工芸的な側面から文章とイラストでなされている。

これら黒のコースが inspiration、白のコースが information という訳だ。展示会タイトルの副題は「左脳と右脳でたのしむ日本の美」とあり、白コースが information を表す右脳コースで、黒コースが inspiration の右脳コースを示している。

脳がまたブームである。人類にとって宇宙とならぶ未知の領域だけに、テーマとしてはまさに鉄板ネタともいえる。

経営学の分野でもそれをネタにした本が最近またぞろ登場してきている。大学での同僚の内田さんが出した「右脳思考」や佐宗邦威「直感と論理をつなぐ思考法」などがそうだ。

前者は分かりやすく右脳と左脳という言葉を直裁的に用いていて、後者は右脳、左脳という用語は用いず直感と論理と表現している。また、前者は右脳を優先させる思考によって、後者は直感と論理をつなぐことによって新たな視点を手に入れ、ひいてはビジネスの成功がもたらされると説く。

米コロンビア・ビジネススクールのウイリアム・ダガンが2010年に出した「戦略は直観に従う」につながるビジネス書だが、日本でのはしりはといえば30年以上前に脳生理学者だった品川嘉也さんが書いた「右脳ビジネス」だろう。脳が永遠のテーマと言える所以だ。

左脳ではなく右脳を活かせとか、直感(右脳)と論理(左脳)をつなげとか言われても、実際どうしたらよいものか悩んでしまう。右手左手、右足左足のように本人に見えるわけじゃないからね。


2019年4月27日

休めないニッポンがある

10連休が世の中で始まった。空港は混雑し、下りの新幹線はどれも満席。下りの高速道路も長い渋滞ができている。

それにしてもなぜ「一斉」なのか。調査によると、日本の企業などで働く人たちは他国の人に比べて多くの有給休暇を与えられている。しかし問題は、いやそもそも問題かどうかの判断すら難しいが、その半分ほどしか日本の労働者はそれを使っていないらしい。

いま僕が勤務している組織にはタイムカードがない代わり、有給休暇という制度もない。しかし20年ほど会社勤めをしていた80年代と90年代は1日たりとも有給休暇を残した年はなかった。そんなこと自慢するようなことじゃないけど。

国が先導してこうした連休、つまり国民の休日をやたら増やすのは問題だと思っている。同じ時にみんなが休めば、いろんな不合理が発生するのは誰でも分かる。交通機関も観光地も混雑し、ホテルや航空運賃など旅行代金はその間高騰する。

日本という国では仕事を休む日にちまで国が"指導"してくれる。そのうち、子供を産むタイミングや我々が死ぬ時期まで国が決定するようになるかもしれない。いや、冗談じゃなく。

連休中でも仕事柄休暇をカレンダー通り取ることができない人もたくさんいるだろう。また日本の被雇用者の4割近くを占める非正規で働く人たちは、休んだ分だけ収入が減ることになる。そうした個人だけでなく、中小企業のなかにも稼働日が減ることで売上がその分減少し経営に大きな影響を受けるところも多いだろう。

とすると、国が定めた大型連休をその通り享受できるのは、大企業かお役所に正規社員、正規職員として雇用されている人たちだけ。

国は連休を制度として制定することが国民に対するプレゼントのように考えているようだが、まったく大きなお世話である。

2019年4月23日

つまらない規則から若者を解き放つとき

経団連と大学側が話し合いを行い、大学生の就職活動の横並びを今後やめていくことで同意した。

春の新卒一括採用ではなく、これからは通年採用を拡大していくという。結構なことだが、何をいまさらという感じだ。実際、楽天やファーストリテーリングなどは、経団連のルールに合わせず通年採用を既に行っている。

現在の新卒採用は、経団連が定めるルールに沿って大学3年生の3月に企業が説明会を始め、4年生の6月に面接を解禁する日程で進む。なぜこうした規則のもとに、大学生が振り回されなければならないのか。

社会人と話していて、よく就職氷河期入社だとかバブル入社組といった言葉を聞くことがある。自分たちが卒業する年に、世の中の景気がどうだったかで、自分が希望していた仕事に就けたり就けなかったり。人生に運はついて回るものだが、それにしても理不尽だ。

トラック競技よろしく号砲とともに全員が一斉にスタートをする就職活動がほとんど人生一度きりのチャンスとなっているために、日本では容易には敗者復活戦が効かない。若者にとってはもちろん、企業にとっても望む優秀な人材を採用できない理由になっている。

既に大学を卒業して何年かたっている人間の中にだって、適性があり優秀な人間はたくさんいるはず。にもかかわらず、そうした人間はほとんど新卒の採用の対象にならない。こうしたトコロテン式で大学から企業へ直行させる、つまらない就職活動のもとになっている就職協定なるものは早くなくした方がよい。

ライフネット生命の創業者で、現在は立命館アジア太平洋大学の学長をしている出口治明さんの本にあったのだけど、彼がある日SNSを見ていたら「全員が日本人男性で最年少が60代。全員がサラリーマンで起業家はゼロ。大学卒業後、1つの会社で勤めあげた人ばかりで、転職経験も副業経験もゼロ。この組織は何?」と言う投稿があったらしい。その答えは何か・・・経団連である。

硬直的な組織の中で生きてきたこうした人たちが、若者の将来を左右する就職活動についてのルールを決めてきたことがそもそも大きな間違い。何かというと口先だけで多様性だとかほざく日本企業のおっさんたちほど多様性に欠けた存在はないのだから。

2019年4月22日

スリランカでもテロ

スリランカの首都コロンボで、複数の箇所で爆発事件が起きた。今日時点で200名強がなくなり、450名あまりの負傷者が報告されている。日本人の犠牲者も出た。

爆発が起きた箇所の1つの名に目を引かれた。狙われたシナモン・グランドホテルは、2015年2月にJICAの仕事でコロンボを訪れた際、3日間ほど投宿したホテルだったからだ。

滞在中はいろんな人から長年にわたる内戦のこと、民族間の諍いのことを聞かされた。でも当時、それらは落ち着き、昔そうだったような穏やかな暮らしを人々は取り戻していた。

今回の事件はまだ原因が解明されていない。連続的な事件につながらなければいいけど。

後日、スリランカからの留学生と話した際、今回の事件で彼の自国の友人の2人の姉妹が犠牲者になったと聞かされた。

シナモン・グランドホテル近くの幹線道路

2019年4月18日

丁寧すぎて分かりづらい日本語

ペルー出身の女性がインタビューに応えていた。彼女は日本の大学で講師を務めている38歳の女性。来日して22年になる。

そんな彼女が「市役所や銀行で使われる言葉は敬語も多く、丁寧すぎて一番分かりにくい。やさしい日本語を使ってください」と語っていたことに考えさせられる。

丁寧な日本語か、やさしい日本語か。決まったルールはもちろんないが、相手に合わせて話し方や使用する語彙を使い分けるのが当然だろう。組織からおしえられた話し方を盲目的に身につけるだけで、相手に伝わらない日本語を使っているとしたら恥ずかしい。

2019年4月16日

みそと日本

広告が面白くない、とずっと思っている。理由はいろいろ考えられるが、結局は広告クリエーターと広告主企業の担当者の問題だ。

腰が引けた広告表現ばかりだとウンザリしながらも、ネットに企業の関心と予算が急速にシフトするなかこうした流れ、つまり広告表現の凡庸化は仕方ないと諦めていた。

そんなとき、こうした広告を見ると「頑張ってるじゃないか」と応援を送りたくなる。


今朝の新聞1面のコラム横、横4.5センチ x 縦6.5センチほどの小さな小さな広告スペース。

コピーは「おみそがダメになったら、日本もダメになると思う。タケヤみそはそんな気持で、一所懸命におみそを作っています」。ど真ん中、ストレートな表現に味噌屋としての矜恃を感じる。

LGBTQのQとは

昨晩、早稲田大学の大隈ガーデンハウスで、異文化交流センター主催のちょっと風変わりなコンサートがあった。

メインの出し物は「シドニー ゲイ&レズビアン合唱団」のコーラス。シドニーを拠点に活動する1991年に設立された「多様性あふれる」合唱団である。パワフルな歌声を12曲ほど披露してくれた。

70名を超える団員がいるらしいが、今回はその中の30〜40名が来日して東京、京都、福岡で公演を行う。


大学を舞台にしたアウトリーチ活動ということもあって、コンサートの途中で結構長々と人権や平等といったことについての講演がはさまれたが、そこでLGBTQという言葉を彼らが何度も使っていたのが気になった。

最後のQとは何か気になり、帰ってから調べると、それはQueer あるいは Questioning を指し、LGBT以外のジェンダーマイノリティのことだったり、それすら自分でよく分からない人たちをQで示しているらしい。

ウルトラQと同じだ。

2019年4月15日

世界を変えた一枚


初めてこれを見せられたら、人は何だと答えるだろう。焦点のぼけたシュガードーナツの写真とか。人は自分の周りの知っているもの、今まで見たことのあるものにそれを重ねようとする。

今年は、一般相対性理論が歴史的な実験によって初めて実証されてから100年の節目の年に当たる。

2019年4月10日、イベント・ホライズン・テレスコープの研究チームは世界6か所で同時に行われた記者会見において、巨大ブラックホールとその影の存在を初めて画像で直接証明することに成功したことを発表した。

今回撮影されたのは、おとめ座銀河団の楕円銀河M87の中心に位置する巨大ブラックホール。このブラックホールは、地球から5500万光年の距離にあり、その質量は太陽の65億倍。

どちらの数字もその規模の想像すらつかない。最先端の科学は哲学的だ。

2019年4月7日

「ひこうき雲」から45年

夕方、帰宅途中に駅前で食料品の買い物を済ませ、いつも通る横浜アリーナの前を通りがかった。気づかずにいたが、今日は松任谷由実の3連続公演の最終日だ。


何かちょっと気になり、買い物のビニール袋を手に当日券売場へ。ちょうどあと10分でその窓口が開くタイミングだった。シャッターが降りたままの窓口には「当日券・立ち見席」と張り紙がしてある。

立ち見はいやなので、指定席券があるかどうかに賭け並ぶ。「会場の機材取り外しのため席がでました」とやらで指定席が手に入った。9720円也。

コンサートのコンセプトは、TIME MACHINE TOUR。彼女のデビュー45周年を記念したコンサート。これまで彼女がやって来たコンサートからのピックアップ、ダイジェストといっていい。アンコール入れて2時間半。

彼女がデビューしたとき、僕は中学三年。だから勝手に、コンサートのお客さんは僕と同じ年か少し上だろうと思っていたが、一回り、二回りも若いお客さんがほとんどだ。ユーミンがそれだけ長くソングライターとして活躍している証拠だな、これは。立派なもんだ。

コンサートは「ベルベット・イースター」で始まり、「ひこうき雲」で幕を閉じた。どちらも彼女が19歳(!)の時にリリースした初アルバム「ひこうき雲」からの曲。うちに帰ってからあらためてそのアルバムを全曲を聞き返してみた。今さらながらだが、詩が洗練されていて完成度が高い。あらためて彼女の才能を確認させられた夜だった。

2019年4月4日

見えてるものと見えないものの間

日産自動車元会長のカルロス・ゴーンが東京地検特捜部によって逮捕された。4度目の逮捕である。容疑は特別背任。一連の事件捜査はずいぶん長く続いている。一体何がどうなってるのか未だ全容がよくわからない。

それにしても、なぜこのような事件が起きたのか。たまさか起こったのか、起きるべくして起こったのかが気になる。

カルロスゴーンは経営界のスーパースターだった。経営破綻の瀬戸際にあった日産自動車の業績をV字回復させた手腕は、停滞する日本経済全体の中で光輝いていた。

それがなぜこのようになってしまったのか。当時瀕死の日産自動車を立ち直すため、彼は提携先のルノーから招かれた。しかしリバイバルプランと呼ばれた彼の改革は、彼自身が策定したものではない。改革案そのものは、すでに日産自動車の中にあったのだ。

しかし当時の日産の経営者では、それらを実行することができなかった。なぜなら日本の経営者にとって最も難しいことの1つは社員や工場の整理、つまり首切りである。また、これまでの系列会社などとの関係解消も難しい。いわゆる日本人同士のしがらみという奴があるからだ。

どんなに明晰で理路整然とした人間でも、こうした点になると多くの日本人は一転して本来の自分ではなくなる。当時の日産自動車の経営者もそれがわかっていたから、自分たちの手で行うのではなく、外圧としての外国人を用いようと考えたわけだ。そして、日本人では行われなかったであろう日産自動車社内の大改革はひとまずは成功した。

ただその際、当時の日本人の経営者たちは、その出口を考えていなかったのかもしれない。つまりはポストゴーンである。ゴーンで経営を再建した後、誰がどのように日産自動車全体の旗振りをするのかというシナリオがなかったのかもしれない。あるいは、全権を掌握したゴーンがそうしたシナリオをつぶしていったのかもしれない。もちろんこれは推測である。

そして日本人の経営層は、それらの成り行きを手をこまねいて見ていたとしか今では思えない。そこがこの事件と日産自動車の不幸の始まりだった。

かつてビジネススクールでも、カルロス・ゴーンがなした日産のV字回復が優れた経営手腕の典型例として積極的に教えられていた。見えていたものと実際に組織内部で起こっていたこと、つまり見えていなかったもののギャップが経営学の教授たちにも全く見えていなかった。

内部と外部の違いと言ってしまえばそれまでだが、今にして思えばカルロスゴーンに我々日本人全体がしてやられたと言う気がしないでもない。

見えるものと見えないもの、それらを理解し、見えないものを見ようとする意志と洞察力、それが今さらながらに求められている。

2019年4月3日

ライフ・イズ・ゴーイング・オン、そして女は強し

ROMAは、映画監督アルフォンソ・キュアロンが1970年代のメキシコを舞台して描いた白黒映画。政治的混乱に揺れる時代背景の中での比較的豊かな中産階級の家庭とそこで働く家政婦が登場人物である。

白黒映画というカラーに比べて情報量の少ない映像だが、だからこそ見るものは自分がその世界の中の一員であるかのような気にさせられる。それはパンをして流れるように映される風景とそこに自分が溶け込んでいるかのような気させる絶妙のカメラワークと不思議な音響効果のせいだ。

映画館の音響設備にもよるのだろうが、僕が今回観た横浜のイオンシネマの劇場では音が270度位の角度から耳に流れ込んできたような印象があった。自分が家の中のソファーに座り、右手に立つ女性が電話で話している一方で、左手の方からは子供たちが遊ぶ声が聞こえてくるような、そんな臨場感あふれる音響の作りだった。

映画の主人公は、この家で働く若い家政婦のクレオ。そしてもう1人挙げるとするなら、この家の主婦であるソフィアだろう。ソフィアの夫やクレオの恋人ら男たちももちろん出てくるが、影が薄い。彼らは格好だけつけているだけで、おおむね意気地がなかったり、無責任な人間として描かれている。

それに対してクレオもソフィアも、ソフィアの母親もみんな普通のメキシコ人ではあるが、勇気と愛に溢れていて、子供たちを心から愛しているまっとうな人間たちだ。

日常の家庭を舞台に取り立てて大事件が起こるというわけではないが、揺れ動く時代背景の中でそれらに対応しながらしぶとく、しかし明るく、愛と勇気を持って生きている女性たちの姿。またそうせざるを得ない人たちを淡々と描くことで「人生は続いていくんだ」と語りかける。
 

2019年4月2日

探し物を見つけるコツは、探さないこと

あるはずの資料が見つからない、必要とする本が書棚に見つからない、買ってきたお土産を家の中にどこに置いたか忘れ見つからない。探し物が見つからなくて部屋の中をあちこち歩き回ることが結構ある。

多くの人も同じかもしれないが、そうした探し物をするために費やす時間は結構馬鹿にならない。時間だけではなく、そこで費やすエネルギーや、なかなか見つからないことから感じるストレスも大きい。

それでも見つかればいいが、見つからなければフラストレーションはますます高まる。その人の気性次第だが、自分なんかは結構ムキになってぜひとも見つけてやるぞと探し物をいつまでも続けることも多い。それで見つかることをもあれば、結局見つからないことも。その時は、時間切れだ。否が応でも諦めるしかない。

そうしたときは徒労感だけが残る。こんなことだったら最初から探さなければよかったと、いささか自分の行動と気持ちを振り返って反省する。

結局、探し物を見つけるコツは探さないことかもしれない。

探さなくても探し物は結構現れてくる。そんな経験は誰しもがあることだろう。思いもかけないところに隠れていたり、あるのにただ見えていなかったり、といったことも結構ある。忘れた頃に、ひょんなことから現れてくるのだ。

探さずして見つけることの最大のメリットは、得られる安堵感である。 
 

2019年4月1日

広告に一番たいせつなのは「らしさ」

本日、新しい元号が発表された。その名は令和だという。典拠は万葉集。初めて日本の書物から採ったというのが、いかにも現政権らしい。


ところで、今日の新聞の全面見開き広告にこんな広告が載っていた。小渕恵三よろしく、香川照之がキンチョールと書かれた額を思いっきり神妙なおもむきで掲げている。これを見た誰もがニヤッとしたことだろう。

なかなかのアイデア。キンチョーらしい。たぶん社内でも、こんな季節外れに何千万円もかけて殺虫剤の広告を出したって商品が売れるわけない、と反対の意見も多かったに違いない。それにもかかわらず、「エイプリル・フールだし、やっちゃえ」とばかりに殺虫剤の広告を出したのが清々しい。
それはそうとして、どうしてこのアイデアを他の企業では思いつかなかったのだろう。何十年に1度できるかどうかのチャンスである。その機会を逃した広告マンたちの多くは、このキンチョーの広告を見て今頃歯ぎしりをしているだろう。
広告媒体の中で、インターネットに押されて印刷媒体の肌色はよくない。実際、出稿量からみた広告主にとっての重要性は減少をたどる一方だけど、その紙面の大きさを活かしてアイデア次第でこんな事ができるんだということを示した広告主企業の宣伝部と広告クリエイターに拍手だ。

2019年3月31日

最も大切な問い ーー それ、何のためにやってるのか?

『学校の「当たり前」をやめた』(時事通信)の著者、工藤勇一さんは2014年から千代田区立麹町中学校の校長を務めている現役の教育者だ。

彼はこう述べる。
「みんな仲良く」と教室に掲げても、子供たちは仲良くなりません。他者意識のない作文、目的意識のない行事、すべてやめませんか。
もっともだと思う。実際、彼の発案とリーダーシップで、麹町中学では宿題を出すのをやめ、定期考査を行うのもやめた。考えることを求めず、ただ生徒がこなすことに躍起になっていることを続けることに疑問をもったことから宿題をやめた。

「ゆとり教育」とかそういったことではない。授業で学んだことを繰り返しても、「できないことができる」ようにはならないからだ。

生徒たちには、与えられたことをこなすのではなく、勉強の中身を充実させるように自律的に学ぶ経験を求めている。さらには、学校ではしっかり学び、家では好きな音楽を聴いたり、本を読んだり、スポーツをしたり、ぼんやりと思索する時間を持った方がよいとの考えがベースにある。

こうした方法が採れるのは、何が本当に大切なことかをきちんと理解しているから。何が真の目的で、何がそのための手段なのかを冷静に考えた上で、これまで「当たり前」とされていたことをゼロベースで考え直し、変えて行ったのは見事である。

だから、生徒たちの服装や髪の色にはほとんど関心を示さない。それらはどうでもいいことなのである。

一方で、世の中には服装の乱れが心の乱れの元になり、生活態度や学習態度に悪影響を及ぼす、だから、厳しく服装や髪型を規則で縛るべきだという考えもある。

だが、無理やり表層的に矯正しても本人が納得していなければ、ほとんど教育的な効果はない。そうした当たり前の事が学校での生徒指導に欠けていた。これまでやってきたことを継続することが教育だと現場は思ってきたことが、彼の本を読んでよく分かる。

本来、何のためにそれが必要なのか、何のために行われていたのかが抜け落ちたまま、そうした手段がいつのまにか目的になっていることの何と多いことか。中学教育の場だけを言っているのではない。

われわれの周りを見渡せば、どこの職場にも「そう言われてみれば、何でこんなことやっているのか説明できない」ことが多々あるはず。ないという人は、ある意味、もう終わっている人だ。


ところで、明日(4月1日)から働き方改革関連法が施行される。企業には、社員の残業を減らしたり、有給休暇の消化率を上げることが求められ、ルールを破ると罰則もある。

例えば、残業時間の上限は、原則月45時間。違反企業には罰金が科される。年次有給休暇は社員に最低5日は取得させる義務が企業に課される。これも達成できないと、一人当たり最大30万円の罰金が科される。(なぜその社員に払われるのではなく、国へ支払う罰金なんだろう・・・)

どちらも、目的と手段を取り違えているように思えてならない。

「何のためにやっているのか?」というシンプルな問いを立て、その答えを見つけることでこの国の企業は、大学は、教育は、社会はずっとよく変わっていく。

惰性で続けている意味のないことをやめること。目の前の課題は本来、何か上位の目的があってのことなのに、それ自体を達成することが目的化してしまっていることは思いのほか多いはずだ。

2019年3月26日

目黒川の桜 3月26日

今日は中目黒駅で一旦下車。目黒川沿いの桜はどんなものか足を運んでみた。ソメイヨシノがもう5分咲以上の開花だ。


2019年3月24日

ヘルメットはベトナム仕様

ベトナムは、モーターバイク社会だ。特に都市部では昼となく夜となく、小型バイクが所狭しと走り回っている。


朝夕の通勤だけでなく、聞くところによると、夕食後は家族で1台のモーターバイクにまたがり街中を走り回ることをよく彼らはやっているらしい。どこに行くというのではない。ただのレジャー、気晴らしだという。

そうした時ハンドルを握るのは、やっぱりお父さん。後ろにお母さんが座り、その間にひとり、あるいはふたりの子供がはさまれている姿が一般的。50ccのバイクに家族4人が乗って街中を走る。端からは決して安全には見えないが、子供らはみんな父親と母親を信頼しているのだろう。眠っている子供すらいる。これが家族団らんの秘訣かもしれない。

ベトナムの若い女性はポニーテールが圧倒的に多い。流行っているのか、ただ簡単だからかしらないけど。

そのためか、ベトナムのバイク用ヘルメットの後ろの部分は、その「尻尾」がちゃんと出るようにカットされている。ベトナムだけじゃないかな。少なくとも、日本にはこんなのない。なかなかかわいい。

ホアンキエム湖の女子学生たち

日曜日の朝、朝食後、ハノイのホテルを出て近くのホアンキエム湖へ散歩に行った。
湖の周辺は週末らしく、若者がスポーツに興じたり、カラオケを楽しんだりゆっくりと時間を過ごしている。
歩いていると、白人のバックパッカーカップルがベトナムの女性たちに囲まれて、何やら立ち話をしている様子。近くを通りすがりにカメラを向けたらその中の1人がこちらにやってきて、5分だけ時間をもらえないだろうか、英会話の練習に付き合って欲しいと言う。
可愛らしいベトナム娘の申し出に心は揺れたが、僕の岡山弁訛りの英語を覚えてもらうのなんだかなと思い丁重にお断りした。
それにしても、日曜日の朝にこうやって大学生たちが観光客を練習台に英会話のトレーニングに励んでいるなんてのは、今の日本じゃほとんど見られない光景ではないか。成長著しいベトナムのエネルギーのひとつと感じた。



2019年3月23日

Cong Caphe コン・カフェ

コンカフェはベトナムで、特に若者たちに今人気のカフェ。コンカフェのコン(Cong)はベトコンのコンだ。

スタッフはみんな迷彩カラーのユニフォームを身につけ、むき出しのレンガの壁には懐かしのプロレテリアアートをイメージしたものが飾られている。

ハノイだけでなく、ホーチミン市やダナンにも支店があるらしい。



2019年3月22日

子供らがかわいい

アジアの少数山岳民族の村を中心に、現地に小学校や中学校を建てる活動をしている NPO団体、アジア教育友好協会(AEFA)の人たちとベトナムを訪れた。

ここは、ベトナムのトゥエンクアン省カンバオ村の小学校。子供たちがかわいらしい。まさに絵に描いたような純真な瞳に、忘れていたはるか昔の懐かしい想いが押し寄せてくるような感じだ。



子供たちがいま学んでいる校舎は、かつてその村が米を収納しておくための倉庫を改修したもの。設備も教材も、何もかもが我々の目からは間違いなく最低限のものだった。それでも子どもたちの学ぶ意欲の輝きは何ものにも代えがたいものに映った。

2019年3月21日

太鼓がおしえてくれる

ベトナムのハノイ国際空港から北西へクルマで2時間半ほど。トゥエンクアン省のナンリー小中学校。

授業の開始と終わりには、太鼓がどんどんどんと打ち鳴らされる。