2017年10月30日

不正そのものが競争力低下の原因ではない

日産自動車の国内のすべての工場で、無資格の従業員による新車の完成検査がなされていたことが明らかになった。

続いて神戸製鋼所で、取引先の求める基準に達していない製品の検査データを書き換えていたことも明らかになった。その後、日産と同様に、スバル自動車でも完成車の検査を無資格の検査員が行っていたことが表沙汰になった。

日本を代表する製造業メーカー各社で、そうした不祥事が相次いでいるという報道が新聞などマスコミでなされ、そうした点が国際競争力を急速失いつつある日本の製造業の一つの象徴のように語られている。モラルハザードだと取り上げ、まるで貧すれば鈍す、といった論調なのだ。

しかし、実態はそうだろうか。日産自動車、神戸製鋼所、スバル自動車、いずれの企業もこうした不適切な検査体制やデータ改ざんは最近なって行われたのではなく、以前からなされていたのである。

日産において完成検査の不正は40年前から。スバルも30年以上前からずっと無資格検査員による検査が常態化していたという。神戸製鋼での製品の性能データ改ざんは、会社発表では10年ほど前と言っているが、元社員によれば少なくとも40年以上前からやっていたとされている。

いずれの企業においても長年にわたって行われてきていたが、ただそれらがこれまでは明るみに出なかっただけ。別に最近になって日本企業のモラルが急速に低下したわけではない。むしろ、以前は公にされなかったそうした情報が表に出てくるようになったのは、その面では好ましい方向に向かっていると言うことができる。

人は金槌を手にすると、釘を探す。マスコミはこれらの企業の不正という金槌を手にし、国際競争力の低下という目先の釘に早計に飛び付いてしまった。長年にわたって不正を続けるなど、彼らのモラルダウンはもちろん褒められたものではない。しかし、もの作りの競争力とは直接の関係はなかった。現場がそれだけ実際によいものを作っていたからだ。

近年、日本の製造業が外国の同業者に追い越されているのは、経営者の能力と戦略のなさが理由である。東芝などその典型だ。そこをもっと仔細に分析していかなければ、いつまで経っても表層を撫でているだけで事の本質に迫れはしない。

2017年10月26日

シリウス、輝く

このところ雨が多い。台風も次々と日本周辺を襲う。秋の長雨というが、それにしても毎日しとしとよく雨が降る。降らない日でもどんよりした曇り空の日々が続く。

今日はやっと秋らしい天気の一日だった。これがこのまま続いてくれるとうれしいのだけど、天気予報によると週末はまた雨だとか。

今夜は南の空におおいぬ座のシリウスがひときわきれいに輝き、明るい瞬きを見せている。今の季節、南向きのバルコニーからほぼ正面に見える。その右上にはオリオン座が輝いている。

天気のいい日には、毎晩寝る前にシリウスを眺めるのがここ数年来の僕の習慣。その星までの距離、8.6光年である。

2017年10月19日

「演奏すれば思い出すだろう」

昨晩、今年69歳になったジャクソン・ブラウンのコンサートを、雨のなか渋谷オーチャードホールへ聴きに行った。東京公演の最終日である。

髪の毛には白いものが混じっていて、それなりに年輪を感じさせるところもあったけど、髪型も体型も同じ。声の艶も衰えてはいない。ストーンズやマッカートニーを持ち出すまでもなく、ロックミュージシャンって息が長い。

観客は、オヤジとオバサンが圧倒的だ。70年代あたりに学生時代を過ごし、その頃からJBの曲をよく聴いていたという連中だろう。そういう僕もその一人。彼のコンサートはたぶん3回目。正確には覚えていないが、最初が20年ほど前で、次は10年ほど前だったような気がする。

席は2階席の最前列。ステージ全体が見回せて、意外と良かった。1階席は、オヤジ、オバハンにもかかわらずスタンディングで声援を送る観客たちがいて、もうちょっとそういうのには遠慮したい自分のようなファンには2階がちょうどいい。

バンド(特にギターのグレッグ・リース)もいいし、コーラスの女性2人も張りがあってとても良かった。

彼は日本公演は慣れたものだし、日本のファンがどういった連中かもよく知っていて、緊張感の中にもリラックスした雰囲気が伝わってきた。「ファーザー・オン」を歌い始めるときには、「演奏すれば思い出すだろう」と言って始めたくらい。

この位のゆとり感がいい。もう半世紀近く、ミュージシャンをやってる。その経験と自信があればこそ。
 

2017年10月14日

「増毛のために髪の毛を食べるようなもの」

国内の健康食品・サプリメントの市場規模は、年間1兆6000億円と推計されている。この金額は、日本の出版業界のそのを超える規模を示している。

サプリは病気を治すための薬ではないので、その効果のほどは感覚的なものになる。サプリが効くかどうかは、気分が重要である。

マーケティング的にサプリは、買い手がその商品やサービスに価値があるかどうかは、彼らがそう思うかどうか次第だという「信用財」だといえる。鰯の頭も信心から、の類だ。

だからなのか、グルコサミンサプリの販売で知られているのは、大手の製薬会社と大手のビール会社系のサプリ販売会社である。いずれも知名度だけは抜群の企業だ。それを最大限活かして、利益率もまた抜群にいいサプリを通販で売っている。

「グルコサミンは効かない!」と題する記事を目にした。グルコサミンは、膝や腰の痛みを和らげるとの効用で売られている成分サプリである。

グルコサミンが効くかどうかに関しては、以前から「効く」「効かない」の両論があった。だが、最新の研究でグルコサミンは効かないことが証明された。

研究者によれば「グルコサミンは糖分の一種で、大部分が腸内細菌のエサになって終わりです。一部が小腸で吸収されるかもしれませんが、それば損傷した関節へ到達し、軟骨成分になるとは考えられません」とある。

いわば、グルコサミンのサプリを飲んで関節痛を治そうとするのは「増毛のために髪の毛を食べるようなもの」なのである。これは、おまじないと同じ。

売れればいいのか。科学的に効果が証明されていない成分を、さも効くように表現し続けていいはずはない。病気に苦しむ多くの人たちの弱みにつけ込んでいる、まやかしビジネス。倫理的な問題を感じる。

2017年9月30日

休み方改革とロケット旅行

新聞で「社員の休み方改革加速」という記事を読んだ。

ある新聞社が実施した社長100人アンケートをもとにしたもので、対象となった企業の9割が社員の有給休暇取得率を引き上げる方向性であると回答している。

長時間労働是正が目的とされているが、当時新入社員だった女性が自殺した違法残業事件が起きた電通では、有給休暇取得を義務化する方向で進めているらしい。
そもそも有給休暇は、働く人たちの権利であって義務ではないはず。電通で起きたように実際になされた残業がその通り記録されていなかったり、上司からの圧力によって無理やり残業が行われていたといった点は会社側の責任によって改善がなされなければならない。
だが、そもそも有給休暇を取るかどうかは社員次第。決して義務ではないはず。あくまでも権利である。もし会社が有給休暇取得を義務と考えるのであれば、当初から会社の就業日数を減らせばいいのである。
なぜこんなちぐはぐなことが発生するのだろう。その社長アンケートとやらによると、改善すべき項目として管理職の意識改革が79%、職場風土の改善が78%といった数字が挙げられている。管理職の意識改革は確かに企業が行うべきことかもしれない、しかし職場風土の改善をその企業が自分たちでどのように行うのだろう。
「社員の休み方改革」という名称も変だ。もし企業の視点から言うのであれば、「社員の休ませ方改革」ということになるのだろう。しかし、それもどうもしっくりこない。休もうが休むまいがそれは社員の勝手である。
有給休暇の取り方までなぜ会社が、しかも会社のトップが考えなくてはならないのだろう。これはある意味で、未だ日本の企業では、多くの社員たちの生活のほとんどが会社に依っているということの証左だろう。
同じ新聞の見開き対向面に目をやると、びっくりさせられる記事が目に飛び込んできた。

小さな囲み記事だが、そのタイトルは「ロケットで海外旅行」とある。イーロン・マスクが率いる米国の宇宙開発ベンチャー、スペース X 社が最大240人収容できる超大型ロケットを使って2022年以降に長距離旅客輸送に進出することを発表した。

最高時速は2万7000km で、宇宙空間を通過し地球上の主要都市を30分程度で結ぶ。実現すれば、東京とアジアの主要都市は約30分前後で移動できる。ニューヨークとロサンゼルス間は25分。山手線で新宿駅から新橋駅まで移動するのと同じ時間である。

今後、大都市の沿岸に小規模な海上発着台を建設するという構想である。まさに夢のような話にも聞こえるが、2022年といえばわずか5年後の話。スペース X 社の社員や経営者は、社員の休み方改革など考えてる暇は微塵もないはずだ。

経営者がやらなければならないことは、社員の有給休暇取得率を気にしたりそれをいかに上げるかに時間を割くのではなく、グーグルのエリック・シュミットらがいう「スマート・クリエイティブ」という、新しいやり方を自分でつくり出すことができる人材を社内に増殖させること。そして彼らに責任と自由と彼らが楽しめる仕事を与え、思いっきりそれに没頭させることだ。

社長が社員の勤務形態を考えることに時間を費やしたり、出退管理を気にしていてはいかんのである。そんな企業は早晩市場から消えることになる。

2017年9月29日

文部科学省って天才?

今日の新聞記事から。

文科省が本日、東京23区内の私立大学は学生の定員を増やすこともはまかり成らぬという正式の告示を出した。

その理由は、彼らによると「学生の過度の東京集中により地方大学の経営悪化や、東京圏周縁で大学が撤退した地域の衰退が懸念される」からとしている。

つまり、何だ・・・、東京の大学(それもなぜか私立大学だけ)の定員を抑えることで、若者を地方に留めおくことができ、ひいてはそのことで地方創成が実現できると考えているわけだ。

冗談のような話。発想がけちくさいというか。いつもながらに、文科省の役人らの思考回路はショートしている。

都内の大学の定員増分に入らなかった受験生たちが、なぜ地元にそのまま残ると考えるのだろうか。東京でなくても京都や大阪など、大学をたくさん抱える都市はたくさんあるしね。 

そのうち、文科省からの告示で、20歳未満の人が東京以外から都内に入る際には関所か何かが設けられ、そこで都内での滞在期間が明記された通行手形を見せることを要求されたり、そこで都内滞在日数に応じて通行料が課せられたりするようになったりして。

彼らの発想を敷衍するなら、東京都内から大学を無くしていけば人口の一極集中がなくなり地方が栄えていく、という話になるが、役人はどうしてこんな勘違いに自分たちで気がつかないのだろう。

都内への人口集中をそれほどまでして減らしたいのなら、まずはさっさと文科省の役人を束にして都内から地方へ放り出すことだ。どこもいらないというだろうが。

さらに付け加えるならば、都内の大学の定員増を認めないことで影響が出るのは、その追加定員分に入らなかった受験生である。あくまで入試学力の面だけで述べるが、その程度の学力の若者たちだ。

そうした若者を、東京の大学に入学できないようにしてまで地方に留めおいて何があるのか。地方の発展や隆盛を期待するのであれば、人物、学力とも第一級の若者を東京なり外国でしっかり学ばせ、仕事なども経験させた後、彼らが地元に戻ってきて活躍したいと思えるような地元の街づくりと施策を考えるべきではないか。

いずれにせよ、こうしたことは国がああだこうだということでなく、各自治体が知恵を絞るしかない。


2017年9月18日

死亡奨励金

今日は敬老の日ということで、ある新聞一面の見出しの一つは「65歳以上3514万人 過去最多、人口の27.7%」だった。
65歳以上の高齢者人口は前年より57万人増え、過去最高を記録。90歳以上は初めて200万人を超えたという。これは国勢調査を基にした人口推計である。
国立社会保障・人口問題研究所の推計では、第2次ベビーブーム世代が65歳以上になる2040年には総人口の35.3%が高齢者となる見通し。
つまり、これから20年あまり、毎年敬老の日の新聞の見出しは「65歳以上 3○○○万人 過去最多、人口の○○%」という見出しが続くことになるのだろうか。それとも新聞社がその記事のアホらしさに気づいて、途中で止めるだろうか。

本来、敬老とは老人を敬うこと。祝日法によれば、敬老の日は「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことが趣旨とされている。

しかし、今日の新聞記事にもあるように、高齢者人口の増加と一緒に必ず語られることは、医療費や介護にかかる費用が年々膨らみ続けていて下の世代にますますしわ寄せが来ていること、そしてこのままの制度は維持できないということ。老人への敬愛や長寿のお祝いなど、すっかり片隅に追いやられている。

人が年をとり高齢者になることは、もうおめでたいことではなく、歓迎されるものでもなくなってきている。高齢者=社会の負担ということか。

社会保障の内容が細っていくに従って自己負担額が増加し、これまでのような医療や介護を特に貧困者は受けられなくなる。 

そのうち高齢者になる65歳を境に、死んだら国から奨励金か何かが残された者に支払われるようになるかもしれない。もちろん早ければ早いほど制度的に優遇され、65歳死亡時での受給額が最大だ。

そうして「国民のみなさん、(高齢者になったら)早く死んだ方がトクですよ〜」と国が巧妙に国民へ刷り込みを始めるようになる。もちろん政治家や官僚、大金持ちは別枠で、そうした連中はいつまでも長寿を目指し権力に汲々とし続ける。

近い将来的には、金や権力を持つ者と持たない者の間で、新たな格差である寿命格差が生まれてくるに違いないと見ている。

2017年9月17日

東京の観光振興を考える有識者会議 8月

先月出席した東京都の会議の様子がYouTubeに掲載されているのを見つけた。



2017年9月9日

単なる欠陥駅では済まない

東横線&副都心線を通勤でよく利用する。そのため渋谷駅は通過はしているが、そこで降りることはめったにない。あまり降りたくないとも思っている。

だが、取材先の企業が渋谷にあれば、仕方なくそこで降りることになる。つい先日、ある企業を訪ねるため東横線の渋谷駅で電車を降り、構内見取り図で自分が目指す方面へ出る出口が15番であることを確認。掲示を探すと14から16の出口方面への矢印があったので、それに沿って進む。

ところが、14番出口の隣が16番になっている。15番出口がない。たまたま近くに東急電鉄の定期券売場を見つけたので、そこに飛び込みどうなっているのか聞いた。14と16とはまったくかけ離れた場所に15があることを案内された。なぜそうなっているのか尋ねたら、「この駅は迷路のようになってしまっていて、複雑すぎて僕たちにもよく分かりません」と言う。

駅員からしてこうだ。 それでも通勤や通学で毎日使用している客は、それなりに「慣れて」麻痺し、そんなものと思っているのかもしれない。

問題は、たまたまこの駅を利用した不慣れな客だ。特に、視覚障害のある人にとっては、この駅は間違いなく地獄である。

案内や表示が不備で統一感がなく、階層が地下何階にも分かれ、階段やホームが信じられないほど狭いこの駅を目が見えない状況で移動できたらオリンピックものだ。他線へのスムーズな乗換などまず不可能。初めて日本に来た海外からの観光客たちも、間違いなく途方に暮れる。

新宿駅や池袋駅、東京駅といった他のターミナル駅に比べて白杖の人や車椅子の人が極端に少ないのは、そうしたことが理由なのだ。彼らは自らのことであり、よく知っている。

構造が分かりづらく不親切なだけでない、視覚障害者用の点字ブロックの設置の仕方もおかしい。下の写真では、一般の歩行者用通路は左側通行で両方向の流れが設置されていて対面でぶつからないようにしているが、点字ブロックは片側に一本だけしかない。


しかも、杖を頼りにあるく盲人用の点字ブロックと建物の壁面は、50センチも離れておらず、危険極まりない。障害者は端っこを歩いてろ、と言わんばかりである。

バリアフリー? いちおうちゃんとやってまっせ、という電鉄会社の言い訳だけがそこに見える。

こうした駅の仕組みが視覚障害者などにとって不都合であることを具体的な例を挙げて駅員に説明したが、その時返ってきたのが先の「複雑すぎて、僕たちにもよく分かりません」という情けない返答だった。

こんなとんでもない駅が今どきあること自体が許せない気分だ。入場無料のStation Jazzも結構だが、その前にすぐにでもやることがあるだろう。

2017年9月3日

月を見てから寝床に入る

しばらく前から、睡眠を管理するためのアプリを使っている。

寝入りばなは静かなBGMで眠りを誘い、朝は設定した目覚まし時間を参考にしながらレム睡眠のタイミングで起こしてくれる。睡眠中の覚醒の波(度合い)も記録し、朝目覚めたときにその日の睡眠の快眠度を数値で示してくれる。

スマホは厳密な診断機器ではないので、いずれの値もどこまで正確なものかわからないが、自分の睡眠の質を改善していくための参考にはなると思っている。

そのアプリの診断のひとつが、月齢と快眠度の関係。僕の場合は、月齢で7から23あたりが快眠度が高いことがはっきりと分かる。三日月が上弦の月になる頃から下弦の月にいたる手前あたりである。


ただし、月の満ち欠けと人体の関係についての科学的な証明はなされていない。

スイスのバーゼル大学で行われた研究では、満月の時に人間の睡眠は乱されるとの研究結果が出ている。僕の場合は、満月の頃ぐっすり眠れているらしく、それとは傾向が逆だ。


2017年9月2日

民止党代表決定

民進党が臨時党大会を開き、そこで代表に前原なにがしが決まったらしい。蓮舫も政治家としての色気(女性の色気ではない)に欠けた代表だったが、それにも増して冴えないサイテーの人物を党首に選んだものである。進歩がない政党である。

2017年8月30日

越えられる人間の知性、越えられない子ガメの野性

鹿児島県・屋久島の北東部にある永田集落のいなか浜は、北半球最大のアオウミガメの産卵地として知られている。今日の昼間、まぶしい日射しのなか訪ねてみた。


アカウミガメの産卵の時期のピークは、5月から7月。だから、僕が行ったこの時期はもう産卵が終わり、浜の陸地に近いあたりには砂浜に細い棒が何本も立てられていた。

ここにウミガメの卵が埋まっているから立ち寄らないでね、という意味で地元の人たちが立てた印である。

60日ほどで孵化するので、ちょうど砂の下で卵は孵化している最中のはず。一匹のアカウミガメから一度に生み付けられる卵の数は100から140個。殻を破って出てくるのは夜中だけ。外敵から身を守るためだろう。砂の表面の温度の変化から時間帯を知って、這い出てくるのだという。

3日から7日間かけて地表に出てきた子ガメたちは、夜を待って巣穴から一斉に這い出し一目散に海に向かう。その後は広い太平洋で回遊生活を送り、若い頃は海を渡った北米大陸の沿岸で過ごしているという。

30年ほどで成人ガメになり、また屋久島の浜に産卵のため戻って来るのである。いつもは海中で暮らしているので、浜に上がってくるのは産卵の時だけだ。

それにしても、彼らが生まれながらに備えているコンパスというかGPS機能はすばらしい。子ガメは海を見たことがないのに、どうやって砂から這い出した後、海の方向が分かるのか。そして30年も経ってどうやって自分が生まれた屋久島の場所を知ることができるのか、本当に不思議だ。

2045年にはAI(人工知能)が人間の知性を越えるシンギュラリティ(技術的特異点)がやって来るとか聞かされると、僕はちっぽけな子ガメの姿を思い浮かべ、ケッと思う。

2017年8月26日

鹿児島桜島

ゼミ合宿で初めて訪れた鹿児島。その中心にある桜島の姿。



2017年8月20日

支援します。

先日、それまでWBC世界バンタム級のチャンピオンだった山中慎介選手が、13回目の連続防衛を目指した世界タイトルマッチが行われた。結果は残念ながら、山中のTKO負けである。

相手の選手は、メキシコ人のルイス・ネリ、22歳。同ランキング第1位の選手で、23選全勝のボクサーである。ちなみに、山中選手は34歳。

第4ラウンド、残りあと30秒でセコンドにいるトレーナーから投げ入れられたタオル。本人は終わったあと、もう少しやれたと思っただろうが、それはそれで仕方がない。

話は変わるが、金曜日の新聞に全面の意見広告が掲載されていた。袴田さんの事件の再審の早期開始を求める内容だ。

一番下に記載されている広告主に目が行ったのだが、そこに日本プロボクシング協会袴田巌支援委員会という文字を見つけた。


1966年に袴田さんが、その後「袴田事件」といわれる不当逮捕でつかまったとき、彼はプロボクサーだった。彼が検察から「狙われた」理由のひとつとして言われているのが、ボクサーという職業への偏見だった。

そんな袴田さんを支援する輪の中の1つに、WBC(世界ボクシング評議会)がある。僕は知らなかったが、WBCは袴田さんに名誉チャンピオンベルトを贈り、その支援を明らかにしている。

僕も支援のいくばくかの金を送金した。

*今年5月に行われた村田ーエンダムのミドル級タイトルマッチを行い、とんでもない判定をパナマ人ジャッジが行ったWBAは、WBCとは別の団体である。

2017年8月19日

情報操作

今朝の日本経済新聞の第1面は、「米労働市場に異変」という見出しの記事だった。サブタイトルは「働き盛りの男性の参加率 主要国最低」。

そこに添えられていたのが、トランプ大統領の写真と下記のグラフである。


これは、つねづね学生たちに対して注意しなければならないバイアスのかかったグラフだと示している作図の仕方の典型例である。

このグラフから言えることは、ここで示されたOECD5カ国の中で2016年では日本が最高(約95%)、米国が最低(約89%)、そしてフランス、ドイツ、英国の欧州勢がその中間(約92〜93%)であること。あと2009年から米国の数値がそれまでと比べて急に下がって来たこと。

ただ、この図を見ると、誰もが米国の近年の数値が他国に比べて極端に低いと感じるに違いない。その理由は明らかで、グラフの縦軸の数値が0から始まるところが88から始まっているからである。

新聞社が、こんな作図をしては絶対にだめ。社内で誰も指摘しないまま、こんなものが1面トップ記事に掲載されてしまう日本の新聞社のダメさ加減が出ている。

捏造ではないが、ある意味での「操作」であると捉えられてもしかたない。データの最も基本的な扱いすら分かっていないことが読者に明らかになってしまったね。

2017年8月15日

日本の教育はどこへ行く

大学入試改革で、英語に関して読む、聞く、書く、話すの4技能のテストが導入されるらしい。

日本学術振興会理事長の安西祐一郎氏(前慶応大学塾長)は、その改革の意味について先日の新聞紙上で次のように述べている。
これからの時代には自分の思考内容を明確にし、それを論旨明快に相手に伝える方法の1つとして、英語力を身につけることが肝要だからである。高校や大学では、英語は主体的に思考、判断、表現する方法の1つと考えるべきであり、書く・話す鍛錬が極めて重要になる。
彼が言っている「これからの時代」とは何なのか、分からない。思考内容を明確にすることや、それを相手に伝えることと英語力はどういう関係があるのかも分からないし、なぜそれが肝要であると主張できるのかも理解できない。

英語が主体的に思考、判断、表現する手段の1つ、という彼の考えもまた意味不明である。英語は言語の1つとして表現の1つではあるが、それが思考やまして判断の手段だと述べる意図はどこにあるのだろう。

このように日本語でも何を言っているのか分からない大人が多いのに(たぶん本人はそれに気づいていないのがいっそう残念)、どうして高校生たちに入試で過大な負荷を負わせたがるのか。論理的な思考や判断、その表現は母国語で鍛えるのが基本だろう。

なぜなら、日本語で考えたり表現できない内容を外国語で伝えることができないのは明らかだからだ。

こうした奇妙な「改革」で喜ぶのは、受験業者、英会話学校、帰国子女だ。高校時代の夏休みに欧米に語学留学に出かけることができる親の経済力がある子供と、そうでない子供の格差も確実に拡がってくことが予想される。どんな阿呆でも若い時に英語環境で暮らせば、それなりに聞け、話せるようになる。話す中身は別としても。

このようなしょうもない入試改革を発想する連中は、自らが大いなる英語コンプレックスと白人コンプレックスを胸に抱えて生きてきた人たちなんだと思う。


2017年8月14日

中国からの攻撃が続く

8月11日の早朝、大学のメールシステムから、まもなく割り当てのサーバー容量に達してメールが使えなくなりますというメールが来た。

もともと大学の個人割り当ての容量は2Gバイトと少ないのではあるが、それでもまだそんなはずはないはず。ところが確認してみると、何千というメールが来ている。驚いている間も次から次へと来ているではないか。

件名は長々と漢字の羅列。簡体字が多いので、どうもいずれも中国かららしいと思い調べたら、やはりそれらの多くはqq.com(テンセント)や126.comという中国のフリーメールからの発信だった。


それにしても人迷惑な。それら中国のドメインや件名の共通項をフィルタにしてメールを即時破棄にするように設定したが、どういうわけか大学のそうしたシステムの精度はあまりよくない。今もフィルタにかからず着信するメールが山のようにあるので困ったものである。

さらに困った(つまり「やられた」)のは、大学のアドレス宛のメールを転送している先のGmailのアドレスが、短期間にあまりにも大量のメールを受信したということで、メールの受信に制限をかけられてしまい、一切届かなくなった。

さらに悪いことには、8月11日から20日までは大学が一斉休業に入るため、通常であればこうしたことに対応してくれるITサポートの手助けも21日まで待つしかない。このタイミング、狙ったか?

特定の誰に文句を言えばいいというのではないのが、腹立たしい。

2017年8月5日

意味のない形式主義が日本の生産性を下げている

2か月に一度送られてくる水道料金の支払いをクレジットカード払いにした。

引っ越して来てから2年近く毎回コンビニで支払いを済ませていて特段面倒というほどのこともなかったが、省けるルーティーンの手間は省こうというくらいの考えだった。

水道局の担当部署に連絡して支払い方法変更のための用紙(はがき)を送ってもらった。必要事項を記入して送付。これで完了かと思ったら、簡易書留で送り返されてきた(そのために不在配達書に日時を書き込み、後日自宅待機して受け取った)。

必要事項の記載に漏れがあるので、記入の上で再度送るようにと書かれた添え状が付いている。

記載が漏れていたのは、名前の「フリガナ」欄だった。といっても、名前の欄にはクレジットカードの名義人名を書くようになっていたので、名前はカタカタで記入しておいた。だから、あえてフリガナを振る必要は無いと判断して記入しなかったのだ。

しかし、そこが空欄だから処理できないと送り返されたきたわけだ。

単に形式的なものをそろえるために余計な時間とコストをかけていることに、どうして疑問をもたないのだろう。

「考え、判断する」ことを放棄している。これなら担当はロボットでいい。

2017年7月15日

即日売り切れ

週刊文春の表紙は、長年にわたってイラストレーターの和田誠さんが描いている。独特の暖かなタッチ。和田さんの絵は、それとすぐ分かる。

際どいスクープを連発している週刊文春が、一方で常識と普遍性のようなものを読者に感じさせているとしたら、その半分くらいは和田誠の描く表紙が影響しているように思う。

その和田さんの描く表紙が、2000回を迎えた。40年間である。それが、毎週毎週だ。すごいとしか言いようがない。しかも、その表紙の絵を見る限り、和田さんは毎週頭をひねりつつ楽しみながら書いている(に違いないように僕には思える)。

2000回を記念してメモリアルクロックなるものを週刊文春と和田さんが売り出したのだが、申込をしたところ即日「完売」ということだった。

台数限定販売なのは分かっていたが、即日完売とは。全国に大勢の和田誠ファンがいることを忘れていた。しまった。

2017年7月7日

バルミューダ創業者の本

著者の寺尾玄は1973年生まれ。独特の設計で知られる扇風機を生み出したバルミューダ社の創業者だ。 


彼が設計して売り出したグリーンファンという名の扇風機は、値段が3万円以上するにもかかわらず人気商品で売れている。

最小消費電力3Wという一般的な扇風機の約10分の1の消費電力。最弱運転時の動作音はわずか13dB(デシベル)、人間の耳ではほとんど認識できないような圧倒的な静音性能を持つだけでなく、送られてくる風が従来の扇風機とまるで違うらしい。木陰で涼んでいるときに吹いてくるような自然の風らしい。

寺尾は、両親の離婚や母親の死、そして高校の進路進藤のやり方に強烈な違和感を感じて学校を退学、あとはお決まりように海外放浪へ。帰国後はロックミュージシャンを目指して活動を開始。バンドを組み、やがて何とかレーベルデビューを図るという矢先に契約を破棄されるという経験をする。

生きていかなければならない。そうした差し迫った時に、たまたま奥さんが持っていた雑誌でものづくりのデザインの面白さに気がつく。
試行錯誤の末、売れるモノ、つまり必要とされる物をつくらなければと考えた彼の頭に去来したものが扇風機。「なぜ扇風機の風は人工的で気持ちが良くないんだろう」という昔から感じていたという問題意識である。そこから彼の新たな闘いが始まった。

「掃除機はどれもなぜ使っているうちに吸引力がすぐに落ちてしまうのか」という不満を持ったジェームス・ダイソンが、自らそれを解決するためにそれまで誰も不思議に思ってこなかった掃除機という超成熟製品に目を付けてそこにイノベーションを起こそうとしたのと似ている。

ものづくりはおろか、それまで会社員をしたこともなかった寺尾が、そのために身につけなければならないと思ったことを取得していくすべは、そうした技術や経験をもつ人から学ぶしかない。早速町工場をいくつも訪ね、材料のことや加工のことを体で学んでいく。切羽詰まった人間の捨て身と言えるが、これくらいやらなければ考えを形にできないことをよく知っての極めて合理的な行動である。

会社が倒れるかどうかという資金と時間のなかでの闘いは(本人には申し訳ないが)スリリングだ。

自分がやりたいことを自分の手でつかもうとする姿勢と行動には頭が下がった。今の彼はミュージシャンではないが、彼のやり方は実にロックである。