彼女が書いた『「その日暮らし」の人類学』は、もともとは学術論文をベースして書かれたものであるが、一般的な書籍としてとても読みやすく再編集されている。
彼女はタンザニアで、日本にはもう無くなったいくつもの宝ものを見つけたようだ。その中の1つが、「仕事は仕事」という考え方。どんな仕事も等価と彼らは捉え、仕事に序列を作らないことに誇りを持っている。その場その場で、何でも仕事にしてしまう逞しさ。
番組中にかけた曲は、アルバート・ハモンドの「落ち葉のコンチェルト」。
結論を言えば、日本のMBAにはほとんど価値がない。ビジネススクール側がどんなに宣伝しようが、日本でMBAをとっても、劇的に人生が変わることなど期待できない。確かに、受験希望者を集めて行われる大学の説明会の場で、大学側の人間がこの数年「MBAはあなたの人生を変えます」というような惹句を投げかけていたのは浅薄すぎると言わざるを得ない。
2016年10月17日付日経朝刊3面から |
大辞林によると、気品とは「気高い趣。どことなく凛として上品な感じ」とある。暴行を行った男性学生らが、こうした趣からまったくかけ離れた存在であることは言を俟たないだけでなく、疑問を感じるのは慶応大学が何を以て学生たちにこうした「気高い趣」をもとめているのかということだ。
今回の事件は、慶応の学生たちに<気高い趣>があるかどうかというようなレベルの話ではない。蛮行を行われた末、性行為の様子まで撮影された女子学生はどうなる? 報道が事実なら、慶応大学の大学としての矜恃と気品のあり方を問いたい。
処分内容も実に慶応らしい?! こんな悪童どもは普通なら問答無用で即刻退学だろう。
ところが、無期停学の処分だとか。無期停学の「無期」は、永久という意味ではない。現時点で期限を定めていないだけのこと。ほとぼりがさめれば、密かにこれらの学生を大学に復学させるのだろう。
福澤先生が泣いている。
現在製作しているプラネタリウムの投影機は、メガスターと名づけられている150万個もの星を投影可能という世界でも最先鋭のもの。
従来の従来のプラネタリウムは1万個ほどの星しか映すことができなかった。その数は、人間の肉眼で見えるはずの星の数だとか。理屈で考えれば、肉眼で見える星をプラネタリウムでも見えればいい、というのがそれまでの考え。それに疑問を持ったのが、中学時代にオーストラリアで頭上に瞬く満点の星を見て心を振るわせた大平少年だった。
一つひとつは肉眼では見えなくても、そうした見えない星も無数に集まると薄明るく見える。天の川がそうだ。肉眼では見ることができない7等星、8等星、9等星などの無数の星が空を埋め尽くしていて、それらがあるから夜空の奥行きを感じることができる。
そうなんだ、目に見えるものだけが存在しているわけじゃない。個々にはその存在をはっきりと見ることができなくても、そうした無数のものがあることで拡がりと奥行きができる。星だけじゃなく、そうしたものは僕らの世界にたくさんある。
今朝の選曲は、デヴィッド・ボウイの「スターマン」。
ドライブインのハンバーガーセットが1700クローネ(約1600円) |
レイキャビク市の南に拡がる住宅地。海沿いに広大な芝生が拡がっている。 |