2016年3月29日

30歳台、40歳台男性リスナー対象で1位

ラジオ局のプロデューサーから「木村達也 ビジネスの森」の聴取率について連絡があった。ラジオの場合、聴取率調査は2ヵ月に一度、ビデオリサーチによって実施されている。

その結果だが、今回もなかなかよかった。男性層30歳台、40歳台でナンバー1。特に男性層30歳台では、第2位の局にダブルスコア以上の差を付けた聴取率だった。

僕たちが狙っている、意欲に溢れた中堅ビジネスマンが熱心に聞いてくれている様子がうかがえる。意欲に溢れているかどうかなんて分からないだろうって? 分かるんだよ。そうじゃなきゃ、土曜日の朝から面倒くさい話をラジオで聴こうなんて思わないから。

2016年3月27日

インドは日本に学び、日本はインドに学ぼう

昨日朝の「木村達也 ビジネスの森」は、先週に引き続き、池袋三省堂書店本店イベントスペースで先月末に開催した番組の公開収録をもとにお送りした。


ゲストは、『インドと日本は最強コンビ』(講談社)の著者、インド人のサンジーヴ・スィンハさん。彼には1年少々前にも番組にゲストとして来てもらったことがあり、今回は2回目だ。


インドの人口は12億5千万人、かたや日本は1億2千7百万人。10倍だ。国民の平均年齢は20代、しかも急速に人口は伸び続けている。市場として膨大な可能性がある。しかし、資金も技術も足りない。日本がいよいよ本気でそれらを投資すべき時だろう。

インド本国以外にいるインド系の人の数、3000万人とか。お喋りで、自己主張が強く、活力のある彼らに「成熟の国」日本は大いに学んでいく必要があるじゃないだろうか。

ところで、彼の本のなかに「孤独を感じられる日本人の幸せ」という言葉があった。僕はインドに行ったことはないのだが、たぶん家族はもちろん、それ以外の関係でも人と人の結びつきがすごく強く、言葉に出しての主張がはっきりしているお国柄だからだろう。

孤独について考えるインドの方が一般的かというと、おそらく彼は特殊な部類に入っていると思う。なぜなら、日本での生活が長く、日本人との付き合いも多いから。それはそうとして、「孤独を感じられる幸せ」という幸せを我々はどれだけ感じているだろう。

むしろ、SNSなどで始終つながっていることに安心感を感じ、それが快適な状況になってはいないか。だが、それが本来の状態なのかというと、僕には決してそうは思えない。

サンジーヴさんが指摘しているように「孤独」を味わうことができる方が、よほど幸せな状態だとあらためて思うのだけど。

2016年3月20日

機を見るに敏

昨日朝の「木村達也 ビジネスの森」は、先週に引き続いてゲストに元ソニーCEOの出井伸之さんをお招きし、彼の『変わり続ける 〜人生のリポジショニング戦略〜』(ダイヤモンド社)をもとに話をうかがった。



スマートな出井さんの「変わり続ける」は、言い換えると「機を見るに敏」かな。だとすると、不器用な僕の「変わり続ける」は、さしずめ「Like a rolling stone(転がり続ける石)」だ。

今回番組中で挿入した曲は、ボウイのChanges とサム・クックの A Change Is Gonna Come。



2016年3月9日

志の輔落語


落語家の立川志の輔が「志の輔らくご in PARCO」を始めて20年になるという。毎年1月から約1ヵ月間にわたる「ロングラン」である。場所が場所なら、そのやり方も落語というより「芝居」である。

僕は1、2回しか観たことないから偉そうなことは言えないが、まさに芝居を観ているような気軽な感覚で楽しめることができ、サービス精神満点で笑わせてくれる舞台だ。

志の輔ら立川流は、1983年に落語協会を脱退してから、原則として寄席定席(東京には新宿末広亭など4つある)には出ない。そこで彼が目を付けたのが、芝居小屋であるパルコ劇場だとか。

ところがだ。1974年、当時大学生だった志の輔が、東京で初めて観た芝居が当時の西武劇場、現在のパルコ劇場でのものだった。その時、彼は「自分はいつかこの舞台に何かの形で立つなって思った」という。

これなんだよなと、膝を打った。彼のその時の思い、そこには何の根拠もない。けれど本人にはそのことが確固とした未来として脳裏に写ったに違いない。

そうした「思い」は気持ちの奥底に深く深く沈み込み、普段は本人も気付くことないけど、そのための「計画」は静かに進行しているものなのだ。こうした予言めいたものが実現するかどうかは、志の輔が初めてパルコ劇場(西武劇場)に行った際に思った「感じ」をどれだけ持てるかどうかである。

2016年2月27日

生地(せいち)は何を語るか

新聞に作家二人の対談が掲載されていた。その一人の写真の下に彼女のプロフィールが記されており、イラン・テヘラン生まれ、エジプト・カイロ、大阪育ちとある。

彼女の写真をながめつつ、「テヘラン生まれか」そう言われれば・・・などと思ったりもする。だが、彼女自身が生地としてイランを選んだわけではないので、「彼女の父親は何をしていた人だろう・・・」という思いにすぐかき消されてしまう。

あるテレビ局の元アナウンサーで現在はタレント稼業をしているある人物は、自分のプロフィールを紹介するとき、なぜかオーストラリア・シドニー生まれ、というところから始める。

そういえば、ニューヨークにいた時に知り合ったある留学生夫婦は、子どもを「ニューヨーク生まれ」にするため、現地で綿密な妊娠出産の計画を立ててがんばっていた。

生地がどこかという情報は、他人に何を語ろうとしているのだろうか。

その人物が何年生まれかというのは、読み手にとって意味があると思う。性別も同様だ。つまり、そこに書かれている内容を言っているのがどの世代に属する人なのか、男なのか女なのかは、参考となる情報になり得る。例えば、20代の女性が言っていれば奇異に聞こえることも、それが60代の男性の考えだと分かれば理解できるといったことがある。

性別と年齢だけで類型的にその人物を判断できるわけではないけど、現実的にはそうした人口統計学的な要素が示してくれることも情報として役に立つことが多い。

一方、生地はどうだろうか。ニューヨークでめでたく産声を上げた赤ちゃんは、父親の大学院留学とともに生後数ヶ月で帰国しているはずである。「ニューヨーク生まれ」が彼(女)の人格に影響するものがあるとしたら、それは何か。あるような、ないような。

誰かと話していて、話のネタとして自分はどこそこ生まれだと話すことはよくあること。しかし力士でもないのに、マスメディアで自分が生まれた場所をプロフィールとして書くのはどういう意図なのだろう。

2016年2月25日

上は「未来」

友人と新横浜にある「ラーメン博物館」をたずねた。20数年ぶりだ。

出店しているラーメン屋はその時々で変わっているのだろうが、町、いや博物館の雰囲気はあれから変わっていない。相変わらずのレトロならではの懐かしさと得も言われぬ可笑しさがある。


イベントというのかアトラクションと言っていいのか分からないが、途中で自転車に乗った紙芝居屋が出てきて、ひとしきり黄金バットなどの紙芝居を太鼓を叩きながら演じるのも楽しい。のほほん気分満載だ。


でラーメンを食べ、ビールを飲み、エスプレッソ・コーヒーをすすり、そうここはとにかく食べたり飲んだりして遊ぶ博物館である。

地下の「博物館」から地上に戻ろうと前を見たら、階段のところに矢印と共に「未来」とあった。


2016年2月9日

映画はタイトルだ

先日のスリランカ出張時、帰りのフライトの中で観ていた映画が目的地(成田空港)に間もなく到着するからと言うアナウンスとともに、途中で打ち切られてしまった。

やっと続きを劇場で観た。映画「オデッセイ」は、不幸なアクシデントで火星にひとり取り残されてしまった宇宙飛行士の話だ。監督はリドリー・スコット、主演はマット・デイモンである。

火星では夏になると極地の氷が溶けて上昇気流が起きて、時には風速100メートルを超える砂嵐が起こる。それに巻き込まれて吹き飛ばされ、気がついたら一人だけ火星に取り残されていた、というのが話の始まり。

水、食糧の確保が当然、生きていくために必至になる。とりわけ、食糧をどうするかなのだが、植物学者である主人公は、火星上の飛行士たちの生活居住施設でジャガイモをそだて食料にする。

主人公の専門が植物学であるところは、考えてみれば都合が良すぎるが、まあいい。彼は、施設内に火星の土を敷き詰め、他の乗組員たちが残していった排泄物のバクテリアを利用して植物を育てる。赤い火星の土から初めて小さな緑の芽が出てくるのはちょっと感動的である。

思いもしなかったサバイバルが描かれているが、この映画の中心的なテーマは人間の持つユーモアと楽観主義への賛歌のように思う。(サバイバル術なら、行きのフライトの中で読んだ加村一馬さんの『洞窟オジさん』の方が格段にスゴイ)
 
地球から2億キロ以上離れた場所に一人で取り残された男が、途方もない孤独のなかで生きて行けたのは、食料となる植物を育てることができたり水を作ることのできる科学的な知識だけでなく、自分の置かれた状況を笑うことのできるユーモアの感覚。

その後ろには逞しい精神力があるわけだが、もうひとつ。彼は、日々の活動や思ったことを施設内の録画カメラに向かってログとして残していったわけだが、ひょっとしたら自分が死んだ後に見つけられ再生されるだろう映像を残すなかでジョークめいたことも言ったりする。人間、思っているだけではなくて、言葉に出して言わなければならないのだ。

いくらユーモアやジョークのセンスがあったとしても、口に出さなければ何にもならない。言葉にして初めて(人に伝えて初めて)精神性と結びつく。その当たり前のことをリアリティをもって教えてくれる。

このあたりは、「やっぱりアメリカンだなあ」と思わせる。もちろんすべてのアメリカ人が前向きで合理的だったり、楽観主義のやってやろう精神を持っているわけではないが、悩む前に考える、落ち込む前に行動する、悲嘆に暮れるのではなく笑い飛ばす、といったことは僕ら日本人よりずっと得意にみえる。

宇宙開発のような究極のパイオニア精神を必要とするものに限らず、新しいことを生み出す彼らの力の基盤を感じる。

ところで、この映画の原作はもともと無名の新人作家がウェブ上で発表し、その後ベストセラーになったもので、小説の原題は The Martian。映画の元のタイトルも同じだ。

小説の日本での翻訳は、早川書房から『火星の人』で出ている。原題をそのまま訳せば「火星人」だが、これではちょっと違うので、火星に取り残された人物と云うことで「火星の人」になっている。



一方、映画の邦題は『オデッセイ』。これはホメロスが残したとされるあの大長編叙事詩である。このタイトルはうまい。

オデッセイ(オデッセウス)には、主人公であるオデッセイアが神の呪いを受けて長旅に出たまま故郷に戻れず長年にわたって漂白し、やがて帰還するはなしが描かれている。

そのため、英語のOdysseyには、長年にわたる放浪の旅の意味がある。まさにこの映画主人公を象徴的に表している。映画のタイトルが小説同様「火星の人」では宇宙観にも欠け、リドリー・スコットらしい映像イメージも観客に思い浮かばなかっただろう。

1968年に公開されたアーサー・C・クラークとスタンリー・キューブリックの 「2001: A Space Odyssey (2001年 宇宙の旅)」へのオマージュも込められているに違いない。

映画の終わり近くに流れてきたのは、デイヴィッド・ボウイの「スターマン」だった。なんだか、じんときたよ。


2016年2月6日

ダントツでいこう

今日の「木村達也 ビジネスの森」(FM NACK5:79.5MHz)は、コマツ相談役の坂根正弘さんをゲストにお迎えした。



日本人は平均的主義に流れがちである。まんべんなく何事もできることがよしとされる。それが優等生に求められることであって、文字通り優れていることの証明となっている。

坂根さんは高校生時代、数学と理科では誰にも負けないが歴史や古文などには興味が持てなかった。しかし、平均的にすべてができなければ難関校に入ることはできない。それに反発を感じ、得意なモノだけに突出した成果を上げようと努力してきたという。

高校生時代からのそうした「ダントツ」への想いは、コマツに入ってからもずっと続いていて、経営者になって打ち出した指針がまさに得意な領域でナンバーワンを目指すダントツ経営。

その結果、現在の2兆円の売上の半分は世界1位の製品から上がっている。2位まで入れれば85パーセントにのぼる。どこに特化して稼ぐのかが明確になることは大切なことである。社員にも分かりやすい。

ダントツを目指すということは、平均点主義を目指さないこと。決めた領域に特化して、どこにも負けないこと。坂根さんらが設定したのは、環境、安全、ICTの3分野。この3つのキーワードで業界の中で負けないことだった。

今日の一曲は、フォー・トップスで Reach Out, I'll Be There。


2016年2月4日

清原の逮捕に思う

プロ野球の清原元選手が、覚醒剤取締法違反の疑いで警視庁に現行犯逮捕されたという報道がニュース番組のトップで流れている。たまたま使ってしまったのではなく、常習の疑いが強いという。状況からはどうもそのようだ。

それにしても彼に関するこうしたニュースを聞くたびに、離婚した奥さんの亜希さんのことを思い出す。20年ほど前のこと、撮影の仕事でサイパンに一緒に行ったことがある。忙しい撮影中にもかかわらず周りのスタッフに細やかな気がまわる、魅力的な人だった。

その後、清原選手と結婚したと聞いたときは、正直いい感じはしなかった。何か胸騒ぎがしたのを覚えている。二人があまりに違い過ぎると思ったからだ。

それにしても、プロ野球選手というのは多くの日本人を惹きつけてやまない不思議な存在である。

2016年2月3日

1年ぶりにスリランカへ

現地にわずか2泊という駆け足だったが、1年ぶりにスリランカの首都、コロンボを訪れた。今回もJICAからの依頼の仕事である。

スリランカは、昨年の1月にそれまでの独裁的な政権から民主的な政権へと変わった。短期で訪れるわれわれのような者には変化は分からないが、昨年に比べて入国がスムーズにいったのはひょっとするとその影響かもしれない。

昨年、今年同様、公務のビザで入国しようとした際は、空港で別室に呼ばれて入国の目的が何なのか詳しく説明させられた。

政権が変わったといっても、長らく続いた前政権時に、大臣ポストを目的にやたらと作られた省庁の数々は今も残っていて複雑な官僚機構を構成している。

今回打合せを行ったのは財務省の一部門だったが、組織が縦割りで全般的に情報の流れが悪い。すっきりするには、かなり時間が必要となるのだろう。

宿泊したホテルの窓から見下ろすと、ビーチに沿ってビルがいくつも建設中だった。シャングリ・ラなどのホテルで、すべて外国資本のものらしい。中国資本が多いと聞いた。インドの近くにありながらも、シーレーンの獲得を睨んだ中国主導で経済発展がなされていくのかもしれない。


写真は、宿泊先のホテルの部屋からの風景。右手がインド洋である。浜辺の近くにホテルがいくつも建築中だった。

2016年1月29日

Over Penalty

このブログで、芸能人ネタを書いたことはこれまでないと思う。もともとあまり興味がないし、僕なんかよりそうしたことへ適切なコメントができる人がたくさんいるから。

だけど、今回はちょっと気になったことがある。タレントのベッキーへのさまざまな「処罰」である。犯した「罪」は、不倫疑惑である。

彼女が人非人ででもあるかのようなメディアでの取り上げ方には、とても違和感を感じる。また、不倫疑惑が理由でテレビ番組から降板させられたり、出ているCMが差し替えられるのは、その意図を図りかねる。

犯罪を犯したのでもないのに、どうしてここまでの過剰反応になるのだろう。Over penalty(過剰な罰則)という言葉があるが、まさにその例だ。まるで「水に落ちた犬は打て」とばかりだ。

世の中に聖人君子などいないし、ましてや彼女を悪し様になじるメディアの人間は、そうしたものから最も遠い人間たちだろう。

女性スキャンダルに事欠かないフランスやイタリアの大統領を見てみればわかるが、不倫だとか何だとかは個人的な趣味の領域。放っておけばいい。


2016年1月27日

控えめだから、気を引かれる

高田馬場駅へ向かう途中、都バスの車中に掲示が貼ってあるのを見つけた。

「ドアが開くまで席を立たないで頂けると 乗務員は安心できるんです」「しっかり掴まって頂けると 乗務員は安心できるんです」という2枚。



手書きでコピー用紙に筆で書いてある。都バスには、たまにもの凄く不機嫌そうだったり、客に対して高圧的な態度の運転手がいて(客の多くが学生の学バスだからか)、あまり好きではないのだが、だからこそこうした控えめなメッセージが印象的にうつる。

2016年1月26日

いつまで西洋に追いつこうとするか

オックスフォード大学の日本オフィスから公開レクチャーの案内があり、三番町の会場に出かけた。

スピーカーは、現在オックスフォード大学の社会学科で教鞭を執る苅谷剛彦さん。演題は、“Still Playing the Game of 'Catch-up with the West’?”(西欧への追いつき追い越せは終わったのか?)。

1 時間ほどの講演の後は、質疑応答があった。その際、日本で日本人である苅谷さんに日本人の中年男性が日本語でなく英語で質問をするのを間近で見ていて、経済的な面は別として精神的には間違いなくいまだキャッチアップしようとしていると感じたのは、僕だけだろうか。

2016年1月17日

肉を食らうこと、生きること

昨日の「木村達也 ビジネスの森」にお招きしたゲストは、先週に引き続き『狩猟始めました』(ヤマケイ新書)の著者、安藤啓一さん。彼の本業はライター、自然観察指導員である。


野生の肉(主に鹿と猪)を食べるということ。そのことで、自然と人間がつながっていることや、気候の変動についても自然と意識が向いていくという話をうかがった。


鹿の神々しい姿に猟銃の引き金を引けなかったというお話に、じゃあ猟をしなければいいではというシンプルな(短絡的過ぎる?)コメントを返そうと一瞬思いつつ、そうした逡巡や時としての葛藤も含めて猟というものは成り立っているのだろうという考えが頭をよぎり、言葉に詰まってしまった。

安藤さんを迎えての先週の放送のあと、リスナーの方から「動物にも命がある。家族もいる。食べるものに困っているわけでもないのになぜ彼らを撃ち殺すのか」というようなメッセージを番組宛にもらった。

確かにそうかもしれない。しかし、山中に生息している動物を自らの手で仕留めて食べることと、家畜として飼育された動物が食肉業者によって解体処理されたものをスーパーマーケットや食肉店で購入して食べることの違いはどこにあるのか。僕には正直、よく分からない。

話は変わるが、今日横浜の劇場で観た映画「白鯨との闘い」は19世紀初頭の難破船を巡る実話とされていて、そこでは漂流を続けるボートの上で残った乗組員たちが仲間を食べて生き延びた話が挿入されている。

メルヴィルの小説「白鯨」のもとになった巨大なマッコウクジラと船乗りたちの闘いとともに、クジラに敗れた人間が考えた、あるいは生き物として取らざるをなかった究極とも云える生存手段がテーマになっている。

これにもまた考えさせられた。

昨日の番組で選んだ曲は、ジュリア・フォーダムの「Hope, Prayer, and Time



2016年1月15日

1時間で配達してくれる

昨年11月から、都内および川崎市のいくつかのエリアで、アマゾンPrimeNowのサービスが始まった。

僕は残念ながら先月引っ越ししたため、現在は対象エリアには入っておらず利用はできない。今後エリア拡大で利用できるようになるのを期待している。

通勤で東急東横線を利用することが多い。その際は、降車駅の出口の関係で一番前の車両の最前部に乗るのだが、アマゾンPrimeNowの広告がそこの網棚上の額面広告として掲示されていた。


たまたまそこの広告スペースしか取れなかったのか。いや、そんなことはないはず。意図的にその場所に掲示したのだろう。ネットで注文して翌日に届くだけで十分早いと思うのだけど、「せっかち」な人はもっともっととスピードを求める。

そうしたせっかちな連中は(僕もその一人だ)、電車に乗る際も降りる駅や乗り換える駅を念頭にどの車両に、さらにはその車両のどのあたりに乗るかを考える。

今回のアマゾンの電車内の額面広告は、明らかにそうした「せっかちセグメント」に向けた訴求をしている。

なぜこの広告に気を引かれたのか考えてみたところ、先日読んだ本のなかで橋本治が「私は、くどいわりには面倒くさがりで、つまりはせっかちである」と<せっかち>を定義しており、どうも他人事とは思えなくて気になっていたせいかもしれない。

2016年1月7日

平成28年のオフィーリア

1月5日朝刊の新聞広告、中面見開き全面広告で目が止まった。目が釘付けにならない方がおかしい。表現の巧妙さ、メッセージの先鋭さ、1月5日というタイミングで掲載した戦略性、新聞という媒体を使ったスマートさ、広告主の思いきり。

これまで無数の広告を目にしてきた。しかし、これほど唸らされた広告がいままであったか、なかったか・・・。


ヘッドラインは「死ぬときくらい 好きにさせてよ」。合成写真は、ラファエル前派の代表的作品であるミレイの「オフィーリア」をもとにしたパロディである。モデルは樹木希林。広告主は宝島社。

コピーは、なかなかの文明時評になっている。科学技術の(ありがたい)進歩のお陰で昔のように悠々と死ねなくなった時代に、死ぬときくらい自分の意思で静かに逝かせてというのだ。

病気を治し、命の炎を消さないようにすることが医学の本来的な使命である。生物としての人間の適正な寿命(あるとして)がどのくらいなのかは、僕は知らない。しかし、医学の進歩によって人が自分の生を生きるのではなく、生物として生かされ続けることが増えていることは知っている。さて、それをどう考えるかだ。哲学の問題である。

広告を見てしまったからというのもあるが、樹木希林さん以外にモデルは思い浮かばないのも、「負けた!」という感じだ。
 

2015年12月29日

行動を数値化すると、やる気が起きる例

先日から使用している運動量計が、一週間のサマリーをメールで送ってきた。

毎日の自分の体重を計測して書き留めていくだけで減量に成功した物書きの話を読んだことがあるが、なるほど具体的な数値を記録することで何よりも実態がつかめ、それをどう変化させてやろうかという意欲がわいてくるものである。


2015年12月28日

落語の奥深さ

先日の「木村達也 ビジネスの森」は、ゲストに落語家の立川談慶さんをお迎えした。

噺家の方を番組のゲストにお迎えしたのは初めて。今回は、主に彼の『いつも同じお題なのに、なぜ落語家の話は面白いのか』(大和書房)をもとにお話をうかがった。



ところで、たまた今夜、TBSテレビでビートたけしが立川談志に扮するドラマ「赤めだか」が放送されていた。
 
原作は、立川談春の同名の本。そのドラマで描かれた談志が実際の談志であるのなら、破天荒でいて思慮深く、独善的でいて繊細、我がままの固まりのようでいて誰より弟子想い。
 
個性とはこれくらいでなくては個性と言えないと思わせる、不世出の天才である。観ているものを笑わせる、ほどよい楽屋ネタも織り込んだ良くできたドラマだった。
 
番組内の選曲は、ポール・マッカートニー&ウィングスのアルバム Band on the Run から「Jet」 。
 
 

2015年12月24日

Born to Run(明日なき暴走)から40年

ブルース・スプリングスティーンの「明日なき暴走」がリリースされたのが、1975年。いまから40年前だ。あれから何度このアルバムを聴いたか分からない。もっとも多く針を落としたアルバムの一枚であることは間違いない。

FM NACK5で土曜日の朝にやっている「木村達也 ビジネスの森」のなか、いつもゲストとの対談の途中でブレーク替わりに音楽を一曲かける。番組スタート以来、毎回その選曲をやらせてもらっている。

当日のゲストや対談の内容をイメージしながら選ぶのだけど、基本的には自分の好みの曲しかかけない。ほとんどはオールディーズというかクラシックロック(ロックの古典)だ。自分を育ててくれたロックの名曲といってもいい。

2年近くそうした選曲をしていたところ、日経新聞から「ロックタイムズ」欄で話して欲しいとの依頼が来た。ロックとの出会い、そしてスプリングスティーンについて語って欲しいと。

ギャラはなし。だけど、受けたよ、それは。70年から80年代のロックについて話するなんて、最近なかったからね。普段、そんな相手は近くにいないし。

というわけで、出来上がったのが今年のクリスマス・イブに発行された以下のインタビュー記事である。

日本経済新聞 2015年12月24日夕刊


2015年12月20日

4冊目のパスポート

現在のパスポートが失効間際になったので、新しいパスポートを申請した。4冊目のパスポートである。つまり、初めてパスポートを手にしてから30年が経ったということになる。

1冊目のものの表紙には「数次旅券」とあるが、2冊目からはただの「旅券」となった。3冊目からサイズが小さくなっている。そして、4冊目にはICチップが入った。確か3冊目の切替の時にはICチップ入りに選択があったが、その際は断った覚えがある。

中をめくると、海外に行き始めたころには米国に行くにもオーストラリアにも韓国もフランスも、もちろん中国にもすべてビザが必要だったのが分かる。それに航空券も高価だったし、海外に行くにはそれなりの覚悟がいった。

1987年に訪ねた現ミャンマーのスタンプは、ビルマ(Burma)と綴られている。