ビジネススクールの学生ということもあって、その内容や研究アプローチは固定的でなく、きわめてオーソドックスな学術研究タイプの修士論文から、事例研究やら企業への提案書のようなものもある。
ある学生の書いたものは、ある特定の企業に関するビジネスレポートとビジネスプロポーザルの中間のようなものだったのだけど、内容的に明らかに必要と思えるパート(章)が欠けていた。
口頭試験ではそれを指摘し、なぜ書かれるべきだったその章を書かなかったのか問うたところ、もの凄く強い口調でその企業は位置づけがユニークだからそれは必要無いと返ってきてちょっと驚いた。
すべての企業はそれぞれユニークであり、それが理由にはならないと説明したのだが、ユニークだとかスペシャルという返答で、結局、回答らしいものは返ってこなかった。
気になったのは、その学生の挑んでくるような返答の仕方。何が何でも自分がやった研究を守るんだというある種の闘争心のようなものを感じた。
2時間半ほどですべての審査を終え、会場を出た時に目に入ったのは、会場の部屋の前に据えられた"Room for Oral Defense" という文字。僕は学生ではないので想像するしかないが、これがOral Examinationだったら彼らの気持ちの持ち様は違っていたんじゃないだろうか、なんてことを感じつつ、トルストイのある言葉を思い出していたのである。
どんなに愚鈍な相手であっても、頭を白紙にして聞いてもらえるものなら、この上なく難しい問題を説明することはできる。しかし、どんなに聡明な相手であっても、その相手の頭の中に、すでに一片の疑問もなく事を知り尽くしているという固定観念が宿ってきた場合、この上なく素朴な事柄すら伝えることはできない口述試験では、こうすればもっと良くなるよ、というのがわれわれ審査する側の質問の通常の意図なのだが、どうも相手の留学生はそうは思ってくれなかったらしい。せっかくの自分の研究にケチをつけられたと感じたのか、あるいは "defense"という言葉から何が何でも「防衛」しなければいけないと信じていたのか。