2014年7月12日

京都・祇園祭

祇園祭のクライマックスが近づいている。今日は、鉾建てと曳き初めが行われた。

僕も四条通の月鉾を曳かせてもらった。




トイレから人の暮らしを考える

今朝の「木村達也 ビジネスの森」は、TOTO相談役の木瀬照雄さんをゲストにお迎えした。


TOTOといえばトイレ、ウォシュレットを連想するが、彼らが扱っている領域は浴室、洗面所、台所など水回り全般に及ぶ。それらはどれも、僕たちの暮らしに欠かせない。だからこそTOTOは、健常者だけでなく身障者をはじめ誰もが快適に使えるようにするための研究と開発を続けている。

TOTOのUD(ユニバーサルデザイン)研究所はこの夏ぜひ訪ねてみたい。

今日の挿入曲は、グレン・キャンベルの「ウィチタ・ラインマン」。ジミー・ウェッブ作。グレン・キャンベルは、古き良きアメリカらしいシンガー。ニール・ダイヤモンドと並んで昔から僕の大好きなアメリカン・ミュージシャンである。
http://tatsukimura.blogspot.jp/2012/10/blog-post_13.html


2014年7月6日

入谷朝顔市はじまる

今日から下町の入谷で朝顔市が始まった。I夫妻と茅場町駅で落ち合い、日比谷線の入谷駅へ。改札を抜け、地上へ出ればそこはもう朝顔市の会場。

言問い通りが車両通行止めになり、根岸一丁目の交差点に向かって左側にはずらーと朝顔を売る店が並んでいる。反対側には、たこ焼きや焼きとうもろこしを売る屋台が。

この市では朝顔の値段はどの店でも同じ。4色の朝顔が植えられたあんどん造りなどが二千円で、琉球朝顔が三千円。琉球朝顔は宿根で、そのままで毎年咲くらしい。それぞれ一鉢ずつ購入。






鬼子母神もお参りしたかったが、長蛇の列に諦めて、浅草方面へ行くことに。浅草寺手前の浅草花やしきに立ち寄る。

実は中に入るのは初めて。ひとり千円の入園料を払って園内に。江戸時代末期にでき、すでに160年の歴史をもつ由緒ある遊園地である。あっという間に園内を一周できる狭さが微笑ましい。



暑気払いを期待し、お化け屋敷へ。このお化け屋敷、以前は建物の1階部分にあったのが、改装して2階になったとか。改装オープンが2011年3月11日の大震災の日、オープン当日にできたビルのヒビが残っていると係のお兄さんが教えてくれた。

会場の出口近くで飛び出てきた「お化け」

お化け屋敷というと、アルバイトの学生たちが張り切っておどろかせてくれるものとばかり思っていたのだけど、今ではほとんどが機械化されていた。

2014年7月1日

プレゼン巧者には注意?

帰りの車中、雑誌に掲載されていたコピーライターの仲畑貴志とアートディレクターの箭内道彦の対談を興味深く読んだ。「オレ、プレゼンでしゃべるの嫌いなのよ。すっごく下手で、気恥ずかしくなるの、しゃべるとき。で、照れて、暴言を吐く」中畑は言う
おかしいよ。ターゲットがこうだからとか世の中がこうだからとか、神の視座からのように、なんだかんだ言うんだけど、ちょっと引いてみたら、すげえ滑稽な感じがする。

だってプレゼンのうまいへたがあっちゃいけないと思わない? プレゼンのうまい人の表現が、効果がある表現ではないだろ? 新聞広告の15段の横に企画書は置けないんだから。
プレゼン(ここでは表現テクニック)が上手くて企画が通ることはよくない・・・肝心なのは企画内容そのものなのだというのが彼が言いたいことだ。

日本でもっとも「プレゼンテーション」に馴染みが深い業界は、仲畑や箭内がいる広告業界だろう。そこでは、広告というコミュニケーションに関する仕事を、他の広告会社と競って提案で勝ち取っていくことが日常だ。

そうした業界のなかに長くいる仲畑にとっては、「プレゼンだけうまくやりやがって」というシーンがこれまであまたあったに違いない。はったり、あるいは見かけ倒しと言い換えることができる。

プレゼンで選ぶか、プレゼン抜きの企画書(ドキュメント)だけで選ぶか、なかなか難しいところだ。提案の受け手にとっては、プレゼンしてもらった方が情報量は多くなるので、普通に考えるとより適切な意思決定ができるはず。しかし、企画内容ではなく、その場の雰囲気やプレゼンのテクニックに惑わされることも考えられる。

要は、受け手の判断能力なのだ。まったくウブな担当者はプレゼン抜きで企画書のみで判断した方がいいかもしれない。また、十二分に経験もある優れた担当者には別の意味でプレゼンは不要であり、企画書だけで(企画書の出来がちゃんとしていればだが)判断が下せる。で、そのどちらでもない中間的な人たちにとっては、プレゼンテーションが必要になってくる。

新入りのような全くの初心者が大きなプロジェクトの意思決定を任される機会はまずないので、そうすると対象は中間層かベテランかということになるが、仲畑が示唆しているのはベテランが少ないという企業の現実の一面である。

2014年6月30日

日本酒のバーへ

先日、新聞に日本酒「獺祭」の経営者である桜井氏のことが紹介されていた。


この山口県岩国の酒蔵は都内の京橋にバーを持っているらしい。そこで、夕方4時開店の一番客として訪ねてみた。

ここで扱っている銘柄はすべて獺祭だが、原料米(山田錦)の磨き度合いによって5割、3割9分、2割3分、さらにもっと磨いたものとスパークリングがある。


獺祭という日本酒はすっきりしていて、たいへん飲みやすい。これなら和食はもちろん、白ワインが合う料理ならどのような料理にも合わせることができる。

まずは5〜10銘柄の日本酒を選び、それらを先兵に「日本酒」を世界に拡げ売っていくことを考えてみてはどうか。いまこそ、日本酒のマーケティングが求められている。

2014年6月29日

しっぽ村のコテツ

清川しっぽ村へ。お陰様で、先日紹介した、真っ黒なワンコ(サスケ)の里親が決まりました! こうした場合のネットの拡散力のおかげかなと驚いてます。今日は、3 週間ほど前にそのサスケと一緒に草むらで雨に打たれていたところを保護されたコテツ(と呼ばれている牡犬)と散歩。彼は、サスケとはおそらく兄弟。


2014年6月28日

「ここには何もない、があります」

今朝のNACK5「木村達也 ビジネスの森」にお招きしたのは、千葉県の房総を走るいすみ鉄道の社長、鳥塚亮さん。


彼は5年前に社長公募に応募して、ローカル線の経営者になった。いすみ鉄道は、駅数14、路線長26.8キロ、日本の典型的なローカル線である。沿線には全国的に有名な名所旧跡があるわけではない。内陸部を走るので、太平洋の風景が眺められるわけではない。

けれど、そこにはのどかな日本の里山の風景がいまも残っている。それを無理をせずに、分かってくれる人たちにだけ訴えかけている。

「ここにはなにもありません」というポスターを駅や電車に貼ったらしい。以前、都会から来た観光客が駅で「せっかく来たのに、ここには何もないじゃないか」と怒っているのを目にしたという。すみませんと頭を下げているのは、ボランティアで鉄道を支援してくれている地元の方々だった。

それを見て、これじゃあいけないと思ったのがきっかけだったとか。地元の方が、地元のあるがままの姿を観光客に否定されたり、なじられたりすることの間違いを起こしてはいけないと思われたのだろう。

そこで、彼が考えたのが、「ここには何もない、があります」という逆転のポジショニングである。すばらしい!

9割の人が無視しても、1割の人が興味を持ってくれればいい、そしてそのまた1割が年に1度きてくれればいいと。自分たちの身の丈を知っているのである。「いすみ鉄道なんて、たいした鉄道ではありませんから」と、はばかることなく公言する。しかし、それがファンを引きつけ、長くじっくりと愛される秘訣。戦略的なのである。

事実を曲げたり、あるいは針小棒大に語って集客に成功しても、そんなものはすぐにばれるものです。一時でも客さえ集まればいいというのは、よい経営ではないことを鳥塚さんはよく分かってらっしゃる。



彼が以前つとめていた航空会社(ブリティッシュ・エアウェイズ)は、僕の昔の職場でもある。彼は成田空港で運行部長として、僕は都内でマーケティングの仕事をしていたのだけど、番組の打合せ時には共通の知り合いの話で大いに盛り上がった。

今回、番組に先だってBA時代の友人に連絡を取ろうとして分かったのは、以前、東京で行っていた日本路線のマーケティングはいまはロンドン・ベースで行われるようになり、日比谷にあった予約センターは香港に移ったということ。日本国内の高い人件費や共同運航便を飛ばす他の航空会社(日本航空)との関係からの判断のようだ。

LCCに代表される価格の安い航空会社の台頭に、伝統的な航空会社は対応に苦慮していることがうかがえる。構造的な問題であり、今後も変化がつづくのだろう。

下は鳥塚さんのブログ。面白い。
http://isumi.rail.shop-pro.jp/ 

今日の挿入曲は、ドゥービー・ブラザーズのロングトレイン・ラニング。トム・ジョンストンが作詞作曲した曲で、彼らのサード・アルバムに収められている。学生時代から聞いていて、忘れられない曲のひとつ。



2014年6月14日

清川しっぽ村

午後から、神奈川県愛甲郡にある「清川しっぽ村」を訪ねた。清川しっぽ村というのは、東日本大震災等によって飼い主を失った犬と猫をあずかり、里親を探しつつ面倒を見ている一般社団法人である。http://ameblo.jp/ananan223/entry-11826656617.html

場所は、東名の厚木ICから30分くらいの自然豊かな山ふところである。いま住んでいる町の最寄り駅でボランティアの人がときおり募金活動をしていて、彼らと話を何度かするうちに一度現地で詳しい話を聞きたくなったのだ。

途中、高速の事故渋滞につかまり、予定より1時間ほど遅れて現地に着いた。スタッフの方たちは夕方の犬の散歩の準備で大忙し。ここに現在身請けもとのない犬が13匹、猫が21匹保護されている。

それならばと、僕も一匹お手伝いがてら散歩に連れていかせてもらった。どの位のコース(時間)をいつも行っているのか尋ねたら、施設の裏にある山につながる路を上り30分、下り20分ほど歩いてきて欲しいとのこと。なかなか本格的である。結局、1時間ほどサスケという名の黒いわんこと散歩をして一汗かいた。

散歩途中のサスケ

犬の朝夕の散歩はもちろんだが、ここでは犬と猫の健康にとても気遣った世話がなされている。餌や水の食器を洗う時は、食器用洗剤できちんと洗ったのち、消毒液につけ、そして乾燥機で乾燥させていた。間違いなく、我が家の食器より清潔である。

食事の量は、一匹ずつ体重に合わせて計量された食事が与えられている。夕方の散歩後、どの犬もご飯を待ちかね、それぞれのところに餌を運んでやるとあっという間にペロリと平らげる。もっとたくさんやればとも思ったが、犬も人間同様にむだに肥満になるのは病気のもとだから。

犬小屋や犬舎などは、とても清潔に保たれている。病気になってから獣医にかかり治療してもらうのではなく、そもそも病気にかからないようにとの対応が施されていた。

福島で保護された牝犬のマロン

犬たちは天気の良い昼間は庭の犬小屋でそれぞれのんびり過ごし、夕食後はエアコンが効いた犬舎に移され夜を過ごす。実は最初、相手は犬と猫なのに甘やかしすぎではないかと思った。しかし、これも犬猫の体調管理と彼らにストレスを極力かけないための方法なのだろう。

また、ここに連れてこられた時点で、どの犬も猫もそれなりにたいへんな目にあっているはずで、それを考えると甘やかしてもらう資格があるのかもしれない。

リーダーシップについて対談

今朝の「木村達也 ビジネスの森」(NACK5 土曜日朝8:15から)のゲストは、元スターバックスコーヒー・ジャパンCEOの岩田松雄さん。組織においてリーダーがどう生まれてくるかについて、ご自身のこれまでの経験をもとに話をしてもらった。

彼が強調されていることのひとつは、リーダーは役割であって必ずしもポジションではないということ。そして、その役割には必ず責任が伴っているということである。確かにマネジャーはポジション(役職)だが、リーダーは必ずしもそうではない。


今朝の選曲は、Manic Street PreachersのA Design for Life。

2014年6月13日

グーグル発 マーケティングにできること

いつものゼミは、毎回ふたりづつ、それぞれが行う修士論文に向けてのプレゼンを中心に進めているのだけど、今日のゼミはゲストの講演とそれを受けてのフリーディスカッションを行った。

お招きしたのは、グーグルのマーケティング統括部長・根来香里さんだ。コミュニケーションの領域を中心に、グーグルのマーケティング活動についてうかがった。

また彼女らが3/11後に立ち上げた東北被災地支援プロジェクトなどについても紹介してもらった。

お話の中で印象的だったことのひとつは、社員を採用する時の基準としてグーグルの精神を理解して共有できるかどうかという点がとても重要だということ。同じような匂いを発しているかどうかに、敏感に反応するらしい。



2014年6月9日

ユニクロ(ファースト・リテイリング)の企業体質

いまではもうずいぶん昔になってしまったが、2000年を迎える少し前、ユニクロのフリース・ジャケットが国内で爆発的に売れていた。製品は軽くて保温性に富み、値段も手軽だった。

2001年にファースト・リテイリング社は、年に2回だったと思うがフリースの回収を店頭で始めた。これはなかなか賢い選択だった。

圧倒的な量で世間に広まったフリース・ジャケット。ポリエステルで出来ているその衣料をゴミとして廃棄するのは環境への負荷になり、それに対しての環境保護団体の動きが気になっていた。

それに先手を打つように、環境への負荷を減らすためとしてリサイクルを行ったのである。回収された商品は、当初は燃料となったり工事用のシートなどに加工されていた。

その頃は、イトーヨーカドーなど大手のスーパーチェーンでもプライベート・ブランドのフリース・ジャケットが数多く販売されていたが、ユニクロが店頭で回収するのはあくまでも自社のものだけ。リサイクルのために古くなった商品を持って店頭に訪れてくれる客は、彼らにとっては大変いいお客さまである。

古いユニクロ商品をリサイクルのためにカウンターのスタッフに手渡した多くの客は、そこで何か買い物をしていったことだろう。

その後、同社のリサイクル・プログラムは、対象が全品に拡がり、時期も通年になった。回収された商品はリサイクル以外に、アフリカの難民の人らに送られるようにもなった。このことは、たいへん結構なことである。

ところで、同社のサイトを見ていて、リサイクル商品の回収数のグラフが気になった。2013年度の回収数がそれまでのトレンドより大きくかけ離れていて、前年の2012年に比べると2倍以上の数値になっている(下記の上の棒グラフ)。

気になって、その数値(1217万枚)の中身を同社広報室に問い合わせてみた。要領を得ないやり取りに繰り返し付き合わされた後、最終的に同社の広報室が僕に示した回答は「単純な計算ミスです」だった。

僕の指摘をきっかけに、同社がサイト上で訂正した2013年度の数字は802万枚で、つまり415万枚も「計算ミス」していたことになる(下の棒グラフ)。
http://www.fastretailing.com/jp/csr/environment/recycle.html
http://www.fastretailing.com/eng/csr/environment/recycle.html

■ 彼らに連絡する前にファースト・リテイリングのサイト上に掲載されていた回収数のグラフ

■ 連絡後、いつの間にか訂正された回収数のグラフ


「単純な計算ミス」を責めるつもりはないが、外部から指摘があるまでこれほどの数値の大きな変動について疑問を抱かなかった同社の広報部門は鈍い。グラフを見れば誰でも「あれっ?」と感じるはず。

僕が連絡をした時は、こちらの身元や質問の意図を何度も何度もファースト・リテイリング側は聞いてきた。そして最後に、彼らは「計算ミスです」と素っ気なく返答した。それはこちらがもし報道機関だったら、もう少しまともな回答を寄こしたということだろう。

その後、彼らのサイトを確認したら、数字とグラフがいつの間にか変更されていた。

常識で考えると、「ご指摘ありがとうございました」の一言もあってしかるべきだと思うんだけれど、このダンマリの姿勢はどうなのかね。

同社のサイト上には、以前の表示(数字)が間違っていたという「訂正のお知らせ」などは一切ない。それは、自分たちにマズいことはさっさと書き換えて知らん顔すれば済むと考えているから。企業体質がよく出ている。印刷物と違ってネットは便利だねえ〜。

たまたま僕は、彼らが修正する前のグラフをスクリーンショットで保存していた。英語のサイトだけだけど、内容はもとの日本語サイトと同じだ。

こうした可能性があることすら想像しなかったファースト・リテイリング社担当者のお粗末さを笑う。フリースの製品はよくできてるんだけどね。

2014年6月5日

授業のち、打ち上げ

昨日は「マーケティング」クラスの最終日。

毎週水曜日は午後7時から3時間の授業があって、その後も学生たちの質問に答えたり、なんだかんだと用事を済ませていると大学を出るのは夜の10時半をまわる。

その時間を過ぎるといつも使っている西門が閉鎖されてしまうので、北門の通用口からグランド坂下に出て、すこし遠回りするかたちで早稲田通りに出る。そして帰宅は、いつも深夜0時頃だ。

昨日の最終授業は90分の予定だったので早く帰れるかと思ってたら、学生たちの打ち上げに誘われた。場所は大学近くの変な店。授業の打ち上げのために貸し切っていたらしい。

会には受講生のほぼ4分の3の学生が参加し、「やっと終わったぞ」とばかり、のびのびとした感じでグラスを重ねていた。

こうした場で、グラス片手に学生たちと話をするのはいい。大学の教室で授業の続きで話しているのと違って、彼らのプライベートな側面が垣間見えて、思わず話が弾む。

会の終わりに、残っていたメンバーでマーケティングのMを手文字で描いた記念写真を撮った。全7回のレポートを頑張ったヤツも、サボったヤツもみんなこういう時はいい顔をしている。


やっぱり帰宅は、午前0時過ぎだった。

2014年6月1日

警察の知能犯課にお世話になる

土曜の夜、阿呆な詐欺メールが届く。電話番号宛のショートメッセージだ。165万円のシャネルの商品を僕が買ったらしい

内容はもちろん、日本語も幼稚だ。発信人は、日本人以外だろう。人をバカにしたメールに、発信者を調べてもらおうと地元の警察に通報した。で、そのメールを転送しようと思ったら、それはできないと。警察のネットワークは、外部からアクセスできないようになっているらしい。

「こちら(警察署)へいらっしゃれませんか?」と電話口で訊ねられ、じゃあ行くかと麦わら帽子をかぶり出かけた。

応対に出てきたのは、まだ30歳くらいの若い警察官。知能犯課の所属だという。警察に知能犯課という部署があることを初めて知る。

彼は何枚も僕のスマホの画面に映ったメールをデジカメで撮影した後、基本的な対応の仕方を教えてくれた。

フィッシング詐欺やこうした詐欺メールの発信元は、そのかなりの部分が外国である。多くの場合、北米のサーバーをいくつも経由して発信元が分からないようにしてあるが、なんとか辿ってみると最終のサーバーは中国にあるというケースが圧倒的らしい。

問題は、サーバーが国内ではない場合、現状では日本の警察は手が出せないことだ。実に腹立たしい。

参考までと、URLを検索窓に入れるだけでサーバーの設置場所やプロバイダを確認できる以下のサイトを教えてくれた。ネットショップなどの場合、日本のサイトを装いつつサーバーが日本国内にないものは、ほぼインチキである。

IPひろば
aguse
cman

2014年5月31日

TEDxTokyoのライブビューイング@横浜

TEDxTokyoが渋谷のヒカリエで開催された。朝10時から夕方6時までの長いイベントである。

渋谷会場への参加はとっくに締め切られていたのだけど、横浜にある富士ゼロックスR&Dスクエアで社員とその家族、友人を対象にしたライブビューイングをやるという誘いを受けて出かけた。


日産ビルの隣にある富士ゼロックスの建物は、開放感と自然光に溢れたすばらしい環境だった。

ビッグデータとは何か

今朝の「ビジネスの森」は、統計学者の西内啓さんにゲストに来ていただき、主にビッグデータについて話を聞いた。彼は『統計学が最強の学問である』の著者である。
http://tatsukimura.blogspot.jp/2013/04/blog-post_14.html


言葉だけが先走りしているように思われてならないビッグデータ。企業の人と話していると、顧客データベースや販売履歴があれば、ビッグデータの分析で何か将来のヒントが自然と解き明かされると勘違いの向きが多い。

たいした仮説も持たず、ただデータを高い金を払って分析させても実際にビジネスの役に立つ結果が得られるわけではない。大量のデータがあるだけで将来の指針が得られるのであれば、めでたいことに経営者は組織に不要になる。

ションベルガー&キクエは『ビッグデータの正体』のなかで、著者たちはビッグデータとは何ぞやという問いに、"from some to all" すなわち、「部分計測から全体計測へ」と言い表している。

この変化が何を意味するのかというと、それは因果関係の追求から相関関係の追求への変化であるといえる。それは、なぜそうなのかという理由が分からないまま、実際はこうだからという現象にだけ着目する方向に進むことを示している。

確かに、蓄積された膨大なデータによって、「オレンジジュースとアスピリンの組み合わせがガンを治す(ガンが治った患者の多くはオレンジジュースとアスピリンを摂取していた)」ことが確実にいえるのであれば、それはなぜかというと問いはまずは置いておいても、その事実の方が重要になる。

これを敷衍していうならば、そこでは「答えさえ分かれば、理由は不要」ということだ。アマゾンが利用者に対して行っているレコメンデーションではその理由などは誰からも問われないからよいだろうが、保険会社がこれまでの診療記録をもとに今後の保険料の算定を行ったりする場合には、納得のいく説明ができないことになる。

いずれにせよ、ビッグデータは打出の小槌などではない。企業であれば、明確なビジネス上の目的を持って分析に望まなければ、労多くして得るものは少ないままに失望の海に沈む。

今朝の一曲は、エルビス・コステロで「She」。 映画「ノッティングヒルの恋人」(1999年)のテーマ曲。

2014年5月28日

ブルー・ジャスミン

「ブルー・ジャスミン」は、ウディ・アレンが監督をした最新作である。主な舞台は、サンフランシスコ。回想シーンにニューヨークでの様子がたびたび挟み込まれる。

ニューヨークを舞台に映画人としてのキャリアをスタートしたウディ・アレンが、その後ヨーロッパのいくつかの都市を舞台に映画を作り、そして西海岸にたどり着いた。


ジャスミンは、ケイト・ブランシェットが演じる主人公の名前。本名のジャネットが「平凡すぎる」からとジャスミンにその名を変えたニューヨークのセレブリティで、アメリカの大実業家の妻という役柄。それが、夫のビジネスが根っからのいかさまだったため破綻。結局すべてを失いサンフランシスコの妹の家に転がり込む羽目になる。

タイトルのブルーは「憂鬱」といった意味だが、状況は憂鬱どころではない。ジャスミンの精神は徐々に、そして確実に壊れていく。ブロークン・ジャスミンだ。その様子は救いようがない。ウディ・アレンの眼差しも醒めていて、彼女を救済しようとなどと考えていない。辛い映画である。

般若顔を時折見せる主人公のブランシェットが、実にうまい(アカデミー賞主演女優賞を獲った)。彼女なしでは作品は成り立たなかったし、興行的にも成立しなかったと思う。

お話は、テネシー・ウイリアムズの「欲望という名の電車」を連想させる。作りがよく似ている。実際、ケイト・ブランシェットは、母国オーストラリアの舞台でブランチの役をかつて演じてたことがある。

60年前のニューオリンズを舞台にした話をベースに、なぜウディ・アレンがいまサンフランシスコとニューヨークを舞台に物語を書いたのか。

彼は昔から女性に対して厳しいというか、心を赦していない感じがしていた。ジョークで女を笑わせようとするが、あくまでも女性は彼にとって立ち向かう対象だった。

心底女をやっつける映画を作りたかったのかもしれない。しかも興業として成り立つ一般的な作品として。そのためには誰もが知るテネシー・ウィリアムズの戯曲に併走しながら、米国の2大都市を舞台に、ケイト・ブランシェットというこれ以上考えられない配役を決めたというわけだろう。まぎれもない、アレンの職人技である。

2014年5月27日

炎上マーケティング

昨日の新聞で、ある若い社会学者が書いた文章のなかに「炎上マーケティング」という言葉があった。

炎上マーケティングとは、「わざと非難されるような極端な発言をして注目を集め、議論を喚起することで結果的に話題の中心になったり、自分のことを宣伝したりする」ことらしい。

漫画『美味しんぼ』で福島を訪ねた主人公が鼻血を出すという、放射線被害を連想させる描写が「売り上げ目当ての炎上マーケティングだったのではないかとの指摘もある」と書いているが、それはまずないだろう。連載を始めたばかりの漫画ならともかく、30年以上の連載実績を持つこの漫画がそうしたことで今さら話題性をひこうと画策する理由はない。

いずれにせよ、本来、売らんがために話題を振りまくこと狙っただけの活動を「マーケティング」とは呼ばない。

つねづね思っていたことではあるが、「マーケティング」はほとほと融通無碍な概念として捉えられている。その証拠に、一見、どんな言葉だってマーケティングの前につけることができる。ほとんど無限の接頭辞が「マーケティング」には可能であり、それらしく聞こえてしまうから始末が悪い。

「炎上マーケティング」でマーケティングが意味するところは「売り込む手法」である。もちろん、マーケティングは一方的な売り込みではないし、その点でステマなどと呼ばれているステルス・マーケティングといった考え方もマーケティングではない。

 

2014年5月26日

やらせレビュー

5月22日号の週刊文春で紹介されていた記事だが、飲食店を紹介しているサイト「食べログ」の評価点数について疑問を持った記者がいた。ある店の評価で、口コミの評価は5.0、5.0、4.0、4.0と高い評価が並んでいるにもかかわらず、なぜか総合評価は3.1となっている。

そこで、彼はサイトを運営するカカクコムにその疑問を投げかけた。すると、総合点は利用者がつけた評価を単純に足しあげて平均したものではなく、特定のレビュアーが高い評価を付けないと総合評価が上がらない仕掛けが施されていると。そして、「低得点に甘んじているという飲食店様においては、まだ点数への影響力が高い複数のレビュアー様が高得点をつけられていないという状況ではないかと考えられます」と彼が受けた説明が続く。

ということは、先の店の評価については「影響力の高いレビュアー」による評価が悪かったからということになる。

店の関係者やサクラによるヨイショ評価を避けるために、一般利用者の評価ウェイトを低くし、信頼のおける良質なレビュアーの評価が総合点に大きく影響するようにしているということなら、なるほど納得がいく説明ではある。

しかし、その記事によれば、複数の飲食店経営者が次のような証言をしているという。「毎週1回は代理店から『食べログに広告を出せば、影響力の大きいレビュアーが来店する可能性が高くなりますよ』と営業電話がかかってくる」

これは何を意味するのか。広告をサイトに出してくれたら、影響力が大きい(つまりサイト上での店の評価を左右する)レビュアーを送りこみますよ、そして総合評価が上がりますよ、ということ。つまりその場合、味やサービスには関係無く、ということであろう。

一見、「みんなの声がもとになってるんだよー」という、いい人の顔を見せていながら、自分たちの都合に合わせて裏側で操作しているのが気持ちわるい。

他にもこうした一般の利用者から分からないところで恣意的な仕組みがなされているものは多い。ただ、多くの利用者がそうしたことを気付かないまま情報操作されている事実について、僕たちはもっとよく考える必要がある。

若い人たちにとっては、こうしたことは「当たり前のこと」であって特別気にするような問題じゃないのかもしれない。学生たちからは「別にいいじゃん」とか笑われることかもしれないが、僕はこの件に疑問を持ち、そしてその疑問を解こうとアクションを取った記者におおいに共感する。

そんなことを考えてたら、今日の読売新聞の読者投稿欄に洋食店を経営する神戸の方が、以下のような投稿をされてたのを目にした。


新聞にしろ雑誌にしろ、広告か記事かの区分けについて注意しなければ混同してしまいがちだ。インフォマーシャルというinformationとcommercialをくっつけた造語も一般的になっている。

日本では、それらはマスメディアでは「PR」や「お知らせ」と表記されることが多い。それが消費者にとって十分な配慮かどうかの議論はあるが、報道機関ではないネットではそもそも事実と広告を区分けしようとする考えすら希薄である。

2014年5月22日

初夏のコンサート

サントリーホール主催のコンサートでテノールのまた従兄弟が歌うというので、大学の仕事をそそくさと片付け、夕方ひさびさに六本木へ出かけた。今日、彼は日本フィルハーモニー交響楽団をバックに4曲+アンコール曲を歌った。

また従兄弟といっても親子ほど年が違うのだが、サントリーホールの大ホールで朗々と歌う姿は大したものだ。身内びいきかもしれないが、日本を代表するテノールになると信じている。

2014年5月19日

自分でメソッドをつくり出す知性

初診だったので、遅くともお昼にはすべて終わるように早めに出かけたつもりだった。

1時間半ほど待たされて、まずは内科で診察。その後、血液検査、尿検査、レントゲン撮影を受ける。呼吸器科の医師による診察。吸入薬による治療。診断。点滴による治療。診断。肺機能検査。診断。

会計を済ませ、処方箋を手に病院を出たのは午後5時過ぎだった。もちろん昼食抜きで、その時は目が回りそうだった。

目の前にぶら下がった点滴薬

点滴を受けたのは生まれて初めてのこと。ベッドに寝ているだけで他にすることがなく実に退屈だったので、ちょうど持ってたキンドル・ペーパーホワイト(電子書籍リーダー)を針が刺さってない方の手で操作しながら岡田斗司夫『オタクの息子に悩んでます 朝日新聞「悩みのるつぼ」より』を読む。

実に面白かった。新聞に寄せられた人生相談に彼が答えるのだが、愛と工夫に満ちている。よくあるような、頭よさげで、もっともらしく、それでいて相談者の想いにまったく沿っていない大人の回答ではなく、相手の気持ちの底を掘り下げて掘り下げて、真に解決をしなければならない問題と現実的な解決法を示してやっている。

そこに行き着くための彼の方法論は独自だ。それらは学術的な裏付けはないが、とても分かりやすく、実際的で腑に落ちるものである。本か何かで読んで身につけた有効な方法論を適切な用途で用いて問題解決をするのも賢いが、自分で目的にあった独自の方法論を編み出すのが岡田は得意だ。しかもそれらが役に立つ。彼はある種の天才である。