2012年5月30日
「弱」でも「強」
扇風機を買った。シンプルでごく標準的なスタンド式だ。風力は3段階調整になっているのだが、弱でも日本の扇風機の強の勢いでファンが回る。涼しいが、うるさい。机の上の書類が飛んでいく。新聞を拡げて読めない。これより弱くはできないので、置き場所を遠ざけるしかない。
部屋の中で目一杯離したところにおいて使っているが、それでも風が強すぎる。米国の消費者は、日本人が気にするようなデリケートな調整機能を求めないという典型例である。
2012年5月28日
5月の連休@セントラルパーク
今日は連休のなか日で、街全体がのんびりした感じ。今の時期、夜の8時を過ぎても空は明るい。夕方、何のあてもなくセントラルパークへ散歩に出かけた。緑がきれいだ。
メトロポリタン美術館の裏手あたりで見かけた Cleopatra's needle と呼ばれるオベリスク。紀元前16世紀ごろにつくられたもので、1881年にエジプトからニューヨーク市に贈られたと表示してあった。高さ21メートル、重量約80トンという代物である。住まいの近くに同じ名前のレストラン&ジャズ・バーがあって、日本人のプレイヤーもよく出演していることもあり時折出かける。店の名の由来はここからだったのだろう。
セントラルパークのほぼ中央にあるGreat Lawn |
夕陽を水面に映したThe Pond という名の池 |
その池のすぐ近くにあるBelvedere Castle |
近くに寄っても逃げない公園内のリスたち |
2012年5月27日
夏を告げる?七面鳥
静かな住宅地の一角にある彼の家で振る舞われたのは、5時間半かけてオーブンで焼き上げたという、実に立派な七面鳥の丸焼きだ。七面鳥のなか(内臓があったところ)にはクランベリーやハーブで味付けをしたパンなどを押し込み、焼き上げるらしい。僕はそうした調理法を知らなかった。
焼き上がりは、実に上々。色も香りもいい、味もさっぱりしていてなかなかだった。部位によって味がライト、ヘビーと呼ばれるように異なるのも初めて知った。七面鳥は感謝祭に食べるものという固定概念を持っていたが、米国人の普段の食卓にとっても大切な料理のようである。
2012年5月26日
早稲田大学の教職員と学生を狙った不正メール
Subject:緊急
Date: Wed, 16 May 2012 01:03:21 +0800 (WST)
From: Waseda Account Billing
Reply-To:Waseda Account Billing
To: undisclosed-recipients:;
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2012年5月25日
Steve Tyrell
彼の「Back to Bacharach」は、ずっと僕のお気に入りのアルバムで、バート・バカラック本人がピアノやアレンジを行っている。どの曲も、何度聞いても飽きない。一度、彼の歌を生で聞いてみたいと思っていたところだった。
リンダ・ロンシュタットやロッド・スチュアート、レイ・チャールズ、スティービー・ワンダー、ダイアナ・ロスなど数多くのアーティストのプロデュースをやって来た人。B. J. トーマスが唄ったバート・バカラックの「雨に濡れても」(映画「明日に向かって撃て」でブッチ・キャシディ役のポール・ニューマンとエッタ・プレース役のキャサリン・ロスが、自転車に乗ってデートをするシーンで使われた)を世に出した。
音楽プロデューサーとして、歌手に歌わせる曲のデモを吹き込んだりしていたところ、音楽仲間に勧められてそのまま自分も歌手デビューした。1999年、50歳でのデビューである。
なめらかな美声ではない。まったく逆で、しわがれた、どちらかというとダミ声である。しかし、彼が歌うジャズの曲は、それが他の多くの歌い手たちが歌ってきたスタンダードであっても、まるでその声であらかじめ歌われるのが決められていたかのように感じる。
隣の席に座っていた男が彼の友人だとかで、コンサートが終わった後に紹介してくれた。ぜひまた東京(東京ブルーノート)公演をしたいと言っていた。記念写真を一緒に撮った。
2012年5月24日
A Passion for Central Park with Paul Auster
セントラルパークをテーマに書かれた短編(あるいはその一節)をステージで朗読するというもの。ポール・オースターやスーザン・チーバー(ジョン・チーバーの娘)らが書いた4つの短編が朗読された。自らが登壇したポール・オースターは、Moon PalaceからFogg in the Parkと題した朗読を行った。
参考:http://timmarshall20.wordpress.com/2012/03/24/moon-palace-and-the-art-of-paul-auster/
2012年5月23日
人は見かけによる
その理由を考えてみた。一つには、真剣さの違いが挙げられる。昼飯を食いに店に入ってきた日本人を中国人と間違えようがどうしようが、売上にはほとんど関係しない。だから、学習する必要がない。しかし、ポン引きは違う。最初のつかみで決まるから、相手の出身国を間違えて声をかけたのではシャレにならない。つまり、真剣さが違うのだ。
もうひとつは、これまで経験してきた数だ。いくら真剣だからといっても、これまで見たことがない国出身の人物の国籍を言い当てることはできない。その場合、経験の数がものをいう。おそらく彼らも最初は、日本人と韓国人と中国人の見た目の違いなど判らなかったはずだ。ひとまとまりで「アジア人」という程度の見分け方しかできなかっただろう。しかし、経験値を高めることで自然と違いが分かるようになったに違いない。それは、誰もが自然と行っている認識能力の獲得の仕方だ。
僕が米国に来て3ヵ月近くになり、一つ変わったなと自分で思うのは、アメリカ人の顔が判るようになったことである。具体体にいうと、これまで見た目だけではなかなか判別出来なかった相手の知的レベルや性格が顔でなんとなく判るようになった(その正確さについての証明はできないけど、そう思える)。女はもともと判りやすかった。でも男は顔だけで推し量ることは難しかった。
「人は見かけによらない」という言葉があるが、人は見かけによるのだ。「人は見かけによらない」というのは、例外の存在を忘れないための戒めの言葉であろう。
ただしこのことは、例えば高級なブランド品を身につけているから中身も高級だとか、またその逆に粗末なものをまとっているから人物も卑しいに違いないといった浅薄な判断力のことを言っているのではない。値の張るブランド品を身につけた精神のコジキはたくさんいるし、その逆もまたしかり。しかし、顔つきはウソはつけない、と僕は思っている。
しかしだ。人は見かけによるとしたら、ポン引きに声をかけられた僕は、そういう顔をしていたということになる。
2012年5月22日
手荷物検査で引っかかる
こればっかりは、なすがままに任せるしかない。相手も仕事なのだ。彼女とて、好き好んで洗濯前の汚れたパンツやシャツをかき回しているわけではないのだから。ずいぶん念入りにバックの中身をチェックした後、なにも怪しいものがないと判断した彼女は、それまでとは打って変わって素晴らしくにこやかでチャーミングともいえる笑顔を僕に向けた。「ゴメンね」とでも言っているかのように。
今日昼飯を一緒に食った米国人の友人にそんな話をすると、「一人でジャマイカへ行けば、そうした扱いを受けても仕方ないよ」と慰めてくれた。まあ、そんなものか。
2012年5月21日
またキングストンへ、そしてNYへ(ジャマイカ /11)
キングストンに着き、バスを降りたところで乗客の一人だったアメリカ人と知り合った。長髪、50歳後半の教育学が専門の大学教授で、ジャマイカ政府から依頼され、勤務先大学の休みの期間を使ってこの国の教育改革の手伝いをするため何度も来ているという(米国の大学では春学期が5月初めには終了するから、この時期はもう夏休みに入っている。そういえば、コロンビア大学ではこの前の水曜日に卒業式があった)。モンテゴ・ベイで2週間ほど仕事をした後、今度はキングストンで仕事だという。
「この国の教育制度と現状をどう思っているか」と尋ねたら、「どの学校も教材が足りない、施設が貧弱だ、教師の給料が安い、問題が多い」。「でも教師たちは、とても献身的だ」と言う。観光客の一人でしかない僕は、学校のなかの具体的なことは分からない。だが教師が献身的だというのは、なんとなく分かる気がする。
僕の感じたジャマイカ人の印象を書こう。彼らはとても真面目で、勤勉である。誰もが親切で優しく、ユーモアに溢れている。本当だ。少なくとも僕が会ったジャマイカ人は、みんなそうした人たちだった(観光案内を装いチップをせびった連中ですらそうだ)。この国には、どこの国にも必ずいる根っからの悪人というのがいないんじゃないかという気すらする。
2012年5月20日
モンテゴベイのダウンタウンで声をかけられるということ(ジャマイカ /10)
朝食後、モンテゴベイのダウンタウンまで歩く。
結構な距離で、やっと町の手前まで来たとき、2人のジャマイカ人の若者が声をかけてきた。例によって日本語で「ニッポン人ですか?」ときた。
サングラスをかけ、帽子を目深に被っていても日本人だと分かるらしい。ひとりは少し日本語ができる様子で、自分は大阪のリョウコという女を知っているとか、京都から来たマリコを知っているとか、嬉しそうにしゃべる。
サム・シャープという奴隷解放運動のリーダーだった人物の銅像の所で、いかに彼が勇敢にかつての支配者であった英国人と戦ったかを語ってくれた。そうしたガイド話を聞きながら、決して悪人ではなさそうだけど、このまま付きまとわれると必ず金をせびられると思ったので、思い切って私は一人で町を歩きたい、と彼らに言った。
すると突如歩みを止めた2人は、われわれは盗人でもなければ物乞いでもないとはっきり言った。われわれはいつもこうして海外からの客人をもてなしているのだ、と僕の目をまっすぐに見て言ったあと、「しかし、チップは欲しい」と言った。
やっぱりそうだった。でもまあいいかと、ポケットのなかにあった500(ジャマイカ)ドル紙幣を2人で分けるように言って一人に渡した。それを受け取った男は、何も言わずくるりと後ろ向くやいなやさっさと立ち去り始めた。
もう一人は、俺にもくれよ、というようなことを言いながら手を差し出す。「さっき渡した金を2人で分けろ。もうたくさんだ」と少しきつく言うと、仕方なそうに去っていった。
海外でこんな時、自分は正しいことをしたのかどうか、いつも少しばかり悩む。金をやったのはよかったのかどうか、よかったとすると金額は適当だったのかどうかなどと、歩きながらつらつらと考える。
それからものの5分もしないうちにまた別のジャマイカ人、今度は年配の男性が英語で話しかけてきた。「朝飯は食ったか?」と何度も僕にたずねる。へんな奴だなと思いつつ、「食った」と答えると、彼は僕が泊まっているホテルの名前をあげ、自分はそこのシェフで毎日朝食をつくっている、そして僕のことも知っていると言うではないか。シェフには見えなかったが、調理の手伝いなどしているのもしれない。
その男は「あのホテルの客のほとんどはホテルの敷地から外に出ようとはしない、あれではJail(監獄)だ」と言った。「お前のように一人でこうして街中をほっつき歩く奴は珍しい」と言いながら後ろを付いてくる。こいつも悪人ではなさそうで、この地にやって来る外国人観光客のことなど地元の人がどう考えているのかヒアリングしてやろうとふと考えたが、最後には「おれは物乞いでも盗人でもないが、チップはくれ」と言ってくるのだろうと思い、お引き取り願った。金銭の問題ではない。そうした対象と考えられるのが、あまり愉快ではないのだ。
町の真ん中にほぼ近いところにセント・ジェームズ・チャーチというイギリス国教会の教会がある。土曜日の昼間だというのに、たくさんの人が集まっている様子。行ってみると、地元のある女性の葬儀が行われていて、彼女の孫だというジャマイカ人の男性が追悼のスピーチをしていた。
2012年5月19日
Jamaica は No Problem なのだ(ジャマイカ /9)
「おっにいさん」って、おれのこと?(ジャマイカ /8)
この辺りはリゾートホテルが並ぶジャマイカでも有数の観光地のはずだが、ほとんど人通りがない。いても、地元の人か、土産物屋の店員だ。通りに並ぶ店自体がまだ7時だというのに多くがシャッターを下ろし、明かりを消している。レストランとバーの前だけが煌々と明るい。
歩いていると、「こんばんはー」とか「おっにいさん」とジャマイカのお兄さんたちから日本語で話しかけられる。無視して歩き続けると後ろを付いてきて「いい女、紹介するよ」とこれまた日本語で話しかけてくる。
こちらに来てから、これまでタクシーの運転手や店の店員などから、たいていは「お前は中国人か」と聞かれてきた。スペイン人と間違えられたことも何度かある(本当だ、笑)。
そうしたなか、ポン引きの兄ちゃんたちだけは、うす暗闇の中でもこちらが日本人だとよく判るものだと感心する。(それがなぜかということを考察すると論文一本分くらいになるので、ここでは書かない)。ホテルの守衛が、出掛けしなにこちらに見せたちょっと意味深な表情は、これに関係していたのかもしれない。
日がすっかり暮れたのでダウンタウンまで行くのを止め、途中からホテルに引き返すことにした。来る途中は気がつかなかったが、人気のほとんどない道ばたの方々に警察官が立っている。なるほど夜はそういう場所なのかと思いつつホテルへ戻った。
いろんなカップルがいていい(ジャマイカ /7)
周りの客は、圧倒的に男女のカップルが多い。これはリゾートという場所柄から当然のことだろう。組み合わせは、白人同士のカップルが一番多く、次に黒人同士、その次は白人男性と黒人女性、最後に黒人男性と白人女性のカップルという順だ。女性同士のカップル(白人同士、黒人同士、白人と黒人)も目につく。これは仲のいいお友達同士といった感じである。白人男性同士のカップルも何組かいる。こっちはほとんどがゲイのカップルだ。
ところで、人様の身体的特徴をあれこれ言えた筋合いではないけど、どうしてこうも男も女も超肥満体が多いのか。相撲部屋に紛れ込んだとでも言おうか。たまたまデブが多いのか。あるいはデブはジャマイカが好きなのか。彼らの大きさを言葉でうまく表現できないのが残念(その人たちの名誉のために写真は載せない。僕だって他の客からは国籍不明、年齢不詳のあやしい男と見られてるだろうからね)。
2012年5月18日
All inclusive はジャマイカから(ジャマイカ /6)
そのアイデアのきっかけが何かは知らないのだが、客側からすれば追加料金がかからないのでスッキリ明瞭会計というメリットはある。ホテル側にとっては、面倒な会計が一切必要ない。これは大きい。人やシステムにかかる事務コストが最小限ですむ。客が追加的に支払う必要があるのは、電話料金とワインをボトルで注文した時くらいである。
ただ、こうしたオール・インクルーシブのビジネスのやり方に批判もある。環境へ負荷が高くなるという主張である。「食い放題、飲み放題」だから、余計に食物資源が消費、あるいは浪費されるということだろうか。でもそうだとすると、日本のホテルでも流行りの「ブッフェ式」の食事の提供の仕方と同じかなとも思ってしまうが。
「用心棒」に会う(ジャマイカ /5)
2012年5月17日
大と小のビーチについて考える(ジャマイカ /4)
その東の端に行ってみた。そこには金網のフェンスが張ってあり、その向こうに30メーターほどの小さな浜があった。その浜は誰でも使える場所らしく、地元の若者たちが何人か泳ぎに来ていた。
仕切りの金網には有刺鉄線がからませてあった。そこまでしなくてもいいのに。
バスでモンテゴ・ベイへ(ジャマイカ /3)
海が見えてきた。キングストンを出て2時間弱ほど走ったところで、バスはいったん休憩で止まった。そこはオチョ・リオスという町。カリブ海に面した港町で、ボブ・マーリーが生まれたころである。その後、バスはカリブ海沿いの幹線道路(A1号線)を西へ。
午後1時過ぎにモンテゴ・ベイのバス停に到着。迎えをホテルに頼むのを忘れてたことをバスの中で思い出したが、こうしたところではそうした心配は無用。バスを降りるや何人かのタクシーの運ちゃんが寄ってきて、タクシーが必要か、俺のに乗っていけ、とうるさく付きまとい、3人ほどの運ちゃんが右に左に手を引っ張る。
一番まともそうな(に見えた)運ちゃんと料金の交渉をする。その間も客を取られた他の運ちゃんが、「そいつはインチキ野郎だから気を付けろ」とか「俺の方が親切だからこっちへ来い」と大声で呼びかけてくる。目の前の運ちゃんは僕と料金交渉をしながら、そうした相手に「やかましい、うせろ」と叫び返す。
2012年5月16日
夕刻のキングストンで(ジャマイカ /2)
そのバーで一人で飲んでいるところに現れたのは、ベルギー人の国連職員。バーテンダーだけでなく、周りのスタッフたちとも顔なじみの様子で、頻繁に来ている感じである。ホテルの入口近くでクルマを運転して駐車場に入る彼を見かけたから、本当はアルコールはだめなんだろうけど、当たり前のようにビールを何本か注文していた。NGOの活動の支援をしていて、コソボやソマリア、コンゴ、その他数ヵ所危険地域と思われるところでの勤務を経験し、1年半ほど前からキングストンに赴任しているという。
話をしてみるまで、何をやっている男か想像できなかった。ビジネスマンにしてはざらついた感じがあるし、では自由人かというと、着込んでいるジャケットとネクタイはそれには似合わない。仕事の内容を聞き、なんとなく納得。いささかやさぐれた雰囲気である。
目が覚めた後はダウンタウンまで行くのはやめにして、夕食前の軽い散歩に。
公園でジャマイカ人の新婚カップルとその家族が写真を撮っていた。優しそうな彼と逞しい彼女、迫力ある叔母さん。
2012年5月15日
キングストンでもラジオ体操(ジャマイカ /1 )
夕方の散歩の途中、キングストン市内のEmancipation Park(解放公園)でiPhoneのスピーカーから伴奏を流しながらラジオ体操をする。ラジオ体操をするのは、日本を離れてからの日課になっている。あまり健康に気を遣う方ではない僕の唯一の健康法である。
周りから、子どもたちが寄ってくる。素知らぬふりして、体操を続ける。
彼らは最初、まるで見せ物の猿でも見るかのようにこちらを眺めているが、そのうち何人かが面白がって真似を始める。他の子どもたちはそれを見て大笑いしながら、やがて自分たちも一緒にラジオ体操(の真似ごと)を始める。
ラジオ体操を終えたあと、そいつらの方を向いて拍手をしてやると、彼らも喜んで一緒に拍手をする。
2012年5月14日
ジョブシェアリング
日本語なので振り返ると、3歳くらいの女の子とその父親の2人がいた。切りのいいところで本を閉じ、話しかけた。日本の監査法人に勤めているというNさん親子で、少し前から家族でニューヨークに来ているらしい。仕事ですかと聞いたら、研修が主で1年半の滞在予定だとか。いまどき、なかなか羨ましい。
その監査法人というのは、私のゼミ修了生が昨年まで務めていた会社だった。昨年の初め頃だったろうか、彼が研究室に相談にやってきた。人員整理のためのインセンティブ・パッケージが会社から発表になり、手を挙げようかどうしようか悩んでいるという。大手の監査法人だけあってか、その経済的補償は十分なものに思えた。「一年間、世界中を旅して回れるね」と僕が彼に言ったのは、冗談だけではない。それほど魅力的な内容だった。
今日のニューヨーク・タイムズに、"The Human Disaster of Unemployment" という記事を見つけた。それによると、雇用を失った人の中で6ヵ月以上仕事を探して入るにもかかわらず職に就けない人の割合が、米国の就労者全体の4.2%になった(2010年度の統計)。リーマンショック以前の2007年度の数値は、0.8%だったから3年で5倍以上に膨れあがった。4.2%の中には6ヵ月以上経っても就職先が見つからず、職探しを諦めた人の数は入っていない。それを加えると、数値は1.5倍になるという。
経済学者のダニエル・サリバンとティル・フォン・ヴァクターの論文によると、職を失った男性高齢者がその翌年に死亡する確率はそうではない場合に比べて5割から10割高まる。理由の一つとして挙げられているのが自殺率の増加である。最近のあるレポートによると、失業率が10%あがると(つまり8%が8.8%になると)男性の自殺率は1.47%分上がると報告されている。
病気にも関係がある。その原因については詳しく説明がなされていなかったが、失業者がガンで死亡する比率はそうでない人より25%高い。心臓病や精神疾患を病む割合も高くなっている。また本人だけでなく、職を失ったことは家庭全体に影響を及ぼす。男性が職をなくした場合、その夫婦の離婚率は一般的な夫婦に比べて18%高くなっており、女性の場合は13%高くなるとの統計数値がある。子どもの学業達成度も低下する。
記事は、ドイツで実施されているジョブシェアリングの導入を提案していた。企業や国が負担する種々の手当などのコストを考えると、業務の分担の見直しによる労働時間の短縮の方が理にかなっていると主張する。経済的な理由だけではない、長期間にわたり職から離れた場合、職業人としてのスキルを衰えさせるだけでなく、自尊心を失せることになる。
日本でも以前ジョブシェアリングが議論されたことがあったが、じきに耳にしなくなった。職種にもよるが、その適用をもう一度検討してもいいんじゃないだろうか。労働の流動性が低い日本の方が、米国よりも適用しやすいのは間違いない。そもそも、誰だっていつ首を切られるかわからない会社にロイヤルティを持って働くことなど出来るわけがないのだから。