2012年3月31日

イヤホンマイク

NYに来て一ヵ月が経つが、それでも街を歩いていて思わずはっとさせられることがある。

例えばそれは、後ろから何か話しながら自分に近づいて来る人に意識が向かう時だ。何だろうかと軽く振り向くと、イヤホンマイクで話をしながら歩いてるだけだったりする。これだけは未だに慣れない。街の雑踏の中で彼らが話している英語がよく分からない不安感からだろうけど。

そうした連中は飽くことなく話し続ける。いずれ日本でも「これ」が増えそうな気がする。

2012年3月29日

ヘルツォークのStroszek

夜7時から40丁目にあるニューヨーク市立図書館の分館で映画の上映会があったので出かけた。作品はヴェルナー・ヘルツォークの「Stroszek」。2月末から週1回のペースでヘルツォークの作品を上映している。今日は5回目で、初回には「アギーレ 神の怒り」を上映したらしい。

参加者は、およそ25名ほどだった。学生らしい男女から中高年まで、さまざまである。ちょっと驚いたのは、フィルム(DVD)の上映前に、世話役らしい30歳くらいの男性(図書館の映像部門で働いているスタッフか、近くにあるNYUで映画を専攻している大学院生のような感じ)が簡単な説明をしてくれたこと。そして、上映後は、彼を中心にディスカッションがなされたこと。

彼の質問に呼応して、会場の人たちが自由に意見を述べる。とんちんかんな発言もあるが、感心させられる見事な意見もある。とにかく途切れることなく、次々と意見が出るのにびっくり。そして、15分ほどのそうしたセッションの後お開きとなり、「グッドナイト」とそれぞれの帰途へ向かう。なかなか気持ちがいい。早稲田の学生より、よっぽど活発である。

日本の大学の授業での質問(発言)の少なさを思い起こした。授業の終わりに質問の時間を設けるが、あまり質問や意見が出ない。意見がないわけではなく、みんなの前で言いたくないのだ。質問についても同様だ。書いて提出させると、それぞれ出てくる。また、授業が終わってから、個別に質問をしに教卓に寄ってくる学生がいる。内容は一般的な質問である。授業中に発言するように何度言っても変わらない。

みんなの前で意見を述べたり質問をするのは、彼らにとってそれほどカッコ悪いのだろうか。