2011年3月27日

ゼミOB会

昨日はゼミのOB会が開かれた。毎年、3月の最終土曜日に開催されることになっている。

例年にない趣向として、今年は2部構成になっていた。4時から大学で勉強会を2時間ほど開催。博報堂の三宅君とトレンドマイクロの坂本君がそれぞれ発表をしてくれ、他の参加者を交えて質疑応答を行った。その後は、高田馬場の店でいつものように宴会を。集まってくれたメンバーはいずれも元気。京都からこのために鬼頭君が駆けつけてくれた。現役生も何名か参加。これからもみんなには学生時代のつながりを大切にして欲しいと思う。

東日本の震災の影響で自国に一時帰国していた元留学生が何人かいて、彼らが参加できなかったのが残念だった。

2011年3月25日

卒業おめでとう

今日、例年通り大学の卒業式が行われるはずだった。しかし、今回の東北地域の震災の影響を鑑みて大学は式典を取りやめた。

卒業式がないのは、寂しいものだ。4月早々に予定されていた入学式も中止になった。こちらも新入生たちには残念に思う。だが入学式は仮になくても、すぐに新学期は始まり、新しい仲間や先生たちに囲まれて賑やかな大学生活の一歩が始まる。

一方で卒業式は、大切な区切りだ。僕は早稲田大学を30年前の春に卒業した。その4年前の入学式は行かなかった。行く気がしなかったからだ。既に東京に上京していたから、行こうと思えば行けたはずなのに。卒業式は行った。その日は雨が降っていた。傘を差したまま学生時代の仲間たちと大隈講堂の前で写真を撮った。大学とはお別れだ、このいつも一緒だった仲間とも当分は離ればなれになる。そうした思いから卒業式に向かったように思う。

交通事情や計画停電、起こるかもしれない大規模な余震といったことから大学は卒業式を取りやめたが、正しい判断だったのかどうか。学位記はそれぞれの学部や研究科で、それぞれのやり方で卒業生・修了生に渡されたようだ。事務所で職員から「おめでとうございます」のお祝いの言葉とともに手渡された所もあれば、校歌が流れる教室で壇上に登った職員たちから一人ひとり手渡されるところもあった。推測だが、大学が全学で卒業式を中止した(ということは、やってはいけない)ためになされた工夫だろう。学生へ向ける職員の思いに頭が下がる。

一歩校舎から出ると、羽織袴姿の女子学生もあちらこちらで目にする。グループでお互いに写真を取り合ったり、抱き合ったり、その時ばかりはいつもの卒業式当日のようだった。
今日は、晴れやかな天気のいい日だった。

2011年3月24日

成功は失敗の始まり

今日はマーケティング・リアリティ研究会の第2回目の会合を開いた。

この研究会は、マーケティングの失敗を研究するための産学共同の研究会である。今回テーマとして取り上げたのは、ガリバーとして君臨していた企業がそれまでの成功体験からある種の呪縛に陥り、焦った末に取るべきでなかった戦略を次々に実行してしまったケース。

議論を交わすなかで出てきた、そもそも失敗をどう定義するかという提起からのディスカッションに刺激を受ける。

2011年3月21日

これはないだろう、アエラさん

駅のホームの売店の前で、ある雑誌の表紙に一瞬目が釘付けになった。
 
防御マスクをした顔面のアップに「放射能がくる」と巨大なフォントで見出しが載っていた。手に取ろうとした瞬間、発車のベルが鳴り、そのまま電車に乗り込んだ。

3月19日に発売された「アエラ」だ。中身の記事は「原発が爆発した」「最悪なら『チェルノブイリ』」「被爆したらどうしたらいい?」「『放射能疎開』が始まった」などと、これでもかと云ったくらいインパクトだけは十分。

報道の自由を持ち出すまでもなく、どういった記事を書こうが勝手だし、それを求める読者もいていい。ただ、僕は気分が少し悪くなった。


アエラという雑誌、そこに書かれている記事のクオリティについて語るのはここでは止めておこう。今回も野田秀樹が連載している「ひつまぶし」というコラムだけが救いだった。そのタイトルは「東京よ、冷静になれ」。一部を引用しよう。
私はなにもこのたびの、原発事故を庇おうとか、そういう思いで言っているのではない。ただあまりにも冷静さを欠く報道の在り方、安易に恐怖心をあおるだけのその姿勢。そしてそれに踊らされる人びとのあり様。それらが、この未曽有の大震災を、ただ悪い方向にだけ導くものだと申し上げたい
あのちゃらんぽらんな(いや、本当のところは知りませんぜ)野田の主張はすこぶる正しい。

アエラ編集長による「キャッチコピー力の極意5ヵ条」というのがあるらしい。
http://www.henshusha.jp/2010/08/11/promo-word-1/

週刊誌の見出しはスペースに制限があるので字数を短くするとか、なるべく漢字は使わずひらがな・カタカナにする、といったものが極意とは笑ったが、その5つ目に挙げられている「見出しを決めてから走り出す」はいかがなものだろう。
 
これは一歩間違えば、郵政不正事件で大阪地検特捜部がやった(以前から常態化していたらしいが)事実解明の名の下での、結論、つまり落としどころが先にありきの「でっち上げ」に繋がる。
 
予定調和的に話をまとめるのではなく、予断を許さず取材によって事実関係を集めて本当の姿をつかみ、それを報道するのがジャーナリズムの仕事じゃないのか。

さらに気になったのは、「放射が出た(漏洩した)」ではなく「放射能がくる」という表現だ。どこに来るのだ。誰の所に来るのだ。書き手の意識は、放射能が福島第一原発から漏洩した事実にも増して、(おそらくは自分がいる)東京へ来ることが<問題>と捉えている。

2011年3月14日

スーパー店頭で

東北地方の大地震から3日、近くのスーパーの店頭から商品がことごとく消えた。トイレット・ペーパー、米、パン、紙おむつ、生理用ナプキン、紙食器、ミネラル・ウォーター、カセット式ガスボンベ、カップ麺など。

被災後の不安心理なのだろうが、なぜトイレット・ペーパーか。1973年のオイルショック時にも同様の騒ぎが店頭であった。まだネットもない時代だったが、こうした風評が大阪からあっという間に東京へも流れた。実際は、そうしたものは家庭内の在庫になっただけだった。なぜかこうした噂は大阪発が多い。口割け女なんてのも大阪が発信元だった。友人が大阪の仕事相手と電話で話していたら、新宿で放射能が検出されたらしいが避難しなくて大丈夫かと聞かれたらしい。

トイレットペーパーが完売になっているスーパーマーケットで、小さな子供がお母さんに「人間は地震があるとウンチがたくさん出るようになるの」と尋ねたらしい。この問いは正しい。自分で考えることもなく、根拠のない妄想だけで行動する大人より、小さな子の方が賢い。

マーケティングの研究者の中には、店頭のPOSデータの分析を熱心にやっている人たちがいる。地震後にどこで何がどのように売り切れていったか、震災時の消費者心理の一端を知るためにもぜひデータを分析し、結果を発表して欲しい。



2011年3月5日

結婚おめでとう

ゼミ生の中尾さんの結婚披露パーティが、12時から神宮前のライブハウスであった。午前中に大学であった入試面接をすばやく終えて駆けつける。

会場はたくさんの若い男女で賑わっていて、たぶん僕が最高齢者の一人か。新婦はベーシスト、新郎はギタリストである。写真はステージで息のあった演奏を見せるふたり。

2011年3月2日

戦争博物館(War Remnants Museum)へ

昨晩カンボジアからベトナムへ。昼間、ベトナム戦争の数々の記録を収めた戦争博物館を訪問。今さらながらベトナム戦争の無残さと残した傷跡の大きさに胸がつぶれる感じがする。

「ベトコン兵はどこにもいないが、どこにもいる」とベトナム戦争当時の政府高官が語ったそうだが、密林に隠れて執拗なゲリラ活動を続ける相手に対してとったアメリカ政府の発想は「彼らは密林の中に潜んでいる。であれば、密林そのものを無くしてしまえ」だった。 そして森を枯死させるため、恐ろしいほどの枯れ葉剤を空中から散布し続けた。入っていたのはオレンジ色のドラム缶だったことで、その枯れ葉剤は「エージェント・オレンジ」と呼ばれ、なかには大量のダイオキシンが含まれていた。その影響として、いまなお多くの被害を人びとに残している。

ここには、沢田教一や一ノ瀬泰造など日本人報道カメラマンの写真も多く展示されていた。

2011年3月1日

アンコールトム

アンコールトムとその周辺の遺跡群をめぐる。タ・ブロームの遺跡はガジュマルの巨大な樹木に絡め取られている。遺跡の多くの部分は倒れ、崩れ、廃墟の様相を見せている。人の目に触れないまま、何百年も密林のなかで静かに眠っていた寺院だ。




崩れ、転がった巨石の上を裸足の子供たちが駆けまわっていた。蝉のけたたましさのなかに子供たちの軽やかな笑い声が流れ、つかの間気分が安らぐ。

 


2011年2月28日

アンコールワットの遺跡

カンボジアのシエムリップまでは、ホーチミンから空路で1時間ほど。ベトナム航空のエアバス機はほぼ満席だった。カンボジア入国にはビザが必要だが、それを忘れたまま現地へ到着。空港で20ドル払ってビザを入手する。町へは空港から20分ほどで辿り着く。

ホテルでしばらく休んだ後、アンコールワットの遺跡を巡る。11世紀の後半に築かれた石造建造物である。その規模と精緻な設計に驚愕する。

2011年2月27日

Just Married

街を散策していたら、教会の鐘の音が。ホーチミン市内の聖マリア教会で結婚式があったらしい。見物に出かけたら、教会の前で新郎新婦がみんなに祝福されていた。なんだか映画のワンシーンみたいだ。

2011年2月26日

ホーチミンの猫

ホーチミン市内のドンコイ通りで見つけた猫。人なつっこいのか、闘争的なのか。

2011年2月23日

IMセミナーを開催

今日は大手町でIM(インターナル・マーケティング)のセミナーが開催された。500名を越える受講希望者があり、今回はその中から抽選で会場の収容人員一杯の190名が参加した。抽選に洩れた皆さん、ごめんなさい。

セミナーのあとは、同じ会場で懇親会。こちらの方も思った以上の方が参加され、多くの企業の方々から相談を受ける。個々の実例を聞くことは、僕の方でも勉強になる。
http://www.nikkei-r.co.jp/topics/news/2011/01/post-49.html

2011年2月21日

Version 2.368.....

昨年11月の米国での中間選挙での大敗後、オバマ大統領はそれまでのアンチ企業的姿勢(とりわけ金融部門)を一転させて、法人税の引き下げや規制緩和策など企業寄りの政策を打ち出している。

そうした彼の"change"は、オバマ2.0と呼ばれてるらしい。ネットの進化を表現したウェブ2.0からの連想である。そうであれば、次の転換は「3.0」と呼ばれるようになるのか・・・。

だが大方の場合、ものごとの変化はそう単純ではない。言い換えれば、階段状にストンと一段上がったり下がったりするのではなく、無段階かつ連続的に変化しているのが実状だ。クルマのギアを1速から2速、3速とシフトチェンジして行くのとは違う。

マーケティング3.0というのもある。無段階で連続的な現実をよく知らないまま、第三者的な単眼の観察から後付け的に考えられたコンセプトの一つ。「売る」ための表現上のものなのだろうが、ものごとをあまり単純化し過ぎるとその本質を見失うのはどの世界でも同じだ。

マーケティングの進化の仕方は、突然の大変革(revolution)によるものではない。それは漸進的変化(evolution)である。

2011年2月4日

お札の山

ウズベキスタン最後の夜は、JICAからの派遣で来た我々大学関係者と現地のスタッフでグルジア料理の店に出かけた。

ギター演奏を中心にしたグルジア音楽が演奏されるなか、あいだにチーズを挟み込んだパンケーキのようなものなど、ちょっと変わった料理の数々を堪能。グルジアのワインも何本か試したが、味もまずまず。

支払いは、しめて20万スム(Cym)ほど。日本円にして1万円強。ただ、ここでは最も高額の紙幣が1000スムだから、皆の財布からお金を集めると全部で紙幣が250〜300枚ほどになる。慣れないと数えるのも大変である。

20万スム分を、支払う前にお皿に盛ってみた。

2011年2月3日

タシケントの街

今日は、午後から少し自由な時間があったので街をぶらつく。









2011年2月1日

ウズベキスタン

仕事でウズベキスタンの首都、タシケントに来ている。知り合いからは寒いから気を付けるようにと何度も言われてたのだけど、ほとんどコートなしで過ごせる。現地の人もこの冬は暖かいと驚いている。

この国は1991年までソビエト連邦の一部だった。そのため、建物など旧ソ連時代を感じさせるものが多く残っている。片道3車線という広い道路も当時の名残だろう。

街全体の印象は、途上国とは思えないほどきれいに整っている感じ。裏を返せば、政府によるさまざまな統制が強くきいているといことだろう。

下の写真はウズベキスタン料理の一つ。名前は忘れた。

2011年1月31日

投資外国人

飛行機を乗り換えるため、ソウルの仁川空港にいる。今回はここで6時間近く時間を潰さなければならない。航空会社のラウンジにずっといるのも飽きる。広大な空港を気ままにぶらつく。

出国審査窓口に、外交官、クルーなどと並んで投資外国人の表示がある。英語表記は、まさにInvestorsである。いくら投資すれば、一般人とは別ゲートですんなり出国審査が受けられるのだろう。

2011年1月30日

宝塚歌劇観劇

親戚の娘が出演しているというので、初めて宝塚歌劇を観に行った。宙組(そらぐみと読む)公演「誰がために鐘は鳴る」である。劇場が思いのほか大きいのに驚く。観客は、予想どおり圧倒的な女性比率だ。しかも年齢は結構高い。

芝居も衣装も何もかも、すべてが過剰。でもそれこそが、タカラヅカなのであろう。僕には(当たり前だが)まったくの別世界。ここまで徹底してやられると文句も出ない。

宝塚には花組や月組、雪組と行った6つのグループがあり、それぞれが全く異なったユニットとして活動している。AKB48の原型の一つはここだ。

2011年1月27日

人生万歳!

明日で恵比寿ガーデンシネマが閉館になる。閉館後、ここの施設がどうなるのか劇場のスタッフに尋ねたが、まだ決まっていないという。

僕の記憶では、アメリカ映画の佳作を中心に、全体的に上品かつ上質な映画を選んで上映していた印象がある。思い返せば、ウディ・アレンの作品が多かったような。だからか、最後の上映作品もウディ・アレンが監督した「人生万歳!」だった。

劇場が一つ閉まるからといって、映画が観られなくなるわけではない。映画を上映する数多くのコンプレックスもできているし、自宅ではオンデマンドやレンタルなどで、ほとんどあらゆるタイトルを観ることができる。だが、なんというのか、ノスタルジーなんだろうなあ。自分が身を沈めて映画に触れた劇場の空間がなくなるというのは、ちょっと寂しい感じだ。

2011年1月19日

『小さなチーム、大きな仕事』

本書の著者は、米国のソフトウェア会社37シグナルズの創業者2人。1999年にウェブデザインコンサルティング会社として創業し、世界中で数百万人が利用している優れた製品を生み出している。

彼らのビジネスの哲学は明快だ。すごい製品やサービスを生み出す最も単純な方法は、自分が使いたいものを作ること。会社には、広告も営業もオフィスも事業計画も必要ないと断言する。もちろん会議など、彼らにとってはできる限りやらないにこしたことはない。彼らの製品作りの焦点は、早さ、シンプルさ、使いやすさ、そして分かりやすさ。本当に重要なことだけ徹底的に追求し、顧客の琴線に触れるものを作り、ストレートに提供すること。

創造性だけを武器に成長してきたスモールカンパニーの代表選手だからこその特異性はあるかもしれないが、マネジメント理論や財務分析よりも働く人のやる気と思い、顧客とのつながりこそが重要との指摘は今だからこそ新鮮である。自分で新しい価値を社会に向けて創造し、自由に能力を生かしたい人は、気に入った小さなチームで好きな仕事ができるオープンな環境こそ最優先すべきだと教えてくれる。

原題は、Rework。楽しく仕事をやりたいと望んでいる読者に、数々のヒントを与えてくれる一冊である。