新型コロナウイルスに感染すると、嗅覚と味覚を失うことがあるらしい。味覚がなくなった場合はもちろんだが、嗅覚を失った場合も食事は一気に味気なくなる。何を食べてもおいしくなくなる。
以下は味覚・嗅覚障害になった方が自分の実体験を記していた内容である。
「シュウマイ」は弾力のある“ソースなし豆腐ハンバーグ”のような感じ。「ポテサラ」は微妙に素材の甘味を感じるものの、何を食べているのか不明。中濃ソースをかけても同じ味。「野菜の黒酢炒め」は酢が強いのだろうとは何となく感じられるが、その程度。サツマイモが本来以上に甘い。「白米」はほのかな甘味がある何かの食べ物。「海苔」は何の味もしないし、あっても気づかないレベルだった。
ホテルに隔離された4日目の記述で、味覚は戻っている印象だ。
人が食事を行えているのは、鼻が利いているからだということがあらためて分かる。そして、失って初めてその役割と大切さを知るのが通例だ。
そんな事が頭にあったのかもしれない。先日テレビで放送された韓国映画『パラサイト 半地下の家族』を観た時にやけに「におい」のことが気になった。
この映画を劇場公開時に観たときはそれほど気にはならなかったのだが、こうして繰り返し観ると、そのつど何か別のことが気になったり自分なりの発見がある。
この映画については以前もブログで記事を書いたことがあるが、半地下の住居に暮らす4人家族のキムさん一家がひょんなことから金持ちの家にパラサイトすることになる。パラサイト先の朴家は、ハイブローではないがキム家とは対照的な成金のブルジョアである。
詳細は省くが、自分たちの本当の素性を偽り、家庭教師としてあるいはお抱えの運転手、また家政婦としてパク家に寄生するキム家の4人家族が、いくら外見を装っても隠しきれないものが体に染みついたにおいだった。
半地下の住まいで暮らすキム家は、見るからに「じとっ」としていて風通しが悪い。時折、市の衛生局がやってきて周辺の路地に噴霧される消毒薬が窓から家の中に入って流れ込んでくる。家の前では酔っ払いがゲロを吐いたり、立ち小便をしていく。そしてキム家のトイレは、まるで神棚のように住居のなかで高座に据えられていて、つねに臭いを家中に発しているかにみえる。
終盤、キム家の主人であるキム・ギテクがパク家の主人を包丁で刺し殺すきっかけになったのは、においへの言及が引き金だった。彼が自分の体臭を指摘されたとか咎められたというわけではない。ただ、相手が感じた自分のにおいによって、両者の越えることのできない壁を感じたことが我慢できなかった。
臭いという生理的な違いだからこそ、理屈を超えたところで双方の間に横たわる格差への認識が怒りに転嫁し、瞬間的に爆発したのだ。臭いというのは普段我々はあまりしない気にしていないかもしれないが、根本的なところで我々の立場を表象する重要な特徴になっているということか。
新型コロナ禍のもと、オンラインで仕事をしていると視覚的な情報と聴覚的な情報に頼っていることに気づく。相手に関する臭いの情報は存在しない。だがそのことで、普段気がつかないが相手やその場の環境について理解するための重要な手立てを失っているのかもしれない。
ドイツの森林管理官が書いた『樹木たちの知られざる生活』という本によると、木々はにおいを発する化学物質を出すことで互いに情報を伝達しているという。そのにおいの変化、すなわち化学物質の変化を木の根や菌類のネットワークで遠く離れた木々にも伝え合っているらしい。
木々ですらそうだとすると、においという原始的な情報は、われわれが思っている以上に人の気持ちに大きな影響を与えているに違いない。
これまでZoomの画面に映る人たちを眺めながら、何か忘れ物でもをしているような気になっていたのはそれだったのかもしれない。