2017年5月28日

いつだってフルスイング

今朝の「木村達也 ビジネスの森」は、「週刊文春」編集長の新谷学さんをゲストにお迎えし、新刊の『「週刊文春」編集長の仕事術』をもとにお話をうかがった。


もともとはテレビ局で大人向けのバラエティをつくりたかったという新谷さん。ひょんなことで(ま、ふつう新卒で入社するときはそうだけど)株式会社文藝春秋に入社、いくつかの部署を経て「週刊文春」の編集長になって6年目。

一番興味があるのは、人。その可笑しさや、情けなさや、胡散臭さや、そうしたものすべてを含めて人が好きだから続けられていると。

スクープにしても、大上段から社会正義で人を裁くようなまねはしたくなく、フラットな目線で取材し、掘り下げ、記事にしてい行くのが文春流のようである。しかし、スクープだけでなく記事を載せるときはいつだってフルスイングでいく。

いま話題になっている「週刊新潮」の中吊り広告の件などもダイレクトにお聞きしましたが、そこはオフレコということで放送できませんでした。来週も新谷さんをゲストにお招きします。

編集者は黒子、ということで顔写真なしの記念撮影でした

今朝の一曲に選んだのは、Christina Perri で A Thousand Years。


2017年5月21日

亀とジェット機

先週と今週、「木村達也 ビジネスの森」にゲストとして元エルピーダメモリ社長の坂本幸雄さんをお招きした。


エルピーダメモリは、1998年に日立とNECの半導体(DRAM)部門が統合してできた会社。設立後うまくいっていなかったその会社に、坂本さんが2002年に再建を託されて社長に就任し、その後10年間にわたり同社を率いてきた。

坂本さんの企業人の原点は、体育大学の卒業後に義理のお兄さんの紹介で入社した日本テキサスインスツルメンツ社。そこの倉庫番からスタートし、25歳で経営企画部の課長に。それまでの上司が部下になった瞬間だった。最初は双方ともやりづらい感じもあったが、両者ともすぐに慣れていったという。肩書きは、単なる「役割」なのである。

日本企業とアメリカ企業の経営の違い。多くの違いの中でも決定的なのがスピード感の違い。両企業をよく知っている坂本さんから見た場合、その差は亀とジェット機くらい違うと云う。

コングロマリットの事業形態がその根底にある。種々なビジネスに関して、トップがすべてを理解できるはずがなく、だからこそクイックな判断ができない。社長がビジネスに精通していなくて、なぜ適切な経営判断ができるのか。切り離すべきだというのが坂本さんの考え方だ。

スペシャリストとジェネラリストについてもお話をうかがった。日本企業は多くの社員がゼネラリストを目指しすぎるので、部長になったとたんに専門性を鍛えてこなかった人たちはリストラの対象になってしまう。

企業に必要なのは、一部のジェネラリスト。坂本さんが語るように、その以外の人たちはスペシャリストを目指すべきなのだ。

まずは専門性を磨くこと。その後、組織内のポジションと役割に応じて、ジェネラリストとしてのキャリアを磨いていって経営者になる人材が出てくる。多くの日本のサラリーマンは専門性のひとつも持たないで最初からジェネラリストを目指すケースが多いが、それでは仕事にならないのである。

今朝の一曲に選んだのは、スティングで「Shape of My Heart」。


2017年5月13日

「髪型変えた?」

大学時代のサークルの同期会があり、小雨の中を出かけた。会場になった大学近くの鮨屋に集まったのは9名。その内の8人とは、大学卒業以来の再会だ。

36年ぶりだが、みんな意外と変わってない。女性はみんな昔の雰囲気のままだし、男の方も頭がいくぶん涼しくなったり白くなったくらいで、昔の様子そのままなのにちょっとびっくり。

自分自身があの頃からたいして変わってないのに、他人だけ変わっているに違いないと思っていたのがそもそも間違い。

それにしても、「あれっ、木村君、髪の毛そんなに短かったっけ?」と言われ、何を問われているかよく分からず黙っていたら、「長髪だったよねえ・・・」と。

ああなるほど、自分が学生時代のある時期、髪を肩の辺りまで伸ばしていたことがあったのを思い出した。彼女はそれをまるで先週のことのように言う。

十年一昔とは言うが、そりゃあ36年経てば髪型も変わるよと心の中でつぶやきつつ、なんだかおかしくなった。

2017年5月7日

コンセンサスが取れたときには、もう手遅れ

今朝の「木村達也 ビジネスの森」のゲストは、『超一極集中社会アメリカの暴走』(新潮社)の著者、小林由美さん。大学院時代から数えて36年間をアメリカで過ごしている彼女が、ちょうど帰国しているというのでスタジオに来てもらった。


アメリカで現在発生している問題の1つは「集中」にある。生産財としての情報の集中、それを手にしている一部のアメリカのIT企業、そしてそれらを可能にしている最先端の技術。さらには、その技術を開発している一部の超エリートのエンジニアたち。それらはすべてアメリカにある。

われわれが意識しないうちに、SNSの情報はもちろん、Gメールの内容も、ネットでの買い物の内容やその過程もすべて丸裸で捕捉されている。それらは分析され、ターゲット広告や商品・サービス開発のために売買されているのが現状だ。

日々の個人の生活には具体的な影響は感じないし、システムの向こう側でやられていて見えないだけに普段は意識することすらない。確かに現状では個人的には実害を感じるというものはないので、いいじゃないかと思ってしまいがちだが、気がつくとメールはGメール、SNSはフェイスブック、買い物はアマゾン、と一部企業に大多数の消費者が頼ってしまっている。

それらは便利だが、彼女の本のタイトルにあるように、いつの間にか超一極(ごく一部)に情報(つまり金だ)が集中している社会に僕たちは生きている。

日本と米国の比較のなかでは、教育についても彼女からいくつもの指摘があった。学校教育のレベルは低すぎると斬って捨てる一方で、米国では自由で斬新な発想を生み、それを高く評価する土壌があるということも。

全体的にレベルがそこそこ高い日本社会に対して、米国はおそらくならすと全体のレベルは高くないが、一部のとんがった連中が自由にものを考え、言え、実行でき、評価される環境の中でそれまでなかった新しい仕組みやビジネスを作っていく。

さらにはスピード感も日米で大きく違うという。「コンセンサスが取れたときには、もうtoo lateなのよ」とさらっと言ってのけた彼女の言葉にドキリ。

今朝の一曲は、ドン・マクリーンの American Pie。


2017年4月16日

誰も使わない「だれでもトイレ」にならなければよいが


4月8日の日経夕刊

記事から。
早稲田大学が4月から性的少数者(LGBT)が安心して学生生活を送れる環境の整備に乗り出した。多目的トイレを「だれでもトイレ」と改称してLGBTの学生が気軽に利用しやすくした(後略)。

記事の中で、これまでLGBTの学生たちが、利用者が少ない遠くのトイレを使って膀胱炎になったりしたからとある。しかし、それへの対応になっているだろうか。

「だれでもトイレ」の意図は分かる。だが、そうした狙いで大学によって設置された「だれでもトイレ」を誰が使うのか。誰も使わないんじゃないだろうか。

だって、そのトイレに出入りしていることが、まわりへの明らかなひとつのシグナルになるのだから。それを知られたくないLGBTの学生が、どうして使えるだろう。パラドックスだ。

ドラえもん風の馴染みやすい名前をつけるなど、大学の配慮を示す気持はよく分かる。だけど、特別なトイレを設けるんじゃなくて、本人が自分で思う性別のトイレをそのまま使えばいいじゃないか、と僕は思うのだ。

個人的にはトイレに誰が入って来たかなんて気にしないし、ましてや個室を使うのであれば、問題にもならない。これって、LGBTの実状を知らない人間の浅はかな考えかな?

記事の終わりあたりに「大学にとってダイバーシティー(多様性)の確保が喫緊の課題になってきた」とある。なんか違う気がしてならない。

「確保」するとかなんとか力むようなことではなく、自分たちとは違う人も自然と受け入れる、あたりまえの人間性を大切にするだけのことだと思う。

2017年4月12日

日本のテレビニュースは死んだか

遅い帰宅後、着替えをしながらテレビをつけ、ニュース番組にチャンネルを合わせた。ある民放局の夜のニュース番組だ。

始まったそのニュース番組のトップニュースは、フィギュアスケーターの浅田真央選手が都内のホテルで記者会見し、引退を発表したことに関連するニュースだった。それが延々と続く。

僕たちが目を向けなければならないニュースは他にあるはずだ。なぜ、浅田選手の引退表明がニュース番組のトップニュースになるのかとまどう。浅田選手が問題だと云っているのではない。

そのニュース番組のプロデューサーがスケートファンなのか。日本にとって浅田選手の動向が重要な意味と価値を持つと感じているのか。浅田選手のことなら話題性のあるニュースになると考えているのか。ニュース番組は、取り上げるニュースの順番とそれぞれに割く時間の配分に、局の報道の姿勢といったもの現れるものである。

たぶんそのニュース番組のプロデューサーはジャーナリズムとはまったく無縁の人物で、もしそうであってもその感覚が極めて希薄で、ただただ視聴者に分かりやすくて、喜ばれると自分が考えたそのニュースをトップに持って来たのだろう。最近に始まったことではないが、日本のテレビ番組の劣化は、悲しくなるほど悲惨だ。

2017年4月9日

誰も行ったことがないから行く

今日と先週放送の「木村達也 ビジネスの森」は、洞窟探検家の吉田勝次さんをゲストにお迎えした。

彼がこれまでに潜った洞窟は、1,000とも2,000とも。数えたことがないから、正確な数は分からないそうだ。その中には未踏歩だったものも数多く含まれる。


そこに何があるか分からないのが、洞窟探検の醍醐味。我々が洞窟をイメージするとき、そこは鍾乳洞のような人が立ったまま歩いて進める空間だろう。しかし、吉田さんらがチャレンジする洞窟は、必ずしもそうではない。這いつくばって砂を掻き、目の前の穴に体を押し込み(息を吐いて胸囲を小さくして)、時には空気ボンベを背負い、水の中を進む。

水の中といってもコーヒーのような水。先が見えないどころか、タンクの残りの空気の容量を示すメーターすら見えない。進めるかどうか、ひょっとしたら戻ることもできないかもしれない、そうした状況の中で判断を求められる。

そこでは体力より、メンタルな強さが生きて帰れるかの決め手になる。平常さを失わないこと。パニックになり、平常な精神状態を失うと途端に生還率が低くなる。

冒険と探検は違う、と吉田さんは言う。冒険は無謀であればあるほど価値がある。しかし、探検は冒険とは違い、必ず帰って来なければならない。行った先のデータを持って帰って伝えることが探検には求められているからと。なるほど。

今朝お送りした一曲は、ドゥービー・ブラザーズで「What a Fool Believes」

2017年4月4日

機内アナウンスで

イスタンブールからの帰りのフライトは、トルコ航空52便である。

機体が空に上がってしばらくしてからの機内アナウンス。トルコ人のCAの日本語アナウンスの締めくくりに、思わず吹き出しそうになった。

「それでは皆さま、短い時間ではごぜえますが、ごゆっくりと・・・」


2017年4月3日

Up, Up and Away(カッパドキア熱気球)

岩肌を掘って作られた洞窟ホテル(Cave Land Hotel)を朝4時に出かける。カッパドキアは、まだ暗闇のなか。熱気球にガスバーナーの炎が吹き込まれると、気球はその機体をゆっくりとむくむくともたげてくる。準備ができたあと、ゴンドラに乗り込み上空へ。

熱気球のゴンドラから、手持ちのソニーCyber-shotで撮影した。よく聞くと、同乗したいろんな国の人がそれぞれの言葉で話しているのが分かる。

2017年4月2日

カッパドキアのきのこの山

トルコまで来て、カッパドキアの奇岩を見て日本のチョコレート菓子を思い起こすのはどうしたものだろう。



青空と奇岩を背景に、堂々とした野良猫が横たわっていた。


前足、ふんばってます

2017年3月31日

ボスポラス海峡を渡る

国際学会出席のため、先日からイスタンブールに来ている。午後、無事発表を終えたあと、街に少し出てみた。

写真は、ボスポラス大橋から見下ろしたボスポラス海峡。この海峡でアジア大陸とヨーロッパ大陸が分かたれている。右側の土地がヨーロッパ、左側がアジア。多摩川を渡って、東京都から神奈川県へ移動するのと何ら変わりない。

2017年3月27日

英語を早くから学ぶより、正確に日本語を話すことが大切ではないかな

前にも書いたが、しばらく前からメールなどの文章を書く際に音声入力をできるだけ使おうとしている。さすがに人前ではできないし、やらないが、外を散歩中であっても周りに雑音がなければイヤホンマイクをiPhoneに繫いでしゃべり始める。

あるまとまった考えを、いきなりしゃべりだけでまとめるのはなかなか難しい。難しいと言うより、慣れとある程度の訓練が必要だ。

文章を「書く」ときは推敲を前提に、思いついたことをキーボードで打っていけばよい。それがある程度まとまった段階で、中身の順番を入れ替えたり、補足したりして1つの文章にまとめることは誰もがやっていることだと思う。

音声入力であっても、それは書き文字の文章にするための1つの手段。だから、変換された文章を推敲することには変わりはない。

ただ違うのは、画面を見ていないと自分が何を話したかなんてすぐ忘れてしまい、どこをどう補足するかもよく分からないことだ。だから言葉を発すると同時に文章全体のイメージを構成していかなければならない。これはなかなか大変。

しかし、それができるようになると、音声から文字への変換精度も格段にあがる。ゆっくりしゃべる必要はない。早口だとAIが聞き取りづらいなんてことはなく、むしろあるまとまった固まりでAIが意味を理解し文字化しているので、早口の方が正確に文字に変えてくれるという印象すらある。

つまり、あるまとまった意味の固まりを正確に話せば、即時に近い感覚で活字になる。活字になれば、自動翻訳機能で外国語に訳し、それを自動音声で読み上げることができる。スマホが自動通訳機になる。

特殊なコミュニケーションを除けば、これで外国語間の言葉のやりとりはいずれ解決できるようになるはずである。

小学生英語に関して、いま5年生と6年生がやっていることが3年生、4年生で実施されるらしい。小学校で英語を教えられる先生がいなくて困っているという話がある。何を言っているのか分からない英語をしゃべる先生にあたった生徒は、一気に英語が嫌いになってしまうだろう。

だったら、英語はこれまでどおり中学生からにしておいて、それよりも大切なことは、日本語で正確かつ論理的な話ができるような教育を深めていくことだと思う。その方が、子供たちの将来に訳に立つと思うのだが、どうだろう。

2017年3月16日

タクツァン僧院までトレッキング(ブータン / 5)

パロ渓谷上流の断崖に張りつくように建てられたタクツァン僧院までは、いったん登って、下って、また登るというやっかいな道のりだった。

途中の休憩と昼食をいれて、全部で3時間以上の長い行程だった。ずいぶん疲れたが、幸いに天気に恵まれ、お参りには御利益があったのではないかな。当然ながら、自分の足で苦労してこそである。

タクツァン僧院には「トラの巣」という別名がある。



鐘(巨大なマニ車)を回しているのは、今回ブータンを一緒に回った僕のドライバー。中に教典が収められていて、回転させるごとにそのお経を唱えたのと同じ功徳があるとされている。

2017年3月15日

ブータンは、犬が世界一幸せな国であることは間違いない(ブータン / 4)

初日に越えたドチュラ峠を今度は反対側から越えて、午後にティンプーの街に戻ってきた。天気は快晴。

ブータンが日本でも有名になったのは、GNH(国民総幸福量)という指標を国王が掲げたことにある。ただ、その調査に対しては問題を指摘することができる。

まず、それほど頻繁に(定期的に)測定されているものではないこと。そして、肝心なのはその調査法。僕が今回現地で知ったのは、役人たちが全国のそれぞれの管轄地域の家を個別に周り、すごく幸福、幸福、幸福でない、の3つの選択肢から回答を求めて取ったデータがもとになっている事実。わざわざ家を訪れてきた役人に、三つ目の「幸福でない」と回答するのは一般的国民は難しかったはずだ。

米国でトランプが事前予想を裏切って大統領になったように、調査とはそのやり方次第で本当の姿を見えなくしてしまう。それも意外と簡単に。

ティンプー市内の目抜き通り

 
各地に向かうバスが発着するターミナル

お喋りしながら編み物をするおばさんたち

民族衣装「ゴ」「キラ」の生地を売る店

この国には信号は1つもない。おまわりさんが手でさばく。

街中に一件だけ、illyのコーヒーを飲ませる店があった

それはさておき、ティンプーに限らずブータンを歩いていて感じたのは、どこにでも犬(ほとんどは野良犬)がいて、人間と共存するようにのんびり生きていること。

殺生を禁ずる国だから、野良犬といえども日本のように捕獲して殺処分するなんてことはあり得ない。だから、わんこたちも実にのんびり昼寝している。

ここでは犬たちが世界一幸福なのは、間違いないと思う。

のんびり昼寝する野良たち

ここにも

どこにでも

人が近くを通ったって平気

野良が完全に町に溶け込んでいる

人間と仲良し

2017年3月14日

農業試験場を訪ねる(ブータン / 3)

早朝、ホテルの周辺を散策していた時、子供を抱いた女性に会った。すれ違いざまに「クズサンポー」と話しかけたら、「クズサンポー」と返ってきた。「こんにちは」の意味だ。僕が知っている唯一のブータン語である。


「日本からですか」と彼女から日本語で話しかけられ、そうですよと答えたところ、「私のオフィスには日本の人がいます」と。彼女はこれからそのオフィスに出勤する途中らしい。子供を抱いて出勤しているのは、急にベビーシッターが来られなくなったからだそうだ。

その日本人は、ブータンに来てもう30年以上にわたり農業指導をしている方だと言う。アグリカルチャー・リサーチセンターで働いていると聞いた。今朝はカムスムユーレイ・ナムゲル・チョルテンという仏塔を午前中に訪ねる予定だったが、予定を変更した。

彼女から教えてもらった電話番号に連絡するとその富安さんが出た。ただ彼は近くの村に農業指導に行く予定で、いまはそこへ向かっていて運転中だと言う。でも事務所にはもう1人の日本人がいると話してくれた。その人は協力隊の調査員を経て、その後ブータンで農業指導の仕事をしている佐々木さん。

朝食後、話を聞きにアグリカルチャー・リサーチセンターの佐々木さんを訪ねた。正式にはアグリカルチャー・リサーチ・アンド・デベロップメント・センターというらしい。

事務所で佐々木さんからブータンのこと、特に山岳地帯での農業のことなど話をうかがったあと、「フィールドを見てみますか」と言われ外に出た。ここでは主として園芸作物を試験的に栽培している。かつて稲作は、日本から農業指導の目的でブータンに来た西岡京治さんが長年努力をされて、この国の状況を大きく改善した歴史がある。

かなりの広さの土地に、数々の果樹が植えられていた。弘前大学の学生が持って来たというリンゴの木が4本植えられていた。
 
何も娯楽がない(ように見える)ブータンのいなかの村に、現地のために働いている日本の人たちがいるのを知り、すこし背筋が伸びたような気がした。





2017年3月13日

ドチュラ峠を越える(ブータン / 2 )

ブータンの首都ティンプー(Thimphu)からプナカ(Punakha)へ行く途中にあるドチュラ峠(Dochula Pass)を越える。標高は3150メートルほどだが、数日前の大雪で冠雪していた。向こうにヒマラヤ山脈の山なみがみえる。


プナカへ。ブータン仏教美術の粋を集めて修復されたというプナカゾンを訪ねる。

プナカゾンの入口(ゾンは大規模な僧院)  
プナカゾン全景
その後、チミラカン(ラカンは寺の意)まで田舎道を小一時間歩く。途中、地元の子供たちにたくさん会う。

途上国の子供たちはどこでも思いっきり明るい
チミラカンは子作りで有名な寺。そのせいか、村のなかには男性のシンボルのイラストが平然とあちこちに描かれている。

2017年3月12日

大雪でフライトが遅れる(ブータン / 1)

羽田空港を発ち、中継地のバンコク空港には予定より小一時間近く到着した。予定では乗換が1時間半を切っていたので、僕の預け入れ荷物には「Hot Transfer」の黄色いタグが付けられていた。

ところが、朝6時50発のロイヤル・ブータンエアウェイズの飛行機はいつまで経ってもバンコクに現れない。どうも昨夜のブータンでの大雪でフライトが大幅に遅れているらしい。修正された予定は、午後1時30分。6時間以上の遅れだ。

お陰でブータン航空持ちで空港内のトランスファー用ホテルの一室を取ってもらい、シャワーを浴び、一眠りすることができた。しかし、僕はバンコクの空港で昼寝をするために来たのではない。早くブータンに到着したい。

結局、フライトはさらに遅れ、午後2時45分頃にやっと搭乗機はバンコクからブータンのパロを目指して飛び立った。

お陰でパロ空港に降り立ち、実にスローで時間のかかる入国手続きをクリアして空港から外に出たときには、もうあたりは暗くなっていた。その日の午後の予定がすべてとんでしまった。




2017年3月4日

LA LA LAND


今日の新聞によると、日本のサラリーマンでも副業をやる人が増えてきているという。あるアウトソーシング専門会社は、日本で現在副業をしている人の数は約400万人と発表している。

ただし、その内容を見てみるとウェブ上に物販サイトを立ち上げ、よそから仕入れたものを売って、売値と仕入れ値の差を稼ぐといったローリスク、ローリターンの日銭稼ぎが大多数。月収は数千円程度。赤字が出ていないだけでもマシだし、それ自体が楽しければ、それはそれで結構。あるいは一件500円で恋愛相談に乗る、なんて言うサービスも紹介されていた。

話は変わるが、今日やっとレイトショーで映画「LALA LAND」を観た。ハリウッドで女優を目指す女性とフリージャズをやっている男性の恋愛映画である。

女優志望のミア(エマ・ストーン)は友人とロサンゼルスのアパートに暮らし、MGMのスタジオ内のカフェでウェイトレスをしながら日々オーディションを受けるが、うまくいかない。ミアは失敗続きのオーディションに凹むが、ジャズプレイヤーを目指すセブ(ライアン・ゴズリング)から、自分で脚本を書き自作自演をすればオーディションで落とされる事はないじゃないかというアドバイスを受ける。

そして自分で脚本を書き、小さな劇場ながらそこで一人芝居を打つ。芝居が終了後、厳しい批判の声が楽屋まで聞こえてきて彼女は落ち込むが、その芝居を見ていた1人の映画関係者からその後映画への声がかかる。それをきっかけとしてミアは女優への道を突き進むことになる。

ミアがオーディションを受ける場面がいくつも出てくる。どれもうまくいかないのだけど、その画面を見ていて、彼女自身このミアの役を手にするためにオーディションを受けたのだろうと思った。厳しいが、うまくいくまで受け続けるしかない。うまく行くかどうかも分からない。結果として成功するよりも人生のある部分をムダにしてしまう人たちの方が大部分である。

人気女優を目指すのも、ジャズ・ミュージシャンとして成功するのもハイリスク、ハイリターンだ。

それにしても、エマ・ストーンという女優は目が異様に大きく、一度見たら忘れられない。正確には、目がでかいと言うより眼球がでかい。


LA LA LAND は、監督が「セッション」を作ったデミアン・チャゼルだけあって音楽がいい。ダンスがダイナミックだ。ハリウッドだけでなく、フランスの古いミュージカル映画からの引用やオマージュに溢れていて、映画好きならたまらないだろう。



2017年2月25日

ひと月2時間の「プレミアム」

昨日から、「プレ金」とやらが始まった。いったい何がプレミアムなのか分からないが、月に一度のプレミアムフライデーというのは、月の最終月曜日の終業時間を3時にして、その後の退社時間を「消費」に当てて欲しいという国の方針らしい。

半ドンではない。午後も仕事をするのだ。5時の終業時間が2時間早まって3時になっただけと思えるのだが、何でこんなに新聞やテレビは騒ぎ立てるのだろう。

今日の新聞一面には、「勤務を早めに終えて、クルーズ船のデッキでビールを手に夕陽を楽しむ会社員たち」のキャプションがついたカラー写真が掲載されている。確かに昨日は、いつもより早めに仲間たちと居酒屋で一杯、というのが各地で見られたようである。

ひいき目で見れば、多少は消費の促進に役立っているかも。ただし、「みずほ総合研究所の試算では、プレミアムフライデーによる消費押し上げ効果は2,000億〜3,000億円と推計され、普及が進めばさらに拡大する可能性もある」とあるが、いつも通り、まったくその中身が不明のまま。そもそも、それは何年間の話なのか。未来永劫に渡ってのことなら、確かにそういうことも言えるだろうが・・・。まあ、まともなリサーチャーなら、こんな無茶な推計はしない。

早々とオフィスを出る社員の映像もテレビで映し出されていた。だが、それらはどれも大企業ばかり。中小企業はどうなんだろう? 企業数で中小企業が日本の全事業所数に占める割合は99.7%。大企業は、わずか0.3%しかない。

従業員数では中小企業で働いている人が全体の70%、大企業が30%。中小企業で働く人ががマジョリティなのである。彼らはプレ金をどう見ているのか気になる。日本の企業で働くそうした多くの人たちには、遠い話に映っているのではないだろうか。

そもそも個人の働き方について、政府があーせい、こーせいと言うこと自体が私は好きではない。せめて、「プレ金」が新たな分断の種にならなければいいと願っている。

2017年2月19日

風船で宇宙が撮れる

今朝の「木村達也 ビジネスの森」(FM NACK5)のゲストは、『宇宙を撮りたい、風船で』(キノブックス)の著者、岩谷圭介さん。


彼が北大の学生だったときから始めた風船による宇宙撮影は、今年で7年目。さまざまな技術や能力が問われる仕事で、科学者、発明家、エンジニア、アーティスト、そのすべてを兼ねたような感じだ。

宇宙が好きで何か始めた人たち(以前番組に来てもらった「プラネタリウム・クリエーターの大平貴之さんや「宙(そら)先案内人」の高橋真理子さんら)は、既存のジャンルにはまらず、自分で独自の仕事のジャンルを作っていく人が多いように思う。

彼もまた、何になりたいというのではなく、自分がやりたいことを追求しているうちにそれが仕事になったタイプだ。

ゲストの岩谷さん(右)


いまは福島に居を構え、風船を打ち上げるときは沖縄の宮古島へ移動するらしい。打ち上げるときは直径1.5〜2メートルの風船が、上空30キロ以上に上がると気圧の関係で直径15メートルくらいになり、最後に破裂する。撮影用のカメラはパラシュートで落ちてくる。それを回収する。

何が映っているか、うまく映っているかは回収後に確認しなければ分からない。偶然にかける。それを彼はいまは仕事にしていて、会社を経営している。

彼の仕事を一言でいえば、プロの風船宇宙撮影家。たぶん日本でたった一人である。これからも素敵な写真を撮って僕たちに見せて欲しい。

今日の番組内で流した一曲は、The 5th Dimension の「Up, Up and Away」。