2017年3月27日
英語を早くから学ぶより、正確に日本語を話すことが大切ではないかな
あるまとまった考えを、いきなりしゃべりだけでまとめるのはなかなか難しい。難しいと言うより、慣れとある程度の訓練が必要だ。
文章を「書く」ときは推敲を前提に、思いついたことをキーボードで打っていけばよい。それがある程度まとまった段階で、中身の順番を入れ替えたり、補足したりして1つの文章にまとめることは誰もがやっていることだと思う。
音声入力であっても、それは書き文字の文章にするための1つの手段。だから、変換された文章を推敲することには変わりはない。
ただ違うのは、画面を見ていないと自分が何を話したかなんてすぐ忘れてしまい、どこをどう補足するかもよく分からないことだ。だから言葉を発すると同時に文章全体のイメージを構成していかなければならない。これはなかなか大変。
しかし、それができるようになると、音声から文字への変換精度も格段にあがる。ゆっくりしゃべる必要はない。早口だとAIが聞き取りづらいなんてことはなく、むしろあるまとまった固まりでAIが意味を理解し文字化しているので、早口の方が正確に文字に変えてくれるという印象すらある。
つまり、あるまとまった意味の固まりを正確に話せば、即時に近い感覚で活字になる。活字になれば、自動翻訳機能で外国語に訳し、それを自動音声で読み上げることができる。スマホが自動通訳機になる。
特殊なコミュニケーションを除けば、これで外国語間の言葉のやりとりはいずれ解決できるようになるはずである。
小学生英語に関して、いま5年生と6年生がやっていることが3年生、4年生で実施されるらしい。小学校で英語を教えられる先生がいなくて困っているという話がある。何を言っているのか分からない英語をしゃべる先生にあたった生徒は、一気に英語が嫌いになってしまうだろう。
だったら、英語はこれまでどおり中学生からにしておいて、それよりも大切なことは、日本語で正確かつ論理的な話ができるような教育を深めていくことだと思う。その方が、子供たちの将来に訳に立つと思うのだが、どうだろう。
2017年3月16日
タクツァン僧院までトレッキング(ブータン / 5)
パロ渓谷上流の断崖に張りつくように建てられたタクツァン僧院までは、いったん登って、下って、また登るというやっかいな道のりだった。
途中の休憩と昼食をいれて、全部で3時間以上の長い行程だった。ずいぶん疲れたが、幸いに天気に恵まれ、お参りには御利益があったのではないかな。当然ながら、自分の足で苦労してこそである。
タクツァン僧院には「トラの巣」という別名がある。
鐘(巨大なマニ車)を回しているのは、今回ブータンを一緒に回った僕のドライバー。中に教典が収められていて、回転させるごとにそのお経を唱えたのと同じ功徳があるとされている。
2017年3月15日
ブータンは、犬が世界一幸せな国であることは間違いない(ブータン / 4)
ブータンが日本でも有名になったのは、GNH(国民総幸福量)という指標を国王が掲げたことにある。ただ、その調査に対しては問題を指摘することができる。
まず、それほど頻繁に(定期的に)測定されているものではないこと。そして、肝心なのはその調査法。僕が今回現地で知ったのは、役人たちが全国のそれぞれの管轄地域の家を個別に周り、すごく幸福、幸福、幸福でない、の3つの選択肢から回答を求めて取ったデータがもとになっている事実。わざわざ家を訪れてきた役人に、三つ目の「幸福でない」と回答するのは一般的国民は難しかったはずだ。
米国でトランプが事前予想を裏切って大統領になったように、調査とはそのやり方次第で本当の姿を見えなくしてしまう。それも意外と簡単に。
ティンプー市内の目抜き通り |
各地に向かうバスが発着するターミナル |
お喋りしながら編み物をするおばさんたち |
民族衣装「ゴ」「キラ」の生地を売る店 |
この国には信号は1つもない。おまわりさんが手でさばく。 |
街中に一件だけ、illyのコーヒーを飲ませる店があった |
それはさておき、ティンプーに限らずブータンを歩いていて感じたのは、どこにでも犬(ほとんどは野良犬)がいて、人間と共存するようにのんびり生きていること。
殺生を禁ずる国だから、野良犬といえども日本のように捕獲して殺処分するなんてことはあり得ない。だから、わんこたちも実にのんびり昼寝している。
ここでは犬たちが世界一幸福なのは、間違いないと思う。
のんびり昼寝する野良たち |
ここにも |
どこにでも |
人が近くを通ったって平気 |
野良が完全に町に溶け込んでいる |
人間と仲良し |
2017年3月14日
農業試験場を訪ねる(ブータン / 3)
その日本人は、ブータンに来てもう30年以上にわたり農業指導をしている方だと言う。アグリカルチャー・リサーチセンターで働いていると聞いた。今朝はカムスムユーレイ・ナムゲル・チョルテンという仏塔を午前中に訪ねる予定だったが、予定を変更した。
事務所で佐々木さんからブータンのこと、特に山岳地帯での農業のことなど話をうかがったあと、「フィールドを見てみますか」と言われ外に出た。ここでは主として園芸作物を試験的に栽培している。かつて稲作は、日本から農業指導の目的でブータンに来た西岡京治さんが長年努力をされて、この国の状況を大きく改善した歴史がある。
かなりの広さの土地に、数々の果樹が植えられていた。弘前大学の学生が持って来たというリンゴの木が4本植えられていた。
2017年3月13日
ドチュラ峠を越える(ブータン / 2 )
プナカへ。ブータン仏教美術の粋を集めて修復されたというプナカゾンを訪ねる。
プナカゾンの入口(ゾンは大規模な僧院) |
プナカゾン全景 |
途上国の子供たちはどこでも思いっきり明るい |
チミラカンは子作りで有名な寺。そのせいか、村のなかには男性のシンボルのイラストが平然とあちこちに描かれている。 |
2017年3月12日
大雪でフライトが遅れる(ブータン / 1)
ところが、朝6時50発のロイヤル・ブータンエアウェイズの飛行機はいつまで経ってもバンコクに現れない。どうも昨夜のブータンでの大雪でフライトが大幅に遅れているらしい。修正された予定は、午後1時30分。6時間以上の遅れだ。
お陰でブータン航空持ちで空港内のトランスファー用ホテルの一室を取ってもらい、シャワーを浴び、一眠りすることができた。しかし、僕はバンコクの空港で昼寝をするために来たのではない。早くブータンに到着したい。
結局、フライトはさらに遅れ、午後2時45分頃にやっと搭乗機はバンコクからブータンのパロを目指して飛び立った。
お陰でパロ空港に降り立ち、実にスローで時間のかかる入国手続きをクリアして空港から外に出たときには、もうあたりは暗くなっていた。その日の午後の予定がすべてとんでしまった。
2017年3月4日
LA LA LAND
女優志望のミア(エマ・ストーン)は友人とロサンゼルスのアパートに暮らし、MGMのスタジオ内のカフェでウェイトレスをしながら日々オーディションを受けるが、うまくいかない。ミアは失敗続きのオーディションに凹むが、ジャズプレイヤーを目指すセブ(ライアン・ゴズリング)から、自分で脚本を書き自作自演をすればオーディションで落とされる事はないじゃないかというアドバイスを受ける。
そして自分で脚本を書き、小さな劇場ながらそこで一人芝居を打つ。芝居が終了後、厳しい批判の声が楽屋まで聞こえてきて彼女は落ち込むが、その芝居を見ていた1人の映画関係者からその後映画への声がかかる。それをきっかけとしてミアは女優への道を突き進むことになる。
2017年2月25日
ひと月2時間の「プレミアム」
半ドンではない。午後も仕事をするのだ。5時の終業時間が2時間早まって3時になっただけと思えるのだが、何でこんなに新聞やテレビは騒ぎ立てるのだろう。
今日の新聞一面には、「勤務を早めに終えて、クルーズ船のデッキでビールを手に夕陽を楽しむ会社員たち」のキャプションがついたカラー写真が掲載されている。確かに昨日は、いつもより早めに仲間たちと居酒屋で一杯、というのが各地で見られたようである。
ひいき目で見れば、多少は消費の促進に役立っているかも。ただし、「みずほ総合研究所の試算では、プレミアムフライデーによる消費押し上げ効果は2,000億〜3,000億円と推計され、普及が進めばさらに拡大する可能性もある」とあるが、いつも通り、まったくその中身が不明のまま。そもそも、それは何年間の話なのか。未来永劫に渡ってのことなら、確かにそういうことも言えるだろうが・・・。まあ、まともなリサーチャーなら、こんな無茶な推計はしない。
早々とオフィスを出る社員の映像もテレビで映し出されていた。だが、それらはどれも大企業ばかり。中小企業はどうなんだろう? 企業数で中小企業が日本の全事業所数に占める割合は99.7%。大企業は、わずか0.3%しかない。
従業員数では中小企業で働いている人が全体の70%、大企業が30%。中小企業で働く人ががマジョリティなのである。彼らはプレ金をどう見ているのか気になる。日本の企業で働くそうした多くの人たちには、遠い話に映っているのではないだろうか。
そもそも個人の働き方について、政府があーせい、こーせいと言うこと自体が私は好きではない。せめて、「プレ金」が新たな分断の種にならなければいいと願っている。
2017年2月19日
風船で宇宙が撮れる
彼が北大の学生だったときから始めた風船による宇宙撮影は、今年で7年目。さまざまな技術や能力が問われる仕事で、科学者、発明家、エンジニア、アーティスト、そのすべてを兼ねたような感じだ。
宇宙が好きで何か始めた人たち(以前番組に来てもらった「プラネタリウム・クリエーターの大平貴之さんや「宙(そら)先案内人」の高橋真理子さんら)は、既存のジャンルにはまらず、自分で独自の仕事のジャンルを作っていく人が多いように思う。
彼もまた、何になりたいというのではなく、自分がやりたいことを追求しているうちにそれが仕事になったタイプだ。
ゲストの岩谷さん(右) |
いまは福島に居を構え、風船を打ち上げるときは沖縄の宮古島へ移動するらしい。打ち上げるときは直径1.5〜2メートルの風船が、上空30キロ以上に上がると気圧の関係で直径15メートルくらいになり、最後に破裂する。撮影用のカメラはパラシュートで落ちてくる。それを回収する。
何が映っているか、うまく映っているかは回収後に確認しなければ分からない。偶然にかける。それを彼はいまは仕事にしていて、会社を経営している。
彼の仕事を一言でいえば、プロの風船宇宙撮影家。たぶん日本でたった一人である。これからも素敵な写真を撮って僕たちに見せて欲しい。
今日の番組内で流した一曲は、The 5th Dimension の「Up, Up and Away」。
2017年1月29日
人口減と地方について、また考えてみた
日本創成会議の推定では、896の市町村が消滅するとされている。しかし、それらはいきなりその数の市町村で人口が完全に消えてしまうと云うことではない。実際は、地方自治体が従来の行政サービスを提供できなくても、そうした場所に住み続ける人は残り続けるだろう。それが人のいとなみだ。
多住居生活という暮らしの仕方が、これから進んでいくかもしれない。全体では国の人口は減少するが、ゆとりのできた空間をみんなでもっと活用する手はあるはずである。余暇を過ごすなり、期間限定で仕事をするなり、ボランティアという方法もあるだろう。そうすることで、人口減少地の活力を保つことができるかもしれない。
ただし、国の移住促進策にはわれわれは注意する必要がある。地方の村落の延命措置のために、国が一時的な経済支援を人参としてぶらさげ、都会から若い夫婦などを移住させるのは長期的には誰のためにもならない。
引っ越し費用を持ちますとか、最初の何年間は家賃を大幅に割り引きます、そんな目先の話でやってきた人たちは、いずれそうした「お得さ」が薄れた時には別の場所へ移ってしまう。生きていく場所として、どのような生計の手段をその場にみんなで作っていけるか、そこがポイントだろうと思う。
今日の一曲は、RCサクセションの「トランジスタ・ラジオ」。
2017年1月16日
不合理なチケット料金
ロック系のコンサートはずいぶん行ってない・・・。何年か前にブルックリンのバークレイ・センターで観たボブ・ディランのコンサートが最後かもしれない。どうも日本のコンサート会場でやられる「総立ち」が駄目なせいだ。
でもスティングということで、行ってみようかとも考えてるんだけど、料金がS席13,000円とA席12,000円しかない不思議さ。14,000席以上の日本武道館で、この2つしかシートを用意しないのおかしいと興行主は考えないのか。まあ、客のことなんかほとんど考えてないんだろう。昔から何も変わってない。
だいたいSというのは、Special(特別)ってことだから、2種類しかシートを用意しないのだったら、A席とB席でいいはず。
2017年1月14日
自由に生きて死ぬ
彼をインタビューした本『水木さんの「毎日を生きる」』のなか、東日本大震災の被災地で自殺者が増えているという話題になった。特に原発事故のあった福島県で自殺者が多く、深刻度をましている。
それに対する水木さん(彼は自分のことを水木さんと呼ぶ)の答えは、シンプルだ。
水木さんは、どんなときでも生きたかったから。自殺する人は、それが幸せだと思って死ぬんです。止める必要は無いんじゃないですか。水木さんは、ニューギニアのラバウルに出征し、爆撃で左手を失う。戦場では、毎日毎日上官から不合理な理由でぶん殴られていた。最後、小隊の他の全員が亡くなった状況の中で、1人生き残って帰国した。そうした壮絶な体験は、実際に経験したことのないものには真のところは分からない。
そうした経験からの自殺に対する感想である。言われてみれば、その通りである。
2017年1月1日
「日本一のスナバはある」。小さきものの戦い方。
2016年12月18日
曲げないドイツ人、決めない日本人
2016年12月4日
ベンチを置こう、気が向いたらそこで話しかけよう
日本での自殺者数は、3万人を超える水準がずいぶん続いた。人口あたりの自殺者数でみると、米国の2倍、英国やイタリアの3倍の数になる。しかも統計上の自殺者数というのは、「遺書」が残されたものだけである。
実態はというと、それ以外に変死者として数えられるもの(遺書などが残されていないもの)が年間15万件ほどある。WHO(世界保健機構)はその半数を自殺者としてカウントしているので、その計算だと日本の自殺者数は年間10万人を超えていることになる。この数は半端な数ではない。
自殺の理由としてこれまで考えられていたものは、死別、離婚、破産、病気、離職など数々あり、それらの理由から自殺をどう防ぐかということ対策が考えられている。
森川さんは、ある時、当時慶応大学大学院生だった岡檀さんが日本で自殺が極めて少ない地域に何度も足を運び、現地調査を重ねて、そうした場所を「自殺稀少地域」と名づけたことを知る。
これまで考えられていた原因から自殺をどう防ぐかという考えから、自殺が明らかに他地域と比較して少ない地域にある特性を知ることで、自殺を予防する因子を知ることができるのではないかと考え方を拡げたのである。
岡さんは、学会報告で「人間関係は、疎で多。緊密だと人間関係は少なくなる」「人間関係は、ゆるやかな紐帯」といったことを述べていた。 人と人とが密接な関係のもとで助け合う地域こそが自殺稀少地域だと思っていたが、実際はそうではなかったのだ。
考えてみれば、これらは理にかなっている。職場や近所付き合いなど、われわれの周りを見回してみれば分かるとおり、人間関係が密な集団が存在している組織やコミュニティでは、そうした集団(グループ)間の緊張関係が生まれ、またそうしたグループ間のすき間で孤立する人が生まれる。ママ友と呼ばれる母親たちの集団など、そうした典型かもしれない。
岡さんの調査によると、自殺稀少地域では近所付き合いは緊密ではなく挨拶程度、 立ち話程度の関係で、それでいて人間関係の数が多い。
彼女は、自殺が極めて少ない地域の特性として「右へ倣えを嫌う」「赤い羽根募金の寄付率はとても低い」といった紹介をしている。みんなと同じ意見に自分を合わせることを好まず、自分がどうしたいかを考えるということらしい。(赤い羽根募金に関しても、寄付そのものが嫌いなのではなく、その集め方が彼らは好きではないということである。)
思わず膝を打ってしまう。そうした地域の人たちは、同調圧力に支配されていないのである。だから、楽なのだ。人間関係から受ける不要なストレスがなく、それが自殺率が極めて低いという現状に結びついているのだろう。
森川さんが話してくれたことで、面白いな、これ役に立つなと思ったことは、町なかにベンチを置こうという話。ベンチがあると、出かけた人が疲れた際にそこで一休みできる。そこで出会った人とたまたま言葉を交わすきっかけになるだろう。通りすがり、そこに知り合いがいれば、一言あいさつをし、返礼が返ってくる。
こうした薄く広い人間関係が、人に安心と心地よさを与え、いざというときに人を救う。
そうした目で日本の街を見ると、実にベンチが少ない。繁華街にはほとんど無い。街中だけでなく、駅にもベンチがもっとあっていい。以前はもっとあったはずだ。通勤客が増え、混雑してきたのにつれてベンチが「安全性の確保」とかで撤去されてきている。
ただ座っていることを、それを無為なこととして社会が拒絶しているような感覚を僕はずっと前から感じている。
今日の選曲は、Thompson Twins で Hold Me Now。
2016年11月21日
タンザニアのマチンガについて話を聞く
彼女が書いた『「その日暮らし」の人類学』は、もともとは学術論文をベースして書かれたものであるが、一般的な書籍としてとても読みやすく再編集されている。
彼女はタンザニアで、日本にはもう無くなったいくつもの宝ものを見つけたようだ。その中の1つが、「仕事は仕事」という考え方。どんな仕事も等価と彼らは捉え、仕事に序列を作らないことに誇りを持っている。その場その場で、何でも仕事にしてしまう逞しさ。
番組中にかけた曲は、アルバート・ハモンドの「落ち葉のコンチェルト」。
2016年11月16日
先輩の死
早すぎる死には驚かずにはいられなかった。事故なのか、病気だったのか。逝去を知らせる同期からの一斉メールには何もそのあたりは書かれていなかった。
「寂しいなァ」「たまらないなァ」の一言もなく、葬儀に花輪を出すとか出さないとか、花輪は奇数じゃダメだとか、その代金をどう分担し、いつ回収するとか、葬儀業者のような話ばかりがメールで交わされるのを見て、その後のメールを読まなくなった。
彼の若かった頃の顔を思い浮かべながら、静かに手を合わせ冥福を祈った。
2016年11月13日
勘違いを生んでいるMBA
彼は、大学院という場で経営学を勉強することをすべて否定しているのではないと思う。ただ、閉ざされ管理された大学という場でのそれの限界を指摘しているのだと僕は読んだ。
その上で、ビジネススクールの姿勢に大いなる疑問を突きつけている。
結論を言えば、日本のMBAにはほとんど価値がない。ビジネススクール側がどんなに宣伝しようが、日本でMBAをとっても、劇的に人生が変わることなど期待できない。確かに、受験希望者を集めて行われる大学の説明会の場で、大学側の人間がこの数年「MBAはあなたの人生を変えます」というような惹句を投げかけていたのは浅薄すぎると言わざるを得ない。
学位でしかないMBAに人生が変えられたんじゃ、寂しすぎる。人の人生は、その人にしか変えられないもっと重たいものだろう。
2016年11月11日
転職しづらい社会という不幸
昨年の秋頃から仕事量が増大し、残業を繰り返す日が続くだけでなく、休日をほとんど取れなくなっていた。心身共に疲れ果てていたことをうかがわせる彼女のメールやツイッターでのつぶやきが残されいる。
これから人生を謳歌していくはずの若い人が自らの命を絶つという悲惨な出来事だが、それにしても不思議に思ってしまうのは、仕事の場で周りにいた人たちはなぜ助けの手を差し伸べなかったのかということ。
在宅勤務で一人で働いていた訳ではない。彼女と上司の間には何人もの先輩社員がいたはずだ。同期も近くにいたことだろう。しかも彼女は会社の寮に住んでいたと云うではないか。そこでは同じ釜のメシを食っていた仲間がいたはずなのに。
毎晩深夜に会社から戻り、メイクを落とす気力もなくベッドに倒れ込む毎日。髪を整える時間もなくオフィスに出社し、そのことで上司から叱られたり、土日も寮から会社に出かける日々が続けば、放っておいても周りがその異常さに気付くだろうに。なぜ助けてやれなかったのか、悔やまれる。
一昨日開催された厚生労働省主催のシンポジウムに彼女の母親が参加し、過労自殺で娘を失った無念さを語った。昨年11月、彼女は母親に対し「上司に異動できるかどうか相談し、できなければ辞める」と語っていたらしい。
それに対して上司は「仕事を減らすから頑張れ」と答えたが、長時間労働は解消せず、12月に命を絶ったという。無責任で問題解決能力のない上司だと思う。
こうした事件を受け、国も企業のなかでの労働実態に目を光らせるようになってきているが、それだけで問題がなくなるとは思えない。企業の業績が向上せず、仕事量が変わらなければ、社員は会社内でなくてもどこかで仕事を片づけなければならなくなる。決まった時間にオフィスの灯りを一斉に消したからといって解決にはならない。
過労死の問題は、今に始まったことではない。僕が英国の大学院に留学していた頃だから、もう四半世紀前になるが、その頃も日本では過労死が大きな社会問題となっていた。英国人の同級生たちからは、日本人はどうしてそんなに(死ぬほど)働くのか、頭がおかしいんじゃないかと言われたのを覚えている。
その頃、過労死に相当する英語はなく、当時われわれは Death by overwork という言葉を使ってその事を議論していた。その後、Karoshi は英語の辞書に載るようになった。
https://en.oxforddictionaries.com/definition/karoshi
しかし、日本の状況はその後もほとんど変わっていないように見えて仕方がない。
先月17日の日経朝刊に「転職しやすさ賃上げを刺激、勤続短い国は潜在成長力高め」とする記事が掲載されていた。OECDと米労働省のデータをもとに分析されたもので、勤続年数10年以上の割合が小さいほど、潜在成長率が高いことが示されている。
2016年10月17日付日経朝刊3面から |
転職が活発で自由になされている国ほど労働力の有効活用がなされ、会社も国も活性化されて、結果として経済全体を押し上げる動きに繋がっていることが推測できる。
不要なリスクを感じることなく、人がもっと自由に働く場を求めて転職できる社会をつくっていかなきゃと思う。転職することで差別されたり、非正規でしか働けなくなるなんてことがあってはいけない。そうした社会ができれば、ブラック企業なんて呼ばれている類の会社は自ずから淘汰されて無くなっていくはずだ。
実際は、一人ひとりが古い労働感をぬぐい去り、働くことに対する意識を強く変えていくことから始めるしかない。
自殺した彼女には、自死を選ぶ前に倒れ込んで入院しちまうか、会社を辞めて欲しかった。
2016年11月5日
慶応大学に「気品」はあるか
処分の理由は、下記のように「気品をそこね、学生としての本分にもとる行為をした」ことだとか。んっ?「気品」って何だ!?
大辞林によると、気品とは「気高い趣。どことなく凛として上品な感じ」とある。暴行を行った男性学生らが、こうした趣からまったくかけ離れた存在であることは言を俟たないだけでなく、疑問を感じるのは慶応大学が何を以て学生たちにこうした「気高い趣」をもとめているのかということだ。
今回の事件は、慶応の学生たちに<気高い趣>があるかどうかというようなレベルの話ではない。蛮行を行われた末、性行為の様子まで撮影された女子学生はどうなる? 報道が事実なら、慶応大学の大学としての矜恃と気品のあり方を問いたい。
処分内容も実に慶応らしい?! こんな悪童どもは普通なら問答無用で即刻退学だろう。
ところが、無期停学の処分だとか。無期停学の「無期」は、永久という意味ではない。現時点で期限を定めていないだけのこと。ほとぼりがさめれば、密かにこれらの学生を大学に復学させるのだろう。
福澤先生が泣いている。