2015年1月17日

今を生きろ

今朝の「木村達也 ビジネスの森」のゲストは、先週に引き続き『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)の著者・岸見一郎さん。


今を真剣に、そして他者貢献を忘れることなく、全力で生きることこそが大切と、アドラーの考え方をベースに岸見先生はおっしゃる。

深刻に生きるのではない、真剣に生きる。人生はゲームだ、その時を楽しめ、失敗しても命まで取られることはない。

アドラーは、人生をエネルゲイア的に「今をいきろ」と唱える。エネルゲイアはキーネシスと対でアリストテレスによって提唱された「運動」についての考え。キーネシスとは、目的地に最短距離でたどり着くことを目的とした運動。一方、エネルゲイアの方は、いま行っていること自体に価値を見いだす運動。

前者は、アウトプットや結果が重視されるような活動があげられるのだろう。効率性が優先される。後者では、プロセスそのものに力点が置かれる。効率性は関係なく、その瞬間に充実感を感じられるかどうかだけが意味を持つ。

う〜ん、確かにぼくたちが日々行っている行為(運動)も、エネルゲイア的なものとキーネシス的なものがある。アドラーはそうしたもののなかで、キーネシス的な発想、つまり物事にスタート地点とゴールが設定されているという見方をよしとしない。「今」がすべてなのである。

だから、岸見先生曰く「(いつ死んでも)道半ばということはない。真剣に生きている限りは」。


「いまを生きる」でふと思い出したのは、昨年夏になくなったロビン・ウィリアムズが主演した映画「いまを生きる」だ。ピーター・ウィアーが監督した1989年の作品。原題は Dead Poets Society だが、ロビン・ウィリアムズが演ずる教師のキーティングが劇中で発することば「Carpe Diem」(ラテン語)の日本語訳が邦題に用いられている。 この邦題は悪くない。


今朝の番組で流した一曲は、オリビア・ニュートン・ジョンの「そよ風の誘惑」。


2015年1月3日

インドは、いろんな意味ですごい

今朝の「木村達也 ビジネスの森」は、先週に引き続き、ゲストに『すごいインド』(新潮新書)の著者・サンジーヴ・スィンハさんをお招きした。


先週は、「カレー」というのがインドの言葉にはない、というあまりに身近な話題で盛り上がってしまったが、今日は日本とインドの違いをもう少し深いところで(カレーももちろん深いけど)話を聞くことができた。 

人口も国の広さも日本の10倍あるインド。凄まじい可能性を感じさせるのは、そうした「大きさ」にもまして、国民の平均年齢が20代という「若さ」だ。

確かにインドは国民の間の格差は大きいし、貧困に窮する人たちの数も多い。そして水道や電気、ガス、鉄道、道路、学校といった僕たち日本人にとっては当たり前のインフラの整備もまだまだである。

しかし、スィンハさんから聞くインドは活力と情熱に溢れたこれからの国のイメージだ。英語を話せる人口は多く、数学や哲学など抽象的な概念を扱うことに長けた人々は、ITにも強い。日本人よりずっとグローバル人としての可能性を持っている。

安定と成熟と秩序の日本、カオスと活力と多様性のインド。今こそ2つの国は、本気で連携を組む時だろう。


今朝の一曲は、ブロンディの「ハート・オブ・グラス」。


2015年1月2日

違う回路を持つということ

先月の話になってしまったが、ある有名なニュースキャスターが自分が担当している番組ではない他のテレビ番組に出演し、自分はいつも新聞6紙(朝・毎・読・東京・日経・産経)に目を通していると話していた。毎朝、折り込みチラシを抜くだけでも大変なのだと客を上手に笑わせながら語っていたのは、天性の喋り手だからだろう。

ニュース番組のキャスターとして新聞6紙を購読しているというのは本当だろう。毎朝のことで、それなりにたいへんな苦労だと思う。その一方で気になったのは、なぜ日本の新聞ばかりなのかということ。上記6紙には確かに論調の違いはあるが、世界のジャーナリズムのなかではその振れ幅は大きくはない。

彼が目を通す新聞のなかにアメリカ、ヨーロッパ、他のアジアの国、あるいは中東の新聞が一紙でもあれば、彼の番組はもっと自由さを増し、面白いものになっているのだろうと思う。

ひとと違うアウトプットを出すためには、ひとと違うインプットを心がける必要がある。インプットが同じでも、ひととは異なるプロセス(視点)で情報を処理できれば独自のアウトプットが出せるが、インプットそのものがひとと異なればさらに独自性を高めることが可能になる。

グーグルでキーワード検索して得られる情報はみんな同じようなもの。だから学生たちのレポートは、どれも似たり寄ったりのものばかりになる。

学生たちには、自分なりのこだわりのようなものをベースに、周りとは違う情報ソースの回路を持ってみることを勧めたい。


2014年12月25日

首相は「強い経済取り戻す」と言うが。

昨夜、第3次安倍内閣が発足した。

昨日のブログで経産省の施策に関することを書いたが、今回再任された経済産業省の大臣は、その資金管理団体がSMバーの支払いを政治活動費で処理したという人物。

SMバーで遊ぼうが何しようが勝手だが、それは自分のポケットマネーで支払ってほしいものだ。 交際費の名目で会計帳簿になんか載せるから、海外での報道で日本人が世界から変態視されることになる。

http://www.huffingtonpost.jp/2014/10/22/sm-bar-yoichi-miyazawa_n_6032802.html
 

2014年12月24日

軽なら100万円で買える。

トヨタ自動車が、12月15日から新型燃料自動車のMIRAIを発売を開始した。水素を燃料として用い、走行中に取り入れる空気と反応させることで発電し、モーターの力で走る。排出ガスはまったくないという。

水素を燃料とすることから、環境への負荷がとても低いと報道されている。燃料ステーションでの3分間の圧縮水素充填で650キロ走行可能という利便性も魅力的だ。

ふと、このクルマに触ってみたくなり、トヨタのディーラー本社へ電話した。最寄りのどこのディーラーにあるか確認するためである。電話に出た若い男性は、ちょっと困ったような感じで、まだどこのディーラーの店頭にもなく、またいつ来るかも分からないと冷たく告げた。だから、今はカタログだけで販売をしていると。クルマの実物は、お台場にあるメガウェブというショールームにしかないらしい。

てっきり販売店に展示車両くらいあると思っていたのが、そうではなかったわけだ。しかも、いま注文を受け付けても、納車まで3年ほどかかるという。だが、それでもすでに受注をいくつも受けていると教えてくれた。「それらのお客さんは、そのお台場にあるショールームで実車を確認したのだろうか」との質問には、おそらくほとんどの人はマスメディアやネット上の情報だけで申込をしてくれた方だとの答え。

値段は安くない。発注をした彼らは、いわゆる富裕層であることは間違いなく、またE.M. ロジャーズが Diffusion of Innovations で述べたイノベーター層(革新的採用者)の典型である。

ところでこのクルマ、メーカー希望小売価格が720万円程度なのだけど、あれやこれやで225万円ほどが値引き(優遇)されている。その内の202万円は、経済産業省主導による補助金である。

これらの補助金は、言うまでもなく税金からである。このクルマは確かに先進的で、国としては経済政策の一環として世界に先駈けて普及させたい考えなのだろうが、補助金が必要なのだろうか。

価格弾力性という考えがある。価格の変動によって、どれくらい需要が変動するかを示した数値であるが、この場合の価格弾力性はどうだろうか。僕は決して高くないと思っている。つまり、200万の補助金があるという理由で、追加的に購入を決める人はそれほど多くはない。200万円値引きしても、まだ500万円。クルマ1台にこの金額がポンと払えるのは高額所得者で、なおかつ珍し物の新し物ずき。700万円であっても構わない人たちである。そして、そうした連中は、それなりの数存在している。

それなのに経産省は、なぜ1台あたり200万円もの税金を投入するのか。

東日本大震災の被災地には、日々の生活に必要な軽自動車すら手に入れられない人だってたくさんいるに違いない。そっちはどうするのか。え? 担当省庁が違うからって?

2014年12月17日

首都圏でナンバー2の聴取率を獲得

今日、NACK5のプロデューサーから聴取率調査のレポートをもらった。

うれしいことに、僕がやっている「木村達也 ビジネスの森」(毎週土曜日朝8:15から)は、東京、神奈川、千葉、埼玉のエリアの個人聴取率調査でTBSに次いで第2位(20〜34歳の男女:M1&F1層)だった。しかも、わずか0.1ポイントの差の2位である。

今回の調査は、首都圏のラジオ局9局(TBS、文化放送、ニッポン放送、Inter FM、Tokyo FM、J-Wave、bayfm、NACK5、FMヨコハマ)を対象に行われたもの。

自分が関わっている番組が思いのほか多くのリスナーの耳にとまっているというのは、とても励みになる。

2014年12月16日

イノベーションは自然発生的なのだ

シュミット&ローゼンバーグの『How Google Works 私たちの働き方とマネジメント』(日本経済新聞社)はたいそう面白く、かつ大いに参考になる。


ビジネスの主要なトピックに関する6つの章(文化、戦略、人材、意思決定、コミュニケーション、イノベーション)で構成されている。とりわけお勧めが、最後の「イノベーション」について書かれたパートである。ここでの副題に「原始スープを生み出せ」とあるが、詳しくは読んでのお楽しみ。

イノベーションをどう組織で生んでいくかについてのグーグルの考えは、すこぶるシンプルである。イノベーションは自然発生的なものであることから、イノベーティブな人材を集め、好きにさせる自由さえ与えればいいと。シュミットとローゼンバーグは「決まった生成プロセスが存在しないことこそが、イノベーションの顕著な特徴なのだ」と述べる。

コンサル会社(アクセンチュア)組織的にその生成をコントロールしようとするアイデアに対して、以下のような痛烈な批判を加えている。
数年前、あるコンサルティング会社が、すべての企業は「最高イノベーション責任者(CIO)」を置くべきだ、とするレポートを発表した。すべてのイノベーションプロジェクトに「統一的な指揮命令系統」を整えるためだという。どういう意味かよく分からないが、「統一的な指揮命令系統」と「イノベーション」が同じ文に含まれることはないはずだ(いま、あなたが読んだ一文を除いて)。
また彼らは、「イノベーションは伝統的なMBA流の経営戦術とはどうしても相容れない」とも述べている。確かにその通りかもしれない。ビジネス・スクールにはイノベーションとマネジメントというふたつの用語が組み合わされた授業が多いが、本書を読むと、そのことの奇妙さも浮かんできてしまう。


2014年12月15日

ソニーのハッキングとイエロー・ジャーナリズム

日曜日のNew York Times に今の米国を代表する(と僕は思っている)劇作家でシナリオ・ライターのアーロン・ソーキンが The Sony Hack and the Yellow Press というコラムを載せていた。

3週間ほど前に米国のソニー・ピクチャー・エンターテイメント社がGuardians of Peace(平和の守護者たち)と自らを呼ぶ違法集団から大規模なハッキング攻撃にあった。

その結果、SPE社は何万点にも及ぶ社内資料や電子メールの内容を奪われた。

その「平和の守護者たち」とやらは、SPEが公開を準備している、セス・ローガンとジェームズ・フランコが主演する新作映画「インタビュー」の公開中止を求めている。この映画は、北朝鮮の金正恩へのインタビューに行った2人がCIAから金の暗殺を依頼されるという内容のコメディである。

SPE社の全社員に “Not only you but your family will be in danger” とのメッセージが届いた。実際、社員たちの社会保障番号(ソーシャル・セキュリティー・ナンバー)、自宅住所、コンピュータで使用しているパスワード、銀行口座の詳細、人事評価、電話番号、さらには従業員とその子どもたちの医療記録が盗まれネットに公開された。

アーロンは、公開された情報の中にはソニーが何か法に反することを行っていたというようなものは含まれていない、と主張する。
Do the emails contain any information about Sony breaking the law? No. Misleading the public? No. Acting in direct harm to customers, the way the tobacco companies or Enron did? No. Is there even one sentence in one private email that was stolen that even hints at wrongdoing of any kind? Anything that can help, inform or protect anyone?
彼は政治家でもジャーナリストでもない。ハリウッドで生計を立てているひとりである。だから彼は、そのコラムで盗まれ漏らされてしまったソニーの社内文書やその社員のメールに含まれる情報をメディアが「ニュース」として取り上げないように、ユーモアを込めながら釘を刺している。メディアが盗まれた情報を面白がって取り上げることこそが、小汚いハッカーたちの狙いなのだから。

それにしてもこの「インタビュー」という作品。早く観てみたいものである。今回の事件をきっかけにそう思った人が世界中にたくさんいることだろう。(製作会社による予告編最終版)


(追記)
12月18日に予定されていたNYでのプレミア上映はキャンセルされたらしい。
http://jp.reuters.com/article/entertainmentNews/idJPKBN0JV0IR20141217
(12/18記)


2014年12月13日

ネットでつながるということ

今日の「木村達也 ビジネスの森」は、芥川賞作家の藤原智美さんにスタジオにお越しいただき、彼の新刊『ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ』(文藝春秋)をもとに話をうかがった。


本のタイトルは、ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』を意識してつけられた。藤原さん曰く、「重いのに耐えられないのは分かるが、軽さに耐えられないというのがずっと気にかかっていた」。

簡単にネットに写真やコメントをアップできることから、レストランに入る時などには何を被写体にしてアップしようかと考えて食事するひとが増えていると。そして、目の前の料理を撮ってアップすれば、もう意識は次へと移り、店を出たところで見かけた猫を今度は撮って写真をアップする・・・。

とめどなく意識が流れ、留まることがない。ひとつの対象に時間をかけて意識や気持ちを向けることがなくなっているというのが、藤原さんが指摘するところだ。

ポケットからスマホを取り出し、カメラアプリで写真を撮り、そのままSNSに送る。実に簡単で手軽である。デジタルだから写真を撮るのもタダなら、ネットに投稿するのもタダ。で、誰かが「いいね」と反応してくれ、コメントを書き込んでくれれば達成感のようなものを感じるのだろう。

昨日、ゼミのあと、学生たちと居酒屋で話している時に聞いたことには、最近米国ではフェイスブックの利用をやめる人たちが急増しているということ。「フェイスブック疲れ」のような話も出たが、一方ではインスタグラムの利用者が増えていて、フェイスブックに飽きた連中が新しいものに乗り換えただけ、という意見も出た。実際のところはどうなんだろう。で、日本では今後どうなるのか。


今朝の一曲は、クリス・レアの Driving Home for Christmas。



2014年12月6日

独学のススメ(2)

今日の「ビジネスの森」のゲストは、先週に引き続いて柳川範之さん。

独学に関しての彼の話をうかがっているうちに、学校教育の意義をあらためて再考させられてしまった。教育機関は誰のためにあるのか、教育を受ける人たちにためになっているのかどうか、そうした本質的なことを考えるきっかけをもらった感じだ。

「勉強」や「教育」の意味を僕たちはゼロから考えてもいい。学校に通い、与えられた教育課程にそって教科書を与えられ、授業を受けることが教育であり、そのために本を読み教師が言ったことを覚えて試験を受けることが勉強か。

柳川さんが言った、経済や経営、法学と云った分野は社会に出れば自然とある程度理解できるようになる、契約書のひとつも見たことがない大学生に法律を教えても・・・というのはまったくその通り。

リアリティがないどころか、教条的なことをまさに教場で教えられても、現場に出てから逆にとまどったり、「頭でっかち」と上から思われることになる。

社会科学のなかでも経営といった領域は、学校では基本的なことをさらっとやって、実社会で仕事をやるようになって疑問に感じるようになったことを考える方法として、大学にまた戻って学ぶようなことが好ましい。

大学の学部教育は、リベラルアーツをじっくりかつ集中的にやることがいい。

今朝の一曲は、メリサ・マンチェスターのDon't Cry Out Loud。


2014年11月29日

独学のススメ

今日の「ビジネスの森」のゲストは、東大経済学部教授の柳川範之さん。彼がポプラ社から出した『東大教授が教える独学勉強法』をもとにお話を聞いた。


彼はポルトガル語圏であるブラジルで育ったため、子どもの頃の教育は日本から教科書と参考書を取り寄せて独学した。そして大学は、慶應大学の通信教育課程で学んだ。まさに独学のプロである。

独学の良いところは、当たり前と云えば当たり前だが、自分のペースで勉強できることだという。う〜ん、確かにそうだが、独学の難しい点のひとつは、それを継続することではないだろうか。そんな僕の質問に対しては、「何もきっちりスケジュール通りやらなくてもいいです。のんびりやればいいんじゃないでしょうか」とも。

心強い(?)アドバイスだが、拠って立つところがないと僕らのような凡人は迷いの気持ちにとらわれ、自信を(もしあったとしても)なくし、独学の道を突き進むことをやめてしまう。

これは、学習能力以前の問題、つまりこころの問題だろう。柳川さんはそうした点をどうクリアして独学の大家(?)になり得たのか、その点に大いに興味が湧いてきた。

来週もまた彼がゲストだ。

今朝の一曲は、サイモンとガーファンクル「冬の散歩道」。


2014年11月15日

仕事は粘り強く続けることが肝心

今日の番組のゲストは、ライターの最相葉月さん。


 彼女の名刺には肩書きがない。新聞などの媒体に書いた際には、ノンフィクション・ライターやノンフィクション作家と紹介(掲載)されることがあるけど、ご自分では単に「ライター」と名乗っている。そのことについては、彼女が今春だした『仕事の手帳』(日本経済新聞出版)の「はじめに」のところに軽くいきさつのようなことが書いてある。

彼女は、たまたま入った編集プロダクションで企業PR誌を編集する仕事につき、その後なんとなく人から頼まれるがままに自ら原稿を書くようになり、ライターとなった。

彼女がものを書く世界で名実ともに評価されるきっかけとなったのが、講談社ノンフィクション賞をとった『絶対音感』である。たまたまワインバーで飲んでいた時にこの言葉を耳にしたのが、このテーマに取り組むことになったきっかけである。

その頃のことを彼女は、「帰宅すると近所のマーケットで買った総菜を食べながら、六畳一間のアパートでカチカチとワープロを打った。経費は会社員時代の貯金を切り崩して捻出した。いま考えるとずいぶん大仰で恥ずかしいが、あの頃はここで挫けたらあとはない、この原稿が完成したら死んでもいいとまで思いつめていた」 と書かれている。

ぜひこの人から話を聞いてみたいと思った。


彼女はこれまでに『絶対音感』『青いバラ』『セラピスト』『星新一』など、数々のすぐれた作品を発表されている。

いずれもノンフィクションであり、綿密な取材を重ねてこそ書き上げることができるものだ。『星新一 1001話をつくった人』では130人以上、『絶対音感』では200人を超える相手にインタビューやら取材が行われている。

彼女は、ライターとしてそれをひとりでこなす。手紙やメールで見知らぬ相手にインタビューを申し込み、依頼を断られることも多々あるらしいが、それでもその人の話をどうしても聞く必要がある時は、その旨を再度相手に伝え取材に応じてもらえるように働きかける。

当然ながら対談集を作るのが目的ではないので、人の話を聞くのは重要でありながらもデータをあつめるための一つの作業。『星新一』のときは、彼の文学上の位置づけを確認するために日本の戦後の文学を総ざらいするような膨大な作業もやられたとか。その粘り強さが、すぐれた作品を産む源である。


今朝の一曲に選んだのは、サラ・ヴォーンの「オータム・イン・ニューヨーク」。


2014年11月1日

SNSは、やっぱり気持ち悪い?

今朝の「木村達也 ビジネスの森」のゲストは、精神科医の香山リカさん。取り上げた本は『ソーシャルメディアの何が気持ち悪いか』。


大学でも教えている彼女から、今どきの若者たちのSNS事情を聞く。大学生でも1年生と4年生ではすでにSNSに対する考え方が違ってきているとか。今が端境期(はざかいき)ということか。

デジタルネイティブという言葉が登場してから10年以上経ち、いよいよ真性のデジタルネイティブが大学や社会に登場してきた時期なのかもしれない。

  
今朝の一曲に選んだのは、ブルース・ホーンズビー&ザ・レインジの "The Way It Is"。



街角の水飲み場

ローマを歩いていると、街角でチョロチョロと水が流れている水道栓と出くわすことがある。

ちょっとした工夫がなされていて、水が流れ出ている管のところの上部にも小さな穴が空いているのである。

普段は何も役に立っていない穴だけど、人が水を飲みたい時に水道栓の先を指で塞ぐとその上部の穴から水が噴水のように吹き上がるようになっている。

おそらく日本人の発想だと、この水道栓の先がくるっと上向きになるように考えるのだろうけど、仕組みからすればこの方が簡単ですぐれている。




2014年10月31日

システィーナ礼拝堂のミケランジェロ画

今日は、午前中に国際学会で予定されていた研究報告を行った。話し終わった後、会場にいた何人かがやってきて、僕がプレゼンで使ったパワーポイントが欲しいと言ってきたので反応はまずまずだったと思う。

その後、会場になった大学の中庭で他の参加者たちと一緒に軽いランチを取り、その後は近くのヴァチカン市国へ向かった。

目当ては、何といってもそこのヴァチカン博物館内にあるシスティーナ礼拝堂である。その天井一杯に描かれた、ミケランジェロの手によるフレスコ画をぜひ見てみたかった。

壁面をぐるりとキリストの誕生から復活までマンダラのように描かれている。圧巻は、西側の壁面に描かれている大作「最後の審判」である。

以前ここを訪ねたことのある友人からは、暗くてあまり壁画が良く見えなかったと聞いていたのだけど、そんなことはなく首の疲れさえ気にしなければかなりはっきりとディテールを捉えることができ、大満足だった。

さっき夕食を済ませて宿泊先のホテルに戻り、テレビをつけたら、偶然にもCNNのニュースでシスティーナ礼拝堂の天井画のことが話されていた。

すすが払われて元の絵がはっきり見られるようになったこと、さらには7,000台のLEDライトによってこれまでになく明るく照らされるようになったことが番組でレポートされていた。


2014年10月30日

なるほど、これがイタリア

ローマの中央駅であるテルミニ駅のなかに Borri Booksというかなり大きな書店がある。駅の玄関口である地上1階と地下にも店を構えている。なかなかモダンな設えで、取り揃えも充実している。

その地下の店の入口に貼り紙がしてあった。いきなりNOが4つ書いてある。英語で書いてあるのは、外国からの旅行者に向けてのメッセージなのだろう。


書店の店頭で鉄道の切符を買い求めようとしたり、観光地への行き方なんかを尋ねてくる客への対策なんだろうが、この本屋さん、情けないほど店内に客がいない。 だから店員同士でお喋りばかりしてる。

だったら、よく分からない観光客が来ても対応してやればいいのに。そして、その際にローマのガイドブックや観光地図でも買っていってもらえるよう案内すればいいのに。商売が下手だ。それ以前にまったくやる気がない。なるほど、これがイタリアか。

2014年10月29日

ボクサーの孤独

学会出張のためローマを訪れている。成田から13時間近くのフライトは、いささか疲れた。

成田空港では、アリタリア航空のシステムダウンでカウンターの搭乗手続きが大幅に遅れた。チェックインのためのコンピュータ・システムが使えないので、航空会社のスタッフが手作業(!)でカウンター業務をしたらしい。

僕は幸い、ネットで事前にチェックインを済ませていたのでカウンターの長い列に並ばないで済んだが、予約客のチェックインがすべて完了するのを待つために、フライトの出発が1時間ほど遅れた。

今日の夕方は、ローマ市内テルミニ駅近くのローマ国立博物館(別名、マッシモ宮)を訪ねた。夜7時45分まで開館しているので助かる。紀元前2世紀から紀元4世紀あたりの彫像、フレスコ画が実にたくさん展示してある。

その中で印象的だったのが、古代のボクサーをモデルにしたブロンズ像だ。紀元前1世紀ごろの作。ボクシングの選手にはどういった人物が選ばれたのか知らないが、彼らは全裸で両手の拳には皮のベルトらしいものを巻いて拳闘しあった。おそらくは罪人か奴隷かだろうか。



筋骨隆々たる肉体が見事に再現されている。よく観察すると、ただ筋肉が盛り上がっているのではなく、殴り合いの後を思い起こさせる筋肉上の腫れがそこには表現されている。

仲代達矢さんを思い起こさせる豊かに髭を蓄えた顔は、近くで見るとこれまた切り傷や腫れなどの様子が実にリアルに刻まれていて「痛い」。

この像には、The Boxer at Rest という題が付けられていた。試合を終え、静かに腰掛け、寂しげに虚空を眺める先に何を見ていたのだろう。

2014年10月18日

やっぱり変か、日本の営業

今朝の「木村達也 ビジネスの森」のゲストは、宋文洲さん。彼が12年ぶりに改訂した『新版 やっぱり変だよ 日本の営業』をもとにお話をさせてもらった。 


宋さんが「変だよ」と思うのは、別に日本企業の営業スタイルに限ったことではない。話していて思ったのは、彼はとても頭がいい人。理屈に合わないことが嫌いである。だから、日本企業の営業を例に話をすると、情に訴えるためだけの努力や、精神論でただひたすら「頑張る」ことが我慢ならないのである。

ビジネスは、本来がドライな世界であることが彼の信条である。そこに人間的な心のつながりとか、価値観の共有を持ち込もうとするから問題が発生する。乾いた人間関係の仲で、お互いが与えられた役割と責任をこなすことを優先すれば、会社はうまくいくという。

企業は、本来はドイツの社会学者テンニースが唱えたところのゲゼルシャフト(機能体組織)の典型である。しかし一方で、われわれ日本人は、会社を家族や親しい仲間同士の集団であるゲマインシャフト(共同体組織)と胸の中で理解し、期待してしまうところがある。いまもって家族主義的経営がもてはやされることが、それを物語っている(決してそれが完全に間違っていると言っているのではない)。

中国では(あるいは欧米諸国も含めて)、会社は決して家庭や地域社会の延長ではなく、労働を提供する対価として報酬を得るひとつの装置という方が一般的だ。

そこが日本と中国、あるいは欧米との違いであり、この国で労働力の流動性が極めて低い原因の一つになっている。日本で大学を卒業する学生たちが4月に一斉に行うのは、就職ではなく就社である。就社に一喜一憂し、転職をマイナスとみる価値観は早く捨てるべきではないか。


今朝の一曲は、ロバート・パーマーで Mercy Mercy Me。

 

2014年10月5日

目先の利益におぼれていいこと、悪いこと

御嶽山での不明者捜索は今も続いている。9月27日に噴火をしてから1週間が過ぎているが、まだ多くの行方不明者が残されているとみられている。

日本は地震国、火山国である。避けることのできないこうした地質学的リスクに対応するために、それらの絶え間ない観測と予知、そしてそれらを元にした防災体制の整備が不可欠である。

今日の朝刊一面に「噴火予知 人も金も手薄」という見出しの記事が掲載されていた。御嶽山の場合、山頂周辺に設置された地震計12台のうち3台は稼働していなかった。2台は昨年夏に故障したまま放置され、1台はスキー場から電源を引くために冬の間しか観測できない状態だった。予算不足が原因である。

文部科学省が2004年に実施した国立大学の法人化により、大学への運営交付金は年々削られている。火山を対象としたような研究は、日々何が起こるということが無くても長期的にデータをとり続けなければならない。今回のような大きな火山活動が起こらないことは好ましいことなのに、日々データをとり続けているだけで短期の研究成果が出ない分野には研究費が回らなくなった。

それに連動するように、地震研究分野の研究者も減り続けている。火山の専門家は、いまでは日本全体で30人もいないことが指摘されている。予算も人も削られ、徹底的に軽んじられてきた火山研究のひとつの「結果」が今回の犠牲者の数だ。

そんなことを考えていたら、友人の教授が「国立大学から文系学部が消える!」と題したネット上の記事を送ってくれた。
http://lite-ra.com/2014/10/post-508.html

文学や哲学のように国の「生産性」、つまりカネに直接寄与しない学問はもう不要と文科省が考えているとしたら、僕たちは今度こそそうした連中に「あんたちこそ不要」というレッドカードを突きつけなければならない。

2014年10月4日

インタビューの達人と

僕にとって人生の喜びのひとつは、自分が会いたいと思った人と会って話をすることだ。本も映画も旅も面白いけど、やっぱり人が一番面白いもの。

だから、週刊文春の人気連載「阿川佐和子のこの人に会いたい」はずっと憧れの対象である。その連載回数は優に1000回を超えている。1000回だよ、1000回・・・。

インタビュー界の東の横綱が「徹子の部屋」の黒柳徹子さんなら、西の横綱は間違いなく阿川佐和子さんだ。 

その阿川さんに今日は来てもらい、ゲストとインタビューするときに気を付けていることや、話のきっかけをどう見つけるかなどについて教えていただいた。


スタジオに現れた彼女はとっても小柄で、少女のような趣を残した女性だった。ふわっとした印象でありながら、キリリとした眼差しの不思議なバランス。

今日は、彼女の『聞く力』(文春新書)をもとに対談。インタビューのへたくそな僕にも真摯に付き合ってくれ、場の雰囲気を作ることの大切さや、対談の際に最初に口火を切る際のヒントなんかを話してくれた。


来週は、『叱られる力 聞く力2』(文春新書)をもとにお話をうかがいます。


今日の番組の挿入歌は、スティービー・ワンダーの「ステイ・ゴールド」。S. E. ヒントンの小説をフランシス・F・コッポラが映画化した「アウトサイダー」の主題歌である。