宿から続く通路 |
昨晩の喧噪が嘘のように、きれいに屋台が片付けられた広場 |
マラケシュにも猫がたくさん |
人の歯と入れ歯を売っている |
夕方になるとまた広場いっぱいに屋台が広げられる |
マラケシュのシンボル、クトゥビアの向こうに沈む夕日 |
早朝、敷地を散策していたら、建物の下からモスクのスタッフ(らしき)3人組が手招きをする。中を見せてやる、と言っているらしい。
その中の一人がガイドよろしく、僕をモスク内に先導してくれる。そして、次々に場所を指定しては、そこに僕を立たせ、どんどん写真を撮る。手慣れたものだ。
そして最後に、指先でお札を数える仕草をしてみせ、金をせびる。別れ際には、口にチャックを引く仕草してニヤリと笑ってみせた。
New York Times紙の記事から |
ポール |
今日、コロンビア・ビジネススクールでシーナ・アイエンガー教授を招いてのランチセミナーがあった。テーマは、Global Leadership Challenge for Japanese Companies。
彼女は90年代の半ば、京都大学で動機づけについて研究していた時期があり、日本についてもそれなりによく知っている感じだった。
彼女が2年前に出版したThe Art of Choosing は『選択の科学』の邦題で文藝春秋から翻訳が出ているし、またNHKの番組によっても彼女は日本人によく知られている。そのせいか、教室はほぼ一杯に埋まり、その約7割は日本人だった。
米国人の参加者は、以前日本で勤務をしていたことがあるビジネスマンなどが多かったが、彼女の研究分野についてはほとんどしらないまま、セミナーのテーマにひかれてやってきた連中が多かった。質疑応答で、今度の衆院選の結果がどうなるかなど彼女に聞いても答えられるわけがないのに。
ところで、先々週の金曜日、早朝のコロンビア大学のキャンパスで彼女とすれちがった。金曜日には補講や特別なプログラムを除き、授業は組まれていない。だから、その朝のキャンパスは人出が少なく、とても静かだった。
白杖を頼りにする彼女は、まるで周りの空気を振るわせないよう注意しているかのようにとても静かに歩いていた。その朝はかなり寒かったせいか、彼女はフード付きのコートですっぽりと頭を覆っていた。注意しないと彼女だと誰にも分からないかのように。だからその時は気がつかなかったのだけど、今日見ると、彼女の耳がとても大きいことに気がついた。(なぜか最近、耳が大きい人が気になる)
セミナーで彼女の話を聞いていて感じたのは、とても聡明で、ユーモアがあり、そして何よりも正直な人だと云うこと。知らないことは、知らないと言う。分からないことは、分からないと返答する。飾らないのである。飾っても仕方ないことを経験的によく知っているのだろう。
彼女の先の本の中に、自分が光を失ったときのことにふれて、「失明に立ち向かうことで、わたしは強い精神力を身につけたに違いない(それとも持ち前の精神力のおかげで、うまく立ち向かうことができたのだろうか?)」というくだりがある。
彼女が、質問に対して "I don't know." と、少し困ったような感じで、しかしはっきりと答えるのを聞いていてその言葉を思い出した。
リンカーンセンター内の劇場で『真夜中のカーボーイ』を観る機会があった。
公開されたのは1969年。40年以上むかし。60年代終わりから70年代にかけて作られたアメリカン・ニューシネマと呼ばれる作品の一つで、学生時代に高田馬場にある早稲田松竹で観たのが最初だったと記憶している。
監督のジョン・シュレジンジャーが英国人だということは、今日まで知らなかった。てっきり米国人と勝手に思い込んでいた。そう考えてみると、どこか Englishman in New York の視点で描かれているような気がしてくる。
ニューヨークを舞台にしていながらエンパイヤステート・ビルのショットやセントラクパークを映した場面などは登場しない。マンハッタンを上から見下ろした空撮など一つもない。ニューヨークという街に対する共感の度合いが低いのである。
ゲイの中年男性や売春婦、マリワナパーティなどの風俗も描かれているが、英国人であるシュレジンジャーがその当時のニューヨーク、あるいはアメリカに見たのは、社会の底辺で喘ぐ下層階層と中産階級の対比だったのではないかと思った。自由の国アメリカは、英国と変わらぬ階層社会だったわけだ。
この映画のなかでもっとも気持ち悪かったのは、ラストの場面で主人公の2人がマイアミ行きのバスの中で乗り合わせる、他のアメリカ人乗客たちである。異端者に向ける冷ややかで醒めた視線が、映画が撮影された当時のアメリカの一般的な「世間」なのかどうか分からないけど、シュレジンジャーにはそう写ったのだろう。
元気だ |