2010年8月12日
Umep
写真展会場前の表示。
下は写真展の受付。
全体的に、手作りでシンプルなのが良かった。
2010年8月11日
「人間活動」に専念
その日、仲間と飲みながら、自分たちだったら何を止めて「
「残業活動」
2010年8月8日
トラクターは、アメリカ人の精神を体現している乗り物である
もちろん日本にもトラクターはあるが、僕たちにとってのそれはいくつかの農機具のひとつという域を出ない。一方、アメリカでは、トラクターは自立と草の根と反骨の象徴みたいだ。
「ストレイト・ストーリー」は、NYタイムズに掲載された実話をもとにデヴィッド・リンチが監督した映画だ。アイオワ州に住む73歳の老人(アルヴィン・ストレイト)のもとに、3歳年上の兄が心臓発作で倒れたという知らせが入る。ひょんなことで10年来仲違いをしていたその兄に会うため、彼はオンボロのトラクターに乗ってウィスコンシンまで500キロを超える旅に出る。車で行こうにも、目が弱っているため運転免許を持つことができない。しかも、誰かに乗せてもらって行きたくはない!からだ。
2ヵ月もの旅路を野宿をしながらトラクターで、 やっとのことで辿り着く。道すがらのいくつかの出会いなどのエピソードが、淡々としながらも深い感動を残す。
この映画のなか、アルヴィンは兄のライルが住む街にやっとのことで辿り着き、やおら一件のバーに入る。何年もそれまで訳あって止めていたビールをうまそうに一本飲み干し、店主に「ライルの家はどこか知っているか」と訊ねる。教えてもらった道を辿るが、またしてもエンジンのトラブルでトラクターが止まってしまう。思案にくれているところに大型のトラクター(!)がやってくる。またしても「ライルの家はどこか」と訊ね、送ってもらう。荒れ野のなかに建つちっぽけで粗末な家だ。だけど、その地域の人たちはライルを知っている。アメリカの地方のコミュニティの確かさも感じた映画だった。
日本では、所在不明の高齢者の追跡を自治体が始めた。今回は100歳以上の高齢者を対象にした調査だが、当人の家族に聞いても「知らない」「分からない」という応えが帰ってくるケースが少ないないという。まったくどういうことだろう。
もう一つは、トム・ハンクスが主演した「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」。マイク・ニコルズが監督している。アメリカ議会の実在の下院議員をモデルにしたノンフィクションを映画化したものだ。
主人公のウィルソンが、なぜ自分が政治家を目指したかを、
自分の犬を殺されたチャーリーは、
彼は、
ぼくは映画の中のこの政治家は好きにはなれなかったが、
2010年8月5日
フィンランド人の英語力
フィンランドの夏が決して涼しくはなかったことは、既に書いた。では、フィンランドは世界に冠たる教育国かどうか。ちょっと調べてみた。こうした認識が日本人の中にできたのは、PISAと呼ばれる調査の結果からである。PISAは、OECDが毎年実施している国際的な学習度到達度調査のことで、世界41カ国・地域の15歳の生徒を対象に実施されているテストである。この調査の結果は、調査対象者の持つ総合的読解力、科学的リテラシー、数学的リテラシーの3つの基準にまとめられて発表される。
そこでフィンランドは世界第1位なのである。一方で、かつては世界1位、あるいは2位の常連だった日本がランクを下げ続けている。 その結果、「なぜだ」という声が上がってきた。15歳といえば、中学3年生。日本の中3が年間700時間もの授業を受けているのに対して、フィンランドでは600時間ほどらしい。そのあたりのことも多くの日本人に対して疑問符を突きつけたのだろう。
さて一週間ほどフィンランドを旅していて感じたことの一つは、彼の地では英語で不自由なくコミュニケーションができるということ。もちろんこの国の母国語はフィンランド語であり、それは英語とは発音や文法、構造もずいぶん違う。しかし、どこに行っても基本的に20代、30代の人たちにはほぼ全員英語が通じた。職種を問わずである。
その理由は学校教育にあると云われていている。地域によっても違うのだろうが小学校2、3年制から第一外国語として英語を学び、小学6年制ともなると基本的な日常会話が英語でできるようになるという。日本では考えられない。
その理由の一つとしてあげられるのが教員の質の高さである。フィンランドでは初等、中等教育においても教職にある人たちの社会的地位が高いことが背景にある。 これは親の意識の問題でもある。モンスターペアレントなどと称される非常識きわまりない大人が跳梁跋扈する日本では無理な話かもしれない。内田樹氏の言を借りるなら、親が親である前に完全な(そして歪んだ)消費者に染まってしまっている。
そういえば、英語教師で思い出したことがある。もう20年くらい前になるが、英国の大学院で勉強していたとき、夏休みの時期に日本から英語教師のグループがやってきた。大阪の府立高校で英語を担当しているという10数人の先生たちだった。当時の文部省が派遣した教員研修の一環とやらである。
なぜかほとんど男性だったが、英語担当の教員だからと云って英語が話せるわけでなく、いつもキャンパス内をつるんで歩いていた。そういうのは奇妙な風景なので、周りから目立った。最初のうちは、慣れない外国の生活に不自由していたようなので、必要に応じてアドバイスなどしていたが、納税者の金で研修に来ているにもかかわらずあまりにも物見遊山な姿勢に呆れ、途中から話をすることを止めた。
PISAの成績はともかくとして、このことからも思い返せば、その当時から日本人の生徒の英語力の問題ははっきりと予見できたともいえる。
2010年8月3日
亀田総合病院
今回の訪問は、学生の大内さんの声がけに13名の学生が集まり、そこに僕も参加させてもらった。院長の亀田先生からの病院についての概要説明のあと、佐野さんと特命副院長のウォーカーさんから詳しいプレゼンテーションをしてもらった。続いて、ウォーカーさんに病院の各所を案内してもらった。
出産する女性は、さまざまな金属類の器具がすぐ脇に用意されたベッドで、日常の生活ではありえないような股を開いた姿勢で横たわされるのが普通だ。安心してくださいというのが、無理な話だろう。そうした当たり前の妊婦の気持ちを理解し、この分娩室はデザインされている。
こうしたアプローチが技術的に難しいことではないことは、医療に不案内な僕にも分かる。つまりは、イマジネーションの問題なのである。
2010年8月2日
「これらの更新」って何だ
ウィンドウズのPCを起動すると、毎回、「更新の準備ができました。これらの更新をインストールするには、ここをクリックしてください」という表示が画面に現れる。
しかし、「これらの更新」が何を示しているのか何も示しておらず、利用者としてはまったく不明。
かつてそうした表示につられて不用意にクリックしたがため、それまで使っていた日本語変換ソフトがマイクロソフト社のものに勝手に切り替わってしまったり、デフォルトで使っているブラウザーが同様にマイクロソフトの製品に変更されたという腹立たしい経験がある。だから、その後は一切こうしたマイクロソフト社の表示は無視するようにしている。
利用者を無視したこのような不正確な日本語表記はいい加減に止めるべきだろう。
マイクロソフト社に言わせると、「顧客のセキュリティと利便性のためにやっている」などともっともらしく説明するのだろうが、実際は利用者を馬鹿にし愚弄している。
マイクロソフトって会社、気持ち悪い。
2010年7月30日
小学校の教室で
それは千葉県柏市の小学校の教室での風景である。6年生の英語の授業を担当しているのは、担任の日本人の先生とオーストラリア人講師の二人。だけど、二人は言葉を交わさない。お互いに話すことを禁止されているからだ。
記事によれば、外国人講師は業者を介して雇用されているために、担任の教師が直接何かを依頼することは禁じられているという。実際、4月に外国人講師にカードを黒板にはってもらった教諭が千葉労働局から是正の指導を受けたという。そうしたことを回避するために考案された苦肉の策が、教室で担任の教師と外国人講師が口をきかないという先の方策だったという。バカな話である。
小学校の教室と云うことで思い出した映画がある。チャン・イーモウが監督した「あの子を探して」という中国映画だ。中学校も出ていない13歳の少女が、一ヵ月だけの代理教員として貧しい片田舎の小学校に
ある日、その中の一人の男の子が学校に来なくなった。
結局、街までのバス代の工面ができず
50元のお金を目当てに小学校の代用教員を引き受けざるをなか
2010年7月25日
フィンランドの森
那須にフィンランドの森という場所がある。そこにはレストランやパン屋、チーズ屋、腸詰め屋、それに薪ストーブの実演販売をしている店などがある。
写真はそこのレストランで出てきたカプチーノ。使っているillyのコーヒーも美味しいけど、こうしたちょっとした工夫がもっと美味しい。
2010年7月16日
MANGA
ヘルシンキ市内にあるStockmannという名の百貨店のなかに、Akateeminen Kirjakauppa(アカデミア書店)という名の大型書店が入っている。ゆったりとした雰囲気のいい感じの本屋だ。
その一部に「MANGA」とコーナー表示された棚があり、ドラゴンボールやNANAがずらりと揃えられていた。なかを見てみると、吹き出しは英語の表記に書き換えられていた。MANGAの棚の隣にはCOMICSがある。日本の漫画以外のマンガである。
MANGAとCOMICSは何が違うか。マンガは日本製コミックの別称なのだろうが、造本も違うのに気がついた。MANGAは日本式に右綴じで、COMICSは洋書がそうであるように左綴じだ。
2010年7月15日
Into the woods
森と湖の国と形容されるフィンランドの一端を見たくて、ヘルシンキから鉄道とバスを乗り継いでNuuksio National Parkへ行ってみた。
森を3時間ほど散策する。印象は、一言で言うと八ヶ岳みたいだった。ただ、日本の山と違うのは、鳥がいない。ほんの一部で鳥の鳴き声を聞きながら歩いただけだ。妙に静かだ。鳥のさえずりを聞きながら歩く日本の山の方が僕は好きだ。
フィンランドの気温は20〜25度と聞いていたが、今回の滞在中ずっと30度近くの暑さに悩まされた。結構湿度も高い。例年以上に熱波が影響しているらしい。それも来週早々から収まり、最高気温25度程度になるらしいが、その頃には帰国しているのが残念。
2010年7月14日
ヘルシンキのかもめ食堂
少し早い夕食を取るため、Kahvila Suomiという名のレストランを訪ねた。小林聡美らが出演した映画「かもめ食堂」の舞台になった場所だ。
街の中心部から少し離れた静かな地域にある。店の表にはいまも映画で使った「かもめ食堂」の文字が残されている。
ガイドブックにもこの食堂のことは載っていて、日本人観光客がよく訪ねてくるらしい。僕が行ったときも、他に観光客らしい日本人の若いカップルがひと組、ビールを飲んでいた。
その店では星君という25歳の大阪出身の若者が働いていた。もともと日本で日本料理の調理人をしていたが、日本以外から日本食を考えてみたいと思いたち、その彼の心の糸に引っかかったのがフィンランドだったらしい。ヘルシンキの学校でフィンランド語を集中コースで勉強、その後市内の高級ホテルで日本食担当の調理人を務めた後、何もツテがないままカモメ食堂を直接たずねて働かせてくれるように頼んだらしい。映画を観て訪ねてくる日本人客が多かったオーナー夫婦にとっても願ってもないことだったらしく、めでたく採用。厨房だけでなく、レジやフロアなどの仕事もしている。
飛び込みで仕事を求めるのが、どこでも彼らのやり方だと聞かされた。料理人としての腕前だけで勝負できる世界だからだろう。「包丁一本さらしに巻いて」の世界が、まさに世界を舞台にあることを知った。
外国で彼のような日本人に出会うと嬉しい。フィンランド人と日本人はその性格や労働感が似ているところが多いと感じたけど、それでも言葉はもちろんのこと、多くの面で違いがあることは間違いない。
だから、日々、苦労は多いはずだ。その中で、そうした両国の違いを感じつつ、それらをある面で楽しみながら、その先の自分の夢を目指して頑張っている。飲食店の営業に関する規制が最近強まって、クリアしなくちゃならない問題が増えたと嘆いていたけど、彼が早く自分の店を持てることを祈っている。
監獄ホテル
今、ヘルシンキのカタヤノッカという地域に泊まっている。宿泊先は、かつて監獄だった建物を使ったホテル。だから壁が通常の建物に比べて圧倒的に厚く、隣の部屋や外の音が一切入ってこない。プライバシーの保護は抜群。だけど、そのために客室内では無線LANを使うことができないのだ。ハハハ。
ホテルで働くスタッフのユニフォームも囚人服風なのが楽しい。胸には囚人番号を模してホテルの電話番号がプリントされている。この囚人服風のシャツだけでなく、手錠、足かせと鉄玉、囚人帽などがホテルグッズとして売られていた。
2010年7月13日
2010年7月11日
ラジカセが吠えてた頃
ヘルシンキの現代美術館に展示してある一作品。昔使ってたラジカセとそっくりだったので、思わず目を奪われた。で、よく見ると、スピーカーのところから音が刺さるように突き出ている。僕がラジカセで音楽を聴いてたのは中学時代のことだからもう40年も昔のこと。その頃のラジカセの音は、確かにこんな感じだった。
I stole this from ......
ヘルシンキにあるキアズマ(KIASMA)現代美術館を訪ねた。ここには、ヘルシンキ・ナショナル・ギャラリーの中の現代美術作品が展示されている。美術館は小振りだが、展示の仕方にフィンランドの現代美術作家に向けた暖かいまなざしを感じる。
写真は、そこのミュージアム・カフェのテラスで飲んだコーヒーのマグ。洒落が効いてておもしろいなあと思ったが、その後に覗いたミュージアム・ショップでは同じマグが6ユーロで売られていた。お土産にひとつ購入。自宅で、I STOLE THIS FROM KIASMAの文句を目にしながらコーヒーを飲むのも悪くないかなと。
2010年7月10日
インクは匂うか
電子ブックを発売をしているメーカーや出版関係者のインタビュー等がそこでは紹介されていた。その特集の終わりに男性のキャスターが、電子ブックもいいけど、自分はインクの臭いのする新刊書やかび臭い古本も味わいがあって好きだとコメントしていた。
言いたいことはよく分かる。しかし、その表現はあまりに紋切り型。新刊の本って、本当にインクの匂いがするのかな 。実際に何冊か試してみたが特に匂いなど僕は感じないし、新刊本は日常的に手にするが、これまでインクの匂いを感じたことはない。
確かに昔はそうだったような気もする。でも何十年も前のことだ。インクもその頃からすると、ずいぶん技術改良されたのに違いない。改良されてないのは、人の頭の方なんだろう。
2010年6月24日
グーグルの考える主要言語
ポルトガル語やオランダ語、ポーランド語は対応可能な言葉として含まれている一方で、その中に日本語はない。これらはグーグルのアルゴリズムから選ばれた主要利用言語ということなのか、あるいは単に担当者がいるかいないかといったことが理由なのか。
どちらの理由にせよ、日本人としては考えさせられる現実だ。
2010年5月24日
水を転がして運ぶ
シンシア・スミスの書いた、Design for the Other 90% が昨年『世界を変えるデザイン』の邦題で日本でも出版された。原題も邦題もなかなかいい。
アフリカ地域などを中心とする世界90%の人々---彼らは人の生活に欠かせないきれいな水や食糧(作物)などにも事欠いた暮らしを続けている---のために考案された低価格なオープンソースのデザイン例を集めた本だ。
貧困層の暮らしを少しでも改善したい、使って喜ぶ人たちの顔が見たい、そうした気持ちのデザイナーたちのアイデアが多くの写真とともに紹介されている。この本の元は、2007年にアメリカのスミソニアン/クーパー・ヒューイット国立デザイン博物館において開催された「残り90%のためのデザイン」展である。
下の写真はその中で紹介されている水を転がして運ぶためのもの。Qドラムという名前が付けられたポリエチレン製の容器で、75リットルの容量がある。デザインそのものもいいが、なぜこうしたデザインが必要とされるかという元の問いについてデザイナーが考えることがすばらしい。
開発途上地域の多くの場所ではきれいな水が限られている上、それを女性や子供が毎日遠くの水場から住んでいるところまで運ぶ。大変な労働である。 しかも頭の上にのせて運ぶため、首や背骨に負担をかけ、障害のもとにもなっている。それを防ぐ方法はないかと考えたデザイナーによって考案された。
ドーナツ状した形の穴の部分にロープを通し、引っ張ることで水のタンクを転がして運べるわけだ。これなら子供たちが楽しんで水運びができるかもしれない。デザイン的にもすばらしい。
ただ、使っているシーンをイメージするうちにいくつか疑問も出てきた。たとえば、平らな土地なら大丈夫だけど、上り坂はかなり辛いのではないか。つねに引っ張ってないとドラムは坂道を転げ落ちてしまう。また、でこぼこ路も具合が悪そうだ。場合によってはドラムが転倒するかもしれない。こどもが75キロのタンク(水が一杯の場合)を起こすのは大変だ。
そうだ、リヤカーを使ったらどうだ。リヤカーは水だけでなく、汎用的な運搬器具として活用できそうだ。でこぼこ路にも強いし、上り坂は休憩しながら運ぶこともできる。それに、リヤカーなら人だって何だって運べる。
リヤカーというのは和製英語である。日本に昔からあった大八車の利点を活かして、誰かが考案したらしい。人力車の影響もあるかもしれない。
そういえば学生時代のこと、リヤカーで引っ越しした奴がいた。運送屋に引っ越しを頼む金も、軽トラを借りる金も無かったからだ。リヤカーは運送屋にたいていは置いてあって、1日500円程度で借りられたのを覚えている。そもそも、貧乏学生(私の周りはなぜかみんなそうだった)は大した荷物がない。なかには山手線を使って引っ越しした奴もいた・・・。
リヤカーの構造は簡単で、自転車修理ができれば修理も問題ないらしい。また、今は折りたたみができるタイプもあり、リヤカー自体をコンパクトに運ぶことができる。誰でも使えて、何でも運べて、丈夫で長持ち。リヤカーをアフリカに送ったらどうだろう。